絶対天使と死神の話

英雄編 08.近い未来を想って


ウィックルホップスの皮を綺麗に剥ぎ取り、焚火へ放り込む。
肉の焼ける香ばしい匂いが立ち込めて、いつの間にやらテントの周囲に人垣が出来た。
「うーむ、これは何とも食欲を煽ってくる匂いではないか!」と喜ぶ中年男性に、神坐が尋ねる。
「砂漠の民は怪物を食べないってなぁ、ホントなのか?」
「ウム。砂漠に辿りつきし、ご先祖様が最初に手に入れた食物こそサボティーンだったのでな。あれの美味さを知った後では無理に怪物を狩ろうという気も起きぬものよ」
草原の民アーシスは、大戦で生き残った人々が集落を作ったことに始まる。
野に生える草は勿論試しただろうし、地面を掘って虫を口に入れたりもしたはずだ。
最終的には怪物に手を出して食生活が安定した。
防衛と狩りを兼ねた自由騎士の基盤が出来たのも、その頃だと聞く。
砂漠は、お手軽に至高の食物が手に入ってしまったが為に、狩りと調理の技法が育たなかったと見える。
「味付けは、どうすんだ?まぁ、味つけナシでも俺はイケるけど!」
ギュルギュル腹の虫を鳴らした小島が独り言ちるのへはジャンギが答えた。
「今日のところは塩味、かな」
懐から取り出したのは小さな瓶で、白い粉が入っている。
「海がないのに塩が取れるのか!?」と驚く神坐を見やり、何を驚くのかとジャンギも肩をすくめる。
「海?何を言って……あぁ、そうか、なるほど」
だが、途中で神坐の出生を思い出したのか言い直した。
「うん。塩の原料はソーレン草って言ってね、アーシスの外周辺に生えているんだ。茎を絞ると、しょっぱい汁が出るから、それを日に干して乾燥させるんだ。お好みで砕いた減塩石を混ぜるのもアリかな」
「ゲンエンセキ……前に聞いた覚えがあるぜ」
神坐は何度か頷いた後、水木を振り返って確認を取る。
「すっぱい汁を取る時にも使ってなかったか?」
「そうだよ!減塩石は、お料理の必需品なの」と、水木。
減塩石もアーシス周辺で取れる岩石で、石自体に味はない。
しかし他の調味料と混ぜると、味を薄める効果があった。
これといった至高の食べ物がなかったせいでアーシスの民は、あらゆる味を試す機会を得た。
「ふむ。物知りであるな、草原の民は」と砂漠の民も感心しており、なんとなくジョゼや小島は鼻が高い。
焼き上がった肉へまんべんなく塩を振りかけると、ジャンギは原田に一匹差し出した。
「お待たせしたね。さぁ、どうぞ」
怪物を食べ慣れているアーシス民といえど、原田には初めて見る食材だ。
火から取り出す時、ジャンギは頭の上にある長い部分を掴んでいたから、そこを持てば熱くないのかもしれない。
こんがり茶色に焼けた肉は、脂でテラテラ光っている。
恐る恐る噛みついてみると、肉汁と塩気が上手く混ざりあって飽きない味を生み出していた。
お礼を言うのも忘れて、原田は一心不乱に食べまくる。
「あー!ジャンギ、俺も俺も!」と騒ぐ小島の前に小瓶を置いて、ジャンギは皆を見渡した。
「焦げ目がついたら食べ時だ。肉の味は薄いから、塩は多めにかけるといい。さ、自分でやってごらん」
ジャンギが全部やってくれると思っていた水木は内心ショックを受けたが、腹の虫の限界には勝てず、細い部分を握って火の中から肉を引っ張り出した後はパッパと塩を振りかける。
「んがっ、あぎっ!う、うめぇー!」
小島が肉汁を撒き散らす勢いでがっつくのを横目に、神坐も塩を適当に振りかけて一口齧る。
「おう、本当だ。肉がプリプリしていて歯ごたえあんな。肉から滲み出る脂は多いのに、塩がマイルドに油っぽさを和らげて新たな味を奏でているぜ……!」
何を言っているのかは分からずとも、美味しさに喜んでいるんだというのは朧気に伝わってくる。
はぐはぐ食べながら、原田は神坐の感想に耳を傾けた。
ジョゼを振り返り、ジャンギが一匹差し出してやる。
「お腹ペコペコなんだろう?ほら、ジョゼさんも食べるといい」
富豪の生まれであるジョゼにとって、焼いた肉に直接噛みつくワイルドな食事は敷居が高い。
できることなら、フォークとナイフが欲しい。
だが同じく富豪のジャンギやソウルズまで噛みついている今、一人だけナイフとフォークを要求するのは難しい。
それで食べられずにいたのだが、ジャンギにはジョゼの意思が伝わらなかったようだ。
「あ、もしかして猫舌なのかい?じゃあ、少し冷ましておくか」
