絶対天使と死神の話

英雄編 01.帰路


気配を感知しての移動を繰り返したんだから、かなり方向を狂わされているはずだ。
しかしアーシスに戻るのは困難ではないと、ジャンギは自信をもって断言した。
「一面草原なのに?あっ、判った!足元に目印をつけたんだね」
水木は足元を調べてみるが、何も見つからなくてガッカリする。
「目印作戦か、悪くない。けど、怪物の存在を忘れちゃいけないよ。やつらが踏み荒らしてしまったら、せっかくの目印も消えてしまうだろうね」と苦笑して、ジャンギが種明かしをする。
懐から取り出したのは小さな石で、細い鎖と繋がっている。
「これは方位魔石といって、アーシスを目印に大まかな方角を示してくれる道具だよ。現役自由騎士は皆、これを持っている。だから町まで戻ってこられるんだ」
それよりも、と後ろを振り返って呟いた。
「現役だった頃、この辺りもよく探索したはずなんだが、あんな怪物は初めて見たよ。気配を一切感知できない怪物が、この辺にいたなんてなぁ」
ついでだからと原田は尋ねてみた。
「ここはアーシスから見て、どのくらい離れているんですか?」
まっすぐ南東に歩いてきたのではないから歩数で距離は測れないとした上で、ソウルズが答える。
「おおよその目測で五万Y。だが、この距離なら夜の間で戻れる範囲だ」
「えーっ!?そんなに歩いたっけか、俺達!」と驚く小島へも目をやり、ソウルズは小言を付け加えた。
「休みを挟んでの探索故、距離を感じる事はなかったはずだ。ただし、疲労は足に来ている。町に戻った際は激しい運動を控えておけ。我々は再び旅立たねばならんのだからな」
激しい運動をする気は、小島にもない。
家に戻ったら、まずは風呂にゆっくり浸かって休みたい。
怪物が飛ばした石や木片に当たった傷は水木の回復魔法で治してもらったけれど、慣れない野宿で体のあちこちがガチガチだ。
「先ほどの怪物は魔力を直接奪いに来た。この世界に魔力を糧とする怪物は、どれほどいるのだ?」
ヤフトクゥスの質問にジャンギとソウルズは虚を突かれた表情を浮かべて一瞬固まったようであったが、すぐにジャンギが困惑の元に答える。
「魔力を糧って?魔力ってのは人が生まれつき持つ才能の一つだろ。どうやって、そんなものを抽出するんだい。それに怪物は肉食か草食の二通りしかいないはずだぞ」
「あぁ。魔力を奪うというのは意味が判らないが、肉を食わずに身体を消滅させようとしてきた怪物は初めて見た」とソウルズも頷き、ヤフトクゥスを見据えて尋ね返した。
「神坐が全身黒いモヤに覆われたのは、怪物に魔力を奪われた……という事なのか?」
「そういうことだ」と頷き、絶対天使は神坐を目で示す。
「そこな死神、いや、貴様らの認識では神だったか、そいつは全身が魔力の塊でな。魔力を奪われるのは肉を食われるのと同意語だ。絶対天使と異なり絶対のリソースを持たぬ貧弱な種であるから、正晃がいなければ今頃は消滅していたところだ」
やたら死神を扱き下ろしてくるヤフトクゥスには、死神本人よりも子供たちが大激怒だ。
「てやんでぇ!不意討ちで怪我してたんじゃなかったら、あんなの神坐の敵じゃなかったぜ!」
鼻息荒く叫んだ小島の横では、水木も嫌悪たっぷりに吐き捨てる。
「そうだよー!大体、神坐先生が襲われたのって変態天使が見張りをサボッたせいじゃないの!?ただでさえ疲れているのに、先生一人に見張り番を押しつけたりするから!」
それについて非があるのは、ヤフトクゥスだけではない。
ジャンギは下がり眉で神坐に謝罪する。
「すまない。自分で交代制を申し出ておきながら、熟睡してしまって」
放っておけば土下座しかねない英雄を神坐も慰めた。
「いいっての。俺ァ寝ずの番は慣れてんだし、お前は、そのー……感知で疲れていたし、な?」
交代時間が来た時、呼ぼうと思ったことは思った。
しかしテントをめくりあげて中を覗いた直後、神坐は頭を悩ませる。
中では、熟睡するジャンギにソウルズがべったり抱き着いて寝ていた。
