ジャンギの家は生活保護区の外れにあり、一歩入って玄関の広さに小島たちが「おぉーっ!」と騒ぎたてる。
「すげぇ!玄関入ってすぐがリビングじゃない家、初めて見た!!」
「何言ってんのよ、普通でしょ?」と肩をすくめているのなんて、ジョゼぐらいだ。
水木は勝手に台所まであがりこみ、「すごーい!ダイニングキッチンだよ、原田くん!ダイニングキッチン、噂には聞いていたけど初めて見た!!」と大興奮。
ピコも片っ端から扉を開いて「へぇ〜ここは寝室なのか。寝室と書斎とで部屋を分けてあるとは、さすが英雄の名は伊達じゃないね!」と鼻息を荒くした。
「ははっ、まぁ、珍しければ好きなだけ眺めていってくれ」
自由奔放な子供たちを叱るでもなく、家主のジャンギは原田と陸を奥へ促す。
「まずは適当な処へ腰かけてくれるかい。今、お茶の用意をしよう」
原田は前にも来たことがあるから、珍しい風景ではない。
だが、一人暮らしにしては広い家なのが前に来た時も気になっていた。
ここが生家というわけでもなく、とある理由で引っ越したようなのに、この広さは何故なのか。
もしかしたら、誰かと一緒に住む予定があったのかもしれない。旅の途中で亡くなった仲間の誰かと。
自由騎士は常に生命の危機と隣り合わせにある。
危険な外の世界に出るのを使命とした職業だ。
だから、幼い頃の原田に自由騎士は将来の夢候補に入っていなかった。
自給自足なり下男なりで稼ぎながら、寿命を終えるまで平凡に暮らすのが夢だった。
なのに幼馴染の小島がなりたいとか言い出して、あろうことか水木までなると言い出したから、二人を守る為に原田もスクールへ入学したのだ。
共にスクールを卒業した仲間たちが次々死んでいくのを見て、ジャンギはどう思ったんだろう。
いずれかのタイミングで引退を考えたりはしなかったのか。
結果として片腕を失い、彼は自由騎士を引退せざるを得なくなった。
それなのに、今も自由騎士に携わる仕事をしている。
自分より先に死んでしまうかもしれない生徒を見守るのは、つらくないのか。
本人に直接聞いてみたいけれど、聞いてはいけないようにも思えて躊躇われた。
ダイニングにあるソファへ腰かけた原田を挟む形で、水木とジョゼが両隣に陣取る。
「すごいよね、部屋がいっぱいあって!」と、興奮冷めやらぬ水木にジョゼが水を差す。
「こういう間取りの家なんて西区じゃ普通よ?これで驚くって東区は、どんな間取りの家なのよ」
「そうなんだー!」と、水を差されたにも関わらず水木のテンションは高いままだ。
「うちってワンルームだから、部屋がいっぱいある家が羨ましくって!」
「え?ワンルーム……?部屋が一つしかないってこと?えぇ、でも待って、それじゃどこで寝るの?」
ジョゼは首を捻っている。
どんな家なのか全く想像がつかないらしい。
「あ、おトイレは外にあるんだよ。お風呂は共同を使うから問題ないし。寝る時は家具を全部壁に押しつけて布団を敷くの」と水木に説明されて、ジョゼは驚愕の眼差しで彼女を見た。
「えぇっ!?お風呂がない上、トイレが外?意味不明な間取りじゃない、生活しづらくないの!?」
かくも全財産の違いが生活の格差に繋がっている。
西区は、どこも豪邸ばかりだ。
原田が生活費工面の為に通っていた画家の屋敷だって、一人暮らしの割に大家族な小島の家よりも広かった。
あの人が自由騎士で名前を馳せた噂は聞かないし、ジョゼの両親にしても然り、西区にいる多くの富豪は一体どうやって一財産を築き上げたのであろうか。
原田の脳内に浮かんだ疑問へ答えるかのように、ジャンギが話を振ってくる。
「大人の社会じゃ上手く金勘定のできる人が頂点に立てる。自由騎士で優秀ってだけじゃ儲けにならないんだ。諸君らも今のうちに商人と契約を結んでおくといいよ」
三人に言っているようでありながら視線は原田に釘付け、ほんのり頬を紅潮させて原田も見つめ返した。
「契約を結んでおけば、外で拾った収集物を買い取ってもらえるからね。繰り返せば、こんなふうに自由な家を建てるのも可能な資金が集まるってわけさ」
紅茶の入ったカップを机に並べ終えるとジャンギもダイニングチェアに腰かけ、ようやく本題に入る。
