彩の縦糸

修行は上々であった。
熟練者の予想を大きく覆し、この年の門下生が当たりとされるほどに。
南樹と九十九、それから源太の三人は霊波を飛ばす修行に入る。
霊気は、高めただけでは攻撃手段になりえない。
霊気を対象にぶつけて、初めて攻撃となる。
それを成すには、悪霊と出会っても冷静でいなければならない。
「芳恵、九十九、主らは幽霊を見たことがあるかの?」
照蔵の問いに「はい、前に夏休みで……」と手をあげたのは南樹だ。
「まだ子供だった頃、泊まり客が苦情を出してきて。寝る時間になると寒気がするっていうんです。それで霊媒師を呼んで、見てもらっている時に……うっすらと見えたんです。女性の顔が。私、悲鳴、あげちゃって。その時の霊媒師に『あなたは霊力が高いのね』って言われました」
南樹旅館は、この辺りでは老舗だ。
長く続く旅館ともなれば、変死や怪奇現象には事欠かないのではないか。
などと憶測を語る源太に、南樹はムッとなる。
「変死客なんて一度も出てないし。変な噂、流さないでよ」
「すまん、すまん」
「では、その時に霊媒師を目指そうと思ったのですか?」との光来の問いには、南樹も大きく頷いた。
「はい。あの時は、とても助かりました。だから霊媒師って、素敵なお仕事だなっと思って」
変な噂が流れる一歩手前だったという。
宿屋にとって、一番怖いのは風評被害だ。状況如何では悪霊よりも。
「九十九は、どうじゃ」と照蔵に話題をふられ、九十九は首を真横に振る。
「いえ、全然。見たことも会ったこともないです」
「では、霊に出会ったことのない九十九。お主に聞こうかの。もし悪霊に出会ったら、どうする?」
照蔵の問いに、九十九は力強く答えた。
「攻撃します!」
だが、照蔵には口を尖らされ「ぶっぶ〜♪」と否定される。
「えっ?どうして駄目なんです。だって、悪霊でしょう?」
いきり立つ九十九に、照蔵はチッチと指を振った。
「そうじゃ。しかし闇雲に攻撃を仕掛けるというのは頂けぬぞ、九十九」
霊媒師は、すぐ攻撃に出られなければ駄目だ。
散々そう言われて、練気の練習をしてきたというのに。
すぐ攻撃しては駄目と言われても、納得がいかない。
「まずは周囲を確認せねばならん。戦えぬ民間人がいた場合、巻き込む恐れもあるからのぅ。民間人に被害を出していては、元も子もない。我ら霊媒師の役目は、民間人の生活を守ることにある」
「では戦えない人が側にいる場合は、どうすれば……?」
尋ねたのは南樹だ。
照蔵は彼女へも目をやり、腕組みで聞き返す。
「どうすればよいと思う?」
「え、えっと、避難させる……?」
「避難誘導か。だが、それよりも確実な手段があるぞ」
照蔵の言いたいことが判らず、二人とも首を傾げる。
誘導も駄目、先手必勝も駄目と言われたら、何をすれば正解なのか。
答えの出ない二人に焦れたのか、源太が口を挟んだ。
「結界じゃろ?照蔵の言いたい手段ってのは」
「その通り」と照蔵は頷き、ちらと源太を横目で睨む。
「源太は親に聞かされたことがありそうじゃの」
「うむ」と源太も頷き、両親からの聞き伝えを認めた。
「俺の親が生前、よう話しておったんじゃ。街で悪霊と遭遇したら、まずは結界を張れ、と。余計な被害を食い止める為だと言っておった」
霊媒師の間では、常套手段であるようだ。
しかし結界と言われても、素人には何のこっちゃである。
ぽかんと呆ける九十九と南樹へは、光来が説明した。
「結界とは敵と自分を隔離された空間へ遮断する、術の一つです。限られた空間の中では民間への被害も防げますし、大技を使っても、周辺の建物等に被害を出すことは、ありません。ですが……術を覚え初めの貴方達には、難しい手段ですね」
結界を使うには、結界という術を覚えるところから始まる。
まだ術を一つも覚えていない九十九達には、悪霊と戦う事もできない。
今はまだ、民間人と同じレベルだと言われているようなものだ。
「じゃあ、今の俺達が悪霊と出会った場合」
九十九の質問を遮り、照蔵は彼の聞きたい回答を出してやった。
「今のお主らでは荷が重かろう。儂ら先輩に助けを乞え。無理は禁物じゃ」
「あ……はい。判りました」
素直に頷く南樹とは違い、九十九は強気であった。
「え、でも練気を覚えたんですよ?それでも戦っちゃ駄目なんですか」
「駄目というのではなく、危険という話よ」と、源太が宥めに入る。
「俺らは、まだ結界を覚えとらん。下手に戦って負けでもしてみぃ?猶神流の名に泥を塗ってしまうぞ」
「そればかりでは、ありません」と光来も口添えする。
「最悪、命を落とす場合も……いいですか、十和田くん。正義感が強いのは良いことですが、実力を過信してはなりませんよ。あなた方は私達から見て、到底悪霊と戦える実力ではありません」
これだけ諭されても、まだ納得がいかないのか、九十九は首をひねる。
「けど悪霊って、幽霊なんですよね?幽霊と戦って、何をどうすれば死ぬんですか」
源太の両親が依頼で死んだと聞いた時も、不思議だったのだ。
幽霊は生身の人間に触れないし、その逆も然り。
お互い触れないのに、どうすれば危害を加えられるのだろうか。
「色々ございます」
じっと九十九を見据え、光来が答える。
「精神を犯されたり、乗り移られて操られたり……悪霊は、あなたが考えているよりも、ずっと狡猾で残忍です。だからこそ『悪』と名づけられて、退治対象にされているのですよ」
「なんで霊媒師が職業として成り立っているのかを、いっぺんじっくり考えたほうがよさげじゃのぅ、九十九は」
源太にはカラカラ笑われて気分を害したか、九十九はムッと黙り込む。
せっかく戦い方の初歩を覚えたというのに、まだ戦えないとは。
霊媒師の道は一日にしてならず。
だが、これだけ先輩諸氏が口を酸っぱくして忠告してくるのだ。
忠告は真面目に受けたほうがいい。
九十九は、そう考えなおし、素直に頷いたのであった。
「判りました。もし悪霊に遭遇したら、電話していいですか?」
照蔵に言うと、彼も嬉々として受け応える。
「うむ。遠慮なく救助を呼ぶがいい。すぐ駆けつけてやるからの」


こんな会話をして三日ぐらい後に、まさか本当に自分が悪霊と遭遇することになろうとは、この時の九十九には想像もつかなかったのである――

  
△上へ