彩の縦糸

部屋に出現した悪霊を退治してもらった後、やっと恐怖と混乱が収まった九十九は二人へ尋ねた。
「あんなの、今まで一度も部屋に出たことなかったのに……なんで、いきなり出たんでしょう?」
「うむ」と、もっともらしく頷いて照蔵が膝を進めてくる。
「これまで、お主は霊と無縁で生きてきた。だが霊媒の修行をするようになって霊気が高まった事により、お主の中での霊感が開花したのだと思われる」
「霊感?」と首を傾げる九十九へは、源太が補足した。
「本来、霊力自体は誰でも持っておるんじゃ。ただし全員が幽霊を目視できるかというと、そうでもない。幽霊を目視できるようになるには、霊感が必要じゃ。ある程度霊気が高い人間には霊感が備わり、幽霊も見えるようになる」
「見えなくても良かったのに」
九十九がぶぅたれると、源太は笑った。
「幽霊が見えなくては、霊媒師として戦う事もできんぞ」
幽霊、それも害をなす悪霊と戦うのが霊媒師の本分である。
霊気を高めれば必ず霊感もつくのだから、霊感の開花は避けて通れない。
「照蔵さんはともかく、源太、お前も冷静だったよな」
照蔵には怒りで煮えたぎっていたように思えるのだが、九十九には冷静に見えていたのか。
「前にも戦ったことがあるのか?ああいうのと」
「いんや」
正直に首を振り、源太が答える。
「戦ったのは今日が初めてじゃ。だが、見たことは何度もあるでの」
「……何度も見れば、俺も慣れるかな……?」
九十九は、しょんぼり項垂れている。
悪霊が出たら、戦えばいい――
前に照蔵から対処を聞かれた時、彼は意気揚々と答えていた。
実際に出会ってみて、全く動けなかった自分を恥じているのであろう。
「九十九、まずは命が助かった事を喜んでおくのじゃ。戦えるようになるには、場数が必要ぞ。そこな源太は心臓に剛毛が生えた男じゃからの。いきなり、こいつと同じになろうとは考えんほうがよい」
照蔵にナデナデと頭を撫でられながら、九十九は考えた。
どうも婆様といい照蔵といい、源太に辛辣なのは何故なのか。
――辛辣なのではない。
ベテランと同格に扱われているのでは、と九十九は思い直す。
源太は元々自分の家を継ぐため、幼い頃より修行していた。
従って今年始めたばかりの九十九よりは、霊媒の熟練者である。
幽霊を見慣れているのも、そうした家系ゆえにだろう。
不意に、先ほどから冷たい風がびゅうびゅう部屋の中へ入ってきているのに気づく。
ぶるっと体を震わせて、九十九は呟いた。
「……さむっ」
戸口を何気なく見やって驚いた。玄関のドアがない。
九十九の視線を追いかけて、源太と照蔵が苦笑する。
「うむ、さっき勢いでドアを破壊してしもうたんじゃ」
なんで、なんてのは聞くまでもない。緊急時だ。
二人がドアを蹴破って入ってきたのは、想像に難くない。
「ドアは明日、儂が直しておこう。しかし今日は無理じゃ。従って儂の家へ泊まりにくるがよい」
じりじりと九十九に迫る照蔵を、ぐいっと源太が押しやって。
「なら、俺の下宿に来たらえぇ。なぁに、静は気の良い女じゃ。九十九が来たとしても、気を悪くしたりせんよ」
源太は女性と同棲しているのだと、この時、初めて九十九は知った。
気兼ねしないから大丈夫と言われても無理だ。
知らない女性のいる部屋なんて、こちらのほうが気兼ねする。
かといって先輩のお宅へ邪魔するのも同様、申し訳ない。
九十九は携帯電話を取り出すと、親しい友人リスト一覧を開く。
「大丈夫ですよ。一晩ぐらいなら泊めてくれる友人が、いっぱい居ますから」
「ほぅほぅ、九十九は友達いっぱいじゃのぅ」
源太が九十九の手元を覗き込んでくる。
リストは男友達ばかりだ。
彼女のいない自分に多少の劣等感を覚えながら、九十九は聞き返す。
「お前は、友達いないのか?」
無遠慮な質問にも源太はニッカと笑い、頷いた。
「お前だけじゃ、友達と呼べるやつは」
「え?でも大学、行ってるんだろ?」
まさかの大学ボッチ宣言に、九十九は驚いた。
源太みたいに気のいい奴、男も女も友達でいっぱいだと思ったのに。
「言ったじゃろ?大学はナンパ、嫁さん探しの為に入ったんだと。んで静が見つかったんでな、ナンパも終了じゃ。大学での友達なんぞ、いらん。いても役に立ちそうもないんでの」
「え〜?シニカルだなぁ。友達って、そういうもんじゃないだろ」
正直な感想をもらした九十九に、源太も苦笑する。
「お前と俺との考え方の違いよ。お前は大学でも霊媒でも他人とは仲良くやりたいと思うんじゃろうが、俺が必要としているのは仕事で上手くやっていける仲間だけじゃ」
「ふぅん」と判ったような、そうでもない顔で九十九は頷くと、さっそく今晩泊めてくれそうな友達へ電話をかけた。
「あ、結城、夜分遅くに電話ごめんな。ちょっとやらかしちゃって、緊急に寝られる場所を……えっ?泊まりオーケー?ありがとう、今すぐ行く。じゃあな!」
見事なまでの三分電話には、照蔵も源太も目を丸くする。
九十九は、こうした一晩かぎりの泊まり常習犯なのだろうか。
日頃の彼を見た限りでは、素行が悪そうには到底見えないのだが……
「随分と早くに話がついたのぅ。いつも、こんなつきあいを?」
源太の問いに、九十九は笑って答える。
「あいつの家、いろんな奴が、いつも泊まりに行ってるんだ。だから一度も泊まった事のない俺でも受け入れてくれるかなって思ったら、案の定」
友達の事を、よく判っている。
大学での交流なんて全員社交辞令のつきあいだと思っていた源太は、再び驚いた。
「九十九は、友達を信頼しとるんかのぅ」
すると九十九は「ん?」と首を傾げ、聞き返してくる。
「だって、友達だぞ?友達なら信頼して当然じゃないか」
だが「じゃあ」と源太の話は、まだ続きがあったようで。
「俺の事は、どう思っちょる……?」
ちらっと上目遣いに心配げに見られ、九十九は微笑んだ。
「もちろん信頼しているさ。だって、もう友達だもんな、俺達」
「お、おう。俺も、お前のことは信頼しとるぞ」
何度も頷く源太の胸を、九十九が軽く拳で突いてきた。
「だろ?だからこそ、お前に電話したんだ。お前なら、絶対俺を助けてくれるんじゃないかって思って!」
テレる源太を置き去りに泊まり用の荷物をまとめる九十九を見ながら、照蔵は、ひっそり考えた。
電話相手に選ばなかった儂の事は、どう思っておるのだろう……と。

  
△上へ