一日の授業が終わり、水木は小島と二人で帰宅する。
一人抜けた帰り道は口数少なく、水木はチラリと傍らを歩く小島を見上げた。
原田の家で同居するようになって初めての独りぼっち状態が、あと一ヶ月も続くのだ。
大家族に生まれた小島が、その孤独を我慢できるかどうかは甚だ疑問である。
「……ねぇ。小島くん、一人で大丈夫?ちゃんと寝られる?」
つい心配が口を出てしまい、小島には怪訝な顔をされる。
「ハァ?お前、俺が幾つになったと思ってんだよ。お前と同い年だぞ、一人で寝られるに決まってんだろ」
「そういう意味じゃなくて」と手を振って、水木は言い直した。
「これから一ヶ月、一人で暮らすんだよ?寂しくないかなぁと思って」
「寂しいわけ」と言いかけて、小島は考える。
あの広い三人家族用の間取りで、たった一人、飯を作って寝る毎日。
原田は、どんな気分で孤独な一人暮らしを過ごしたのだろう。
彼は愚痴や泣き言を滅多に吐かないから、当然小島も一人暮らしの愚痴なんぞ聞いた覚えがない。
一人で寝るのには問題ない。
問題があるとすれば――
「なんだったら、お前も一緒に住むか?」
「だよね!小島くん、ご飯作れないもんね!」
打てば響く返事、さすが長年幼馴染をやっているだけはある。
「いいよ、ご飯だけ持っていってあげる。一緒に住むのは無理だけど」
水木は父一人子一人家族だ。前に原田が同居を誘った時も、父を残しておけないと断られた。
小島としても水木を誘ったのは飯目当てだから、一緒に住めなくても構わない。
例の大きなベッドに一人で寝るのが寂しくないかと言われたら、あのベッドを使わなきゃいいだけの話だ。
隣に原田がいなくても大丈夫なのかと言われたら……そりゃ、勿論寂しいに決まっている。
けど、決めたのだ。
彼が修行を終えて戻ってくるまで、泣き言なんて一つも漏らさないと。
修業を終えたら、きっともっと原田は過酷な人生に立たされる。
輝ける魂の能力を求める、悪い大人が危害を加えるかもしれない。
その時に彼を守れる強さが欲しい。
原田が戻ってきた時、もっと頼れる自分を見せてやる。
どこか明後日の方向を見つめてグッと握り拳を固める幼馴染を見て、水木も考える。
原田不在の一ヶ月、寂しいのは小島だけじゃない。チームメイト全員が同じ気持ちでいるはずだ。
テンションを保つ方法を考えておかなきゃ、せっかくの授業も台無しになる。
またしばし互いに口を閉ざして、小島と水木は家へ帰った。
翌日は模擬戦闘を受けるべく、原田不在のチームは怪物舎へ向かう。
「サフィア教官から話は訊いているよ。原田くんの穴埋めをベネセさんがするってね。それじゃ今日は、通常通りレベル三のプチプチ草複数が相手だ」
魔法生物との模擬ではないのかと小島が尋ねると、あれは原田を覚醒させる為の急な特訓だったからねとジャンギは答え、本来は、まだそこまで進められないと眉をひそめる。
「今の原田くんなら結界も使えそうだけれど、水木さんは使えないだろ。前にも言ったと思うけど、魔法生物との模擬は三年の最後に教えるんだ」
ケージを開くとプチプチ草が六体、顔を出す。
「プチプチ草かぁー。もうばっちりマスターしたよなぁ」
あきらか舐めた態度の小島には、ジャンギが叱る前にジョゼの小言が飛ぶ。
「何言っているのよ、前に複数と戦った時はエリオット教官の結界に守られっぱなしだったじゃない」
「そのとおりだ」とジャンギは苦笑して、全員の顔を見渡した。
「プチプチ草との戦闘は先手必勝、攻撃を受ける前に全滅させればいい。ただ、迂闊に近づくと彼らも散弾を放ってくる。幸い、君たちのチームには後衛も揃っているから、誰を攻撃要にするか予め決めておくといいよ」
「だったら」と水木がベネセを見る。
「ジョゼちゃんの呪文が完成する前に、ベネセちゃんが攻撃するといいんじゃない?」
「敵が一方向ならな」とベネセは応えて、ジャンギへ尋ねた。
「これだけの数を出すということは、囲まれた場合の対処法を学ばせるつもりか?だとしたら、前衛不足だ。小島だけでは防ぎきれまい」
ピコなど存在しないかのような言い分に、ピコ本人よりも小島が先にブチキレる。
「お前なー!ピコを無視すんなって昨日も言ったばっかだろ!」
