絶対天使と死神の話

怪物の王編 09.特別扱い


ぺらりと自前のカレンダーをめくり、大五郎がぼそっと呟く。
「あいつが戻ってくるまで四日もあんのか。もう第二が来ちまったってのに、二人だけじゃキツイぜ」
あいつこと神坐は森林地帯で魔力を使い果たしたが為、冥界に戻っている。
本来は魔力補充に一ヶ月かかるのを一週間に短縮したのだが、それでも戻るまでの時間はかかる。
一人欠けた状態故に、監視で時間稼ぎしようと分身の空に絶対天使を追わせた処、途中で振り切られた後は諦めて町に戻って女性をナンパしていたというではないか。
役に立たない分身である。
空がファーストエンドで役に立った事案は一度もない。
無駄に魔力を消耗するのも考え物だ。
風は空を己の内に吸収した。
陸と海は今のところ、役に立っている。スクール内調査と原田の見守りとで。
「それはそれとして、そろそろ布団の中から出てこんかい」
ぐいぐい掛布団を引っ張られようと風は断固動かず、布団の中に籠城した。
「俺は、しばらく自粛する。原田の護衛は、お前に任せた」
「なんじゃい、昨日の演技なら原田も、さして気にしとらんじゃろ。気にしすぎんな!」
昨日は散々だった。
散々ガラじゃない遣り取りをしたってのに、平然と会えるわけがない。
道化は神坐や大五郎の領分じゃないか。
なのに大五郎が動いてくれないから、自分がやる羽目になったのだ。
輝ける魂の目前で『好かれている自信がある』などと口にした自分を、一夜明けた今は絞め殺したい。
死神内で好かれているのは神坐のみだ。
あれを聞いて、原田がどう思っただろうと考えるだけで、恥ずかしさでのたうち回りたくなる。
いっそ自分が冥界に戻りたいと風は考え、憂鬱にもなった。
任務は、まだ果たせていない。
アーステイラとヤフトクゥス、連中がファーストエンドを去るまでは任務が解かれない。
初めは絶対天使を倒せば終わると捉えていたが、そうではないと気づいたのだ。
輝ける魂を全ての穢れから守る。それが任務の主軸である。
絶対天使が乱した流れを修復して、その先も塗り替えてしまえば原田の未来は安泰だ。


翌日の教室で「久しぶりに君と一緒にいる気がするよ!」とピコに喜ばれて、原田は素直に「そうでもないだろ」と否定した。
久々も何も、昨日はピコもジャンギの周りで武勇伝をせがんだ一人ではないか。
スクールでは毎日顔を合わせている。
それも当たり前だ、同クラスのチームメイトなんだから。
ただし近所の幼馴染じゃないから、一日中べったりとまではいかない。
ピコは、それを寂しがっているのだと思われた。
「久しぶりだとは思わないけど、あなた達って遅刻が多いわよね」とジョゼにもチクリと言われたが、原田は気にせず鞭を腰のベルトに差す。
全部理由あっての遅刻だ。
嫌味を言うぐらいなら、こちらの事情も汲んで欲しい。
ふと視線を感じて振り向けば、小島が原田の腰に視線を注いでいる。
「お前のそれ、かっこいいよなー。戦う時、しゅるっと抜くんだろ?俺も剣を背負っちまうかなぁ。さっと大剣を抜き取り構える俺!くぅー、カッコイイ!」
「背負ったら戦う時、外しにくくない?」
水木に即突っ込まれた小島は、あれこれ脳内シミュレートしてから原田に尋ねる。
「剣はドコに下げるのが正解だと思う?」
そんな質問をされたって、原田には「好きなように持てよ」としか言いようがない。
小島ときたら、身長ほどある巨大な剣を片手でブンブン振り回せてしまうのだ。
戦いの邪魔にならないんだったら、好きな運び方にすればいい。
「え〜、なんだよぉ。俺が一番映える持ち方を聞いてんのに」
ブーコラ愚痴垂れる小島を引き連れて、本日の原田チームが行うのは模擬戦闘。
怪物舎は今日も賑わっており、あちこちで連携練習に励むチームがいた。
殆どが自習形式で、ジャンギの姿はない。
どこへ行ったのかと陸に問うと、裏庭にいるという。
