彩の縦糸

其の二

霊媒師としての第一歩は霊力を練る修行から始まった――
が、当然の如く素人には"霊力を練る"と言われても何のこっちゃだ。
霊力とは誰もが体内に持つ"能力"だと、千鶴様こと大婆様は言う。
霊力が高ければ高いほど、強力な悪霊を打ち払えるのだとも教えられた。
悪霊に強さの高低がある事も、この日、九十九は初めて知った。
婆様曰く、霊力の修行とは己の内にある能力を引き出す事なのだそうだ。
どれだけ高い霊力があっても、修行をしなければ何の意味もない。
霊力は練れば練るほど威力が高まるのだ。
「でも」と手をあげたのは南樹だ。
「漠然と気を練ろと言われても、イメージが全然わきません」
「そうであろう」と、婆様も頷く。
「そうじゃな、脳内でうどんをこねる想像をしてみよ」
「う、うどんですか!?」
驚く九十九へも頷き、婆様は微笑んだ。
「霊力を、うどんとして捉えるのじゃ。ただ捏ねれば良いというものでもないぞ?おいしくなるよう、力を込めて念入りに捏ねるのじゃ。全身を使って、全体重を込めて、ふんばりながら、な」
この説明には源太も目を丸くして聞いている。
彼の家の修行では、違うやり方だったのだろう。
九十九は、こそっと源太に耳打ちした。
「お前は、どうやって高めたんだ?」
源太がそれに答えるよりも先に、婆様が源太を呼んだ。
「ちょうどえぇ。お主、ちょいと霊力を練ってみせるがよい」
「はぁ、まぁ、素人が見て判るもんでもないですが、やってみます」
源太は気が乗らないようであったが、それでも南樹と九十九の前に立つ。
瞼を閉じると、小さく息を吸った。
「……ふぅぅぅ」
低い声が、静かに源太の口から発せられる。
ぐっと腰を落とし、両手を握る。
九十九と南樹には、源太が中腰で立っているようにしか見えない。
だが、婆様は「ほぉ」と感嘆の声をあげて、何度も頷いた。
「さすがは長門日家の血筋よ。よく練り込まれておるわ」
「え……えーと、あの?」
全然判らず九十九が何か尋ねようとするのへは、婆様ではなく源太が答えた。
「九十九、お主らは練る練習をやらんとな。気の読み方はその次だ、猶神流でもそうでしょう?婆様」
「その通りじゃ」と婆様。
「霊力を感じるにも、霊力を必要とする。まずは己の霊力を使いこなすところから始めるぞ」
「はいっ!」
「はい」
元気よく九十九が返事をする横では、南樹もクールに頷いた。


