絶対天使と死神の話

自由騎士編 06.ハートブレイク


翌日、原田と小島と水木の三人は盛大に遅刻してきた。
「どうしたの?三人揃って遅刻だなんて」
驚くジョゼ、それからピコにも出迎えられる。
二人とも怒っていない処を見るに、本日の実習は午後から始まるようだ。
「昨日の依頼で筋肉痛になったのかな?実は僕もなんだ!」
気取ったポーズで言われても、どこが筋肉痛なのかと疑いたくなるが、彼流の気遣いかもしれない。
「一時間目は怪物の特殊能力講座だったわ。一応紙に写しておいたから」とジョゼに手渡され、原田は「ありがとう」と浮かない顔で受け取った。
「筋肉痛が痛むなら、僕がマッサージしてあげるよ!」
ピコの気遣いには黙って首を振り、空いた席へ腰かける。
原田の気がかりは、水木の態度にあった。
スクールへ到着するまでの間、彼女は全く原田のほうを見ようとせず、小島との会話も始終上の空だった。
無理もない。朝っぱらからトラウマレベルのものを見てしまっては。
見たくないものを予期せぬタイミングで見せられて動揺しない女子など、女子とは言えまい。
もっとも、水木にトラウマを与えた諸悪の根源も女子であるのだが……
絶対天使と名乗ったアーステイラ、やつは女子の皮をかぶった悪魔だ。
勝手に居候を決め込んだ上、許可なく原田を素っ裸に脱がして公開処刑するなど、人のやる行為ではない。
出ていけと怒鳴ったが梨の礫、ずるずると同居されるのは目に見えている。
暴力では勝てそうにない。無限の魔法を攻撃に使われたら、瞬殺間違いなしだ。
いっそ、こちらが出ていくべきか。両親の形見でもある家を捨てて?
冗談ではない。やつのせいで野宿を強いられるのは御免だ。
あの悪魔は登校する際にもついてきて、服の洗濯はどうしたと問いたい。
やはり最初から脱がすのが目的で、洗濯は後付け言い訳だったのだ。
平気で嘘をつく輩とは、とても同居できる気がしない。
難しい顔で黙り込む原田の肩を、そっと小島が叩いてくる。
「あのさ。考えたんだけど、俺もお前んちに住むっての、どうだ?」
「えっ?」となって顔を上げれば、思いのほか深刻な表情と目がかち合った。
「あいつは俺達の望みをかなえるまで絶対居座る気なんだろ?だったら、俺がお前を守ってやるよ」
気遣いは嬉しい。
しかし、小島の馬鹿力でもアーステイラに勝てるかどうかは危ういであろう。
原田の顔色を見て遠慮されると思ったのか、小島が先回りしてきた。
「いや、俺んちも弟が大きくなってきて家ん中が狭く感じるっつーか、そろそろ自立しないとって思ってたんだ。原田んちなら隣だし、部屋も余っているだろ」
少し考え、原田は頷いた。
「……そうだな。俺と同じ部屋で暮らすという条件なら」
「お、同じ部屋っ!?いやいや、隣か空き部屋で充分だぜ!」
なんでか大いに驚かれたが、幼馴染の友人同士が同室で何を驚くことがあろうか。
こちとらアーステイラと同じベッドで寝るぐらいだったら、小島と一緒に寝たほうが安心できるというのに。
「同じ部屋じゃなきゃ駄目だ」と念を押すと、小島はチラッチラ伺うような目を向けて、なおも渋る。
「……俺、イビキすごいぜ?寝相も悪いし」
「大丈夫だ。無駄にデカいベッドだし、ベッドが嫌なら布団もある」
それ以外の部屋は却下だと突っぱねたら、ようやく小島も折れてくれた。