「――さて。輝ける魂について話す前に、原田くん。君はご両親について、どれだけ覚えている?」
意外な言葉に全員がキョトンとなる。
ややあって小島が「原田の両親?って何て名前だったっけ」と原田へ振り、本人が間髪入れず答える。
「道恵と莉麻だ」
父親は道恵、母親は莉麻。それが二人の名前だ。
若い頃、自由騎士だったという話は聞いた覚えがない。
息子たる正晃の記憶では、何でも我儘を聞いてくれる優しい両親であった。
我儘が過ぎたせいでいなくなってしまったのだと思った時期もあったが、内面のモヤモヤは神坐に吐き出して消化済みだ。
ただ、蒸発した理由は今でも判っていない。彼らが家を出た後、どうなったのかも。
優しい人だったと原田が告げると、ジャンギは何事か考える素振りで天井を見上げ、すぐに視線を原田へ戻す。
「……そうか。良い思い出で残ったんだね、良かった」
「どういう意味?」と水木が問い返すのへは、物憂げに答えた。
「いや。俺は彼らと面識があってね……うん。結論を先に言うと、原田くん。彼らは君の実の親じゃない」
予想していなかった結論を先に言われて、誰もが言葉を紡げない。
五分、十分とたっぷり時間をかけてから、やっとこダイニングはハチの巣をつついた如しの騒ぎに包まれる。
「えー!?どういうこったよ、親ってのは全部実の親だとばかり思ってたぜ!?」
「ホントだよー!あんまり覚えてないけど、似てたよねぇ原田くんとお父さん!」
「じゃあ、原田くんの親って誰なの?」
「判ったぞ!ジャンギさん、あなたが原田くんの親なんですね」
ビシッと指を突きつけて確信を顔に浮かべるピコへ緩く首を振り、ジャンギが即座に否定した。
「なわけないだろ。俺の息子だったなら、家を追い出したりしないよ」
「そりゃそうだよな。じゃあ、誰の子なんだ?」
小島の追加質問に、英雄は肩をすくめる真似をする。
「判らない。原田くん、君は道恵が外の世界で見つけてきた拾い子だったんだ」
これには原田を含めた子供たち全員が「ええぇぇーーー!?」と大合唱。
だって外の世界とは、すなわち草原から砂漠に渡る広大な範囲じゃないか。
怪物だらけの危険な場所に、誰が子供を捨てていくというのやら。
周囲の驚愕をほったらかしに、ジャンギが話を続ける。
「原田 道恵と葛 莉麻は自由騎士だった。もっとも、その期間は非常に短く、スクールを卒業して二年後には引退してしまったんだけどね。理由は原田くん、君を見つけたからだ。親なき子供を育てるにあたり、危険な職を続けるわけにはいかないと考えたんだろう」
「え、でも自由騎士でいたほうが稼げるのではなくて?」
異議を唱えるジョゼに首を振り、先ほどの話を蒸し返す。
「言っただろ、財産を築けるのは金勘定の上手な奴だって。二人は契約者が見つけられなかった。自給自足で原田くんを育てるつもりでいたんだが……その前に死期が近づいてきてしまった」
「え?」となったのは小島のみならず、原田もだ。
アーシス住民の寿命は平均五十代。
幼少の正晃と暮らしていた時分、あの二人が五十近くだとは到底思えなかった。
「この中で、老いた大人が寿命の尽きる瞬間を見たことのある人はいるかい?」
ぐるりと顔を見渡して、誰も手をあげないのを確認してからジャンギが結論づける。
「……そう、いないはずだ。皆、死ぬ前に家を出るのが暗黙のルールだからね。死ぬ瞬間を若者に見せないってのは、町の大人たちが決めたんだ」
「どうして?どうして住み慣れた家を出なきゃいけないの。家族に看取られちゃ、何か拙い事態が発生するんですか?」とのジョゼの質問には、しばしの間をおいて。
「死に際が残酷だから、かな」
ジャンギは、ぽつりと呟く。
そして、告げた。
死期が来た者たちの最後を。
ある時期を境に身体が石のように固くなり、動けなくなる。
なんの前兆もなく心臓が停止する。
元気だった翌日には、身体がボロボロと腐り落ちる。
人が人ではない形で終わる。
死に直面する子供の気持ちを考えると、家を出てひっそり死にたくなる親の心情も判ろうというものだ。
「道恵と莉麻の場合は自由騎士時代に受けた傷が原因だ。身体が軟化していき、徐々に自由が奪われる。限界を悟った二人は幼い原田くんを置いて町を出た」