置く場所を探すジャンギに、さっと差し出されたのは草で編んだ器だ。
「これを使うといい。それで、よければ私達にも、その」
モジモジするナーナンクイン民へ愛想よく微笑むと、ジャンギは人垣を促した。
「皆さんも宜しければ、どうぞ。そのために、いっぱい取ってきたんだ」
人数の二倍はあると思ったら、そういうことだったらしい。
わぁっと人垣が崩れて、ナーナンクインの人々は思い思いの場所に座り込む。
なし崩しに大勢での夕食会が始まる中、ジャンギが怪物小咄を語りだす。
「場所ごとに生息する怪物は異なる。草原地帯に生息する怪物は美味しいし調理しやすいんだけど、森林地帯のは捌くのに躊躇する姿が多くて、ちょっとね」
言葉を濁すジャンギに、深く突っ込んだのは小島だ。
「捌くのに躊躇するって、どんな姿なんだ?とんでもなくデッケェのか!?」
原田は以前、森林へ飛ばされた出来事を思い返してみる。
あの時に出会った怪物は、どれも身の丈を越える巨大なやつばかりであった。
ジャンギは下がり眉で、ぽつぽつ答える。
「そうじゃない、人と同じ姿なんだ。いわゆる擬態ってやつで、そのままトドメを刺してしまうと、その姿で死体が固定してしまうから……ね。森林地帯での食事は怪物ではなく果物をオススメしておくよ」
いくら腹が減っていたとしても、人間と同じ姿の死体を食べる気にはならない。
ジャンギが言葉を濁すのは当然だ。
「森林地帯……見当つかないが、どういった場所なのだ?」とナーナンクイン民からも質問が飛んできて、それにジャンギが答える間、一匹完食した原田は同じく食べ終わった小島へ話しかける。
「色々あったが、ようやく帰れるな」
「あぁ。けどピコのやつ、全然弱ってなくて吃驚したぜ」
それには原田も同感だ。
異常事態に巻き込まれたはずなのにピコは平常通り、青ざめても震えても死にかけてもいなかった。
それどころか怪物と化したアーステイラと、お楽しみのムフフ三昧だったようだ。
彼にとっちゃアーステイラの顔の変化は、たいした問題ではないのか。
一体、ピコは女性の何が好きで何に愛を感じるのだ。
器より中身派なのか?それにしては自身の美に異常なほどのこだわりを持つし、訳が分からない。
まぁ、考えようによっては、ピコがアーステイラに怯えなかったのは良かった。
ピコにまで拒絶されてしまったら、彼女の居場所が本当になくなってしまう。
なんで二人揃って行き倒れていたのかは聞くまい。
たぶん皆が予想した通り、絶対天使じゃなくなった余波で狩りが出来なくなったんだろう。
原田の思考はアーシスへ戻った後の予定、アーステイラとの一戦へ飛ぶ。
無限の魔法が使えなくなった代わり、特殊能力を使えるのではとヤフトクゥスは予想していた。
特殊能力とは種族固有、魔法と違って生まれつき使える技らしい。
プチプチ草が散弾を飛ばしてくるのも、特殊能力なのだ。
今のアーステイラは、どんな能力を持つのか。
物騒な能力だったら狩りに使えたはずだから、攻撃力はないのかもしれない。
あれこれ思案する原田は、横からツンツン水木に突かれて我に返る。
「あのね、これ、マシュールっていうんだって」
原田はコップの中身を覗き込む。
真っ白な液体が、ほわほわ湯気を立てている。
「さっき、ナーナンクインの人がくれたんだよ。原田くんも飲んでみて?美味しいよ」と水木に言われるままに飲んでみれば、どろりとした飲み心地なれど甘くて美味しい。
「草原の白い花を絞って、他の草と混ぜて蒸すんだって。ナーナンクインの人達って草の調理が上手いよね」
アーシスで草は薬味に使うのが大半で、主食にも飲み物にもならない。
ナーナンクイン民は砂漠からの移住でありながら、草の扱いがアーシス民より上なのではあるまいか。
ジャンギはナーナンクイン民に囲まれて、何かの話題で盛り上がっている。
草を使ったレシピを聞き出しているのかもしれない。
自力でフルーツケーキのレシピを編み出す彼なら、草レシピだって簡単にマスターしそうだ。
「ジャンギさんが、さっき言ってたんだけど、ナーナンクインとアーシスで簡単に行き来できるようラクダのレンタルを永遠に出来ないか、族長に掛け合ってみるんだって」
ナーナンクイン民はアーシス民にない知識を持っていようし、その逆も然り。
互いの技術と知識を併せれば、これまでよりも長い距離を移動できるようになる。
いつか砂漠へ帰りたいナーナンクイン民にも悪い話ではないはずだ。
