絶対天使と死神の話

自由騎士編 10.秘密


行きの大ピンチと比べたら、芋掘り自体は遥かに楽だった。
土の見えた地面に生えた三つ又の草を引っ張ると、簡単にスポッと抜ける深さの芋であったのだ。
指定されたのは二十個だが、この一ヶ所だけで全部収集できそうだ。
引っこ抜く際に顔を僅かにしかめた原田を見て、水木が気遣ってくる。
「どうしたの?さっき、どこか痛めたんじゃあ」
「いや、大丈夫だ」と答えたものの、手首をしきりにさする原田には全員が労りの言葉をかけた。
「さっきの戦いで疲れたんだろう?原田くんは休むといいよ、ほら、この上に座って」
ピコが懐から取り出したのは、布のシートだ。
「なんでシートなんか持ってきたんだ?」と首を傾げる小島には「前回の依頼で服を汚してしまったからね、しゃがみこんで探すような依頼の為に持ってきたんだ」と用意周到な答えが返ってきた。
「じゃあ、これを舐めて休んでいて。帰りもあるんだから、無理しちゃ駄目よ」
ジョゼに飴を渡されて「俺だけ休んでいるわけには」と断ろうとする原田を、小島は無理矢理シートへ誘導する。
「手首が痛いんだろ?さっきから擦ってるとこ見ると」
言われて初めて無意識に擦っていた自分に気づいたのか、原田はバツの悪そうな顔で黙り込み、大人しくシートの上に座って明後日の方向へ視線を逃がす。
「鞭って難しいんだね。けど、それで追い返しちゃうんだから才能あると思うな、原田くん」と水木にも慰められたが、まともに顔を見られない。
あれは戦いと呼べるような誇らしい行為ではなかった。
鞭をぶつけて必死の抵抗と言ったほうが正しい。
ジャンギの言葉を思い出し、原田は項垂れる。
手首を鍛えるには手の運動を毎日やれと言っていたが、昨日は全くやっていない。
トレーニングする時間を作るためにも、やはり明日で内職を終わりにして自由騎士の修行一本に絞らねば。
独りで黄昏れていると、「ほら、食べる?」と土のついた芋を水木に差し出されて、「芋は煮ないと無理だ」と答えながら、そうか、これはいつも自分が野菜は生が一番だと主張しているからこそのギャグだと気づき、ほんの少しだけ原田にも元気が戻ってきた。
「よーし、あっという間に二十個確保だ!俺達の分も一個ずつあるぞ」
ガバッと勢いよく小島が立ち上がり、四方八方を見渡す。
草原の何処にも、プチプチ草の陰は見当たらない。
あれだけ鞭でビシバシ大騒ぎしたんだから、やつらも当分は用心して近づいてこまい。
「急いで帰ろうぜ。原田、足は何ともないか?」
「あぁ。痛いのは手首だけだ」と答えて原田も立ち上がり、片手でシートをくるくる丸める。
「手首の湿布なら薬局で買えるけど……今回の報酬、全部原田くんが使うかい?」とのピコの気遣いには首を真横に振り、原田は断言する。
「報酬はチームで分配するのが原則ルールだ。たとえ怪我人が出たとしても、そこは曲げちゃ駄目だ」
「えー……でも、高いぞ?湿布。そうだ!俺の分と併せれば買えるんじゃないか」
小島にまで気遣われ、ややムキになって原田は拒否を貫く。
「少し捻っただけだ。冷やせば治る」
町の治療士に頼むよりは湿布のほうが比較的安めだが、一枚が三十ゴールド近くするとあっては、チームメンバーが報酬を差し出したくなる気持ちも判らなくはない。
しかし収集は皆の力でやったんだから、報酬も分配するのが当然だ。
――といった原田の頑固な持論を聞かされて、ジョゼやピコも渋々妥協する。
彼らの中では、今回一番の功績者は原田だ。
彼がプチプチ草を追い払ってくれなかったら、水木が重傷を負って最悪とんぼ返りも、ありえたのだから。
だが言えば言うほど本人が拒絶するのは、余裕で予想できる範囲だ。
原田を癒すには金ではなく別の行為、例えば差し入れ、この芋で何か美味しい料理を作ってあげればいいんだとジョゼは考えた。
「帰ったら、このお芋で何作ろっか?」
早くもワクワクする水木には、小島が答える。
「オマケ報酬でスープにしてた点から考えっと、揚げるより、すり下ろすほうが美味いのかもな」
なるほど。
自分で料理をしたことがないジョゼは、ふむふむと脳内でメモを取る。
