彩の縦糸

その日の夜は夢も見ないで、ぐっすり寝た。
翌日の朝食で、源太は九十九に文句を言われる。
「お前のイビキ、ものすごいな」
「そういうお前とて、夜中はカーカー寝息がうるさかったぞぃ」
お互い寝相も寝息も悪かったようだが、寝ている間は意識がないのだから如何ともし難く。
「次から、どこか泊まる時には、お前とは別部屋にしたほうがいいな」
大きく欠伸をかます九十九に、源太も軽口でやりあった。
「おぅ、別部屋取れる金がありゃ〜な」
金銭的に言うなれば次の機会があるかどうかも判らない貧乏大学生同士だが、九十九とは、これからも長くつきあい続けたいと源太は考える。
人生は長いのだ。
この先いくらでも、旅行に出かける機会はあろう。
「一泊二日の海遠出も、今日で終いじゃな」
ぽつりと源太が呟けば、九十九には、からかわれた。
「なんだ、感傷的になっているのか?ガラにもなく」
「ガラにもなくたぁ、酷いのぅ。俺とて感傷的になる時ぐらいあるわい」
「なら、夏にもう一度来よう。今度は照蔵さん達も誘って」
何故、照蔵なんかと来なければいけないのか。
源太が尋ねる前に、九十九は続けた。
「今回は俺とお前の二人旅だったが、大勢で来たほうが、きっと楽しいぞ?そうだな、できれば大婆様や光来さんも誘って」
なかなか出てこない名前に痺れを切らし、源太も付け足した。
「おぅ、南樹も誘って猶神流一派の旅行としゃれ込もうかい」
「ん?源太は南樹と一緒に旅行したいのか?シズさんって恋人とじゃなく?」
九十九には首を傾げられ、勢いで源太も反発する。
余計な気を回されずとも、静とは、いずれ旅行するつもりだ。
ただし、それは無事に結婚できてからだが。
「逆に聞きたいんじゃが、九十九こそ南樹とは旅行したくないのか?今回だって、さりげに彼女だけ留守番だったしのぅ」
すると、九十九は途端に歯切れが悪くなる。
「そりゃあ……未婚の男女が一緒に旅行に出かけるのは、宿を取るにも何をするにも不都合が生じるからな」
ぶつぶつと呟き、じゃあ、と言い直す。
「大婆様と光来さんも無理か。次に海へ行く時は、照蔵さんを誘うだけにしておこう」
「なんで照蔵は外さないんじゃ?」
源太との二人旅では駄目なのか。
クチを尖らす源太を見、九十九は、ぽそっと言い返す。
「……だって、お前泳げないじゃないか」
なるほど。一緒に泳いでくれそうな奴が欲しかったのか。
それは何も照蔵じゃなくても良い。
九十九と向かい合い、改まって源太は切り出す。
「実はの、俺には弟がおるんじゃ」
「へぇ、そうなんだ。やっぱり、お前似なのか?」
「やっぱりって何じゃ?いや、全然似ておらん」
弟の吉敷は歳が若すぎて、九十九の遠泳相手にはならないかもしれない。
それでも照蔵をつれていくよりはマシであろう。友の貞操を守る意味でも。
「今度、道場にもつれてこいよ。どんな顔なのか一度見てみたいし」
興味津々な九十九へは、曖昧に返しておく。
「うむ、そのうちにな」
吉敷は気むずかしい弟だから、実際に道場へ来るかどうかは怪しいものがあった。
「さて、と」
箸を置いて飯を終わりにすると、九十九が立ち上がる。
「向こうに戻ったら修行の再開だ。やり残したことはないか?」
「ないのぅ。じっくり日にあぶられて、健康肌になった事だし」
「お前は、いつも健康肌じゃないか」と笑いながら、二人して部屋に戻る。
大婆様への土産品を幾つか買い込み、列車に乗り込んだ後は、中津佐渡まで一直線だ。
最初の頃こそ他愛ない雑談で盛り上がっていたが、いつの間にか二人とも熟睡してしまい、駅長に揺り起こされて構内に降り立った。
「夕べも、ぐっすり寝たつもりだったんだけどな。また寝ちまった」
こきこき首を鳴らして疲れた顔の九十九の横では、同じく目をしょぼしょぼさせた源太もぼやく。
「寝過ぎで少々ダルイわぃ。九十九は、この後の予定は道場か?」
「いや。大学に顔出した後は、家で疲れを取るつもりだ」
「そうか」
源太とは駅で別れ、九十九は一人、アパートへの帰り道を歩く。
二人だけでの海旅行は楽しかった。
ただ一つ不満を言うなれば、源太がカナヅチであった件だ。
源太とは末永く交流を続けたいと思っている九十九である。
いつか機会があったら、源太の泳ぎを大特訓してやりたい。
そんな野望に心を燃やしながら、自分の思いつきにウキウキして帰路を急いだ。

  
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