彩の縦糸

無意識とは、意識していない行動だ。
意識しないで行動したことがないと九十九が言うと、照蔵は笑う。
「そりゃあ無意識じゃからの。覚えてなくとも仕方あるまい」
なおも突っ込もうとした九十九を遮ったのは、南樹の冷たい一言であった。
「無意識って言葉が判りづらいの?なら、上の空なら判る?ぼーっとした状態で何かするのを無意識っていうの」
無意識とは意識せずに、ぼーっとすればよいのか。
九十九の一番苦手な行為である。
「練気では、うどんを捏ねよと教わったか。うむ、なるほど。婆様らしい発想じゃ」
何度も照蔵が頷くのを見て、では先輩は違う方法で教わったのか?
南樹も九十九も不思議に思ったのだが、黙っておいた。
きっと素人の自分達と、親が霊媒師の家系では基礎から異なるのだろう。
源太だって言っていたではないか、長門日流では光の玉だったと。
「練気では捏ねるために力を入れただろうが、継続では力を抜け。高めた霊気を無意識に安定させる、それが継続の基本じゃ」
うどんを捏ねる――
集中する動作を行なった上で無意識になれとは、矛盾している。
「難しいです」とポツリ呟く九十九の横では、南樹が判った顔で頷いた。
「安定とは、捏ねたうどんを寝かせる……という事ですか?」
「うむ。その通りじゃ、芳恵は実際に作った事がありそうじゃの」
それには答えず、南樹は脳内で一連の動作を確認する。
高まった霊気を放置する事が安定に繋がるらしい。
しかし集中しないと高まらないのに放置してしまったら、しぼんでしまうのでは?
高まった状態で持続させる、それも意識しないでやれと言う。
今の段階では、集中しないと練気出来ない。
九十九の言うとおりだ。これは相当難しい。
「無意識に出来るようにならんと、術の発動にも影響が出るでの。逐一高める段階から始めておったら、悪霊にやられるのがオチじゃ」
プロは瞬時に高めて短時間で戦う。
如何に霊気の消耗を少なくするかが勝利の鍵だ。
門下生はまず、高めた霊気を安定させる練習が必要だろう。
練気から持続の流れを無意識に出来るようになるまで、何度でも繰り返す。
「迅速に敵を片付けるのが霊媒師の信条じゃ。悪霊に苦しめられる人々を助けるとは、そういう事よ」
一旦話を締め、照蔵は南樹と九十九の顔を見渡した。
どちらの目も真剣だ。
二人とも、正義のためにプロを目指す気満々である。
満足した照蔵は、パンと手を叩く。
「では今日一日、霊気を高めて安定させる修行の開始じゃ!」