「ん〜……じゃ、それでいいや。いや、同室が嫌ってんじゃなくて迷惑かなぁと思ってさ」
遠慮するとは彼らしくもない。原田は笑顔で、改めて礼を言っておく。
「迷惑だと思うなら、言い出したりしない。ありがとう、こちらの条件を飲んでくれて」
小島が一緒であれば、あの悪魔も忍び込んできたりすまい。
なにしろ彼のイビキは大音量で有名だ。
あれが自分の家で鳴るのかと思うと、それはそれで憂鬱なのだが、背に腹は代えられない。
小島は寝起きがいいから、アーステイラの侵入にも気づいてくれるはずだ。
腕力のみならず、全てにおいて戦士向きな男である。
それに、正直で嘘もつかない。頼りになる友だ。
「え?何々、小島くん、原田くんの家に住むのかい?」
小声の内緒話に聞き耳を立てていたのか、ピコが混ざってくるのへは、ジョゼが過敏に反応した。
「なんですって!う、羨ましい……ッ」
「おっと、ジョゼは駄目だぞ。親を心配させちまうからな!」
先回りしての煽りを受けて、ジョゼが羨望と嫉妬の入り混じる眼差しを小島へ向ける。
「だ、誰も同居したいとは言ってなくってよ。嫁入り前の女の子が同棲するなんて、はしたない真似、この私がすると思って?ただ……原田くんと一緒に暮らすのは楽しそうだと思ったまでよ」
羨んでいるのがバレバレにも関わらず意地を張るジョゼに、ピコも乗ってくる。
「友達同士での同棲かぁ。きっと毎日がキャンプ生活みたいで面白そうだね。僕も一緒に住んでみたいけど、親を残しての自立は、見習いの立場じゃまだ早いから自重しておくよ」
仲間内でワイワイ盛り上がる中、水木だけは反応がない。
ぼんやりした表情で宙を見つめている。
朝のトラウマ案件は、よほどの衝撃だったのか。
最悪、嫌われてしまった可能性もある。
ただでさえ貧弱な全裸を晒した上、現場に見知らぬ女子もいたのが致命的だ。
やましい行為をしていたのではと思われたとしても、無理からぬ状況である。
水木に嫌われてしまっては、自由騎士になる意味が半減してしまう。
彼女と、それから小島を守る為に自由騎士を目指す原田としては。
いや――それ以前に、水木に嫌われるという状況自体、これまで一度も考えたことがなかった。
漠然と寿命を終えるまで、彼女との交流関係は永遠に続くと思い込んでいた。
友達になろうと声をかけてくれたのは、水木が先だ。
水木が原田に声をかけて、小島も水木が誘って、なんとなく三人で遊ぶようになった。
彼女が居なかったら、お隣の幹夫くんのことは、ずっと乱暴者だと思い込んだままだったろう。
単純に異性として好きなんじゃない。
水木は恩人だ。原田の視野を広げてくれた大切な人なのだ。
だからこそ、彼女に交流断絶されるのは悲しい。考えただけでも涙が出そうになる。
登校中、小島が散々フォローを入れてくれたが、それでも水木に届いたとは考えにくい。
その証拠に、今日は原田との間で雑談が一度も発生していない。
いつもはキャンキャンうるさいぐらい話しかけてくるのに。
やはり、自分の口から申し立てておこう。あの悪魔とは何の関係もないのだと。
二時間目が終了した直後、原田が席を立ったのと同時だった。
「あ、ちょっといいかな。顔貸してくれる?」
横合いからグイッと腕を掴まれ、有無を言わさず廊下へ連れ出されてしまったのは。


