彩の縦糸

其の八

その夜は、ぐっすり安眠できた。
幽霊も出る日と出ない日があるらしい。
尤も、ぐっすり眠れたのは前日の疲れもあったのだろう。
源太のイビキで目覚めることなく、快適な朝を迎えられたのは。
吉敷は皆と一緒に朝食を取り、一旦部屋へ戻った。
南樹も男部屋に集まっている。
「で、どんな変身がお望みだ?」
「一人二人程度の男に引っかけられそうな、そんな顔の女で頼む」
「なんだ、地味な注文だな。どうせなら絶世の美女か薄幸の美少女ってのにしちゃ〜どうだ?」
「いや、それだと無関係な男性まで巻き添えにする可能性が出てくる……他人が混ざってくると、こちらの芝居にもボロが出かねんし、地味めにしてくれ」
「あいよ」
九十九に頼まれ、甚平が幻術を彼にかける。
幻術は、対象に仮初めの姿と声を被せる術である。本当に変身させるわけではない。
甚平は九十九の額に符を押し当て、小声で呪を唱える。
吉敷達の見ている前で九十九の姿が一、二度ぶれたかと思うと、やがて太い眉以外は元と似ても似つかぬ姿が、そこに写し出された。

短めの、ふわっとした髪型。
小柄な撫で肩で、水玉模様のトップパンツに収められた胸は小さめ。
強気な瞳ではあるものの、きつそうな印象も受けない。
言ってしまえば、どこにでもあるような顔だろう。
声は、やや高め。太い眉毛から吉敷は不意に源太の嫁、静を連想した。
そして静を思い出したのは、吉敷だけではなかったようで。

「……よし。それじゃ作戦を説明するぞ。まず、俺が浜辺で"彼氏が欲しい"といった願望を叫びながら、海の家に来る。そこで源太、お前が俺を岩場へ誘い込め。岩場でイチャイチャしようだのと抜かしてな。もちろん、本当に何かする必要はないぞ」
「うむ、かわいいのぅ」
「源太?」
「いやはや、元が九十九とは思えぬほど、かわゆいではないか」
「源太、俺の話を聞いているのか?」
源太は何度も顎を撫でて、九十九を褒め讃えている。
吉敷が前に回って兄貴の顔を見てみれば、デレデレと実にだらしなく鼻の下が伸びきっているではないか。
それはまさしく、静とイチャイチャしている時の表情そのものである。
「こう、ぎゅっと抱きしめてしまいたくなるのぅ。実にかわゆい」
「まったくじゃ。ナンパ相手が源太、お主だけとは勿体ない。儂も混ざりたいぞ」
「かわいいって、おい、甚平。俺の注文通りの顔にしたんじゃなかったのか?」
「おう。注文通り、地味女にしといたぞ」
幻術は本人には見えない。故に、源太の反応に九十九は首を傾げる。
だが可愛いと喜んでいるのは源太と照蔵だけで、甚平や南樹は呆れている。
吉敷も然りだ。幻術の九十九は、そこまで褒めるほど可愛いとは思えない。
「なんだか、不安になってきたな。ナンパ相手は吉敷と交代してもらうか」
「いや!ナンパ相手、俺が務めて進ぜよう。して、仮の名前は何とする?」
「あぁ、そうだな……じゃあ、鈴で」
「すずか、判った」
「鈴って、どっから出てきた名前だよ?」
「どこでもない、今適当に思いついた名前だ」
「一人称は?一人称も、俺じゃ変でしょ」
「あぁ……じゃあ、まぁ、"ボク"で」
「ボクゥ〜?そこは、私じゃねーのかよっ」
「私は、ちょっと言いづらいというか、テレくさいんだよな……」
「なんでだよ?仕事でも使ってんだろーが、私ってなぁ」
「男の身で言うのと、女の格好で言うのとじゃ違うんだよ、気分が」
訳の判らない本人の拘りも含めて、着々と"鈴"の設定が決まってゆく。

――ボクは鈴。この夏こそ、彼氏を作るために海へやってきたんだ。
彼氏を作って、めっちゃイチャイチャした〜い!
もう、この際だから顔はどうでもいいよね!
男なら何でも有り。
ナンパしてもらうために、お小遣いで水着も奮発しちゃった。
誰か声かけてくれないかな〜、ワクワクッ。


「えぇー……どういう女の子なの、それ」
「幽霊は男にふられて死んだんだろ?そして女に乗り移っては、逆ナンパしている……つまり、恋愛に興味のある女じゃなければ乗り移らないってことだ」
「そ、そぉかなぁ……」
「現に南樹、お前だって乗り移られた時は俺に迫ってきたじゃないか。お前は俺とイチャイチャ」
「わーーーーっっ!!!!!」
「ほぅ?イチャイチャとな?その辺詳しく?」
「ほぅ?ほぅ?なにやら大声で聞こえなかったのぅ、九十九もう一度言ってくれぃ」
「も、もう、いいから!作戦開始しよっ!!」
頬を真っ赤に火照らせた南樹の号令で、幽霊呼び出し大作戦は始まったのであった……