「だったら、どうして二人は原田くんに、それを伝えなかったの?一言でも言ってくれれば、原田くんだって寂しい思いをしなくて済んだのに!」とは水木の憤りに、紅茶を一口含んでジャンギが答える。
「言われても言われなくても、寂しさは変わらないよ。置いていかれたと思う気持ちもね」
水木の母親は病死だった。病死だと、父に聞かされて育った。
だが本当のところは、どうだったのだろう。
母の死に目を見た記憶がない。
ピコにしても同じだ。
父がいつ死んだのか、どこでどう死んだのか、母は何も教えてくれなかった。
「とにかく、原田くん。君の出生は謎に包まれている。だから、そこの陸くんが言うように輝ける魂……だと言われても、俺達大人は誰も否定できないんだ」
輝ける魂自体については何か知っているのかとのジョゼの問いに、英雄は頷く。
「この町の図書館に文献が残されていてね。俺よりも前の代の自由騎士が発掘したんだけど、それによると古代のファーストエンドには七賢者・八英雄と呼ばれた人々がいたらしい」
輝ける魂は七賢者のうちの一人、ゼトラ=ハウゼンの生まれ変わりではないかとの推測が学者の間で濃厚だ。
「輝ける魂は過去、何度か発現していると幾多の文献に渡って記されている。ただの人間が何かのきっかけで能力に目覚めるんだ。その能力ってのが、これまた特殊としか言いようのないやつでね」
ちらっと原田の顔色を伺い、悪くなっていないのを確認しつつ、ジャンギは個人で調べた範囲を伝える。
「闇を聖に塗り替える。呪文でいうと光の魔法かな、それに近い属性を持つらしいんだ。陸くんの話だと原田くんは怪物化した絶対天使と戦うそうだが、君が本当に輝ける魂だとすれば、これほど持ってこいな能力所持者もいないわけだ」
賢者ゼトラは光の呪文に精通しており、邪悪な怪物退治と強力な回復魔法に特化した魔術使いであった。
過去の時代は魔法をバンバン使いまくりで、そのせいで世界が滅びかけたのだとも言えるが、攻撃ばかりではなく人を蘇生させる術もあったと言われている。
これまでに発掘された文献の多さや状態の良さを考慮するに、外の世界には賢者の残した魔術書が残されているのではと人々は期待した。
今も自由騎士は探索に勤しんでいる。過去の文献や武具道具、魔術書を求めて。
輝ける魂をゼトラの生まれ変わりではないかとする一番大きな理由は、輝ける魂が蘇生させる能力を持つせいだ。
平均寿命が短くなった今の時代じゃ、いるだけで英雄扱いされる存在と言えよう。
「光の呪文は回復使いじゃないと学べない魔法でしょ。回復と攻撃を両方使えるって、そのゼトラって人はホントに人間だったの?」
首を傾げるジョゼに苦笑して、ジャンギが補足する。
「古代には複数に渡って異なる魔術を使いこなせる人が、多々いたんだよ。人間とは異なる種族もね」
「魔法生物ってやつか?あ、でも絶対天使も、そうなんだったよな」
小島の問いは陸に向けたもので、ほんの刹那、陸は渋い顔になったが割合素直に答えた。
「そうです。絶対天使は魔力の塊、魔法生物に近い存在であると言えましょう」
「君が何処方面で、それを知ったのかに興味が沸くね」と小さく呟いたジャンギが陸の横顔を見たのも一瞬で、英雄の視線は原田へ戻る。
「外の世界を調べるのは、古代で何があったのかを調べるのと同等だ。原田くんも興味があれば町の図書館へ行くといいだろう。特に君の場合、自分の出生も関わってくるからね」
その後も話のネタは尽きることなくジャンギを質問責めにして、そのほとんどが文献からの受け売りであったり原田の両親に関する昔話であったりした。
夕暮れ時に解散した一同は、それぞれ帰路についた。
飯を食べて風呂に入って寝る時間になっても、原田と向かい合ってベッドに入った小島の興奮は冷めやらず。
「今日は知らない事実を、いっぱい知っちゃったなー!一番すげーのは、お前の親が赤の他人だった件だけど」
「そうだな」
小島と比べると、原田の反応はクールだ。
実感がわかないといったほうが正しいか。
五歳までの記憶しかないが、二人とも実の親だと信じて疑わなかった。
普通は疑わないだろう。親が本当の親であるかどうかなんて。
