彩の縦糸

術は全て教え終わった。
あとは、威力を調整していけばよい。
たった一年で全符術を学び終えた九十九に、大婆様は満足した。
九十九は攻撃の術には驚くべき才能を見せた反面、回復や補助の術は全く見込みがなかった。
だが、一人で全部の術を覚える必要はない。
大抵の霊媒師は、二、三の手数を工夫して使い回していくものだ。
南樹は今、ようやく初歩の傀儡術を学び始めたところだ。
それまでは光来の教えの元、霊体を霊波で押さえつける訓練を繰り返していた。
彼女の学ぶ術は、実際に悪霊を相手にしないと実感がわかないだろう。
いずれ実地訓練を施してやる必要がある。
最後に源太だが――
源太と照蔵の様子を思い浮かべ、大婆様は溜息を吐き出す。
鳴り物入りで入門してきた者が、一番遅い成長になるとは誰が予想しえただろうか。
霊気の高さはダントツだ。
しかし一点集中が、いつまで経っても出来ないとは驚きだ。
彼に足りないのは集中力か、それとも忍耐力なのか。
大雑把な性格は治りようもないから、別の方向で補っていくしかあるまい。


秋が深まり、いてつく空気に肌寒さを感じさせるようになった頃、修行も一段落ついたと九十九が言い出したので、源太は二人旅を持ちかけた。
「俺は普段山にしか行かないんだが、源太には山登り、つらそうだな」
九十九は、じろじろと源太のお腹のでっぱり具合を眺めた後、ぽんと手を打つ。
「そうだ!海に行ってみないか?源太」
「今の季節に?」と源太が訝しむのも無理はない。
今は秋だ。それも、冬に差し掛かっている。
こんな寒い時期に海へ行くなど、拷問でしかない。
さらにいうなれば、源太は泳げない。泳げないのに海へ行って何をしろと?
「嫌なのか?だったら、他に行き先を出してくれ」
そう言われると何も出てこない。
哀しいほど、源太は行楽地に詳しくない。
思いつくスポットと言えば、大抵が街の周辺。
いわゆるデートスポット、歓楽街ばかりであった。
「いや、九十九は何で今の季節に海を選んだのかが気になってな」
言い訳めいて付け足すと、九十九は目を輝かせて答える。
「秋の海は綺麗だって、俺の友達が言っていたのを思い出したんだ。一度見てみたいなって思っていたんだけど、秋は色々とつきあいがあるから、なかなか行く機会がなくて」
今年は雪山も秋の紅葉もキャンセルしてしまって、予定が空いてしまったのか。
だから、源太を誘って海に行きたいなどと言い出したのだ。
「ふむ、では一緒に行こうかの」
頷きながら、ちらりと遠方を盗み見る。
少し離れた場所では、南樹が大婆様に術を学んでいる最中だ。
彼女を誘ったほうがいいのか、否か。
言い出しっぺの九十九が何も言わないのでは、誘わないほうが賢明か。
どうにも南樹に対する九十九の態度が判りかねて、じりじりする。
南樹が九十九に恋心を抱いているのは、もはや明確だ。
南樹を観察していると、よく判る。
彼女の視線は、常に九十九を追いかけているのだから。
九十九は南樹ほど彼女に関心を持っていないように思われる。
ここのところ、彼の脳内をずっと占めていたのは術の修行であった。
そして今、一段落ついたと言って誘いをかけた相手が源太である。
南樹など、ほとんど、いや全く眼中にないといっていい。
もしかしたら、初対面での塩反応が響いているのかもしれない。
あれで嫌いになってしまった可能性もあるのでは?
一人悶々とする源太を、九十九が心配そうに覗き込んでくる。
「どうしても海が嫌っていうなら、山に替えるか……?」
全く違う事を考えていたので、源太の反応は一瞬遅れるが。
「あぁ、いや。秋の海か、悪くない。俺も行ったことがないんでな」
すぐさま取り繕った一言に、九十九の顔からも物憂げな様子は消え去った。
「よし、じゃあ都合のいい日に一泊二日で出かけよう!」
元気よく号令をかける九十九を、南樹がじぃっと見つめている。
一緒に行きたいのなら私も混ぜてと、はっきり言えばいい。
そうしない彼女にも、僅かな苛立ちを覚えた源太であった。

  
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