原田を強引に教室から連れ出したのは、イリーニャであった。
ずるずると屋上まで引っ張って連れてきた上で、掴んだ腕を離してくれた。
「教室じゃ話しづらくて、ごめんね」
相変わらず胸を張っての謝罪、謝る態度ではない。
それでいて少し躊躇いを見せた後、彼女が話を切り出した。
「あのさ、唐突で悪いんだけど、しばらく恋人のフリしてくれない?」
「は?」
あまりにも唐突過ぎる話題ふりに二の句が継げない原田を一瞥し、イリーニャは言い直す。
「チームメイトの男子が一人、発情期になっちゃって気持ち悪いんだよね。嫌だって言っても全然聞く耳もたないし。だから、恋人いるってことにしとけば諦めるんじゃないかと思って」
「……それで、何故俺を選んだんだ?」
「最初ピコってやつに頼んだんだけど、あいつ『一人の女性に縛られるのは僕の美意識に反する』とか言って断りやがったんだよね、ムカつく」
気取ったポーズで断るピコの姿が原田の脳裏にも浮かんできて、納得の想像図だ。
「他にも二、三人頼んでみたけど駄目で……あんたならフリーっぽいしナルシストでもなさそうだし。残りは、ほら、教官にサフィアちゃ〜んとか声援送ってて薄気味悪いし?」
要するに消去法だ。
片っ端から、まともな男子に声をかけて断られた末、原田にお鉢が回ってきただけだ。
原田が断れば、小島にも話がいくのであろう。
恋人のフリか。
水木との仲に余計亀裂が入りそうで、怖くて許可できない。
だが、イリーニャにはマメ知識を教えてもらった恩がある。
どんなに些細な情報でも、恩は恩だ。
彼女が気持ち悪い距離ゼロ男に悩まされるのを放っておけるほど、原田も薄情ではない。
水木には見られない場所で、キモ男にだけ見せるようにすればイケなくもないか?
原田が悩んでいると、複数の足音が階段を駆け登り、屋上へバーンと飛び出してくる。
「待て待て待て〜ぃ!告白は、二人が親密になってからじゃないと許さないぜ!!」
白昼堂々、寝言を大声で怒鳴っているのは我が友、小島ではないか。
その後ろではピコが、ふわさっと髪をかき上げて囃したてる。
「屋上での告白は定番だね。青春しているじゃあないか、原田くんっ」
「駄目よ!原田くんは私が心に決めた殿方なのよ。イリーニャさん、あなたには渡さない!!」
敵対心漲る宣戦布告をジョゼが放ち、更に後方で丸々と太った男子が唾を飛ばして絶叫した。
「マイハニー!ボクちん以外の男と二人っきりになるのは正気の沙汰じゃないよ!?」
水木も一緒だ。眉根を寄せて、しかし一言も発さず視線を送ってくる。
水木と並んで立ち、チェルシーが言い繕う。
「ごめん、イリーニャ!止めたんだけど、皆、止めきれなくて……!」
この大人数を一人で止めるのは、いくらなんでも無理だろう。
「皆も一緒か……まぁ、いいや。ボーリン、あたしは彼とつきあってるんだ!あんたのことはチームメイトとしか思ってないよ、諦めなッ」
いきなりの演技開始に泡を食ったのは、原田だけではない。
全員が呆気にとられた顔で、イリーニャを見つめた。
硬直する原田に撓垂れかかり、太った男子へ挑戦的な目を向けてイリーニャは演技を続ける。
「恋人が二人っきりになるのは、何もおかしなことじゃない。そうだろ?正晃」
「え……あ、あぁ……そ、そう、だな」
原田は言葉にならない言葉を発し、視線を下に落とすしかない。
アドリブを求められても無理だ。
演技なんて生まれて一度もした覚えはないし、嘘をつくの自体が苦手だ。
「嘘つけ!抱きつかれただけで硬直する恋人なんか、いるもんか!ホントに恋人ならハグは勿論キスも出来るはずだ!さぁ、ボクちんが熱いチュウをしてあげるから、そんなハゲからは即刻離れなさい!イイネ!?」
ボーリンの指摘にも不敵な態度を崩さず、イリーニャが言い返した。
「その理論で言うなら、あんたとあたしも恋人じゃないね。だってキスしたことないんだからさ」
「だから、今からチュウしてやるって言ってんだろ!?カモンカモン、マイハニー!」と急かしてくるのは華麗に無視し、原田へ向き直る。
何をされるのかと原田が考える暇も、何かに気づいたチェルシーが止める暇も、ありゃしなかった。
むちゅっと柔らかい何かが原田の唇に押し当てられた直後、ボーリンの絶叫が屋上に響き渡る。

