彩の縦糸

其の四

九十九の符術への飲み込みは、婆様が考えていた以上の速さであった。
彼は新しい布が水を吸い込んでいくように、次から次へと新しい術を覚えていった。
霊媒師は九十九にとって、天職だったのかもしれない。


九十九ら三人が各自それぞれの修行を受けるようになって、一ヶ月が過ぎた。
九十九の隣に立って霊波を的にぶつけていた源太が、それとなく話しかけてくる。
「おう、そろそろ南樹の大学の学園祭じゃが」
南樹の通う大学の祭りへ行こう。
一ヶ月前、そんな約束をしていた。
その時には乗り気な返事をしていた九十九だが、彼は首を真横に振った。
「悪いな、源太。その件なら一人で行ってくれないか?」
九十九が源太との約束を反故にするとは珍しい。
驚いた源太が理由を尋ねると、九十九は両手を握りしめて答える。
「今は修行が楽しくて仕方ないんだ。この感覚を一日たりとも忘れたくない。遊んでいる暇がないんだ」
大学の友人達と計画していた冬の登山計画もキャンセルしたという。
全ては符術修行の為に。
「えぇんか?南樹の大学祭、面白そうなイベントが盛りだくさんじゃぞ」
念を押して誘っても、九十九の返事は変わらない。
「大学祭のイベントも今しか楽しめないんだろう……けど俺が修行で感じている手応えも、今しか感じられないものだ。今を逃したら、もう二度とコツが判らなくなってしまう。だから悪いけど、お前と一緒には行けない。約束やぶって、ごめんな」
じっと真っ向から見つめられては、それ以上の無理強いも出来ない。
真面目な彼が、ここまで修行に固執するのだ。
南樹には可哀想だが、修行を最優先させてやるしかあるまい。
「ふむぅ」
南樹は今日、道場に来ていない。今日も、だ。
学園祭の用意があるとかで、ここ数日、ずっと修行を休んでいる。
南樹は修行よりも大学が大事なのだろうか。
そして、それは九十九よりも?
源太は少し不思議に思ったが、南樹の気持ちは本人に聞かなければ判らない。
そして、彼女が素直に答えるかどうかも。
「そのかわり」と九十九の話は、まだ続いていたようで、源太は耳を傾ける。
「お詫びと言っちゃなんだけど、今の術が一段落ついたら一緒に照蔵さんちへ遊びに行こう」
「んん?」
照蔵の家に行く余裕はあるのに、南樹の大学祭へは行かないのか。
いや、これは時期的な要素が強いのだと源太は思い直す。
今は無理だが、他の季節で源太との約束の埋め合わせをしたい。
そういうことであろう。
「えぇじゃろ、だが、どうせ出かけるんだったら照蔵の家なんかではなく、俺と二人で何処かへ出かけようかい」
「それも、いいな」
二人はニッコリ笑って頷きあうと、雑談を終わりにした。

「素晴らしき成長の速さよな。いやあっぱれ、あっぱれ」
鼻の下を、これでもかとだらしなく伸ばした同輩の横顔を一瞥した後、光来は九十九の様子を遠目に見やる。
大婆様直々の教えを受けられるなど、霊媒師の家系でも滅多にない。
そればかりか、どの術も苦労せずに会得する九十九には内心舌を巻いた。
符術は霊媒師の基本だ。
だが、けして簡単なものではない。
まず、何種類もの呪文を覚えなければいけないし、どれを使うか瞬時に見極める判断力も必要だ。
呪を霊波に変換して符に乗せる才能もなかったら、話にならない。
九十九が霊媒師を目指してくれて良かったと、光来は思う。
この素晴らしい才能が埋もれずに済んだのだから。
我が受け持ちの南樹も、順調に術を覚えている。
彼女は光来が思ったとおり、霊気を読む能力に長けていた。
気配を読むだけなら、九十九の上を行く。
傀儡術は素人の彼女には難しいのではと危惧したのだが、南樹は呪文を覚えるのも向いていた。
ただし、九十九と違って彼女は闘争心が薄い。
そのあたりが問題だが、何度も術を練習すれば克服できる短所だ。
幾多の攻撃呪文を覚えた九十九と、霊を押さえつけられる南樹。
二人が霊媒師になってタッグを組めば、向かうところ敵無しであろう。
もっとも、霊媒師は普段、単独で依頼を引き受ける。
二人が組む機会は、そうそうないと思われた。
「九十九は既に甚平を越えてしもうたかのぅ」
照蔵の呟きに、光来は首を振る。
「いえ、朱雀くんの術は方向性が違います故……」
朱雀甚平も術師だが、攻撃主体の九十九とは異なり補助や回復を得意とする。
九十九は九十九、甚平は甚平で別物として見てやるとよかろう。


今の術と九十九が説明したのは、四神獣召喚の術だ。
本来ならば、修行が終盤に差し掛かった頃に教えてもらえる術である。
召喚と言っても、本当に神獣を召喚するわけではない。
朱雀、青龍、白虎、玄武の四匹になぞらえた術を、四ついっぺんに放つ大技だ。
勿論、今の九十九では熟練の霊媒師に威力の面では叶うはずもないが、呪文を完璧に覚え、的に当てられる。それだけでも驚異であった。
「なまじ余計な知識がないからこそ、覚えられるのかもしれませんね」
ぽつりと呟いた光来の横顔を見、照蔵も頷いた。
「うむ、こいつらを見ていると思い出すのぅ、我らの修行風景を。お主は最後まで四神獣召喚が出来んかったの。芳恵のように失敗しても試行錯誤せず、ビービー泣いてばかりで」
「そういう照蔵こそ初歩の朱雀すら、まともに発動しなかったではありませんか。最後のほうでは先輩諸氏に楯突いて、開き直って見苦しい事この上なく」
なんとなく二人の間がギスギスしてきたところで、源太が照蔵へ声をかける。
「おう、照蔵。俺の練習成果を、そろそろ見てくれんかの?さっきよりはマシになったと思うんじゃが」
源太も一ヶ月前と比べて格段に成長した。
彼は制御を覚えた後、霊波動の高みを、ただひたすらに目指した。
元々霊力の高さには目を見張るものがあったが、さらに上昇した。
抑えた状態からの引き出しの速さには、照蔵や光来をも凌いでいる。
これであとは、正確な狙いを定められれば完璧である。
勢いよく、それこそ根本から的を破壊してドヤ顔な源太を見て、光来は溜息をつく。
「駄目じゃのぅ。一点集中、お主は何度言うたら出来るようになるんじゃ」
照蔵の小言を右から左へ聞き流し、源太は、ぽりぽり顎をかく。
「うぅむ、それが一番苦手での。全部吹き飛ばすんじゃ駄目かのぅ?」
「駄目じゃ。お主は味方まで吹き飛ばす気満々じゃの」
なんべん諭しても、教え直しても、源太の霊波動は大技のままだ。
彼の大雑把な性格そのものと言ってもよい。
照蔵も、呆れて溜息をこぼしたのであった。

  
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