HAND x HAND GLORY's


act4 ジロと斬

宿の数だけはレイザース随一を誇るカンサーの事、当日でも泊まれる宿は確かに存在した。
非常にこじんまりした宿で、もっと豪勢なものを期待していた三人には悪いのだが、しかし、元々予定になかった行動だ。
三人には我慢してもらうとしよう。
気になるのはルリエルの反応であるが、彼女は宿でも大人しくしている。
というより、あまり周囲には関心がないようにも見えた。
「ふ〜ん。しょぼい宿だと思ったけど、一応お風呂は露天らしいですよ?マスター」と、宿の案内図を見て騒いでいるのはスージだ。
しょぼいなんてマイナス感想、わざわざ口にせずともよかろうに、素直に言ってしまうあたりが彼らしい。
「露天風呂かぁ〜。混浴?」と尋ねるジロには、露骨に機嫌を悪くしてエルニーが言い返した。
「何を期待なさっているんですの?ジロッ。混浴なわけがありませんでしょう、こんな町中の宿で!」
「そうだよ、ジロ。それに、もし混浴だったとしても入ってくるのなんて年寄りだけでしょ」
スージにも言われ、ジロは肩をすくめた。
「や、別に期待してたんじゃねーって。お約束を言ってみただけだよ」
何のお約束やら、どうでもいい会話を延々入り口で繰り広げる三人に斬も声をかけた。
「お前達は先に、荷物を部屋に置いてこい」
「へーい」
「マスターは?」
「俺は宿主と少し交渉をしておく」
カンサーの宿は一括後払いの首都とは異なり、追加サービスの数で料金も変わってくる。
さらに、それらは前払いを要求される為、最初にオプションを選んでおかねばならない。
一人であれば飯と布団さえあれば充分だと思っている斬だが、なにしろ今回はあの三人とルリエルも一緒だ。
いや、あの三人など、この際どうでもよく。ルリエルだ。彼女を満足させてやらねば。
ギルドの印象云々だけの問題ではない。
恐らく彼女は、ジロが見つけるまで、ずっとあの廃墟に隠れ住んでいたはずだ。
年端もいかぬ少女が不便な生活を強いられる。理由は判らないが、可哀想な話だ。
ギルドに連れてきてからも、彼女が微笑んでいる様子を斬は見たことがない。
楽しいと思える記憶を、ルリエルにも作ってあげたい。
宿に泊まると決めた時から自然と、そんなふうに考えるようになっていた。
「いかが致すネ?」
宿主に問われ、斬は一つ二つ、余計にサービスを追加して宿代を支払った。
部屋は男女別に分けるから、彼女との同室はエルニー一人になる。
大丈夫だろうか。

飯の先に風呂へ行くことになり、斬とジロとスージは男湯の門をくぐる。
「ひゃっほー!見て見て、ジロ!脱衣所、広いね!しかも誰もいないよ、貸し切りじゃんっ」
「おいおい、そんなはしゃぐなよ……みっともねー」
脱衣所には人っ子一人おらず、がらーんとしていた。
こんな脱衣所、見るのは二人とも初めてだ。
ハンターひしめくクラウツハーケンは銭湯も大繁盛で、毎日押し合いへし合い、足を伸ばすスペースもないのが基本だ。
脱衣所に誰もいないのでは、貸し切り状態だと年甲斐もなくスージがはしゃいでしまうのも無理はない。
「……んー。一人入ってるッスね」
ちらっと籠の一つを覗き込んで、ジロが呟く。
誰かの衣類が、乱雑に放り込まれていた。
「一人ぐらいならオーケーオーケー、まだ貸し切りだよ♪」
颯爽とスージが脱ぎだし、ジロと斬も横に並んで服を脱ぐ。
斬が横目で甥を見ると、ジロはタオルを腰元にまいて、モソモソ着替えていた。
「ジロ、それでは着替えにくいだろう。タオルは外したほうが良いのではないか?」
