街のはずれに空き家を見つけた死神たちは、そこを根城とした。
住むだけなら、家具は必要ない。
だが誰かが来訪した時の万が一を考えて、風と大五郎は一通りの家具を作っておいた。
「なぁ、なぁ、ファーストエンドの住民ってフルーツケーキは好きかなぁ?」
神坐は延々浮かれている。学校から帰って以降、ずっとこうだ。
「んなもん人それぞれじゃろ」
疎ましげに払いのけ、大五郎は風に囁いた。
「おう、どうしたんだ神坐のやつ。学校でなんぞありよったか」
自由騎士のスクールで原田正晃と接触したのは、大五郎も知っている。
魂の濁りが消えたから、浄化に成功したのだというのも判る。
それで、どうして神坐が浮かれるのかが理解できない。
魂の浄化なんぞ、過去に何十万と成功しているではないか。今更感動もあるまい。
風が答えた。
「守るべき対象に神様と呼ばれたのだそうだ」
「はぁん?なんだ、早くも身バレしたのかよ」と呆れる大五郎へ言い直した。
「死神ではなく、神様だ……崇められたんだ」
死神は名の通り死を司る神だ。
命を刈り取る存在として広く認知され、恐れられることはあれど敬われはしない。
なのに崇められる事態が発生したのでは、神坐が浮かれるのも致し方なきこと。
「若いのぅ」と微笑ましくなったのも一瞬で、すぐに懐疑へと切り替わる。
「して、なんで神様とバレたんじゃ」
「死神だと名乗ったらしい。だが相手は、単に神だと受け取った」
「なんじゃ、結局身バレしたんじゃないか!」
正確には自らカミングアウトした。
死神だと恐れられなかったのは、今のファーストエンドに亜種族が存在しないせいだろう。
信仰は等しく全てが神で統一され、良き存在として崇められる。
害をなす存在は悪魔及び怪物に含まれる。判りやすい勧善懲悪の世界と化した。
「輝ける魂は絶対天使を、どう受け取っていたんだ?」との大五郎の問いに「原田はアーステイラを悪と見なしたぜ」と答えたのは、浮かれていた神坐だ。
「天使だと名乗られたにも関わらず悪呼ばわりしていたぞ、心ン中で」
第一印象が相当悪かったのか、或いは大掃除の翌日に起きた一件が遺恨を残したか。
いずれにせよ、こちらを味方と捉えてくれたのなら、ひとまずは安心だ。
「陸と海と空は、どうした?」
神坐に尋ねられ、風は真っ暗な外に目をやって答える。
「アーシス周辺を探らせている。アーステイラが単独で来たのか否か、他に原田へ危害を加える存在の有無を確かめる為に」
「外は、まだ心配しなくていいんじゃないか?」
大五郎が神坐を促した。
「心配なのは学内よなァ。原田に害をなす輩が他にもいるやもしれん。保健医は生徒と、どこまで関与できる権限があるんじゃ。自由にうろつけるようなら教室へも様子見してやれぃ」
それなんだが、と断り神坐は言う。
「あの学校、一応学校と銘打っちゃいるけどよ、ほとんどの授業が野外実習なんだよ。建物にいる時間のほうが圧倒的に短ェ。模擬戦闘やる場所も学外だしな」
治療担当は模擬戦闘を行う場所に配置されており、だから学校内に保健医は不在だったのだ。
「今は採集依頼がメインだったか?なら絶対天使のいるチームと原田のチームとで場所がかぶるやもしれんな」
大五郎の杞憂に、神坐は眉間に皺を寄せる。
三クラスに分かれているとはいえ採集依頼は町の周辺、そのうち授業時間が重なる日もあろう。
保健室に縛りつけられる保健医の立場を選んだのは失敗だったかもしれない。
「なら原田のチームメンバーも、こちら側へ取り込めばいい」
風がボソリと呟き、「連中が絶対天使をどう思っているのか調べなきゃな」と神坐も頷いた。
手始めは原田と距離の近い幼馴染二人。あの二人とコンタクトを取るべきだ。
まずは――原田の家を突き止めるべく、神坐は気配で彼を探す。
やがて見た目質素な、それでいて壁と屋根は真新しい一軒家が脳内ビジョンに浮かび上がる。
いつものように三人で下校し、原田の家へ小島も入る。
すでにアーステイラが待ち構えており、真っ白なエプロンをつけて「おかえりなさーい」と声をかけてきたが、そいつは無視して原田と一緒に小島も寝室へ向かう。
「へー。見覚えのないダブルベッドがありやがる。確かにデケーな」
驚く小島へ、淡々と原田が説明した。