浜辺を歩いていくのは九十九、もとい、鈴一人だ。
源太は先に海の家で待ちかまえている。
源太以外の面々も海の家に集まって、遠見の術を用いて様子を見ることにした。
遠見の術は、遠くに離れた相手の様子を探るに適した術である。
まだ時刻が早いせいか、浜辺には誰もいない。
鈴は海に向かって、大声で叫んだ。
「あ〜っ!カレシが欲し〜〜いっ」
遠見の術で見ている吉敷と甚平と南樹は、少々ドン引きだ。
「カレシが欲しいって直球で言うのかよ……」
「最初の説明、要約かと思ったよね」
「あれで幽霊は引っかかってくれるのでしょうか……」
「ぬぅ。九十九め、言ってくれれば儂がカレシになってやったのに」
「や、テル、ありゃあ演技だから、演技演技」
鈴は砂浜にしゃがみこみ、両手で砂を盛り上げる。
ちらりと遠目に海の家を見たが、海の家は、まだ閑散としている。
しばらく時間潰しが必要だ。
もう少し客が集まってからのほうが、ナンパにもリアリティが出てくるはずだ。
「いつかボクにも、すてきな殿方が現れるといいんだけど……そしたら、二人で白い家に住んで、終生愛し合って暮らすんだぁ〜」
両手を組んでキラキラと輝いた瞳で水平線を見つめたりなんかして、鈴は結構ノリノリである。
吉敷は九十九の性格が判らなくなってきた。
傍らでは、先輩陣がツッコミを入れている。
「白い家で終生仲良く暮らすのが夢だとよ。南樹、ちゃんと覚えとけよ?」
「え、演技でしょ、演技」
「子供は、やはり五人ぐらいが適当かのぅ」
「いやぁ、あいつのことだから子供は要らないんじゃねーか?二人で終生ラブラブするのが理想だろ」
「も、もうっ!静かにしなさい、二人ともっ」
鈴が、ぶらぶらとこちらへ歩き始めたので、四人は雑談をやめて厨房の準備を始める。
三人で連れだってきた男性客には、南樹が注文取りに向かった。
さらに三、四人ほど女性客が入ってきて活気づいてきた処へ、鈴が来店する。
「いらっしゃいませ」と声をかける吉敷へ頷くと、鈴はスミッコの席へ腰掛けた。
と同時に、源太が席を立つ。
「ヘイ、そこの素敵なお嬢サン。俺と一緒に夏の思い出を作らないかィ?」
「素敵なお嬢さんって、誰のこと?」
「キミに決まっているじゃないカ、お嬢サン!」
歯を見せて格好つけて笑う源太には、さしもの鈴も笑顔が引きつっている。
厨房では甚平がジト目で突っ込み、注文を伝えに来た南樹も、それに応える。
「なんだよ、あのキャラ付け」
「なんで無駄にさわやかなの?」
皆が不安げに見守る中、源太と九十九の三文芝居は続けられた。
「お嬢サンの美貌は、俺の心臓を鷲掴みにしたんだ!そう、俺の心がキミと恋に落ちたいと願っている」
「うわぁ、そんなに熱烈に誘われたら、ボク困っちゃう……」
「お嬢サンは、どうだィ?俺のような男は、お嫌いカナ?」
「うぅん、とっても好みかも……でも、どうしよう。突然すぎて、どうしたらいいのか判んないよぅ」
「ふふっ、そんな恥ずかしがり屋なところも、とっても可愛いネ!」
「可愛いだなんて、そんな」
「可愛いコを可愛いと言って、何が悪いんだィ?キミは俺の理想像だヨ!」
「なんでか神経にイラッとくるんだよな、ゲンの設定は」と甚平がぼやく斜め前で、九十九を異変が襲う。
やたらテレまくる演技をしていたはずが突然ビクッと体を震わせたかと思うと、急激にとろんと瞼が下がり、息が荒くなる。
源太を情熱に潤んだ目で見つめた。
「そこまで言うなら、乗ってあげても、いいよ……?」
「おぉう!本当かィ?お嬢サン」
「うん……岩場、いく?」
「是非にも、是非にも!行こうではないカ、お嬢サン。おっと、その前にお名前を教えてくれるカナ?」
「九十九、だよ……」
えっ?となって、思わず全員が伸び上がる。
幻術中は、鈴という偽名で通すはずではなかったのか。
それとも幽霊に心を読まれる等して、本名がバレてしまったのか。
だが、それならば九十九の性別も同時にバレるはずである。
なのに、九十九は未だ憑依されたとしか思えない態度を見せている。
吐く息は荒く、源太を熱っぽい視線で見つめあげる。
「お、おい、あいつら岩場に行っちまうぞ。どうする?」
「今すぐ追うのは、まずかろう。まずは遠見で様子を見るのじゃ。もし九十九の身に危険が迫ったとなれば、全員で駆けつけようぞ」
「こっから駆けつけたとして、間に合うのか?」
「判らぬ。しかし我々が一緒に動けば、幽霊も奇妙に思うであろう」
照蔵らが見守る中、源太は嬉々として九十九の肩を抱き、岩場へと歩いていく。
ここからは遠見の術に切り替え、四人は引き続き様子を探った。
岩場に到着した二人は、さっそく源太が腰を下ろして、九十九を後ろから抱きしめる。
「可愛いのぅ、可愛いのぅ」
「もう……そんなに胸ばかり揉んで。そんなに、おっぱいが好きなの?」
「うむ、好きじゃ。食べちゃいたいほどに!」
九十九の胸を揉みまくる源太を、四人は呆然として眺めた。
「おい、素に戻ってんじゃねーかゲンのやつ」
「あの無駄なさわやか演技は、一体何だったのかしら……」
「いや、それより!儂に断りもなく九十九の胸をモミモミするとは言語道断ッ。源太め、演技に身が入りすぎであろうッ」
「お前だって昨夜モミまくってただろーが、風呂場で」
「あれは按摩じゃ!卑猥な意味ではなく、あ・ん・ま・じゃ!!」
「それより"儂に断りもなく"って、どういう意味!?」
「先輩方、喧嘩している場合ではありません!十和田先輩がっ、先輩の様子がおかしいです!」
吉敷の悲鳴で我に返った先輩三名が見たものは、源太と向き合って首に両手をまわし誘惑する九十九の姿であった。
「いいよ……源太になら、全部あげてもいい……」
「では遠慮なくっ」
「んッ……源太、源太、好きぃっ」
「むほぉっ、ちっぱいというのも、これはこれでっ」
「源太……源太、ボクを滅茶苦茶に犯してェッ」
胸に顔を埋めてスリスリする源太を、九十九は両手で力いっぱい抱きしめる。
ハァハァと呼吸を荒くし、小刻みに体を震わせる。感じているのだ。源太の動きに。
一方の源太は正気のはずなのだが、どうしたことか演技の枠を乗り越えて、こちらも正気を失っているように見える。
いくら幻術の顔が静似で好みだからといっても、あれは彼の親友、男なのだ。
「ちょっ、待て待てぇ!これ、やべーって、ツクモ完璧乗っ取られてんじゃねーか!」
「うむ、このままでは源太と九十九で一夏のあばんちゅーるが完成じゃぞ!」
「そ、それはちょっと!?」
「止めましょう、全力で!」
あまり想像したくはないが、もし最後まで致してしまうような事故が起きたら、正気に戻った時が悲惨だ。
誰が悲惨って、そりゃあ決まっている。九十九が、だ。
幽霊から理由を聞き出す役目の源太も役立たずっぷりを発揮しているし、やはり誰かが間に入ってやらねばなるまい。
注文を受け付けてしまったがばかりに、甚平は焼きトウモロコシから手が離せない。
「いけ!とにかく手空きの奴は全員行って、ゲンを止めろォ!」
叫ぶ彼の声に背中を押されるようにして、吉敷と南樹、それから照蔵も飛び出した。
「オイィッ!手空きって言っただろォ!?全員行くやつがあるかァ」と仰天する甚平には悪いのだが、誰もがジッとしていられなかったのだ。