言うは易く行うは難し。
練気までは得意なのだが、その後の無意識が上手くいかない。
どうしても何かを考えてしまい、九十九は頭を抱えた。
無意識、上の空というが、何も考えていない日などあっただろうか。
動いていないと落ち着かない男である。
何度目かの失敗で足を投げ出し、ふてくされる九十九に源太が声をかけてきた。
「難儀しとるのぅ。ま、俺もなんじゃが」
源太は個別に光来から制御の方法を習っていた。
あふれる霊気を体内に収める事を指すのだそうだ。
光来曰く、彼の霊気は常に外へあふれ出ているらしい。
制御するには、まず、意識を集中させて封じ込めなければいけない。
その上で安定――ここでも無意識が出てくる。
霊媒師の基礎とは、無意識と意識的の連続だ。げんなりする。
「こういうの、苦手なんだ。何かを考えてないと落ち着かなくてさ」
九十九のぼやきに、源太が乗っかってくる。
「九十九は、いかにも運動系に見えるが何かやっとったのか?学校で」
「登山倶楽部に入っているんだ、大学で」
「ほぉ!大学生であったか。俺もじゃ。となると俺達は同い年かの?」
「今年入ったばかりなんだが」と答えながら、九十九も源太を改めて眺めた。
源太は年齢不詳に見える。
でかい図体に加え、しゃべりかたが古風なせいだろうか。
「新入生か。なら、俺のほうが一年先輩さんじゃの。まぁ、しかし似たようなもんだしタメで構わんぞ」
「なぁ、どうして"じゃ"とか使うんだ?」
話をぶった切って質問してくる九十九へ苦笑すると、源太は律儀に答える。
「あぁ、これは親父殿の口癖でな。俺にも移ってしまったのじゃ」
「ふぅん。あ、ところで源太は大学で何やってんだ?」
「倶楽部には所属しとらん。大学は、ナンパする為に入ったのよ」
ニヤリと笑われ、九十九は呆気にとられる。
自分も目的無しで入ったのだから、他人をとやかく言えないのだが……
無言の九十九には構わず、源太は訥々と己の立場を話した。
「何しろ跡継ぎをこさえとかんといかんのでな、お家存続の為に。じゃが……こうして猶神流に入った今、それは必要なのかと自分でも疑問じゃ」
腕を組み、悩む姿勢を見せる相手へ、九十九は思いきって言ってみる。
「猶神流が気に入ったのか?なら、俺と一緒に猶神流を極めよう」
キラキラした瞳で誘ってくる九十九を見、源太も笑った。
「それもいいのぅ。落ちぶれ家系を存続させるよりも、やりがいがあるわい」
「俺とお前の二枚看板で、猶神流を今よりもっと有名にしてやろう。そうすれば困っている人の目に、もっともっとつきやすくなる。そのうち悪霊に困る人が誰もいなくなるぞ、この国は!」
「その為にも――」と、話に割り込んできたのは光来だ。
「まずは修行、ですね。意識と無意識、これを完璧に会得しなければ」
「それなんですけど」
頭をかいて、九十九が光来を見上げる。
「無意識ってのを意識しちゃうんですが、どうすればいいんでしょう」
「無意識は意識の外で発生するものです。南樹さんをご覧なさい」
言われて見やれば、彼女は微動だにしないで座っている。
目は開いていたが、感情が表れていない。あれが無の境地というやつか。
「あんな状態で敵に襲われたらイチコロじゃの」
源太の呟きに「そうですね」と苦笑しながら、しかし光来は否定した。
「あれはまだ、無意識を意識している状態です。ですから無意識とは少々異なりますね。むしろ無意識とは、何かをしている最中に発生するものですよ」
「えっ?」
逆転の意見に九十九は驚く。
先ほど南樹が言っていた。
無意識とは、何もしないでぼーっとする事だと。
「その解釈は間違っています。そうですね……判りやすく説明するのも難しいですが」
考え込む光来の手助けか、雑談に照蔵も混ざってくる。
「例えば、お主が本を読んでいたとする。その時、本を読みながら近くにあった菓子を口に運んだら、それは無意識行動に当てはまりゃあせんかのう?」
「え……あ、そうか、本を読んでいるのは意識的だけど、お菓子は無意識に口へ運んでいる……?」
「その通りじゃ。意識の外で行なう行動を無意識と呼ぶ」
九十九の頭を撫でくりまわし、照蔵が破顔する。
「しかし二人とも大学生か。そうは見えんのぅ」
「よう言われるわ」と源太も苦笑し、照蔵を見上げた。
「照蔵は学生ではなかろう。オッサンに見えるぞ」
先輩を先輩とも思わない態度には、もう、九十九も突っ込む気力がわかない。
代わりに照蔵が怒り出すのではないかとヒヤヒヤしたが、彼は怒らなかった。
照蔵は「うむ。見た目通りのオッサンじゃ」と頷き、微笑んだ。
「霊媒師になれば学校は中退なり卒業なりしていただきます」とは、光来。
「命に関わる危険な仕事ですからね。二足わらじは原則禁止です」
霊媒師が危険な仕事だというのは、取り寄せた冊子に書いてあった。
悪霊は人間の命を脅かす大敵だとも。
しかし、それでも九十九にはピンとこなかった。
目に見えない存在が、どうやって人に危害を加えてくるというのか。
「俺の両親も死ぬぐらいじゃ。危険なのは、よう判っとる」
うんうんと何度も頷く源太を見、またしても九十九は驚かされる。
源太は二十の身で、もう両親を失っていた。
自分と同じ大学生でありながら、随分と波瀾万丈の人生を送ってきたようだ。
「お前、苦労人だったんだな……」
ぽつりと呟く九十九の目に同情を見つけ、源太は首を振る。
「まだ苦労の一歩手前で佇んどる状態じゃ。ゆえに同情は無用よ。苦労はプロになってから始まる。それも、終わりのない道じゃ」
お主に死ぬ覚悟はあるのか?と源太に聞かれ、九十九は逆に言い返す。
「死ぬ覚悟は、まだ判らない。けど、一つだけ判っている事がある」
「ほう?」
「死ななければいい。死なないほど強くなれば問題ない」
きっぱり言い切った九十九を見、光来と照蔵が感嘆の声をあげる。
「これは頼もしい後輩じゃのぅ!」
「えぇ、近年稀に見ない大物の予感がしますね……!」
先輩二人にべた褒めされて多少恥ずかしくなってきたが、九十九は話を締めた。
「と、とにかく強くなる為にも修行は大切だな。休憩は終わりだ、源太。それぞれの修行を再開しよう」
自分達が雑談している間も、南樹はピクリとも動かず無意識を目指していた。
あの動じなさは尊敬に値する。
きっと普段から冷静な奴なのだろう、南樹は。
彼女も多分、自分と同じぐらいの歳だろうに。
南樹と比べると、自分は落ち着きがないというか、はしゃぎすぎだ。
気を引き締めなおし、九十九は再び練気を始めた。

  
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