だが、そうではなかった。
ベネセは眉をひそめて、言い返す。
「何を言っている……?こいつの獲物は短剣、牽制役だぞ。誰かの盾になれるわけがなかろう」
ピコを無視したんじゃない。むしろ彼の特性を見抜いた上での判断だった。
ベネセの見解にジャンギも頷き、小島とピコに助言を与える。
「前衛の役目は防御だけとは限らない。牽制で攻撃を逸らさせる、要は囮になるのも皆を守る手段だと捉えておいてくれ。ピコくんが敵を惹きつけて、攻撃を一方向へ誘導するんだ。それなら、小島くんだって防御しやすくなるだろう?」
鞭使いが抜けた分を短剣使いが全方向カバーするには、全方向の敵を自分一人で誘導しなければいけない。
大役だ。だが、これをマスターすれば実戦で大いに活躍できるのではないか。
華麗な動きで敵の攻撃をかわしまくる己を想像して、ピコは胸を高鳴らせる。
「前はやられるだけだったけれど、小島くんの元へ誘導すれば痛い目にも遭わない。一石二鳥の囮役ですね!」
張り切るピコのテンションに釣られるようにして、小島も元気よく叫んだ。
「やってやろうぜ、ピコ!原田が戻ってくる前にプチプチ草との戦いを完璧にしとくんだ」
だが、そこへまたもベネセが影を落としてくるもんだから、小島の眉は跳ね上がる。
「そう、うまくいけば、いいがな……そいつに出来るのか?誘導役」
「そりゃあ、最初は上手くいかないさ」とジャンギが割って入り、ベネセを宥めにかかる。
「実戦は慣れだ。君も知っているだろうけど」
ジャンギには素直なのか、ベネセは大人しく頷いた。
「……そうだな。早く新しい戦術を学びたいと思うがばかりに焦ってしまっていたようだ、すまない」
ひとまず喧嘩が回避されたと判って、水木やジョゼもホッとする。
知り合いだからと迎え入れてしまったが、小島とベネセの相性は最悪だ。
どうにか、代理で入っている間だけでも仲良くなってくれるといいのだけど……
「次に、具体的な挑発方法を教えよう。短剣使いは短剣の他に三つの飛び道具を渡されているはずだ」とジャンギに促されてピコが懐から取り出したのは、前にも見せてくれた投げナイフ、吹き矢、丸くてトゲトゲした物体の三点セットだ。
「飛び道具は、どれも牽制に使える。投げナイフはフェイント攻撃、吹き矢は攻撃妨害、撒菱は足止めといった具合にね」
「これ、マキビシっていうのか!」
小島が丸くてトゲトゲしたものを摘んで、イテッ!と顔をしかめる。
摘んだ拍子にトゲを指に突き刺したらしい。
「本来は毒を塗り込んだりするんだが……見習い段階では自爆の恐れもあるし、そこまでしなくていい。ピコくん、短剣使いが短剣で戦うのは間合いに入られた時だけだ。短剣使いの本領は、牽制と誘導にある。華麗な立ち回りで敵を翻弄するんだ。その為にも、まず君が練習しなきゃいけないのは飛び道具の投げ方だ」
意外や地味な結論に、子供たちの目は点になる。
「飛び道具の……投げ方ぁ?」
そんな反応も想定内だったのか、ジャンギは愉快そうに笑った。
「そうだ。牽制の基本は相手の注意を引くことであって、目立てばいいってもんじゃない。飛びナイフを投げつけられたら、否が応にも注目せざるを得ないだろ?吹き矢にしても、そうだ。無視していたら視界を奪われて大惨事になるからね」
ジャンギはピコの真横に立つと、彼から借り受けた投げナイフを片手で構える。
「当てるつもりで投げつけるんだ。本当に当たるか否かは問題じゃない、ナイフに相手の意識を向けさせるんだ」
ナイフを返した上で、ピコへ微笑む。
「といっても、最初は上手く狙えないだろう。相手は動き回るしね。だから、まずはピコくんの牽制練習を重点において模擬戦闘をやってみよう」
英雄に顔を覗き込まれて、距離の近さにピコも緊張しまくりだ。
これまでに自分へスポットが当たった試しが一度もない。
いつも大抵やられ役だった。それもこれも、全ては実力不足のせいで。
「は、はい!」
額に薄く汗を浮かべて緊張しまくりなピコを、小島と水木も励ました。
「大丈夫だよ、ピコくん!上手くいくまで何度も練習しよう」
「牽制が上手く回れば、戦闘も楽になるんだろ?だったら是非ともマスターしなきゃな!」