話しかけると「うぇっ!?」と妙な悲鳴をあげ、ジロがタオルを両手で押さえる。
「い、いいじゃねッスか、俺の勝手っしょ?」
「あはは。マスター、しょうがないですよ。ジロは普段の銭湯行く時だって、そんな感じですもん」
けたたましく笑い、スージはニヤリと口の端を歪める。
彼にしては珍しく意地の悪い笑みで、斬は不思議に思った。
「普段の銭湯でも?それはまた、随分と恥ずかしがり屋だな」
「随時覆面オールな叔父さんに言われたくねッス!」とジロが声を荒げる横では、スージがニヤニヤ笑っている。
「体に自信がないのか?」と尋ねる斬の耳元へ、スージが口を寄せてくる。
「自信がないっていうか、ほら、ジロはアレだから、アレ」
アレとはなんだ。
一緒に暮らしているといっても、三食屋根つきを提供しているだけで、斬はジロの裸などマジマジと見た記憶がない。
風呂に行くのも、服を着替えるのも、ジロは自分で出来る子だった。
当たり前だ、引き取ったのは零歳児ではない。十歳である。
十歳にもなれば、友達のスージを誘って銭湯へ行くぐらいは朝飯前だ。
だからジロと斬が一緒の風呂に入るのは、これが初めてになる。
ジロの体か――隠された下半身に俄然、興味を持った。
晒けだされている上半身は貧弱だ。筋肉が、まるでついていない。
かといってスマートなわけでもなく、標準的な二十代前半の肉体だ。
「ジロ、見せてみろ」
「え、何をッスか」
「決まっているだろう。タオルの下だ、お前の全身を見せろと言っている」
「うひぃぃっ!何言ってるんスか?叔父さん、変態ッスか!?」
必死でタオルを押さえて抵抗するジロだが、力の差は虚しく、あっさりタオルを剥ぎ取られる。
慌てて両手で股間を隠せば、その両手まで掴まれて、引きはがされた。
「ギャ〜〜ッ、エッチィー!」
「やかましい、男同士でエッチもクソもあるか」
ギャーギャー騒ぐジロにのし掛かるかたちで、斬はジロの裸体をくまなく見る事が出来た。
貧相な上半身に相応しいものが、下半身についている。
哀れに縮こまったソレは、皮に包まれて恥ずかしそうにぶら下がっていた。
「む……」と言葉を失う斬を、やはりニヤニヤ笑いのままスージが眺めている。
「ね、判ったでしょ?ジロが隠す理由」
「うるせ〜〜!スージ、お前のせいで俺は……ちくしょ〜っ」
ジロはじたじた暴れているが、マウント体勢で斬に乗っかられているもんだから全然動けない。
目元には涙がにじんでいるしで、少々気の毒になってきた斬はジロを解放してやった。
「……ジロ。医者へは早めに行った方がいいぞ」
「うるせッス、変態!!」
ぷんすかむくれるジロの肩を、ぽんぽんとスージが叩いてくる。
「ま、いいからいいから。気を取り直して風呂に入ろ」
「誰のせいで俺がこんな目にあったと思ってんだ、この野郎!」
たちまちジロの眉間には細かい縦皺が寄ったが、スージは意に介さずで、さっさと湯船へ歩いていく。
「もう風呂入る気分なんて削がれたよ、二人のせいで!」
まだむくれるジロを、斬も宥めに入る。
「ジロ、好奇心に負けてすまなかった。お詫びに俺の体を見せよう。笑いたければ存分に笑ってくれて構わない」
「叔父さんの体ッスか?ふん、いっすよ、思いっきり笑って――」
斬がジロの裸体を見るのが初めてなら、ジロも当然、斬の裸体を見るのは初めてのはず。
顔は二人きりの時、既に見せていたから、体を初公開だ。
しかし覆面を取り、黒装束を脱ぎ、下着も脱ぐ頃には、ジロはすっかり大人しくなっていた。
