彩の縦糸

其の三

夏の間は大学も休校していたから良かったのだが、秋に入れば講義が再開し、毎日修行場へ顔を出すのが難しくなってくる。
学生は学業最優先とばかりに、大婆様は学校をサボるのをヨシとせず、講義のある日は修行を強制的に休みとさせられる三人であった。


ぐるりと道場を見渡して、照蔵がポツリ呟く。
「今日は九十九が休みなのか」
「あ、はい」と南樹が頷き、ぽそっと付け足した。
「彼がいないと、道場も静かで寂しいですよね」
「そうじゃのぅ」
一番騒がしいのは源太なのだが、それも九十九がいてこその雑談であり、彼が修行休みの日は源太も大人しく真面目に修行している。
源太は九十九と雑談するのが好きだと言っていた。
内容は霊媒師の仕事から始まり、各々の大学の違いや日常与太など様々だ。
特に霊媒師の話をするのが好きで、素人ならではの着眼点が面白いのだそうだ。
源太は九十九と、だいぶ打ち解けていた。
では南樹は、どうなのだろう。
南樹は、九十九や源太と打ち解けたのだろうか。
時折源太が無理矢理話題を振って混ぜているようだが、自ら話しかけたりはしない。
それとなく、照蔵は彼女に話を振ってみる。
「芳恵は、この道場、だいぶ慣れてきたか?」
南樹は「えぇ、まぁ」と煮え切らない返事である。
「どうした、修行は上手くいっておるぞ。それとも、他に何か気がかりでもあるのかのぅ」
「いえ、気がかりという程ではないんですが……」
源太の様子を一瞥し、彼が一心に修行へ打ち込んでいるのを確認すると、南樹は、ぼそっと小声で照蔵に囁いてきた。
「私、十和田くんに避けられていませんか?」
「んんっ?」となって照蔵が彼女を見下ろしてみると、思いの外、目は真剣だ。
九十九が南樹を避けているかどうかは、照蔵には判断の難しいところだ。
どちらかというと、南樹が九十九や源太を避けているように見える。
そう伝えると、南樹は憂いの表情を浮かべた。
「そんなつもり、ないんですけど……ただ、どういうふうに話しかけたらいいのかが、判らなくて」
「今、儂に話しかけているように話しかけたらエェんじゃないのか」
「それは……」
ふぅ、と溜息を一つ漏らし、南樹は、しばらく一人で考えていたようであったが、やがて面を上げる。
「友達作りに来たんじゃないって思っていても、一人は、やっぱり寂しいです」
「ん、まぁ、そうじゃな。自分から話しかけるのが難しいのであれば、あれを使うがよい」
照蔵がアレと指さしたのは、源太だ。
今は一人黙してあぐらをかき、制御の練習に徹している。
確かに源太が間に入ってくれれば、南樹と九十九の間にも会話が成立する。
しかし源太には聞かれたくない内密の話をするには、どうすればいいのか。
「内密の話、とは?」
深く突っ込んだ照蔵の質問には、かぁっと頬を赤らめて、南樹は言葉を濁した。
「で、ですから十和田くんにだけ伝えたい話題とか、あるでしょう?」
「そう言われてものぅ?儂には、とんと思いつかぬのぅ」
「ですからっ!例えば告白したい時とか」と、言いかけて。
あっとなって口元を抑えた彼女には、照蔵も源太もニヤニヤが止まらない。
――いつの間にか、源太は二人の内緒話に聞き耳を立てていた。
ずっと気になっていたのだ。
いつもクールで修行にも真面目な南樹が、照蔵と雑談なんかしていては。
「ほぅ?ほぅ?芳恵は九十九が好きなのか」
「すっ、好きとか言ってませんし!たとえばの話ですし!?」
声の跳ね上がるさまに、何事かと光来も近寄ってくる。
「何事ですか」
「うむ、恋の予感じゃ」
ウキウキと答える照蔵の側で、南樹が声を張り上げた。
「違います!!仲良くなりたいなぁって話をしていただけでッ」
「そうですか、それでしたら実際にお話ししてみれば宜しいのです。長門日くん、いらっしゃい。そんな離れた場所で聞き耳を立てていないで」
