彩の縦糸

其の九

幽霊を全部片付けられたかどうかは、まだ断言できない。
照蔵の叔父によれば、幽霊は二日にいっぺん出没する率であったという話だから、もう二、三日は民宿に留まって欲しいと照蔵にも頼まれ、一同は、しばし様子を見ることにした。
無論その間の宿代は無償、海の家でも食べ放題だと言われ、却って南樹や吉敷らは恐縮してしまったのだが、照蔵の叔父は気前がよく、もし幽霊が全滅していたと判れば報酬にも上乗せすると言われた。
甚平が心配するほどには、経営も斜め下ではないらしい。
「ぶらっと中一周してみたけどよ、この民宿ってマジで風呂しか見どころねーのな。こんなんじゃ幽霊が出ても出なくても客足に変化ねーんじゃねぇか?」
「ふむ……そこは儂も気になっておった。どんな施設を増やせば良いか、それらの意見も出してくれぬかのぅ?」
「施設のなさより、この浴衣の格好悪さを見直したほうがいいと思うがね」
「何おぅ?民宿といえば浴衣、浴衣といえば民宿じゃぞぅ!浴衣に格好悪いもいいもなし、あれば皆、着るのが当然じゃ」
鼻息荒く浴衣を語られ、文句を言った九十九は閉口する。
今、彼は照蔵の要求により嫌々渋々仕方なく、民宿備え付けの浴衣に着替えている最中であった。
着物の何が嫌って、着替えづらいのが最高に嫌いである。
襟元が余ってだぶっとなるのも嫌いだし、帯が長いと巻きつけるのに苦労する。
股下がスースーするのも、足を広げると下着が見えてしまうのも嫌だ。
仕事では黒衣着用必須だが、出来ることなら着物には一生袖を通さずにいたい。
しかも、今着替えているやつは背中に『梵天温泉』と、この民宿の名前がでかでかと刺繍されており格好悪いったらない。
従って二日目に風呂へ入った後も吉敷と九十九は浴衣へ着替えずにいたのだが、甚平も源太も照蔵も、そして南樹までもが浴衣へ着替えていたのには驚いた。
普段から着物を好きこのんで着ている輩は、見た目の格好悪さなど気にもしないのであろうか。
「ほら、着替えてやったぞ。これで満足か?」
「おぉう、さすがは九十九。うむ、浴衣がよう似合っておるわ」
「似合っているって言われてもな……あんまり嬉しくないんだが」
「何を言う、この外国かぶれめが。この国の男児として生まれたからには、着物の似合う男でありたいものよ」
「そういう考え自体が古いんだよ。吉敷だって、そう思うだろ?」
「えっ!?あ、えぇと、人それぞれではないでしょうか……」
「けど、お前だって着物は嫌いだろ?今だって、お前だけ浴衣を着てないじゃないか。お前だって本音じゃ着物は古くさいと思っているんじゃないのか?」
「それは、まぁ……ですが、世の中には着物や浴衣のほうが好きという人もいます。俺の両親も、旅行へ出かけたら必ず浴衣に着替えていたそうですから」
「よっしーは心が広いのぅ。多様性を認めておるんじゃな。九十九も見習ったら、どうじゃ」
「それを言うなら、お前らこそ外来着を認めろよ」
外来着派は吉敷と九十九の二人しかいないので、やや劣勢だ。
源太は時々外来着でいることもあるが、この最高に格好悪い浴衣を何の疑問もなく着てしまった時点で、もう仲間ではない。
南樹も然りだ。彼女も二日目の夜は浴衣を羽織っていた。
外来着派にしてみれば、なんで躊躇いもなく、この格好悪い浴衣に袖を通そうと考えられるのかが疑問だ。
吉敷の世代ともなると圧倒的に着物派より外来着派のほうが多いものだから、初めて霊媒師や山伏の服装を見た時には時代を感じてしまった。
源太の世代は、ちょうど真っ二つに意見が分かれると思う。
親の代からの着物派と、新しい流行を望む外来着派とで。
九十九は着物でも外来着でも、どちらも似合っているのではないだろうか。
その上で、本人が外来着を好むというのであれば、外来着を着させてやればいいと吉敷は考える。
どれだけ手放しで似合う似合うと褒め讃えられても、本人がちっとも嬉しくないのでは意味もなかろう。
目の前では照蔵と九十九が押し問答している。
「それで?この次は、どうすればいいんだ」
「うむ。その格好のまま、表をぶらり一周散歩してきてもらおうか」
「この格好で外に出ろって言うのか!?」
「そうじゃ。お主には宿の宣伝をしてもらう」
「せ、宣伝……一体何をさせようっていうんだ」
「じゃから、その格好で表を散歩するだけでよいと言っておる」
「それだけで、本当に宣伝になるのか?だったら、お前らが行けば」
「お主でなくては駄目なのじゃ。判ったな?九十九」
