彩の縦糸

無事検定を終えた九十九に後日届いたのは、修行場の案内状であった。
場所は本山。検定を受けた場所でもある。
地方でなくてよかったと内心安堵しながら、日程を確かめる。
修行開始は月頭、つまりは明日だ。
遠足の前の日のように寝つかれぬ晩を過ごした九十九は、翌日張り切って家を出る。
荷物は何もいらないと書かれていたから、当然のように手ぶらだ。
師匠になる人と初めて会うのだし、本当は手土産の一つも持っていきたかったのだけど。


秋に入り多少は涼しくなってきたにも関わらず、本山へ辿り着く頃には、すっかり汗臭くなってしまった。
それもこれも、全部着物のせいだ。
九十九は自分を包んでいる衣服に八つ当たりしておく。
普段は外来着を愛用しているのだが、本日は着物に着替えてきた。
何故かというと霊媒師とは着物が正式の制服だからだ、と取り寄せた冊子には書いてあった。
正確には黒衣。
夏も冬も、それ一枚で通さなければいけないらしい。
夏に黒は暑そうだし冬に着物一枚というのは寒そうだしで、それを初めて知った時には九十九もウェッとなったのだが、やりたい仕事がこれしかないとあっては選択の余地もない。
検定には、うっかり外来着で行ってしまったが、今日からは門下の一員だ。
師匠となる人の前でも、失礼のないようにしなければ。
興奮で高鳴る胸を押さえながら、九十九は本山の奥にある階段を登った。

階段を登り終える頃には、汗もひいていた。
日陰で涼しいおかげだろうか。
目の前の木戸は閉まっている。
九十九はコンコンと気楽に叩いてみた。
「こんにちは!今日から門下入りする者です。猶神さん、いらっしゃいますか?」
すると木戸は、するすると開き、背の高い女性が出迎える。
「いらっしゃい。大婆様なら奥でお待ちでございますよ」
「大婆様、って?」
「……猶神千鶴。我らが猶神流の総帥にて、ござりまする」
弟子は皆、大婆様と呼んでいるのかもしれない。
それと、この人。
黒衣を着ているからには、この人も先輩か。
「判りました。あっ、それと、はじめまして!十和田九十九です」
元気の良い挨拶に女性は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに柔和な笑顔になる。
「これは、ご丁寧に。はじめまして。光来尊と申します」
九十九の上から下まで、さっと目を通し、光来は踵を返す。
「ついておいでなさい。奥へ、ご案内いたしましょう……」
「あ、はい。ありがとうございます!」
はきはきした物腰に屈託のない笑顔。
着物から伸びる腕は、意外や日焼けしていて逞しい。
この子が、照蔵お気に入りの彼で間違いない。
名前は十和田九十九か。
聞き覚えのない苗字故に、一般庶民であろうと光来は見当をつける。
つまりは、まったくの素人だ。
素人の出でも本山修行は珍しくない。資格を取った者も多い。
しかし、今年は長門日の後継者がいる。
彼が自分と長門日家を比べて、腐ったりしなければよいのだが。

今年の検定で本山入りしたのは、九十九だけではない。
他に二人いた。
一人は南樹芳恵。
九十九と同じ一般庶民の出で、老舗旅館の一人娘でもあった。
もう一人こそは、長門日源太。長門日流の後継者だ。
期待の門下生としても、注目の高い青年であった。
「ほっほっほ、よう来たのぅ。まぁ、座れ。順は、なんでもよい」
三人揃ったところで大婆様こと、猶神千鶴が姿を現す。
座布団の上にちょこんと座った、しわくちゃのお婆さんが、そうだ。
背丈は九十九の腰ほども、ないのではないか。えらく小さく見える。
「はじめまして!十和田九十九です」
真っ先に九十九が挨拶し、勢いよく頭を下げる。
続けて源太も挨拶した。
「長門日源太じゃ。つっても俺のことは、よう知っとるみたいだがの」
初対面の年上相手でタメグチを訊く源太に、南樹も九十九も驚いた。
呆気にとられる九十九の横で、内心の動揺を押し隠した南樹も挨拶する。
「……南樹芳恵です。宜しくお願いします」
「ふむ、ふむ、よぅ知っておるぞえ、長門日家。しかし猶神流に入ったからには、儂のやり方で指南しようぞ」
「望むところじゃ」と意気込む源太の袖を引っ張り、九十九が注意する。
「駄目だろ、相手は師匠になるんだから敬語を使わなきゃ!」
「お?そうかそうか。いかんのぅ、つい忘れとった」
怒られて怒り返すかと思いきや、源太は素直に頷き言い直す。
「ほんじゃ改めて。長門日源太、これより猶神流の一員となり申す。猶神流総師範様、これよりご指導のほど、お願い遣わしまする」
佇まいを直し、ぐっと親指をついての正式な会釈だ。
このあたりの作法は、さすが霊媒師を親に持つ者と言えよう。
一方の九十九や南樹には見覚えがないようで、双方ともにポカンとしている。
「え、えぇと、十和田九十九、猶神流の一員と……」
慌てて正座して見よう見まねでやろうとする九十九には、待ったがかかった。
「よいよい、敬語も挨拶も作法も気にせんでよい。お主らの素を見せてくれれば、それでよいわ」
師匠が自ら無礼講でいいと言っているのに九十九と来たら、「でも、師匠ですから!敬うのが当然でしょう」と反論して来るではないか。
きりっと眉毛をつりあげて、どうあっても自分の意見を曲げるつもりはないらしい。
頑固だ。だが、好ましい性格でもある。
「ふむ。ならば、ヌシの好きにするとえぇ」
もしょもしょと、しわくちゃの口元を動かして、婆様も微笑んだ。
「南樹、お主もじゃ。お主も好きにしたらよい」
「はい」と言葉少なげに彼女は頷き、もう一度会釈する。
緊張しているのか、それとも元々こういった性格なのか。
三人の顔を見渡して、婆様が言った。
「さて……本日は初日、顔見せの為に集まってもろうた。修行らしい修行は明日より行なう。解散してよいぞ」
今日は、これで終わりだという。
九十九は多少拍子抜けしたが、師匠の去り際には元気に別れの挨拶を投げかけた。