「あぁ。あいつが作ったんだ、木片を集めて」
ダブルベッドは巨体の小島が乗っかっても全く軋まず、しっかりした造りを見せている。
これだけ見事な家具が作れるなら、自由騎士になるよりも家具屋を開いたほうが良いのではなかろうか。
いや、あれは見習いの夢をかなえる為に来たんだった。自由騎士は只の隠れ蓑だ。
「衣類は衣装棚を共有しよう。俺が上の二段を使うから、お前は下二段を使ってくれ」
原田に指示され「二段もいらねぇぜ?そんなに服持ちじゃねーしよ」と答え、小島はゴクリと唾を飲む。
この引き出しに、原田のパンツとかパンツとかパンツが入ってんのかと思うと興奮する。
いやパンツは未洗濯の脱ぎたてのほうが興奮度が段違いなんだけども、潔癖症な天使が同居している以上、脱ぎたてのパンツは即洗われてしまうだろう。残念だ。
原田の脱ぎたてパンツを想像しただけで、眠れなくなりそうな自分がいる。
だが、パンツで興奮している場合ではない。
一緒の部屋で過ごすというのは、ベッドも共有するのだ。
つまり一緒のベッドで寝るわけで、原田と向かい合った瞬間、興奮のあまり鼻血噴射で死んでしまうかもしれない、どうしよう。
「俺は風呂の前に飯を食うが……小島は、どうする?」
完全に妄想の虜となっていた小島は、突然の質問に慌てて答えた。
「え!?あ、あぁ、そうだなー。俺も飯にすっか!」
少し慌てすぎて挙動不審になっていたかもしれない。原田には怪訝に眉を顰められる。
「どうしたんだ。やめたくなったのか、同居するの」
「んなワケねーだろ!これから、お前といっぱい一緒に過ごせるんだって思ったらワクワクが止まらなくてよー」と小島は笑って誤魔化し、連れ立ってダイニングに入ってみれば、テーブルを埋め尽くす料理の山と対面する。
「ウフフ、これすごいでしょう?全部わたしの手作りなんですっ。料理もこなせる絶対完璧天使アーステイラちゃん、すごーい!いいんですよォ?土下座で感涙感謝しまくっても」
自画自賛の嵐まで受けて、褒めるタイミングを見失った。
どれも美味しそうに飾りつけられている分、本人の性格が残念でならない。
見栄えは良いが、味はどうなのか。
小島は腰かけて即、血の滴るステーキを一枚まるまる口の中へ放り込む。
「……んっまぁーーーい!」
肉そのものの素材を生かしながら、それでいてソースは濃厚で肉汁と味の調和を生み出している。
何十枚でも食べたくなる。テーブルには、今食べた一枚しかなかったけど。
「ふふっ。食べる前に、いただきますぐらい言ったらどうなんですか、この原始人」
アーステイラは小島を罵っていたかと思うと、原田には満面の笑顔を向けて酒瓶を差し出した。
「さぁ、あなた、どうぞ。夕飯の一杯は臓腑に染みると聞きますよ」
「酒は結構だ」と邪険に断り、原田も小島の対面へ腰かける。
目の前に広がる夕飯は先ほど小島が丸飲みしたステーキの他に、表面がカリッと焼けたパン、茶色いスープ、色とりどりのサラダ、旬の野菜を取り入れた混ぜご飯等が、テーブルの面積ギリギリまで置かれている。
勿論、こんな大量の食材を買い込んだ覚えは原田にないから、全部アーステイラが調達してきたのであろう。
彼女が手にする酒瓶にも見覚えがない。
そもそも、原田は酒を嗜まない。
酒は苦手だ。妙な味がするだけで、全然美味しいと思えない。
がっふがっふ片っ端に食べ散らかす小島を見ながら、ちょっとばかりサラダを皿に取り、口にしてみる。
食べられない味ではないが、少し味付けが濃いように感じる。
やはり野菜は生に限る。
夕飯はパンだけもらって、残りは全部二人に食べてもらおう。
パンを半分食べて立ち上がった原田に「お前、もう飯終わり!?食べなさすぎじゃないの」と驚く小島へは、ポツリと言い返す。
「……あまり食べられないんだ」
「食べないの間違いじゃないんですか?」とアーステイラにも咎められ、ふいっと視線を外した。
「明日以降、俺の飯は用意しなくていい。自分で作る」
「駄目ですよ!全然食べないからガリ痩せな体、もとい、筋肉がつかないんです」
がしっと両手で肩を掴まれて痛みに顔をしかめつつ、原田はアーステイラの腕を見やる。
栄養素をたっぷり取っているのか、小柄な割に逞しい二の腕だ。
この逞しさなら素手で殴りあっても、小島と互角な戦いを見せるやもしれない。