「……実現するといいな」
「うん」
原田と水木は頷き、どちらともなくニッコリ微笑みあう。

ウィックルホップスを全て平らげた後、憩いの時間が終わりを告げる。
集落の住民が、それぞれの家へ戻ってゆき、最後にベネセとベーレルの二人が残った。
「ジャンギ殿。あなたのさっきの案、私から族長に伝えておこう。これは人類の繁栄において、素晴らしい前進と言えよう。我々は互いにないものを持っている。もし族長が見返りを求めるようであれば、さっきの怪物レシピと果物レシピで充分だ。これも私から提出しておく」
淡々と語るベーレルに、「族長は来てなかったんだ?」と小島が尋ねる。
答えたのはベネセで、眉をひそめて族長の家があると思わしき方向を見やった。
「族長の夜は、いつも早いんだ。今の時間なら、もう寝ている」
今が何時かは判らないが、日はとっぷり暮れて真っ暗だ。
眉をひそめて非難されるほどの寝つきの早さでもあるまい。
人付き合いの悪さを指摘しているんだとしたら、その通りかもしれないが。
「他の人達は夜更かしさんなの?」
水木の問いにベーレルが答える。
「夜は皆で暖を取るのが砂漠の常であった。草原に移ってから、我々は集会をしなくなった。寂しいことだ」
「じゃあ、今日は楽しかったね!」と喜ぶ水木へ頷き、老婆も僅かに口角をあげる。
「あぁ。得るものが多く有意義な時間を過ごした。礼を言う」
「礼ついでに、お前の家で俺達を寝かせてもらえると嬉しいのだがな」とヤフトクゥスの図々しく上目線なお願いには、ベーレルが何か答えるよりも早くベネセが反対した。
「うちで泊められる客人は一名かぎりだ。他はラクダと一緒でよければ泊めてやる」
彼女の家は半分以上がラクダ小屋になっているのだと怒られて、なんでベネセが神坐一人だけを泊りに誘ったのか、ようやく合点がいった。
最初から一名しか泊まれなかったのだ。だったら、最初にそう説明して欲しかった。
何で選ばれたのが神坐なんだという謎は残るが、聞いたら不愉快な答えが返ってくるかもと思い直して、原田は追加の質問を飲み込む。
ふわ〜っと大きく欠伸をして、神坐が雑談を遮る。
「俺ァテントで充分だぜ。寝ようと思やぁドコだって寝られるし、このテントはでっかいしな。テントと、それから布団を貸してくれた奴には俺が感謝していたって伝えといてくれ」
死神がやたら謙虚なせいで、ますます絶対天使が傲慢に見えてくる。
アーステイラの件を含めて絶対天使とは、どこまでも最悪最低、一度受けた悪印象は覆りそうにない。
原田は考えた。
もし自分の悩みを解決したのが神坐ではなくヤフトクゥスだったら、どんな展開になっていたのかを。
始終この距離感のなさに加えて上目線がオマケにつくのかと考えると、考えただけで嫌気がさす。
良かった。神坐で、本当〜〜に良かった。
無限の魔法なんて必要ない。人間に必要なのは、温かみと優しさだ。
眉間に皺を寄せて無言と化した原田へ、遠慮がちにジョゼが声をかけてくる。
「あ、あの、原田くん……?そろそろ寝ましょうって、ジャンギさんが」
「……ん。あぁ」
見渡すと、それぞれ布団を地面に敷いて寝転がっており、小島なんかはガーガーいびきをかいて夢の中だ。
原田は、そそくさ神坐と水木の間で収まる位置に布団を敷いた。
ジョゼが「あっ……」と言いたそうな顔で恨めしげに見ていようと、関係ない。
さっさと寝る位置を決めないと、クサレ絶対天使が真横に陣取ってしまう。それだけは勘弁だ。
ジャンギの隣には、しっかりソウルズが寝転がり、何やら小声で話し合っている。
小島は一人、隅っこに押しのけられているが、鼾がうるさくて水木辺りに転がされたんだろう。
水木は既にスヤスヤ寝息を立てて熟睡、あどけない寝顔を晒している。
「むぅ、正晃。そこは少々窮屈であろう。広々とした俺の隣で寝る気はないか?」
ヤフトクゥスに未練がましく聞かれても原田は無視を貫き、神坐の耳元で囁く。
「ここまで俺の我儘につきあってくださって、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」
「お、おう?いくらでも宜しくだぜ」と、よく判っていない返事を聞きながら、布団に潜り込んだ。
22/03/04 UP

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