婆様が奥へ消えた後も、南樹と九十九の二人は霊気を練る練習に励んだ。
第一歩を既に終えている源太は、婆様の代行を頼まれる。
言わば、助言役だ。
何しろ何もかもがド素人の二人だ。
いきなり脳内でうどんを捏ねろと言われても、何をすればいいのやら。
大体、九十九は、うどんだって捏ねたことがない。
南樹にはあるのか、彼女は床に座り込むと瞼を閉じた。
着物の九十九や源太と違って、彼女だけは運動着と軽装だ。
修行と聞いて、運動するのだと考えたのだろう。
「なぁ、うどんってどうやって作るんだ?」と尋ねる九十九に、源太が応える。
「まずは、うどん粉に水を入れて大きな椀に入れるんじゃ。んでもって、片手でかき混ぜながら、塩水なんかも入れるとエェ。もっさり固まってきたら両手で掴んで、こねくり回すんじゃ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
何かと思えば、九十九は荷物から紙を取り出して書き記している。
「最初は片手で、次は両手で捏ねるんだな?それで、次は?」
「うむ。平たく伸ばしたら棒で持って何度も伸ばしては巻いて伸ばしては巻いて……しかし、九十九よ」
話の途中で名前を呼ばれ、九十九は紙から顔をあげる。
「うん?」
「お主がやるのは、うどん作りではなく、うどんを捏ねる想像ぞ。まずは、両手で霊気を捏ねる想像をしてみぃ。南樹は既にやっとるようじゃがの」
言われて南樹を見てみれば、手をモゾモゾと動かしている。
その動き、まさに先ほど源太の言っていた捏ねる動作ではないか。
「なるほどなぁ。ああやって捏ねるのか。確か、南樹は旅館の娘って言っていたよな」
感心する九十九に、源太も相づちを打つ。
「うむ。家で散々作らされておったのだろう。お手の物じゃな」
「ちょっと、お前で練習していいか?」
「む?」
いきなり何を言い出すのやら、だが嬉々と瞳を輝かす相手には逆らえず、指示されるがままに床へ寝そべった源太のお腹を九十九が揉んでくる。
「こうやって、両手でモミモミッと」
「ぶはは!や、やめぇ、くすぐったいわ、九十九ぉ」
「こら、お前はうどんなんだから動いちゃ駄目だ」
「う、うどんって、俺はうどんじゃ、ぶはははっ」
「ふーん、結構力がいりそうだ。これは難しいぞ」
源太を、うどん粉に見立てての練習か。
うどんに見立てられたほうは、たまったものではない。
くすぐったさに転げ抜けると、源太は改めて助言する。
「本当にうどんを作るとなると力も体力もいる。しかし妄想だから、そこは考えるでない。練るという動作を構築するのが重要なのじゃ。長門日流では、うどんではなく光の玉を大きくせよと教えられたがの」
うどんのほうが判りやすいと九十九は考えた。
光の玉を大きくしろと言われても、光の玉を見た事がない者は、どうすればいいのだ。
その点、うどんなら作ったことがなくても、作り方さえ判れば何とかなる。
「……うん。頭の中で捏ねてみる。協力ありがとうな、源太」
「なんのなんの。礼は、上手く捏ねられた時にでも」
きちんと佇まいを直して正座すると、九十九は南樹に習って目を閉じる。
うどんか。
目の前にあるのは、大きな椀に入ったうどん粉だ。
源太に教わった通り、手元には塩水の入った小瓶も置いてある。
最初は片手で捏ねながら、少しずつ塩水を足していく。
塩水の量は、粉が固まる程度でいいだろう。
そして固まってきたら、両手で力を込めてこね回す。
実際に捏ねたことがないので想像だが、堅いのかもしれない。
婆様だって全身を使って捏ねろとおっしゃっていた。
全体重をかけるように伸び上がり、ぐいっぐいっと捏ねてみる。
足が吊りそうだ。
ふんっと現実でも妄想でも鼻息を荒くしながら、九十九はうどん粉を捏ねた。
捏ねた。
必死で捏ねて、気がついたら現実では夜になっていた。
「……おぅ、すごいのぅ、九十九」
ぽつりと源太の呟く声で現実に戻され、九十九は聞き返した。
「すごいって、何が?」
「お主の霊力が、よ。急激な勢いで高まっておるわ」
「本当に?」
そう言われても、自分では自分の霊力を感じ取れない――
と、言い返そうとして九十九はハッとなる。
今一瞬、自分の両手が白く輝いているような気がしたのだ。
だが九十九が意識した途端、光は消えてなくなってしまった。
「うむ。練気は出来たが、持続がまだまだじゃのぅ。次に教えてもらえるのは、それじゃな。気配を読むのは当分先か」
独り言を呟く源太に、九十九が掴みかかってくる。
「げ、源太、今の光は一体なんだ!? こう、うすぼんやりと光って。俺の身体から出ていたあの光、お前にも見えていたのか?」
「うむ。はっきり見えておったぞ。あれこそが練気によって高められた、お主の霊気よ。霊気は高めれば、己にも他人にも見えるんじゃ」
なんでもないことのように源太には、あっさり断言されて、目を丸くした九十九であった。

  
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