じっと腕に視線を注ぐ原田に気づいたか、アーステイラはフフンと胸を張った。
「逞しくなりたいんでしょう?だったら、三回ちゃんとご飯を食べるべきです」
何でも魔力で解決する奴が腕の太さを誇って何になるのやらだが、三食ちゃんと食べるべきには小島も賛成だ。
「原田、鞭は腕の筋肉を使うんだってよ。今日、サフィアちゃんが言ってたぞ」
本日の午後、原田が保健室で熟睡している間、小島たちは依頼を引き受けなかった。
実習を引き受けない場合は武器の特訓か模擬戦闘が出来ると教官に言われ、武器特訓を選択したのだ。
そこで小島は、鞭の扱い方について原田の代わりに聞いておいた。
鞭は非力な彼でも扱える武器なのか否かを。
サフィアの回答は、非力でも使えないことはないが上半身を鍛えておいたほうがいい、であった。
物理武器は、どれも最低限の筋肉を必要とするのだとも言われ、小島は大いに納得した。
「筋肉をつけるには肉が一番だ!俺を見ろ、見事な筋肉だろ。むふー」
バッとシャツを脱ぎ捨て、胸筋をピクピク動かしたら、原田ではなくアーステイラに嫌がられた。
「やだー気持ち悪い。食事中に変な真似やめてくれますぅ〜?噴飯しちゃうじゃないですか」
「あ、そうだ」とばかりに、小島は笑顔で彼女に話しかける。
「俺、今日から、この家に住むんだ。あのデケェベッドは原田と一緒に使うから、お前はリビングで寝ろよ」
唐突な寝室強制退場にはアーステイラも「ハァ!?」と、こめかみに青筋を立てまくりだ。
「あのベッドは、わたしと原田くんがピットリ寄り添って寝るために作ったんですよ?ゴリラを飼育する盤台じゃありません」
「あいにくと、原田はお前と寄り添いたくないそうだぜ?なー、原田」
小島に話題を振られ、間髪入れずに原田は頷いた。
「この家の持ち主は俺だ。俺が部屋割りを決める。アーステイラは空き部屋を使え」
家主権限を持ち出されては、絶対天使といえど従うしかない。
下手に逆らっても敵意を持たれるだけだ。
空き部屋は二つあるが、片づけてあるし家具も一通り揃えてあるから、すぐに移れる。
リビングのソファで寝ろと言われなかっただけマシだろう。
ぶちぶち文句を料理と一緒にかみ砕き、アーステイラは引きつった笑顔で頷いた。
「判りましたよぅ。一人寂しく寝るとします、しょぼんしょぼん。は〜〜ぁ。あのベッド作ったの、わたしなのになぁ〜。感謝もされず、取り上げられちゃうんですかぁ。ちぇー」
全然納得していない彼女など原田は最早視界にも入れず、半分以上の料理を平らげた小島を促す。
「風呂に入るなら先に入っていいぞ」
「どうせなら一緒に入ろうぜ!」
小島は鼻息荒く誘い返して、原田に苦笑される。
「一緒に入れる広さだと思うか?共同風呂とは違うんだぞ」
三人家族用の家でも風呂場は一人しか入れないと諭され、テヘ☆と笑って小島は誤魔化した。
――といった一部始終を千里眼で見ていた神坐が、声を荒げる。
「オォォイ、オイオイオイ!さっそく家ン中で問題発生じゃねぇかよ!」
幼馴染二人は無害なのだとばかり思っていたが、内一人は、とんでもなく下心の塊ではないか。
「ど、どうした、神坐。原田の家で何があったんじゃ」
動揺する大五郎に今し方見たばかりの風景を伝えると、二人には揃って苦笑いされた。
「問題ない。友愛の一環だ」
落ち着き払った風には、神坐のほうが落ち着かなくなる。
「あれが友愛ィィィ?脱ぎたてパンツに、えれぇ執着していてキモイんだけど!」
「思春期特有の妄想だろうが」と大五郎は笑って取り合わず、「問題が発生してから対処すればいい」と風が話を締め、神坐を一瞥する。
「気持ち悪いというなら、知り合って間もない相手に手作りケーキを差し入れする奴も相当な距離ナシだ」
痛いところを突かれ、ウグッとなる神坐を大五郎も見やり、肩をすくめた。
「そうさな。それよか問題は絶対天使の同居だ。やつを、どうする気なのかを見極めねばなるまいよ」
力づくでは追い出せまい。
力自慢の幼馴染にも、それは判っているはずだ。
彼らの同居も長期間の様子見が必要となろう。
千里眼で死神に覗き見されているとは思いもしない小島と原田は風呂を入り終え、一緒のベッドへ潜り込む。