帰ったら、下女に聞いてみよう。芋を使ったレシピ一覧を。


依頼を終えた翌日はスクールも休日で、用事があるからと断って家を出てきた原田は迷わず生活保護区へ向かう。
今日で終わりにする内職、誰にも言えなかった仕事とは、画家のモデルであった。
何故誰にも話せなかったのかといえば、雇い主に言うなと厳守させられたからだ。
「そうか……今日で終わりにしたいのか。自由騎士を目指すんじゃ仕方ないね」
退職願いは、あっさり納得される。
もっとゴネるのではと内心危惧していたが、全くの杞憂だった。
相手も元自由騎士、スクールの厳しさは身をもって知っているのだろう。
画家は遠い目で壁にかけた絵を見やる。
「君ほどモデルとして秀逸な人物は、もう二度と見つからないだろう。ごらん、この絵なんて君の儚さが強調されて思わず抱きしめたくなるじゃないかハァハァ。この絵も、君の華奢な身体が幻影的でありながらリアルに手の届きそうな雰囲気をも漂わせている。まるで現代の妖精だ……ゴクリ」
よくも、そこまで自画自賛できるものだと呆れながら、これまでに彼が描いた絵を原田も見上げた。
五歳の子供が頭を下げた先は画家の家で、下男として雇ってほしい願いに対して、絵のモデルを希望してきた。
言われるままポーズを取ること十二年間。
よく飽きずに面白みのない痩せっぽちを描き続けたものだ。そこは尊敬する。
原田自身には幻影も儚さも感じられないが、描いた本人には絵の中の原田がそう映っているらしく、しばらく妄想の世界に旅立った後、やがて現実に戻ってきた彼はポツリと一言、寂しげに漏らす。
「……君の裸画を描けなかったのが唯一の心残りだよ。最後でも描かせて……くれないんだね?」
「はい」と原田は言葉少なに頷き、脱ぐのを拒否する。
絶対に脱がせたりしないからモデルになってくれと言ったのは、画家のほうだ。
五歳の子供を怯えさせない為の詭弁だったんだろうが、約束は約束だ。
「そうか……今までありがとう。君のおかげで私は自分の絵に自信を取り戻せた、礼を言うよ」
自信なら最初から最後まで一貫してあったと原田は思うのだけど、本人の自己評価と他者評価は異なるし、彼がそういうのであれば、きっとそれが正解だ。
謝礼と退職金を兼ねた金一封を渡された原田は、最後に一礼して画家の家を後にした。

収入先を絶つと決めたのは、トレーニング時間の確保が一番の原因だ。
スクールに通うだけでは、必ず落ちこぼれてしまう確信があった。
何度でも言うが、自分には誇れる能力が一つもない。
無能を自覚しているからこそ人一倍努力せねば、チームメイトの足を引っ張る要因になってしまう。
モデルの仕事は一回につき一クレジットと日雇いにしては高額で、誰にも話すなと厳しく箝口令を敷かれたのも大きくなって世間を知った今となっては納得のいく話だ。
一クレジットとは、ゴールドに換算すると百ゴールドになる。
一回とは絵一枚ではなく、数回に渡って描かれる一日分の報酬だ。
一枚描きあがるまでの報酬を合計すると、未成年が一人で生活するには充分すぎるほどの収入であった。
毎日通えればよかったが、モデルとして呼ばれたのは十二年のうちでも数回に過ぎない。
何度か養子にしたいとも持ち掛けられたが、原田は全部断った。
誰に何と言われようと、あの家を捨てる覚悟が持てなかった。
あの家は、自分と居なくなってしまった両親を繋ぐ、たった一つの掛け替えのない財産だ。
さて、これからは自由騎士の報酬分配だけで暮らしていかなければいけない。
果たして生活費に回せる分が残るのかといった不安は増してくるが、他の子たちは本来これがスタートラインなのだし、自分だけが文句を言うのは躊躇われる。
孤児なのは原田だけじゃない。貧困区には同じ環境の子供が多々いる。
両親が揃っていて、下女まで雇っている屋敷に住む奴のほうが少数派なのだ。
ジョゼの境遇を羨む原田の耳に聞きなれた声が、しかし悲鳴に近い困惑した音色で聞こえてくる。
何かと周囲を見渡してみれば、ジャンギが誰かに絡まれているのが見えた。