「まぁ、あんま覚えてないんだけどさ、お前の両親。俺の父ちゃんも一番下の弟が三つぐらいの時に突然いなくなってさぁ、母ちゃんに聞いたら別れた!って言われて、ふーんそうか離婚したのかーって思っていたけど、もしかしてアレ、俺に気を遣って別れたことにしたのかもな」
小島の父親なら、はっきり覚えている。
長男同様アクティブにポジティブで、いつも大声で騒ぐのが大好きな男だった。
ある時期を境に小島家からいなくなり、しかし聞くのも躊躇われて、それっきりになってしまった。
近所でいつも見かけていた人が突然姿を消すのは、全部そういうことだったのだ。
皆、こちらが知らないうちに町の外で死を迎えていた。
「……なんか、寂しいよな。お前は死を悟っても、俺の前から突然いなくならないでくれよ?」と小島にチラリンと上目遣いで甘えられ、原田は素直に頷いた。
手を伸ばして小島の手の上に己の手を重ねると、そっと尋ね返す。
「お前こそ、俺が変な能力に目覚めたとしても見捨てないでいてくれると嬉しいんだが」
「当然だろ!俺は、俺と水木は、死ぬまでお前と友達でいるって決めたんだ!!」
きっぱり言い切ってから、思い出したように小島が付け足した。
「あぁ、いや、友達兼恋人、な!」
それに、と原田の手を握って笑いかける。
「変な能力じゃないだろ、闇を光に変えるっつってたじゃないか。邪悪天使アーステイラをお前がぶっ飛ばす姿、是非とも拝まなきゃだぜ」
あんな姿に変り果てる前は、原田も彼女を邪悪な存在だと憎んでいた。
だが、改めて考えるとアーステイラは本当に邪悪な存在だったんだろうか?
第一印象が最悪すぎて、つい冷たく当たってしまったが、もし原田が彼女の願いを受け入れていたら、こんな事態は回避できたかもしれない。
意地を張らないで、さっさと依頼を手伝わせてやればよかったという気がしなくもない。
そうすりゃアーステイラも満足して、故郷に帰ったはずだ。
「……あいつのこと、考えてんのか?どうやって戦うか、とか」
原田の手をぎゅっぎゅと握りしめ、小島が問う。
「正攻法でのガチンコ勝負は危険だし、不意をつく方法を考えようぜ」との提案に首を振り、原田は視線を外して呟いた。
「そうじゃない。あいつには、もっと優しくできたはずだ、と思って……後悔しているんだ」
「はぁん?」と、小島が素っ頓狂な奇声をあげるのは当然の反応だ。
小島から見りゃあ、アーステイラは迷惑な珍客に過ぎない。
奴の功績は汚屋敷と化していた、この家を掃除した件だけだ。
あとは全部余計なお世話という他ない。
豪勢な食事も強制脱衣の洗濯も、原田は必要としていなかったはずだ。
なのに、その迷惑な奴に同情しているってんだから、幼馴染にして恋人の優しさには恐れ入る。
「起きちまったもんは今更悔やんだって仕方ねぇ。あいつが可哀想だと思うんなら、治す為にも勝つ方法を考えなきゃな!」
ぎゅっと力強く抱きしめてやったら、原田は小島の胸に頬を摺り寄せてくる。
「あぁ……お前と水木が一緒なら、何でも出来そうだ」
「俺達だけじゃねーよ。ピコとジョゼも一緒だぜ?いざとなったら、スクールの奴らを全員巻き込んででも絶対あいつを元に戻すんだ」
優しく原田の頭を撫でながら眠りにつくつもりだったのだが、しかし原田にはスンスンと匂いを嗅がれて胸の鼓動が早鐘を打つ。
前に抱きしめた時も匂いを嗅いでいたし、もしかして原田は俺の匂いが好きなのか?
自分では汗臭いとしか思わないのだが、この匂いが原田に好かれているんだと考えたら猛烈興奮してくる。
できれば上半身だけじゃなく、下半身も目一杯嗅いで欲しい。
そして、あわよくばチンチンをしゃぶったりしてほしい。
告白しあった仲なんだし、小島は早くも原田とのエッチに胸をときめかせる。
だが、このタイミングで言うのは、いくらなんでも空気が読めていなさすぎないか。
まぁ、いい。エッチは輝ける魂の能力とやらが覚醒してからでも遅くあるまい。
それができるまでは不安で落ち着かないだろう、原田も。
今日の処は、キスで己の性欲を収めておこう。
憂いの表情を浮かべた原田に唇を重ね、たっぷり感触を楽しんだのちに抱擁を解いてやる。
「そろそろ寝ようぜ。明日も授業があるんだ」
「あぁ」と頷く気配を胸元に感じながら、小島は灯りを吹き消した。