「な……なんか、こうやって一緒のベッド入るのってキンチョーするな……!」
頬を真っ赤にガチガチな小島と比べると、原田は全くのリラックス。意識してもいない。
「そうか?それより、思ったよりもスペースが余ったのに驚きだ」
「も、もっとピッタリ密着すんのかと思ってたのか?」
「あぁ。お前がでかい分」
屈託なく頷く原田は、鼻息を荒くする小島が気にならないのだろうか。
小島自身は、自分でも自分の鼻息が気になるというのに。
「これなら、お前が寝返りを打ったとしても安全だな」と笑われ、改めて原田を押しつぶす危険性に気づきもしたが、今更ソファで寝ますとも言い出せない。
「そろそろ寝るとするか。灯り、消すぞ」
ふっとランプを消した途端に部屋中真っ暗になり、それでいて向かい合った原田の顔は、よく見える。
瞼を閉じて数分後には、すやすや寝息を立てて眠ってしまった友の寝つきの早さときたら、感服ものだ。
彼が寝坊助なのは知っている。
眠りが相当深いのか朝に弱いのかは判らないが、こちらが呼びに行くまで全く起きてこない。
今も隣で鼻息を荒くする小島がいるというのに、無邪気な寝顔を晒している。
そっと手を伸ばして、唇に触れてみた。
柔らかい。
この唇にキスしたのか。イリーニャとボーリンは。
俺もしてみたいといった邪心が小島の脳裏を一瞬よぎるも、さすがに口を塞がれたら原田も起きようし、同居初日で追い出されるのは勘弁だ。
代わりにパジャマのボタンをプチプチ外してみた。
うなじから鎖骨にかけてのラインが、色気を放ってくる。
薄い胸をなぞり、そっと乳首に触れてみたら、原田が小さく身じろぎするもんだから、小島は息を詰めて指を引っ込めた。
……危ない、危ない。
彼が起きたら一巻の終わりだ。
原田を丸裸に脱がしたアーステイラを非難したけれど、こうして悪戯できるチャンスを掴んだ今は、彼女の気持ちが重々理解できる。
いつだってチャンスを伺っていた。
だけど隙があるようでないから、ずっと手を出せずにいた。
むしろ脱がして触るだけで満足できた彼女には、尊敬すら感じる。
脱がして触るだけじゃ満足できない自分がいる。
なにしろギュッと抱きしめて、お尻を布越しに撫でたって原田に起きる気配が全くないのだから。
これはもう、全裸いっちゃいます?パジャマ全部脱がしちゃいますぅ〜?
よし、決行。
じりじりとパジャマのズボンを降ろし、お尻を直に撫でる。
予想通りの柔らかさ、そしてスベスベ感に満足した。
――いや、まだだ。まだ満足の度合いは百分の一。
もう一度、指で原田の唇をなぞり、小島はゴクリと生唾を飲み込んだ。
やっぱりチューしたい。意識がなくても構うものか。
目覚めた時にもキスすれば問題ない。
いや問題はあるかもしれないが、したい気持ちを抑えきれない。
詰めていたはずの鼻息が復活し、原田の頬を何度も吹きつけて、彼を目覚めさせるには充分な風量だったのか。
「んぅ……?」
腕の中で目を覚まされ、焦ったのは小島だ。
「おおおおお、すまんっ!起こしちまったか!?」
さながら不審者然に泡食う友を見上げ、寝ぼけまなこの原田が呟く。
「なんだ……抱きついたりして。寒かったのか?」
小島の腕を逃れてベッドを下りた原田が、そのまま出ていってしまうのではと焦ったのも束の間。
押し入れから予備の布団を取り出す彼の背中を、小島はポカーンと見守った。
「ほら。これで寒くないだろ、今度こそ寝ろよ」
ばさっと布団をかぶせられ、違うと言い訳する暇もなく、再び寝入られてしまった。
パジャマが半分脱げた状態だというのに、それすら気づいていなかったようだ。
下心はすっかり小島の心を消えうせ、代わりに沸いたのは原田への心配だ。
触られても脱がされても起きない上、脱げているのにも気づかないで寝ちゃうだなんて無防備にも程がある。
もしかしたら小島への信頼なのかもしれないが、それはそれで意識されていない事への悲しみが憤る。
いっそ堂々告白してみるべきか。
けど、玉砕したら悲惨だ。
このまま親友ポジションを維持して不燃焼の恋心を抱き続けるのは不毛だが、嫌われるよりはマシだろう。
しかし怖気づいていたら、第二第三のモーションをかける輩が原田の前に現れてしまう。
慣れない知恵熱をブスブスと発しながら、小島は真剣に考え込むのであった。