片手で抱き寄せて、もう片方の手はジャンギのズボンの内側に入り込んでモゾモゾ悪さを働いている。
二人が恋人同士だと事前に聞いた覚えがなければ、これまでの距離感を考えても相思相愛とは到底思えず、この状態でジャンギを叩き起こしたら一悶着起こりそうだと判断して、そのまま寝かせてやったのだった。
「それよりも、あの怪物は地上に出る直前まで出力を抑えていやがった」
気配がないのではなく、息を潜めて感知できなくさせていた。
地上に飛び出した後は高い魔力を放っており、以前、森で遭遇した怪物と同じ類と捉えていい。
今回遭遇した怪物は一匹だけだが、一匹だけでも充分危険だ。現役自由騎士の探索にも影響が出よう。
一旦町へ戻ったら町長に報告して、南や東への遠征を停止させたほうが良いのではあるまいか。
神坐の案に元自由騎士は二人とも難色を示し、ソウルズが眉間に皺を寄せて否定する。
「自由騎士は本来、危険の有無と過去の歴史を調べに探索するのだ。危険回避で探索をやめるのは道理に合わん」
「未熟な奴は死ぬかもしれないぜ。それでもいいのか?」と確認を取っても、二人の意見は変わりそうにない。
「町の防衛策は取ってもらうさ。壁を強化するよう提案しておこう。だが、遠征停止は俺達が忠告しても無駄だと思うよ。探索に出たい奴は出ていく。生活がかかっているからね」
自由騎士は探索で見つけた過去の遺物や食料を商人に売りつけて生活している。
新発見であればあるほど、売値は高まってゆく。
南と東を封じられても北と西が残っているが、北は砂漠、西は森林だと既に判明しており、まだ明かされていない先へ進むとなると、えらく遠距離になってしまう。
ちょっと行って帰ってこられる未知の場所、それが南と東である。
かの英雄も探索の匙を投げただけあって、どこまで進んでも草原が続いている。
逆にいうと、英雄が探していない分だけ手つかずのお宝が眠っている――そう考える現役は多かろう。
だから、危険だろうと何だろうと行くしかない。一攫千金を求めて。
「自由騎士ってなぁ、どいつもこいつも命知らずかよ」と呆れる神坐へ肩をすくめると、ジャンギが訂正する。
「というよりも、儲け第一なんだ。今の現役は。誰も彼もソウルズの言う本来の目的を見失っている」
負のサイクルを作り出した原因は言うまでもない。商人だ。
商人が探索の発見物に余計な価値を見出したせいで、自由騎士までガツガツ金儲けに走るようになった。
資産を持て余した一部の引退自由騎士も一役買っている。
本当に流通させたい、例えば薬品や武具といった必需品が上手く出回らなくなってしまったのも、彼らのせいだ。
勝手な価値観で過去の遺物を全て装飾品に落とし込めて、今の時代に生かせる機会を潰した。
虚栄心を貼りつけたガラクタで埋め尽くされるアーシスの未来は、けして明るくない。
「現役時代に過去の遺物、武器や防具を大量に提供したはずなんだけど、誰も応用してくれなかったようでね。残念だよ。せめて防具だけでも研究してくれれば、片手剣使い以外も身を守れるようになったんだが」
ぼやくジャンギに小島が「防具も手元に取っておきゃ〜よかったな!そうしたら、この旅で役に立ったかもしれないぞ」と慰めの言葉をかけて、原田に「こんな旅に出るなんて未来、誰にも予想できないだろ」と突っ込まれる。
まったくだ。神坐だって絶対天使の抹殺任務が、ここまで長引くとは思っていなかった。
帰りもジャンギの感知を頼りに、怪物を避けて移動しようという案で落ち着いた。
アーステイラを見つけるまで、原田の力は極力温存しておきたい。
バカ高い魔力になったとはいえベースは人間、絶対天使のように無尽蔵でもあるまい。
「……うん、やっぱり夜は殆どの怪物が寝入っている。これなら思ったより早くに帰れそうだ」
しばし周辺の気配を探っていたジャンギが会心の笑みを浮かべて、皆を促した。
「本当に?さっきの怪物みたいなのが、また現れたら」と怯える水木にも「その時は全力疾走で逃げ出そう」と答えて、歩き出す。