「いいや。俺じゃなければ駄目な理由を教えてくれなきゃ、納得できるもんじゃない」
「ふむぅ……つまりな、お主のような男前が泊まっていると判れば来年からは、若い娘さんらも泊まりにくるかもしれんじゃろ?夏の民宿とは、そうしたものよ。誰もが出会いを求めて泊まりにくるもんじゃ」
「お、俺が来年も来るとは限らんだろうが」
「なに、お主本人に会えるとは娘さん達も考えぬ。ただ、この民宿にも見栄えの良い客が泊まっているという情報を拡散してほしいのじゃ」
散々照蔵から見栄えがよいだの男前だのと言われても、九十九は首を傾げている。
無理もない。彼自身が自覚していないのだ、自分の顔が他人にどう見えているのかを。
源太は内心苦笑しつつ、困惑の親友へ助言してやった。
「あまり深く考えんでもよいのではないか?要は、この民宿に人が泊まっていると近辺に判れば良いんじゃろ。気晴らしも兼ねて南樹を誘って、この辺をぶらり一周してくるとエェ。ついでに何か面白い土産ものでも見つけたら、買ってきてくれんかの」
「そうだな……よし、そうするか。ちょっと行ってくる」
「おぅ、ごゆっくりな」
源太に言われ、深く考えずに出ていく九十九の背中を見送って、照蔵が無言で源太へグッと親指を突き出すと、源太も無言で親指を突き出し返す。
彼らの企てた夏のあばんちゅうる大作戦は、まだ続いていたのであった。
もしかしたら九十九は、もう忘れているかもしれないが……


外へ出る前に南樹の部屋へ立ち寄って、襖を軽くノックする。
「どなた?」と声が返ってくると同時に襖が開き、浴衣姿の南樹が現れたかと思うと、驚いた顔で九十九を眺め、言葉をなくしているものだから。
様子のおかしさに気づいた九十九は、怪訝に眉をひそめた。
「どうした。俺の格好が、そんなにおかしいか?」
「え……あ……う、うぅん……ドッ、ドキドキしちゃって」
「は?ドキドキって何が」
「う、うぅん!何でもないのっ。珍しいね、十和田くんが浴衣着ているのって。そういうの、絶対着ないかと思ってた」
「まぁな。普段なら絶対着たくないんだが、照蔵が着ろ着ろってうるさいから着てやった」
「あ……そ、そうなんだ。で、でも、格好いいよ?いなせに見えて」
「いなせ、ねぇ……まぁ、それはともかく、今、外に出られるか?」
「えっ、どうして?」
「この辺りを、ぶらっと散歩でもしてこようかと思ってな。一人でいくのもなんだし、お前と一緒に行こうかと思ったんだが、嫌なら」
「い、いくっ!行きます!!今すぐ行こう!!!」
がしっと腕を掴んで、早足に歩いていく南樹に引きずられるようにして、九十九も廊下を早足に通り抜け、玄関から表に飛び出した。
勢いで腕を組んでしまったと南樹は外に出た後で気づいたが、離すのも惜しい気がして、腕を組んだ状態で細道を歩く。
一方の九十九は振りほどこうかどうするか悩んだのだけれど、岩場での南樹の言葉を思いだし、そのままにしておいた。
彼女は言っていたじゃないか。九十九とイチャイチャしてみたいのだ、と。
「依頼後って言ったけど、様子見の間でも出来るんじゃないか?」
「えっ?何が?」
「俺とイチャイチャするって約束さ。言っただろ、俺は約束を守るって」
「あ……」
「まず、何からやる?そういや以前、揃いの服が着たいと言っていたが」
「あっ、それは、もういいの!もう、かなったから……」
「かなったって、いつ?」
「い、今……」
確かに今、南樹も九十九も民宿備え付けの浴衣を着ているから揃いっちゃ揃いの服ではあるが、いいんだろうか、こんなんで。
しかし彼女は頬を赤らめて喜んでいるようでもあるので、わざわざ否定することもあるまい。
頭上を仰いでみれば、真っ青な空には入道雲が浮かんでいる。
外来着では汗を拭いても拭いても暑く感じられたのだが、意外や浴衣だと暑くないんだと九十九は気づく。
だがすぐに、暑くないのは服のおかげじゃない、この小道が日陰に入っているからだと思い直し、己のうちに芽生えかかった浴衣への尊敬を打ち消した。
「海沿いだから暑い風が吹いているのかと予想していたが、案外そうでもないんだな」
「そうだね。中津佐渡と比べて、蓬葵野のほうが涼しいみたい。不思議だね」
そう言って、にっこり笑った南樹が眩しくて。
改めて二人っきりなのだと意識した途端、己の動悸の高まりを九十九は感じる。
まずい。頬が火照ったり、表情に出ていないと良いのだが。
南樹とイチャイチャしてみたい気持ちは、九十九にもある。
しかし彼は同時に意地っ張りでもあったから、周りにその気持ちを悟られるなんて絶対に嫌であった。