光来に手招きされ、源太がひょこひょこ近づいてくる。
いつの間に聞いていたのだとばかりに目を丸くする南樹へは、軽く頭をさげて謝った。
「すまんのぅ、何しろ俺は野次馬好奇心が旺盛でな。で?いつから好きになっとったんじゃ、九十九を」
「だっ、だから!まだ好きって程じゃないって何度も!!」
ちょっと突いただけで、南樹は顔を真っ赤に唾を飛ばして叫んでくる。
いつも不機嫌な表情を浮かべている彼女からは、考えられないほどの動揺だ。
「おや、恋の話でしたか。ふふっ、青春ですねぇ」
光来は口元に手をあてて上品に笑い、皆の顔を見渡した。
「ちょうど良い機会ですから、お二人にも聞いてみましょうか。あなたがたは十和田くんのことを、どう思っておりますか?」
「はぅっ。光来さんまで!」
まさかの光来雑談便乗に南樹が目をむく横で、源太が答えた。
「俺も大好きじゃ」
「どこが、どのように?」
深く突っ込んでくる光来へ頷くと、自信満々に源太は言った。
「そうじゃの、成長の早い点……つまりは、物覚えの良さがのぅ。ちょっとアドバイスしただけで継続まで物にするたぁ、おったまげじゃ。それに、あんな裏表のない奴も初めて見たぞ。策略渦巻く霊媒師には向いとらんのではないかと思うほどにな!」
「別に策略は渦巻いておらんぞ。戦いにおける作戦は必要かもしれんがの」
源太の間違いを正してから、照蔵も頷く。
「九十九に裏表がないという点は儂も同感じゃ。何事にも真っ直ぐで、よい目をしておる。それに肉体もな、ぐふふ。なんといっても九十九は筋肉が」
「あなたは、そればかりですね、照蔵。たまには筋肉以外の視線でも、後輩を見つめて欲しいものですが」
ぴしゃりと照蔵の筋肉語りを封じ込め、光来の目が壁を見た。
壁には門下生の名札が下がっており、本日休みの九十九の名札は裏返されている。
「正直に言って、彼と南樹さん、あなた方お二人は一年かけて成長すれば上々かと予想しておりました。それが一ヶ月で練気と継続を習得するとは、驚かされました」
特に十和田くんは、と続けて光来が南樹へ視線を戻す。
「気をぬいた状態での無意識を完璧に習得したと、千鶴様より聞きました。今の彼なら術を覚えれば、すぐに使いこなせるようになるでしょう」
「符術って、そんなに簡単なんですか?」
驚く南樹へは首を振り。
「簡単だと、千鶴様がおっしゃっておりましたか……?もし、そうであれば無意識継続を完全に習得していれば、の前提でしょう。南樹さん。あなたはまだ、無意識が所々で途切れてしまいますね。十和田くんを見習って、あなたも時々雑談に興じると良いでしょう」
「は、はい」
雑談していたつもりが、いつの間にか説教に切り替えられていた。
九十九と違って成長の遅い自分に苛立っているのだと南樹は解釈したのだが、実際には違った。
光来も皆と同様、九十九の存在にド肝を抜かされていた。
素人出身の門下生が、今まで居なかったわけではない。
だが、九十九ほど早い期間で継続まで完全習得した者は一人もいない。
霊力検定を思い返しても、彼ほど飲み込みの早い素人は他にいなかったそうだ。
これが、天才というやつか。
努力で才能差を埋めるしか術をしらない光来には、九十九の天性の才能が羨ましく思えた。
九十九と比べると南樹は、規定枠内に収まる範囲の素人だ。
こちらはこちらで育成のし甲斐がある。これまでの教え方で充分であろう。
伸びしろに関しては、三人とも同じぐらいだ。
源太は霊力の初期値が高い。しかし、九十九と南樹には将来性がある。
「さぁ、雑談は、このぐらいにして。修行を始めましょう」
光来に仕切られるかたちで、その日の修行が始まった。

  
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