彼の誘導で裏庭へ向かう途中、「なんか私達だけ特別扱いされているっぽい?」と小声で尋ねてきた水木に頷くと、陸も小声で囁いた。
「あなた方は急ピッチで強くなってもらわないと困ります。今のままでは怪物化したアーステイラに手も足も出ないでしょう」
裏庭で待機していたのはジャンギ一人だ。
近くにケージは一つもなし、皆の視線を辿って宣言する。
「今日の相手は俺がする。魔法を使っての模擬戦闘を行おう」
「え!」と驚く子供たちを見渡して、ジャンギは愉快そうに笑った。
「前衛だから魔法を唱えられないと思っていたかい?怪物舎の管理を引き受けるようになってから、少しは練習したんだ。ジョゼさんほどの威力も精度もないが、それなりに相手になれる自信はある。魔法生物とはいえ、アーステイラは我々と近い思考の持ち主だったそうだからね。怪物よりも人間を相手に戦ったほうが利になる」
「いや、でも、ジャンギが俺達五人全員を相手にすんのか?」と、小島が眉を顰める。
いくら英雄といったって自由騎士は引退した身だし、片腕だし、怪物ほどの体力があるとも思えない。
まだ陸や海、死神相手に模擬戦闘をしたほうがマシだろう。
と思っていたら、陸が苦笑を浮かべて念を押してきた。
「我々では手加減できませんのでね。ジャンギ氏は理想の対人相手となりましょう」
「近く、合同会が行われる」と、空を見上げてジャンギが言う。
「合同会は対人戦だ。今日の模擬戦闘は、それの予習も兼ねていると考えてくれ」
「合同会!?何それ、面白そう!」と、さっそく食いついてきた小島を陸が盛り上げる。
「対人戦は、一対一で戦うソロ戦とチーム戦の二通りがあるそうですよ。町長や保護者の皆様も見に来る一大イベントだとかで、当日は屋台も出るのだとか。どうです、楽しみになってきたでしょう?晴れの大舞台、格好良くキメる為にも今日の練習、張り切っていきましょう」
「オーッ!」
原田以外のチームメンバー全員が威勢よく片手をあげたのを、模擬戦闘開始の合図とした。
「魔術使いを潰すのは簡単だぜ!唱える前にぶっ倒す!!」
加減なしの大剣ブン回しを易々と避けて、後方に下がったジャンギへ追い打ちをかけたのはピコだ。
「おっと、僕のスピードから逃げられると思わないほうがいいですよ!」
しかし突き出したナイフは空を切り、まるで二人の動きは予め読まれていたかのような避けられようだ。
「くっ、このォ!」
第一撃を避けられた小島が追いかけ、二人がかりだというのにジャンギには、かすりもしない。
小島とピコは剣やナイフを振り回して、なんとしてでも当てようと必死だ。
あまり接近しては魔法を避けられないのではないか。
原田が警告するより先に、それは発動した。
突然「ぶお!?」と叫んで、無様に小島が崩れ落ちる。
「な、なんだ、うわぁっ!」
小島を振り返る暇なくピコも吹っ飛び、大きく間合いを外された。
「……ってぇ〜、なんだ、今の衝撃」
小島は片膝をついて、お腹をさすっている。
ピコは思いっきり急所に入ったのか、起き上がる気配がない。
のんびり眺めている余裕は原田にもなく、一気に間合いを詰めてきたジャンギの蹴りをギリギリで避けたものの、体勢を崩して後ろへ倒れこむ。
そういや昨日、腕がなくても足があるようなことを変態に言っていた記憶だ。
あの時は負け惜しみかと受け止めたが、蹴り技を指していたのか。
受け身を取れずゴチンと頭を打って、原田の両目に星が飛ぶ。
後方では「きゃあ!」と悲鳴が上がり、ジョゼを蹴り飛ばす寸前で動きを止めたジャンギが口角を上げた。
「勝負あり、ってところかな。やっぱり前衛の強化が必要だね、君達は」
「キッタネーぞ!魔法を使うって言ったじゃんか」と怒る小島へは「魔法だけとも言ってないぞ」とやり返し、ジャンギは転倒した原田へ手を貸してやる。
「小島くん、君に当てたのは風魔法だ。殴られるよりもズシンと効いただろう?」