大婆様が去って、すぐ。
「十和田九十九か。いい名じゃの」
突然の褒め言葉に驚いて、九十九は源太を振り返る。
初見の時にも思ったのだが、恐ろしくでかい。
こんもりしているようにみえるのは、全身を覆う筋肉のせいだろう。
術師になろうというのに、何故身体を鍛えているのか。
不思議に思ったので、直接聞いてみた。
「ありがとう。ところで、長門日くんは」
「源太でエェわい」
「んん、じゃあ源太と呼ばせてもらうが、源太は何で身体を鍛えているんだ?」
「何故、と言われてものぅ。日々家事やら何やらやっていたら、このような身体になってしもうたんじゃ。がっはっはは!」
家事なら一人暮らしの九十九も日々やっているが、小山のような体躯になった事は一度もない。
源太の体格は生まれつきか。
生まれつき筋肉ムキムキの赤ん坊を想像して、九十九はプッと吹き出す。
「なんで笑ったんじゃ?」と源太に尋ねられ、妄想を話すと源太も笑った。
ただ一人、ツーンとすまして笑わなかった奴がいた。
南樹だ。
笑わなかったどころか、こちらを見ようとさえしていない。
そんな彼女にも、九十九は笑顔で話しかける。
「南樹さん。同門同期同士、仲良くやっていこう」
「仲良く?」
「あぁ。いずれプロになったら助け合う場面も出てくるはずだ」
「同業者なら、競争相手でしょ」
ぴしゃりと言い切り、再びそっぽを向いてしまう。
なかなかに気むずかしい奴だ。
せっかく顔は可愛いのに、愛想がないのは勿体ない。
まぁ、同期なのだし、そのうち、きっと打ち解けられる日もくるだろう。
九十九は脳天気に構え、会話の相手を源太へ戻した。
「なぁ、さっきの物々しい挨拶なんだけど。あれって、何なんだ?」
「あれは霊媒師の正式な挨拶作法じゃ。俺の親が教えてくれたのよ」
「お前の親って、霊媒師だったのか?」
「長門日流霊媒師。それが俺の家系じゃ」
源太には胸を張って答えられて、九十九は驚いた。
霊媒師の息子だというのなら、わざわざ余所で修行をする必要もないのでは?
「猶神流に入ったのは何でなんだ?霊媒師の家系なら、そのままプロになれるんじゃあ」
「そりゃあ落ちぶれ流派よかぁ、名うての流派を名乗ったほうがプロになった時の実入りも段違いに違うと思ったんでの」
現実的な答えが返ってきて、二度驚く。
九十九が考えているよりシビアな職業なのかもしれない、霊媒師とは。
南樹も、同業者は競争相手だと断言した。
同門でも容赦のない考え方だ。
だが、それでも九十九は仲良くしたいと思う。
同門だけでも協力しあえる関係ならば、仕事も円滑にいくのではないか。
「ふぅむ。九十九からは高い霊力を感じるのぅ。霊媒師とは無縁の家系のようじゃが、どうやって高めておった?」
九十九の思考は源太の呟きにより、瞬く間に四散した。
「他人の霊力が、お前には判るのか!?」
「そりゃあな。一応、長門日流を継ぐ為の修行ぐらいはしておったし」
「そ、それじゃ、源太は俺達の先輩ってわけだ……」
唸る九十九の肩を、ぽんぽんと源太が気安く叩いてくる。
「じゃが、猶神流には猶神流のやり方があろう。猶神流では俺も素人同然よ。同期相手に畏まる必要はないぞ、九十九」
ちらっと九十九が源太を見やると、源太は温厚な笑顔を浮かべている。
ツンツンして素っ気ない南樹とは対照的に、つきあいやすそうな相手だ。
「ん、じゃあ、これから宜しく頼むぞ、源太」
「おう。こちらこそな、九十九」
二人の男は向き合って、固い握手をかわした。

  
△上へ