絶対天使と死神の話

英雄編 09.真夜中の戦闘指南


真っ暗なテントの中で、原田は不意に目を覚ます。
どうも野宿は眠りが浅くなってしまうようだ。
これが自宅なら、朝までぐっすり眠れるはずなのに。
そぉっと水木の上を跨ぎこし、外に出てみた。
夜空一面、満天の星空が広がる。
だが原田の視線が真っ先に捉えたのは、それではなく。
「……やぁ、どうしたんだ原田くん。眠れないのかな?」
焚火の燃えカス付近で、一人稽古していたジャンギの姿であった。
「ジャンギさんこそ」と囁き、近づいてきた原田の肩を抱いてジャンギは燃えカスの側に座り込む。
「なんだか気持ちが昂ぶってしまってね。戦うのは俺じゃないってのに」
原田が起きるまで激しく動いていたのか、ジャンギは流れ落ちる汗を腕で拭った。
汗の匂いを思う存分堪能する原田の耳に、囁きかける声が優しく入り込む。
「アーシスに戻ってからの日程を俺なりに考えてみたんだけど、アーステイラとの戦いは合同会の一端に組み込むって手もある」
「合同会?しかし、ソロ戦は」
絶対天使の魔力の高さなら、アーステイラがスクールで魔術使いを選んだのは想像に容易い。
魔術使いと鞭使いは同じトーナメントで戦えない。
原田の指摘に首を振り、ジャンギが言い直す。
「ソロじゃなくてエキストラ戦、特別試合として戦うんだ。怪物の王vs原田チームといった具合に。アーステイラを連れ帰るにしても、連れ帰った理由付けが必要なんだ。街へ怪物を入れてはいけない――大人が作ったルールを俺たち大人が破るわけにいかないからね」
原田が輝ける魂だというのも発表すると言い出されて当の原田は慌てるが、ジャンギは問題ないと言い切る。
戦う側にも理由付けは必要だ。
ただの子供が邪悪な怪物と戦うのでは、倫理面を考慮した文句を言う大人が出てくる。
輝ける魂は邪悪を滅ぼす。
これ以上、怪物の王退治にうってつけな存在もいまい。
「隠していても、いずれは発覚するだろう。君の今の魔力は、こうして近くにいるだけでも感じ取れるんだ。だったら先にバラしてしまおう。大丈夫、君が周りから特別扱いを受けたって俺が全面バックアップするよ。君を悪用しようとする輩は絶対に近づけさせない」
以前エリオットに聞かされたのだが、輝ける魂は生涯贅沢三昧が約束されている。
輝ける魂は存在自体が貴重な上、不思議な能力を持つとされるせいだ。
中には奇異の能力を悪用しようと企む輩が出てくるかもしれない。
ジャンギは、そうした連中から原田を守ると言ってくれた。
魔力は自由騎士スクールに通った大人なら、誰にでも感じ取れる。
過去の卒業生は全員、気配や魔力を感じ取る練習を依頼実習の中で行ってきたのだそうだ。
「俺にも、いつか感じ取れるようになるでしょうか?」
原田の疑問に、ジャンギが力強く頷く。
「あぁ。怪物退治を続けていれば、それとなく感じ取れるようになる。俺の同期も卒業までには全員が怪物の気配や仲間の魔力を肌で感じ取れるようになっていたよ」
「昔は、スパルタだったから……じゃないんですか?」とも尋ねれば、英雄は苦笑して、「ぶっつけ本番だったかどうかは関係ないよ、初めて怪物と戦うのは今の時代でも変わらない」と答えた。
「生きるか死ぬかの戦闘でしか掴めない感覚なんだ、感じ取るっていうのは。だからスクールに通ったことのない人には出来ない。ただ、ごろつきにもスクールの卒業生はいるからね……嘆かわしい事だ」
そう吐き捨てて、深い溜め息を漏らす。
世の中にはジャンギみたいに立派な大人がいる反面、ごろつきと称される街のおちこぼれが存在する。
彼らにだって昔は志があったはずだ。世のため人のため役に立ちたいといった目標が。
どこで選択を間違ってしまったのだろう。同じ自由騎士スクールへ通っていながら。
「ジャンギさんは、すごいです」
唐突な賛辞に「え?」と驚くジャンギを、原田は褒め称える。
「現役時代は志を一切曲げずアーシスに貢献をもたらして、怪我で引退した後は俺たちを導く為、日夜切磋琢磨するなんて……俺には真似できそうもありません」
「真似する必要はないよ」とジャンギは笑い、原田の頭を優しく撫でた。
「ただ……そうだな。そうやって君の記憶に刻まれたんなら、頑張った甲斐があったということかな」
「俺だけじゃありません」と原田はジャンギの顔を見上げて、尊敬の眼差しを注ぐ。
「アーシスの民は皆、ジャンギさんを記憶しています。歴代の自由騎士で一番すごい英雄だと」
本当に、そう思う。