お腹を擦って小島が頷く。
「これが魔法……?馬に腹を蹴っ飛ばされたみたいな痛みだぞ」
「風魔法は切り裂くよう水平に飛ばすのが基本だがね。一ヶ所に集中させて当てると打撃にもなる」と、これはジョゼに向けても言っており、ジャンギは続けてピコを助け起こす。
「ピコくん、戦闘中に敵の動きから目を離してはいけないな。密着するのは悪い手じゃないけれど、二人揃って同じ方向から攻撃したって意味がない。君は素早さで牽制して俺の動きを封じつつ、小島くんの攻撃へ誘導する役目に徹したほうがいいんじゃないか」
「そ、そんな!それじゃ僕が輝けないじゃないですかっ」
絶望に暮れるピコを見、ジャンギは苦笑した。
「小剣使いは予測不可能な動きを信条とする。目にもとまらぬ早業で敵を翻弄するのは華麗だと思わないかい?」
「そ、そうか……敵が翻弄されるというのは、僕の美しさに目を奪われて……!?」
斜め上に納得する少年の肩を軽く叩き、トドメの一言を放つ。
「そうだ。敵を惹きつけた上で大剣使いが叩き潰す流れをつくってこそ、小剣使いが輝くというものだよ」
「よ……よぉーし、小島くん!連携プレイを練習しよう!!」
猛烈な勢いでキラキラ瞳を輝かせるピコに小島が気圧されるのを横目に、ジャンギの視線が原田に移る。
「さて、原田くん。状況判断は出来ているようだが、出足が遅いね」
ズバッと一刀両断な指摘に、原田は痛む後頭部を擦って俯いた。
「今の攻防ではピコくんを下がらせて飛びナイフ攻撃に回らせるか、君自身が牽制に回るべきだった。俺が足を使えると君は事前に知っていたはずだから、鞭で足をからめとっても良かったんだぞ?」
「でも」と小さく呟いて、原田は英雄を見上げた。
「足を絡めたら、ジャンギさんが転んでしまいます」
ポカンと呆気にとられたのも一瞬で、すぐにジャンギはブフゥッと吹き出す。
「笑いごとじゃありません」と縋りつく目を向けてくる原田の頭を優しく撫でたジャンギが言うには。
「敵に情けをかけるとは優しいね。だが、これは模擬戦闘だ。俺の怪我は心配しなくていい。足を取られたって受け身ぐらい取れるし、回復役には水木さんがいるし、エリオットも詰めているしね」
エリオットとは怪物舎に勤める救護士だが、原田はまだ、お目にかかっていない。
彼の手を煩わせるほどの怪我を負っていないおかげだ。
「俺より自分の怪我を心配したほうがいい。コブになっているじゃないか。水木さん、魔法を原田くんに宜しく」
「え、あ、はい!」と慌てて水木が原田に駆け寄り、呪文を唱え始める。
治療を待つ間、原田は横目でピコを確認したが、どこにも怪我を負ったようには見えない。
小島と前衛の連携を相談できる程度には、軽快に動ける余力がある。
「ピコも風魔法で倒したのか?」と尋ねる小島に「彼には当てていないよ」とジャンギが答えるのを耳にした。
「蹴りの風圧で吹き飛ばしたんだ。あそこまで吹き飛ぶとは予想外だったが」
立ち上がって動き回れる元気はあってもピコは始終背中をさすっており、原田と同じく受け身を取り損ねて地面と激突したクチか。
自ら後ろに飛んで衝撃を軽くしたのではなく、本当に風圧で吹っ飛んだだけのようだ。
「水木さん。原田くんの治療が終わったら、僕にも魔法をお願いできるかな」
水木は、ぽわっと柔らかな光を原田の後頭部に当てて、その体勢を崩さない。
魔法に手一杯でピコに答える余裕などないようだ。
「諸君らは受け身の練習を先にしたほうがいいね。転倒のたびに怪我を負っているようじゃ、戦い以前の問題だ」との突っ込みに、小島が間髪入れず反発する。
「俺は受け身なんか取れなくても平気だぞ!」
しかし、バッサリ「いや、君は平気でも原田くんとピコくんの二人が崩されたら、後衛のジョゼさんと水木さんは誰が守るんだ?」とジャンギに切り返されては、反論のしようがない。