「どうした、ジロ。笑ってもいいんだぞ?」
ジロはぷいっと視線を逸らし、ぶつぶつと文句を言ったっきりだ。
「ずるいッスよ、叔父さん」
「何がずるいんだ」
「自分がそんな立派だから、俺を見て笑うつもりだったッスね。ふんだ。もう嫌いッス、叔父さんなんて」
視線を併せず、すたすた湯船に歩いていってしまうので、斬も慌てて後を追う。
どっかと洗い場の椅子へ座ったジロの横に、斬も腰を下ろした。
「誤解だ。スージが思わせぶりに言うから、つい気になってしまって」
「ふんだ、ふんだふんだっ。聞こえねッス。な〜んも聞こえねッス!」
ジロが、ここまで本格的にふてくされるのを見たのは初めてである。
いつもは駄々をこねてふてくされても、すぐ立ち直るのが彼の長所なのに。
そこまで誰かに下半身を見られるのが嫌だったのか。
軽率に見てしまった己を、斬は悔いた。
「……本当にすまない。どうすれば、許してもらえる……?」
「そりゃ〜当然、俺の好きなお土産を買ってくれたら許してやるッス」
項垂れて問いた直後、ジロのくちからは明るい声が飛び出してきたので斬が驚いてジロを見やると、ジロはニマニマ笑って斬を見つめていた。
「へへっ。引っかかったッスね、叔父さん」
こいつめ。先ほどのふてくされは全部演技だったというのか。
心配かつ反省した自分が馬鹿みたいだ。
斬の心情など知ったことではないといった顔で、ジロが続けて上目線気味に言う。
「これに懲りたら、もう俺の嫌がる真似はするなッス」
斬も、ややムッとしながら応えた。
「そうはいかない。それはそれ、これはこれだ」
「む〜。反省の色なしッスね?じゃあ仕事、ついていってやらねッス」
何が、じゃあなんだ。
言い返そうとした斬は、不意に最もいい反撃を思いつく。
「そうだな、いいだろう。ジロ、お前は宿に残って留守番していていいぞ」
「ホントっすか!?」
「あぁ。今後の仕事は全てルリエルにやってもらう。お前は用無しだから、故郷へ戻ってもらおうか」
途端に「えぇ〜っ!?」とジロは不満の声をあげ、八の字下がり眉になる。
ジロは働くのが何よりも嫌いなくせに、そのくせ故郷には帰りたくないのだった。
だからこそ、この反撃は痛烈に効いた。
「ルリエルは、お前より有能そうだしな。ジロ、お前もそろそろ実家に戻って親孝行してみてはどうだ?」
「うわわ、叔父さん、ご冗談を!チョーシ乗りすぎてゴメンっす、さっきのナシっす!」
二人して洗い場で騒いでいると、ざばっと湯をあがる音がする。
見れば、屈強な体躯の青年が脱衣所へ向かって歩いていくところであった。
「あ……先客、あがってったッスね」
「ようやく貸し切りになったってわけ」と、何処かで髪を洗ったらしいスージがジロの横に腰を降ろす。
「お前さぁ」とジロが言うので、スージも耳を傾ける。
「何?」
「そうやって髪の毛降ろしてっと、マジ女みたいだよな。さっきの人も、お前見て慌ててあがったんじゃね〜の?」
「違うでしょ、ジロとマスターがうるさいから出ていったんだよ」
スージもやり返し、斬は、もう一度、脱衣所へ続く道を見た。
騒ぎすぎてしまった自覚はある。
もし、うるさくて出ていったんだとしたら、悪いことをした。
宿で出会うことがあれば、謝らねばなるまい。
名前も判らない相手だが、手がかりは一つだけある。
出ていく寸前、ちらりと見たのだが、男は左右の目の色が違っていた。
赤と青で。
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