じゃなかったら、引退して結構経った今でも街の人々に語り継がれるわけがない。
他の引退自由騎士、例えばエリオットやサフィアの武勇伝を小耳に挟んだ覚えが原田には全然ない。
きっと何処か一部では有名だったのかもしれないが、街中どこでも武勇伝を聞けるのはジャンギだけだ。
「いっぱい距離を歩いたからね。長く続けてもいたし」と謙遜する彼を、どこまでも持ちあげる。
「長く現役を続ける。それこそが偉業でしょう。現役は続けること自体が厳しいと聞きますから」
英雄の武勇伝を訊くついでに聞きかじったのだ。現役の活躍期間を。
現在の現役自由騎士の活動期間は平均五年。
短い人はスクール卒業後の半年で終了してしまうらしい。
何故そこまで短いのかというと、現役は怪物退治が主な仕事となっており、戦闘には向き不向きがある。
回復や術使いだとソロで戦うのは困難だ。
かといって都合よく毎回多人数パーティを組めるとは限らない。
コンビでやるにも互いの相性があろう。
おまけに収入面が不安定では、定時で給料のもらえる別職に転職する人が出たとしても仕方ない。
今の現役でソウルズの唱える理念通りに動ける者は、いないんじゃなかろうか。
皆、自分が生きる分だけでカツカツだ。
これもジャンギの言う"上手く回らない経済"のせいで、いずれ富豪が金を使い切れば街は実質滅びよう。
ジャンギは十年以上現役を勤めた。
彼の時代じゃ平均だったとしても、今と照らし合わせると驚異の記録だ。
それだけじゃない。
森林地帯の奥にある遺跡と北の砂漠地帯及びナーナンクインの存在、これらを発見したのも彼の功績だというんだから、なるほど英雄呼びは伊達ではない。
いっぱい歩いた。怪物のうごめく危険な外の世界を、終盤はたった一人で。
これほど記憶に強烈な冒険譚を残せた自由騎士が他にいただろうか?
ジャンギと比べたら、自分は魔力が高まっただけで心意気も技術もド素人だ。
どれだけ魔力が高いと言われても全然ピンとこないし、アーステイラと戦う自分の姿さえ想像できずにいる。
明日はアーシスへ戻るというのに。
知らず、恐怖で体が震えてしまったのだろう。ジャンギに強く抱きしめられる。
「……大丈夫だ。といっても不安しかないかもしれないが、君は一人じゃない。小島くんや水木さん、パーティメンバーが一緒に戦うんだ。合同会の試合を思い出して」
駄目だ。あれを思い出せば出すほど、不安が増していく。
しまいには涙目で黙り込んだ原田を見つめ、ジャンギは何を思ったのか。
そっと原田の両目に滲んだ涙を指で拭ってやると、立ち上がった。
「……よし、原田くん。少し気晴らしに運動してみようか。君は魔力が高まって魔法を使えるようになった。今のうちに練習しておこう。いつでも発動できるぐらいにはね」
集落の外へ出ると例の怪物に襲われるから、と言ってジャンギは薪の燃えカスに木切れを突き立てる。
「これをアーステイラに見立てて魔法を発動させてみよう」
「でも、呪文が分かりません」と俯く原田へ、自信をもたせようと微笑んだ。
「けど君は、二回目の戦闘で炎の魔法を発動させたじゃないか。あれは、どうやったんだい?」
「あれは……」
想像したんだ。
ジョゼが炎の魔法を唱える姿を。
彼女の放った炎がプチプチ草を包み込んで燃やす、そのイメージを脳内で再現した。
脳内にしかなかったはずのイメージは現実に反映されて、原田の体を離れた後は怪物へ向かった。
そういった説明をすると、ジャンギは顎に手を当てて感心する。
「ふむ、そうすると君が実際に見たことのある魔法なら完璧にコピーできるってわけか」
「完璧かどうかは分かりませんが」と、すかさず謙虚な返事の原田を促した。
「よし、じゃあ、まずは俺が術のお手本を見せるから、脳内再生してもらえるかい」
少し離れた場所まで歩いていき、ジャンギが口元で小さく何かを唱え始める。
原田も焚火から離れた場所で見守った。
ブォンと小さな音が聞こえたかと思えば、半円形の風がジャンギの片手から放たれて、木切れを真っ二つにする。
「なっ……!?」
驚く原田を愉快そうに眺めて、ジャンギが笑う。
「ジョゼさんは、君に風魔法をご披露する機会がなかったみたいだね」
以前小島に当てたやつと全然違うと泡食って尋ねるも、ジャンギには訂正された。
「同じ魔法でも用途次第じゃ形状が全く異なるんだ。炎魔法だって灯りとして使う分には地味なもんさ」
さぁ、やってごらんと言われて原田は躊躇する。
木切れを真っ二つにするような凶悪な魔法を覚えさせて、アーステイラ戦で使えと?