ふわっと痛みが引いた後頭部を手でさすって、原田が立ち上がる。
「情けを抜きにしても、足を絡めるのは難しいです。避けるので精一杯でした」
「うーん、それほど本気で動いていないんだがね。まぁ、プチプチ草よりは素早かったかもしれないな」
軽いジョークを飛ばして、ジャンギは全員の顔を見渡した。
「知能が人並み以上であるなら、アーステイラも恐らく体技と魔術の混合で戦いを仕掛けてくるはずだ。魔術だけなら呪文の完成前に潰すのがセオリーだが、体技も混ぜられたら苦戦は免れない。よって今日は受け身を徹底的に練習しよう。体技で崩された上で魔術を放たれたら、誰にも防ぎようがないからね」
「ハイ、センセー。受け身って何ですか?」
水木の初歩的な質問に、ジャンギが答える。
「殴られた時、怪我をしないよう上手く転がる防御方法だよ」
手招きで原田を呼びよせて、見本とした。
「後ろに突き飛ばされた場合、何もしないと後頭部や背中を打って痛い思いをしてしまうだろう?突き飛ばされた直後、背中を丸めて首を守るんだ」
コロリと地面に寝かされた原田は、密かに胸を高鳴らせる。
駄目だ。
どうしても首筋や背中に触れてくる手を意識してしまう。
「この状態で地面をバン!と叩けば体全体が浮くから、その分だけ背中への衝撃を逃せるんだ」
丸まった状態で固定させられて、ちょうど原田の顔の位置にジャンギの下半身が密着する形になる。
密着状態で息を吸うとジャンギの体臭が鼻腔に入り込み、原田の思考は乱された。
ジャンギの匂いは、無限に広がる大草原のイメージだ。
匂いを嗅いでいるだけで、どこまでも駆け抜けていけそうな気がした。
一方のジャンギも原田にスンスン匂いを嗅がれているのには気づいていたが、どうしようもない。
いきなり身を離したら皆だって不審に思おうし、まだ受け身の説明が途中だ。
体は毎日風呂で洗っているから、それほど汚くないはずなのだが、猛烈に匂いを嗅がれている。
どういうことだ。俺って、そんなに臭いのか?
ジャンギは動揺と困惑で、軽く混乱する。
「衝撃を和らげた後、どうやって起き上がるんだ?」との小島の質問に答えようと「腕を軸に横向きになって」と原田の身体を横に転がしたら、モロに原田の顔がぼすっと股間にジャストフィット。
――そこまでがジャンギの限界であった。
「わぁぁっ!?」と叫んで身を離した彼には、ピコや小島も驚愕で目を丸くする。
「な、なんだよ?横向きになったらヤベーのか」
「大丈夫ですか……?さっきの模擬で、足の筋でも痛めたんじゃないですか」
放り出された原田もショックですぐには動けず、水木とジョゼに助け起こされる。
思いっきり股間に顔を埋めてしまった。
それも、皆が憧れる英雄様の股間に。
事故だ。これは、訓練中の事故なのだ。
そう思おうとしても柔らかな感触が頬に蘇ってきて、顔が熱くなる。
ぽっぽと赤くなる原田の横では、ジャンギが必死に言い繕う。
「い、いや、うん。大丈夫だ。虫、虫がいきなり目の前を横切ってね、ハハハ」
ますます小島たちは首を傾げる。
「ジャンギ、もしかして虫が苦手なのか?こりゃ意外な弱点だなぁ」
「なるほど……昆虫や動物が戦闘を邪魔してくることもある、と」
醜態を取り繕うべく、ゴホンゴホンと激しく咳ばらいをしてジャンギは立ち上がる。
ピコの勘違いを逆手に取り、無理やり結論へ導いた。
「ま、まぁね。どれだけ鍛えていても予期せぬ不意討ちは避けられない。でも受け身が取れれば、最悪な大怪我は免れられる。さぁ、今日は時間いっぱい受け身の練習といこうじゃないか!」
素直にコロンコロンと転がって受け身の練習をする子供たち、それから赤面して遠くに視線を逃がしたジャンギを交互に眺めながら、陸は生暖かい笑みに包まれたのであった――
21/08/01 UP

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