先ほどは神坐が負傷したのと原田が動けずにいたせいで、戦わざるを得ない状況だった。
今は全員が五体無事だ。死に物狂いで走れば逃げられない距離じゃない。
町まで怪物を引き連れてしまう結果になろうと、数人足らずで戦いを仕掛けるよりはマシだろう。
「んじゃあ、ジャンギの勘を信じていくとするか」と、小島が号令をかける。
荷物は小島とソウルズが担ぎ上げ、ジャンギを先頭に帰路を急ぐ。
歩きながら、原田は不思議な感覚に包まれていた。
身体を動かすたびに、活力が体の内側から漲ってくる。
怪物に襲われて心身ともに疲れているはずなのに、全く疲労を感じない。
輝ける魂として覚醒した影響なのだろうか。
神坐やヤフトクゥスは原田から高魔力を感じるというが、自分ではサッパリだ。
そもそも魔力を感じる、奪われるといった話題自体が判らずにいた。
魔力とは、生まれつき人間が持つ才能の一つだというのが世界の認識なはずである。
己の運命を左右する旅だというのに、絶対天使と死神の話は全然理解できなくて置いてけぼりな気分だ。
だが、こんな程度で落ち込んでいる場合じゃない。
覚醒したからには、今度こそアーステイラとの戦いは避けられない。
まだ、アーステイラと戦う決心がつかずにいる。
ピコが誘拐された今になっても。


アーシスの影を地平線に見つけたら一行の足取りも軽さを増して、空が白々と明ける頃には無事帰還できた。
「あ〜!疲れた!腹減った!足痛ェ!眠い!あと腹減った!」
「腹減ったは二回目だよ、小島くん!」
大声で騒ぐ小島に水木が突っ込み、ジョゼはヘナヘナ地面へ崩れ落ちる。
彼女はお嬢様だから、徒歩での遠距離移動は相当堪えたに違いない。
「はぁぁ……疲れた……ベッドで二度寝したい」
座り込んだ彼女を「こんなところに座り込んだら服が汚れてしまうよ?」とジャンギが引っ張り起こして、肩を貸してやる。
「一晩休んだら、またすぐ出かけるから、今日は俺の家に泊っていってくれ」
こんな遠距離は原田も初めて歩いたが、皆と違って疲れが襲ってこない。
内から溢れる活力は留まることを知らず、腹が減っていなければ眠たくもない。
「服なら、とっくの昔に汚れています」と愚痴たれて、なおも座り込もうとするジョゼはジャンギにダッコされて泡を食う。
「ちょ、ちょっと!?降ろしてください、ジャンギさん!」
町の英雄にダッコされているのを誰かに見られた日にゃあ、ジョゼがいくら富豪の娘といえど人々の嫉妬を一身に受けるのは免れない。
それに本音をいうと、ダッコされるんだったら原田がいい。
「あージョゼちゃん、いいなぁ。楽ちんそうで」と羨む水木も、お疲れ気味なのか目をショボショボさせている。
「なら、お前は俺が抱えていくか?」
「やだよー。小島くん、肩に担ぎ上げる気でしょ」
軽口でやりあう二人の間に割って入り、原田は水木を抱き上げてやった。
途端、「ひゃわわわぁ!?」と水木は顔を真っ赤に大騒ぎ。
まるで生きのいい食用怪物の如くジタバタされては、とても抱き続けられるものではない。
ぴょいっと腕を逃れて地に降り立った水木は、原田を見上げて断った。
「い、いいよ、ダッコしなくても。自分で歩くから、大丈夫!」
原田としてはダッコしたかったのだが、本人が遠慮するんじゃ仕方ない。
「それだけ元気なら抱きかかえる必要あるまい。ジャンギも、その娘を降ろしてやれ」
少々不機嫌になったソウルズの一言で、ジョゼもダッコから解放された後はジャンギ宅へ急いだ。
英雄の提案は気が利いている。富豪ならでは、というべきか。
一度家に帰ってしまったら、両親は二度と外出を許すまい。
それに、ジャンギの家でのお泊りは原田も一緒なのだ。
好きな人との一泊に、あらぬ期待を抱いて、ジョゼは胸をときめかせた。
21/12/06 UP

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