「あーーーーーーーー!マイハニーの清らかなファーストキッスが!!」

否、ボーリンだけではなく、その場にいた全員が混乱と驚愕で大騒ぎになった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!原田のクチビルが!ポッと出の女なんぞに!!」
「ず、ずるい……ッ!原田くんの初めては私が狙ってたのにー!」
「なんてこった、皆の前で堂々とキッスかい!?原田くん、女性と付き合うのは構わないが、恥じらいをなくしてはいけないよ!」
「ちょ、だ、駄目だよ、イリーニャ!原田クンに、そんな無理矢理するなんて!?」

水木以外の全員が大声で怒鳴り散らしており、ちょっとキスしただけで、ここまで阿鼻叫喚の地獄絵図になるとはイリーニャも予想しなかったに違いない。
「ぶっ殺す!痴女死ぬべし!!」とワンテンポ遅れての絶叫は要の声で、知らない間に混ざっていたようだ。
だが当の原田には、それらに突っ込む余裕が一切なかった。
初めてのキスが好きな子ではなく、一応同級生の顔見知りではあるが全然興味のない相手に無理やり奪われるだなんて、ショックで言葉も出てこない。
おまけに、水木にも見られてしまった。最悪だ。
これで絶対、確実に嫌われてしまった。交流断絶待ったなしだ。
今日はスクールを休めばよかった。
無理にこなければ、こんな目に遭うこともなかったはずだ――
原田は怒りと屈辱と嫌悪と後悔と悲しみで頭の中が一杯になり、目の前は涙で滲む。
しかし泣きべそをかこうかという次の瞬間には丸々と太った男子に抱えられ、ぶちゅうっと唇を奪われた。
周りの皆が「はぁっ!?」と奇声を上げる中、ジュルジュルと唾液をすする音が屋上に木霊する。
「な……何やってんの!?あんたっ」
我に返ったイリーニャに尋ねられ、ぶはぁっと満足の吐息と共に原田を開放したボーリン曰く。
「何って間接キッスだよ?マイハニーが口をつけたなら、これもファーストキッスだよね」
斜め上の答えが返ってきた。
「あんたまで!ずるい、こうなったら私も――」
続けて暴走しかかるジョゼは、後ろから小島が羽交い絞めにして必死で止める。
「待て待て、何が私もだ、原田の気持ちを考えろっつーの!」
放り出された原田にはチェルシーとピコと水木が駆け寄って、ピコが抱き上げた。
「だ、大丈夫かい、原田くん?どうか気を確かに保ってくれ」
「原田くん、しっかりして!私の声、聞こえる!?」
水木も必死で声をかけたが、原田の目は虚ろだ。
白目をむいて気絶していると言っても過言ではない。
あぁ、こんなことになるんだったら、あの時、なんとしてでも止めるべきであった。
あの時とは、つまりイリーニャが無理やり原田を連れ出した時だ。
ぼんやり考え事をしていたせいで、水木は初動が遅れてしまった。
ぼんやりしていた原因は、他でもない。
朝に見た、原田の裸体が瞼に焼きついてしまって忘れられない。
乙女の理性を以てしても、自分の目が眺めるのを止められなかった。
ともあれ、チェルシーが「皆、止まって!話を聞いて」と叫びながら走っていくのを追いかけて、屋上へ出た。
そうしたらイリーニャが突然原田とつきあっているだなんだと言い出して、いきなりファーストキスからのぉ〜ボーリンの奇行発生である。
イリーニャの恋人宣言は嘘だとして、ボーリンが何故こんな真似をしたのか。
きっと、彼も混乱したのだ。愛しい相手が見知らぬ男とキスしたのでは。
だからといって、彼の奇行が許されるか否かは別問題だが。
イリーニャが原田とキスしたのは、水木にもショックが大きすぎた。
衝撃で心が壊れるんじゃないかと思った。
原田に抱きつかれた時も、ショックだったのだ。
大きくなってから、水木は一度も彼とハグした記憶がない。
本音じゃしたくてたまらないのだが、せいぜい腰辺りにタックルするぐらいしかできない。
胸に飛び込む勇気がない。
タックルした後も茶化して笑って、ごまかしてしまう。
原田とはスクールで知り合ったばかりのくせに、なんでイリーニャは易々抱きつけるのか。
ボーリンに煽られたからって、何も本当にキスしなくたっていいじゃない!
胸の内を黒々とした嫉妬が渦巻き、水木は、どうしようもない焦燥感に駆られる。
水木は原田が好きだ。
最初は単に近所同士で仲良くしたいと思った相手だが、今は異性として見ている。
目つきが悪いだの不愛想だのと陰口する者もいるけれど、そんなふうに言う人は彼の良さを何も判っていない。
原田は不愛想なんじゃない。
ただちょっと、他の人より人付き合いが苦手なだけだ。
「と、とにかく、いつまでも屋上で寝かせておくわけにもいかないし、保健室へ運んでおこう。あぁ、今日の依頼実習は休みにしよう、リーダーがこんな状態では。皆もいいね?」
ピコに仕切られ、小島と一緒にジョゼ、水木も神妙に頷く。
気絶した原田は小島が抱き上げ、揃って保健室へと向かった。
21/05/03 UP

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