原田の困惑は八の字眉毛を通してジャンギにも伝わり、彼に二度目の苦笑を漏らさせた。
「今のは風魔法の基本形状だ。実際に使うのは打撃でいい。真っ二つにしたんじゃ死んでしまうし」
「でしたら」と原田も言い返し、お願いする。
「打撃呪文としての見本をやってください。俺の魔法は所詮見様見真似なので、違う形状では再現できません」
ジャンギは少々考え込む仕草を見せ、「打撃としての風は生物相手じゃないと上手くいかないんだ……かといって、原田くんに撃ち込むのはなぁ」と渋っていたのだが、原田が再度言い含める。
「鞭の間合いを外されて接近された場合に役立つと思います。遠慮せず打ち込んでください、体で覚えます」
本音じゃ痛いのなんて嫌だし、魔法を撃ち込まれると想像しただけで身が縮こまる。
以前の模擬戦闘で見た風打撃は、タフな小島だから膝をつく程度で済んだのだ。
原田が食らったら、集落の外まで吹っ飛ぶかもしれない。
だが原田が嫌がろうと怖がろうと、アーステイラとの戦いはアーシスへ帰れば始まってしまう。
「んん、じゃあ最小限、手加減して撃つよ。手加減しても腹にズシンとくるからね、気合で受け止めてくれ」
ジャンギは気乗りしないながらも呪文を唱え始め、原田は腹部に力を入れて身構える。
呪文を唱えながら原田の側まで近寄ってくると、ジャンギの掌が原田の腹部に押しつけられる。
――衝撃は、直後に来た。
ぐぷぅっ!」と一声叫んで、原田はその場に崩れ落ちる。
痛い、なんてもんじゃない。
内臓が口から飛び出るんじゃないかと思うばかりの激痛だ。
横合いから勢いよく殴りつけられたような感触が、いつまでも腹部に残っている。
「ご、ごめん!最小限まで威力を弱めたつもりなんだけど、耐えきれなかったみたいだね」
撃ったほうも、原田がここまで打たれ弱いとは想定していなかったのだろう。
原田の腰に手を回して抱きかかえると、お腹に負担がかからない姿勢で横たわらせた。
「ごめん、上手く威力調整できなくて」と何度も謝るジャンギへ息も絶え絶えに「だ、だい、じょうぶ、です……」と伝えるのが原田に出来る精一杯であったが、脳裏に鮮明なビジョンが浮かぶのを思考で捉えていた。
先に自分で言ったとおり、体で覚えるのには成功した。
代償は予想以上の激痛で膝がガクガクになった点。
続けたい気力はあるのだが、体が思うように動いてくれない。
「今日は、もうやめて休もうか」
睡眠を推奨してくる英雄へは首を真横に否定して、原田は特訓を希望する。
ここでやめたら、明日にはイメージを忘れてしまうかもしれない。
「だ、だい、じょぉぶ、です。やり、ます」
「しかし、原田くん。立ち上がれないほどガクガクじゃないか、無理しないほうが」
ジャンギの心配に被せるようにして「――なら、俺が手伝ってやる」と割り込んできた声に、ハッとなって首だけ擡げた原田が見たものは。
神坐だ。
原田の側にかがんで、ふわっと温かい光を放ってくる。
神坐も回復魔法を使えるとは知らなかった。
驚愕の眼差しを向けてくる原田に、神坐が照れくさそうに笑う。
「驚いたか?死神は全員、魔法が使えるんだよ。俺達は全身が魔力の塊だからな。けど俺は回復とか得意じゃねぇし、普段は使わないようにしてたんだ。こいつは特別だぜ、お前の根性を応援するって意味で」
英雄と死神の二人が訓練を見守ってくれるなんて、これ以上の優遇はない。
腹の痛みが収まったのもあって、気力が俄然漲ってきた。
原田は立ち上がると、ジャンギと神坐の両名に頭を下げた。
「お願いします。俺の訓練につきあってください」
「いいとも」とジャンギが頷く横で、神坐は笑顔でブイサインを突き出す。
「お前が満足してぶっ倒れるまで、つきあってやるよ。俺に遠慮は無用だ、思いっきりぶっ放してみろ!」
ただし寝ている他の面々まで起こさないよう、こっそり結界を張っておくのも忘れずに。


――そして、翌日。
ぐぅすか爆睡する原田をおんぶして、ジャンギが集落に別れを告げる。
「では、我々は一旦アーシスへ戻ります。ですが交流の件は町長にも話しておきますので、お忘れなく」
「また来いよ」だの「達者でな」といった言葉に見送られて、ラクダが走り出す。
手綱を握るのは砂漠の民。
原田たちを送った後は集落に戻ると聞かされているが、アーシスを見学していくようなことも言っていた。
是非ともアーシスを堪能して、集落に文化の違いを伝えてほしい。
そして、いつか近い現実にラクダ移動を通じて文化交流が始まれば、双方の未来も明るくなろう。
「ところで、その少年。全く起きる気配がないようだが、大丈夫なのか?」
コブの前に腰掛けたナーナンクイン民に尋ねられ、今は原田を手前に抱きかかえたジャンギは笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。昨夜は興奮しすぎて眠れなかったんだ。だから、寝かせてあげてくれると嬉しいな」
「では、戦闘は極力避けていくとするか。できるだけ安全な行路を約束しよう」
仲間にも口笛で合図を送る彼の背中へジャンギは重ねて礼を述べると、あとは原田の寝顔を見守った。
22/03/19 UP

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