「いやぁ、すみません、今日はこれから用事がありまして……」
どこか引きつった笑顔を向けている相手は、中性的な顔立ちで水色の長い髪の毛を三つ編みで二つに分けた人だ。
落ち着いた雰囲気をまとっていながら、不釣り合いなほど短い丈のスカートを履いており、男か女か判らない。
と思っていたら、長髪の人は、はっきり男性のテノールだと判る声を発した。
「うぅん、ウィンとジャンギの仲でしょ?用事をポイしてデートしてくれたっていいじゃな〜い」
優しげなテノールでありながら内容が媚び媚びに媚びたギャル調なせいで、違和感絶大だ。
「皆のアイドルが特定個人とデートってのも、まずいんじゃないかなぁ……あっ!」と言葉途中でジャンギが原田を見つけ、パッと顔を輝かせる。
まずい、巻き込まれると身構える暇もなく駆け寄ってきた彼に腕を掴まれ、ぐいっと抱き寄せられた。
「約束の時間を過ぎちゃったってんで待ち人が、こっちに来てくれたみたいです!それじゃウィンさん、悪いんですけど俺はこれで!行こうショーコーくん!」
突然のハグに原田は硬直する。
まさか元英雄、超のつく有名人に抱き寄せられる日が来るだなんて。
胸はバクバク高鳴り、かける言葉が見つからない。
混乱しているうちにグイグイ連れていかれて、ついた先はジャンギの家であった。
玄関に転がり込んで一息ついて、やっと原田を開放したジャンギはホッと安堵の溜息を漏らす。
「いやー……申し訳ない。ちょっと面倒な人に絡まれちゃってね、君を利用させてもらったよ」
「い、いえ、それは構いませんが」
まだドキドキ高鳴る胸を抑え、原田は尋ね返した。
「さっきの人はジャンギさんのお知り合いですか?」
「あーうん。ウィンフィルドさんっていうんだけどね。昔、近所に住んでいた顔馴染みで、あの人も昔は真面目だったんだけど自由騎士を引退してからは変な路線に突っ走っちゃって、男だけど娘、略して男の娘っていうアイドルを始めたんだ。意味が判らないよね」
一言誘っただけでガーッと愚痴をこぼされて、唖然となった原田には気づいているのかいないのか、ジャンギは尚もブツブツと愚痴垂れる。
「つきあうのが面倒になったから引っ越したってのに、町で会うと必ず絡んできて、今日も言い訳どうしようかなーって思っているところに君が来てくれて、いやぁ〜助かったよ!」
ニコヤカに愚痴を締められては、原田も「大変ですね……」と月並みな慰めを口にするしかない。
「まぁね。いっそ恋人がいるって言い訳も考えたんだけど、誰に頼んでも面倒ごとが増えそうだしな」
偽りの恋人を立てるのは、原田にとって他人事でも笑い話でもない。
つい最近、巻き込まれたばかりだ。
口数の少なさに、ようやく愚痴っている自分に気づいたジャンギが腰を上げる。
「あぁ、ごめん。こんな愚痴を聞かされたって君も困るよな。どれ、巻き込んだお詫びにお昼をごちそうしよう」
「い、いえ、お構いなく!」と慌てて立ち上がりかけた原田を押し留めてソファに座らせると、ジャンギは人当たりの良い笑顔で言った。
「いや、言い直そう。ごちそうさせてくれないか?この家に他人が来るのも久しぶりなんだ。俺も、たまには誰かと休日ランチを楽しみたいしね」
くるりと踵を返してキッチンへ向かう背中へ、原田が声をかける。
「あ……あの。ジャンギさんは、ご結婚されていないんですね……恋人も」
見れば判る。この家に住んでいるのはジャンギ一人だと。
ダイニングチェアは一脚しかないし、食器は全部種類がバラバラだ。
何故、結婚しないのだろう。
大人なのに、自立しているのに、元自由騎士で英雄、財力もあるのに。
当然の疑問が原田の脳裏をかすめ、失礼だとは思いながらも質問してしまった。
「お察しの通り、いないよ。だから面倒な知人への言い訳にも手間取るってわけだ」
ジャンギはパスタを茹でる傍ら野菜をスティック状に切ってグラスへ盛りつけ、ゆで終わるまでの時間を使ってデザートにも取り掛かっており、一人暮らしの長さを見せつけてきた。
この家のキッチンはダイニングと同じ部屋にあるから、彼の動きも丸見えだ。
こうした間取りはダイニングキッチンと呼ぶんだと、以前誰か、水木だったかに聞かされた覚えがある。