そうだ、小島の言うとおりだ。
自分たちはチームだ。連携を重視しなきゃ生き残れない。
ジャンギの指導は要するに、そういうことなのだ。
当たり前だというのに、ずっと忘れていた。
いや、忘れていたんじゃない。考えないようにしていたんだ。自分が一番目立ちたいばかりに。
「よ、よぉーし……!やるぞ、必ずやってみせる!」
メラメラと瞳に炎を宿す勢いで叫んだピコへ、すかさず水木の声援が飛んでくる。
「その意気だよ、ピコくん!狙いを定めて集中して投げようっ」
同時にジャンギが号令をかけた。
「では、模擬戦闘開始!」
『シャギィィィ!!』
四方向を囲む形で二匹ずつ配置されたプチプチ草が、一斉に勇ましい鳴き声をあげる。
ピコは、ひとまず前方のプチプチ草二匹へナイフを構えて狙いを定めた。
飛びナイフは、これまで一度も使っていない。
実戦は勿論のこと、武器訓練でも全然練習していなかった。
短剣使いは短剣がメイン武器だと思っていたから、練習をすっぽかしてしまっていた。
ナイフを構える腕が震える。
プチプチ草は、ゆったり近づいてきているというのに、上手く狙いが定まらない。
「ほら、そろそろ投げないと散弾の射程距離に入ってしまうぞ!」
ジャンギの指示が飛んできて、「あわわぁっ」と焦って投げたナイフは、まっすぐ地面に突き刺さった。
「下じゃねーぞ、前に投げるんだ!」との小島の叱咤も、ピコの耳には届かない。
一発で命中させて格好いい姿を女の子たちに見せるつもりだったのに、とんだ失態だ。
否、この期に及んで、まだ目立とうとしている自分にも腹が立つ。
どうして僕は、いつもこうなんだ。
この世で自分が一番目立たないと嫌だから自由騎士スクールに入ったというのに、すっかり輝ける魂に全立ち位置を持っていかれて、今だって牽制を失敗してしまって立つ瀬がない。
チームワークが重要なのは判っている。
だが、それでも僕は目立ちたい。目立つのが原動力なのだから。
「ピコくん、諦めるな!飛びナイフが外れても、まだ二つ飛び道具があるだろう」
せっかくの指示も項垂れるピコの耳を右から左へ通り抜け、代わりにベネセが矢を放つ。
「一度の失敗でへこたれるような奴は戦士になれん!スクールをやめて自給自足の生活に励めッ」
矢はニ発とも見事に前方のプチプチ草を居抜き、断末魔をあげさせる。
その結末を見る事なくベネセは身を翻し、後方の二匹へ狙いを定めるや否や矢を放って、またも二匹仕留めた。
一つ一つの動きに無駄がない。さすが、戦い慣れているだけはある。
すっかり日陰に立たされながら、しかしピコはベネセの動きに見とれてしまった。
すごい。
いとも容易く動く標的に当てられるようになるまで、どれだけ練習を重ねたんだろう。
きっと自分の想像もつかないような猛特訓をしたに違いない。
ナーナンクインで世話になっていた頃は地味でキツめな性格の少女だと敬遠していたが、とんでもない。
冷静沈着に動ける彼女こそ、僕の師匠にピッタリじゃないか。
心なしかベネセの姿が、キラキラ輝いてきたようにも思う。
決めた。
「師匠と呼ばせてくださァァァい!!」
ピコは突如大声で叫ぶと勢いよく土下座して、皆を驚かせる。
「師匠?いや、今は模擬戦闘を真面目にやれ!」とベネセに叱咤されたピコは、キリッと真面目な顔に戻って吹き矢を構える。
「任せてください、師匠!不肖の弟子、精魂込めて修行に努めさせて頂き、ウッ!」
言葉途中で吹き矢を放り出して倒れ込んだ彼には全員が度肝を抜かされて、急遽ジャンギが中止の号令をかけた。
「まずい、うっかり吸い込んでしまったか!エリオットを呼んでくるから、皆はピコくんの様子を見ていてくれ」
踵を返して走り去っていく英雄には、聞く暇も与えてもらえない。
ジャンギの背中とピコを何度も交互に眺めてから、水木や小島、ジョゼも慌ててピコを抱き抱えた。
「ピ、ピコォ!死ぬな、しっかりしろ!!」
「背中を叩いたら吐き出せるんじゃないかな!?勢いよくゲーッしよ、ゲーッ!」
「ピコくん、大丈夫?苦しくない!?喉につまっているようなら、ペッしてちょうだい」
その騒ぎを一人遠巻きに眺め、ベネセは深い溜息をついたのであった。
「馬鹿か……」