十和田九十九が僅か一日で練気を体得したと婆様から聞かされて、光来と照蔵は驚愕した。
素人と侮っていたが、今年の本山門下生は実力派揃いであったのか。
「南樹芳恵の様子は、如何ですか……?」
光来の問いへも、大婆様は満足げに頷く。
「彼女も順調じゃ。九十九ほどではないが、こつを掴んだようじゃの」
「長門日源太の具合は、どうなのです」と尋ねたのは照蔵だ。
あれは霊媒師を両親に持つ者だ。
当然順調であろうといった光来らの予想を大きく覆し、大婆様は多少拗ねたように吐き捨てる。
「あれはまず、だだ漏れておる霊気を何とかする処から始めねばな」
「あぁ……」
何かを察した光来の横では、照蔵が首を傾げる。
「だだ漏れ?」
「そうじゃ、あれの霊気は自身で制御できておらぬ。源太には制御の方法を教えねばならぬようじゃ」
「長門日流では、教わらなかったのでしょうか……」
光来も首を傾げ、すぐさま首を振った。
「或いは、教わる前に両親が没してしまいましたかね」
それは判らぬと大婆様は答えると、弟子二人を見据えて言った。
「本日お主らを本山へ呼び戻したは、しばし儂の代行を務め、彼らを鍛えてやって欲しいのじゃ」
照蔵と光来は声を揃えて尋ね返す。
「どこかへ行かれるのですか?」
「大婆様が動くとなると、厄介事でござりますか」
対して婆様は薄く笑ったのみであった。
「なに、大した事ではない。だが、儂がゆかねば片付かぬ案件でな」
「……どこへ、ゆかれるのでございます」
追求してくる照蔵には短く「山伏協会じゃ」とだけ答え、婆様が立ち上がる。
「出立は明日にする。主らの準備もあろう」
「はい」
「お気をつけて……」
二人の返事を聞くことなく、大婆様の気配は部屋から消えた。
師匠が退室した後も、二人は部屋に残って話を交わす。
「山伏協会と、何の座を囲むのであろうなぁ?」
腕を組み、しきりに考え込む照蔵を光来が窘める。
「千鶴様自らが動かねばならぬ問題では、我らが考えても埒があかないし、何の解決にもなりませぬ。それより照蔵、我々は千鶴様に代わり、あの三人を鍛えねば。ひとまず十和田九十九と南樹芳恵には、練気の持続。長門日源太には制御を教えるという方針で、如何でしょうか?」
尋ねてから気づいたのだが、照蔵は鼻の下を伸ばして聞いていなかった。
しきりに手をワキワキと動かし、天井を見上げて助平笑いを浮かべている。
「……照蔵。婆様の目の届かぬ場所で、みだらな真似は許しませぬよ」
少々きつく咎めただけで照蔵は慌てに慌て、言い訳してくる。
「わ、儂がそのような真似をすると思うてか、尊!儂は婚姻を結んだ相手としか、みだらはせぬと神に誓うておるのじゃ!!」
本当だろうか。怪しい。
十和田九十九に訓練を施す際には、自分も見張っていようと光来は考えた。
九十九と源太と南樹の三人は、大婆様が数日本山を留守にすると聞かされた。
伝えたのは達磨照蔵、それから光来尊の二人だ。
彼らは猶神流霊媒師。
プロとして第一線で働く、九十九達から見れば大先輩にあたる。
二人とも黒衣で現れ、一人運動着の南樹は居心地悪そうに尋ねた。
「修行でも着物を着用しないと駄目ですか?」
「いいえ。お好きな格好で来なさいと大婆様もおっしゃっていたでしょう」
光来が答える横で、照蔵も頷く。
「慣れぬうちは動きやすい服装のほうが良いかもしれん。従って芳恵、お主は良い選択眼じゃ」
初対面で下の名前を呼ばれて、南樹は目を丸くする。
いかつい顔面や図体に似合わず、照蔵は気安い性格のようだ。
「無論、いずれプロになるのだからと今から着物でいるのも間違ってはおらぬ。源太と九十九も、良い選択眼じゃ」
「結局、どんな格好でも良い選択というこっちゃな」
気安い先輩につられてか、敬語を忘れる源太の鳩尾を九十九が肘で突いてくる。
「おい、駄目だったら。先輩なんだし敬語、敬語!」
「構いませぬよ」と九十九を止めたのは、光来だ。
「我ら猶神流に先輩後輩の垣根は、ございませぬ。皆、好きなように振る舞いなさい。我らも無礼とは思わぬ故」
そうは言われても、先輩は先輩だ。
困惑する九十九の肩に手を置き、照蔵が語りかけてくる。
「まぁ、いきなり呼び捨てにせぇと言われても、無理があろう。徐々にで構わん。尊も言うたが、好きなように振る舞うが良いわ」
おずおずと頷く三人、いや源太を除いた二人が頷くのを眼窩に捉え、光来が話を仕切り直す。
「大婆様より、あなた方の修行過程は聞き及んでおります。十和田くん。一日で練気を体得するとは素晴らしいですね。南樹さんも、霊気の高まりが順調だとか……こちらも、素晴らしい。二人には今日から持続の方法をお教えします」
面と向かって褒められて、九十九は勿論、南樹も緊張で固まった。
「は……はいっ!」
ガチガチながらも元気よく返事をする九十九に、光来は目を細める。
初見の時にも思ったが、元気な子だ。
この子なら敵と直面しても、きっと上手く対処できる。
南樹のほうは声も出ないほど、緊張しまくっているようだ。
旅館の娘にしては人慣れしていないのは、女子校育ちのせいか?
「では九十九は儂が見てやろう」
嬉々として一歩前に出る照蔵には、きっちり釘を刺しておく。
「いえ、十和田くんは私が見ます。照蔵は長門日くんに制御の方法を教えなさい」
だが、照蔵も譲らず言い返してくる。
「いぃや、九十九と芳恵は儂が見る。それに制御なら尊、お主のほうが得意であろう?得意分野のある奴が得意なものを教えるのは道理にかなっておる」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
「あ……あの。私達は、どちらでも構いませんよ……?」
気を遣ってか、南樹が、そんなことを言ってくる。
後輩に気を遣われているようでは、先輩も形無しだ。
彼らの前で言い争ってしまったのを恥じながら、光来は答えた。
「では、南樹さんは照蔵が。十和田くんは私も補佐します。それと長門日くん……あなたは私が重点的に見ましょう」
「うむ。よろしゅうな」
やはり一言も敬語を使わず、源太は頷いたのであった。
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