ダイニングテーブルを置いても余裕があり、生活保護区に住む富豪にしか許されない広々とした空間だ。
「君みたいに可愛い子が恋人になってくれるってんなら、一緒に住んでもいいんだけどね。あいにくと、俺に近寄ってくるのはウィンさんみたいなヘンテコな人ばかりで」というが、そんなこたぁなかろう。
ジャンギ=アスカスは、アーシスでは知らない人など一人もいない有名人だ。
きっと男女問わずで毎日ファンが押し掛けているに違いない。
そいつを全部撥ね退けて、一人暮らしを楽しんでいるんじゃないかと原田は勘繰ってみた。
前半の社交辞令は、さらっとスルーした。
可愛いだなんてお世辞、原田に向けて言ったのはジャンギが初めてだ。
例の画家だって幻想的だの華奢で美しいだとは言ってきたが、可愛いとは一度も言わなかった。
二人で食べるには少しばかり量の多いランチを前に、原田は小さく「いただきます」と囁いて頭を下げる。
フォークを持った瞬間ピクリと痙攣したのに気づかれたのか、原田の手の上にジャンギが手を重ねてくるもんだから、再び原田の心臓はバクバクが止まらなくなった。
ガチゴチに緊張した目を彼へ向けると、ジャンギは労りの目で見つめ返して原田に尋ねてよこす。
「原田くん。手首を痛めてしまったんだね?」
「あ……はい」
項垂れる原田へ「責めているんじゃない。湿布なり包帯で固定しておかないと、酷くなってしまうんじゃないかと心配しているんだ」と言い繕い、一旦奥の部屋へ消えたかと思うと、救急箱を手に戻ってきた。
「どれだけ用心深くしていたとしても怪我は仕方ない、誰だってする。俺も現役時代は怪我が日常茶飯事だったしね。だが、それと怪我を放置するのは別問題だ」
話している間にも手は忙しなく湿布を原田の手首に貼りつけ、くるくる包帯を巻きつけてゆく。
治療士としてもやっていけるのでは?といった手際の良さで原田の手首を包帯で固定したジャンギは、ぽむぽむと原田の頭を撫でてから椅子に座りなおした。
「スクールへ通う子には皆が期待している。皆ってのは、この町の大人やスクールの教官だ。ゆくゆくは俺を越える自由騎士が出て、いつか世界の全てを解き明かしてくれるんじゃないかってね。だから、絶対に無理をしては駄目だ。自分を大切にしない奴は、きっと何処かで命を落とす」
かつて仲間と共に外の世界へ旅立って、たった一人で生還した人間に言われると、重みが増す発言だ。
固定された手首を擦り、原田は強く頷いた。
一応昨夜と今朝とで水で冷やしたのだが、全然効果がなかったようだ。
湿布を貼ってもらったおかげか、ズキズキが収まったように感じる。
伊達に三十ゴールドぶんどる薬ではないということか。
「ホントは、もっと薬が安く買えるといいんだけど、うん、すまない。我々大人が上手く経済を回せないせいで、君達子供の代に負担をかけてしまうね……」
ぼそっとぼやいた元英雄に、原田も焦ってフォローを飛ばす。
「い、いいえ!ジャンギさん達先人が体を張って、あちこち調べてくれたおかげで今の生活があるんです!」
アーシスの住民が"水"とするのは、具体的には怪物の体液だ。
体液から水分だけを濾過させて、生活水や飲料水として使っている。
家畜として飼われているのも、元は外の世界にいた怪物を改良して飼いやすくした生き物だ。
これらを入手できたのは、全て自由騎士として頑張った人々がいたおかげだ。
アーシスの住民、非戦闘民は特に自由騎士への感謝を忘れない。
「嬉しいことを言ってくれるね……本当に君が恋人だったらなぁ、毎日が楽しいんだけど」
ちらっと色目を向けたのも一瞬で、すぐに下心を消したジャンギは原田を促した。
「ま、こんな老い先短いオッサンに求婚されたって困るよな。さぁ、話が長くなってすまないね、腹いっぱいランチを食べてくれ!」
原田も、ちらっとジャンギを見上げて頷き、彼にしては精一杯、ランチを腹に詰め込んだ。
21/05/31 UP

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