皆に冷やかされたり鈍感だと罵られた時だって、嫌だったのだ。
誰かに恋愛指南されるほどには内気でも奥手でもないつもりだし、これは自分達の中でだけ起こっている恋愛なのだから、ほっといて欲しいとも思う。
向こう側から歩いてくる人影を見つけ、九十九は反射的に組まれた腕を解くと南樹の手を握ってやった。
腕を組むよりは手を繋いだ方が目立たない、と考えて。
いきなり振りほどかれて驚いたのは南樹だが、すぐに手を握られて、そして反対側から人が歩いてくるのにも気づいた時には、九十九の性分をも思い出して、くすりと苦笑する。
ふと自分に注がれる視線を感じて見上げてみると、きまりの悪そうな顔を浮かべた彼と目があった。
「子供じみていると思っただろ」
「うぅん。ただ、ちょっと恥ずかしがり屋だなぁって」
「恥ずかしいってわけじゃない」
「なら、どうして腕から手に替えたの?」
「……手を握るほうが好きなんだ。腕を組まれたんじゃ、俺がお前を掴めない」
ぽつりと呟かれた彼の本音を何度か脳内で反芻するうちに。
もしかして腕を組んで喜んでいた自分よりも、九十九のほうがずっと積極的なんじゃないかとの考えに至って、南樹が頬を紅潮させる頃には。細く続いていた道から大きな通りへと出た。
道の両側には数多くの土産物屋が並んでいる。
土産を物色しているのは浴衣に身を包んだ人ばかりで、ここらは近辺の民宿に泊まった人々専用の商店街となっているのであろう。
土産物屋の出先に並べられた簪を手に取り、九十九が南樹の髪の毛へ、それこそ予告もなしに挿してくるもんだから。
南樹は、またしても自分の心臓が破裂するんじゃないかと思うぐらいの衝撃を受ける。
過去に自分がどれだけ恋人めいたことを提案しても絶対に首を縦に振ろうとしなかった、あの九十九が、実にさりげなく恋人っぽい真似をしてくるなんて!
「似合うな」
簪を髪に挿してきたばかりか、にっこりと自然に男前な笑顔を向けてくるもんだから。
南樹は感激で魂が天上まで抜け出るんじゃないかとドキドキして、ぎゅぅっと彼の手を握りしめる。
昇天するのは、まだ早い。もっと、この瞬間に居続けたい。
簪の赤い酸漿の飾りに負けないぐらい頬を真っ赤に染めて俯く南樹を見下ろし、九十九は素直に彼女を可愛いと思った。
初めて道場で出会った時も、彼女を可愛いと認識していた。
しかし修業時代の南樹は実につれなく冗談を言ってもニコリともせず、いつも冷たい視線と口調とで返された。
だから、嫌われているのだと勘違いした。
本当の南樹は自分が考えていたよりも、ずっとずっと恥ずかしがり屋だったのだ。
もっと早くに、こうなっていれば、或いは運命も変わったのだろうか?
九十九は少し考え、緩く首を振る。
否。
たとえ恋人同士になっていたとしても、あの依頼での惨事は避けられなかっただろう。
奴らが猶神流の滅亡を狙っていた限り。
「待っているからな」
「……えっ?」
「お前が全て吹っ切れるのを。その時は、俺に伝えて欲しい。俺は必ず、お前の希望に応えてみせる」
「……うん。あの、あのね、実は、もう」
――もう、あの件は自分の中で吹っ切れている。
勢いに任せて本音を吐こうとした瞬間を狙ったかのように、プァーと大音量の笛の音が町中に響き渡り、正午の時刻を知らせた。
告白を邪魔されて密かにむくれる南樹には気づかなかったのか、九十九が帰路を促してきた。
「飯食いに戻るか。午後は他の奴らも誘って海水浴としゃれ込もうぜ」
「か、海水浴……え、皆も誘うの?二人っきりじゃなくて?」
「ん、二人っきりがいいのか?けど、二人だけの海水浴ってなァ案外寂しいもんだぞ」
言い切られてしまっては、二人きりがいいですと言い張るのも難しい。
恋人との時間よりも友達との楽しさを優先してしまう処が、まだまだ子供っぽいのだ、九十九は。
だが、そういう処も含めて彼を好きになってしまったのだから仕方ない。
「……じゃ、帰ろっか。午後は皆と海水浴ね。あ、ついでに西瓜割りもしよう」
「おう。じゃあ帰る前に、これを土産に買ってくか。おーい、店員さん!」
引きつった笑顔を浮かべつつ、南樹は、彼女にしては素直に九十九の言葉へ頷くと。
先ほど髪に挿してもらった簪を、これまた予告なく気軽に「お前にやるよ。大切にしてくれよな」とプレゼントされて、言葉もなく真っ赤になって九十九の後をついていった。

  
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