岩場に到着するや否や、照蔵の拳骨が源太の頬を力いっぱい殴りつける。
折しも源太は九十九の上にまたがって、水着を脱がそうとしていた処だったのだが、実に間一髪であった。
「ブフォッ!!」と叫んで吹っ飛ぶ源太など見もせずに、照蔵は九十九の肩をユサユサ揺さぶった。
「こんなことで己を捨ててはいかん!もっと己を大事にするのだ、娘さんよッ」
「何するのっ?ボクは源太と思い出を作る予定だったのに」
「たわけ!海の家で誘いをかけてくる者など、皆、やるだけやってポイする外道ぞ!お主には、お主を大切にする男こそが、お似合いである!」
「そんなこと言って、あなただってボクを狙っているんじゃないの……?」
九十九に股間を撫でられて、照蔵が「くぅぅっ。かわゆいことをしても、無駄じゃあ」と、せつない声をあげるのを眺め、身を起こした源太は腹を立てる。
幽霊め、九十九にあんな汚いものを触らせるとは言語道断。
というか、一体どこまで此方の交流関係を知ったのか。
九十九の話によると、南樹に憑依した時、幽霊は南樹が過去、九十九に揃い衣装を断られた件まで知っていた。
つまりそれは、彼女の心が幽霊に読まれたのを意味している。
ならば照蔵の心のうちにある九十九へのやましい下心を知っているのも、九十九の心を読んだからか。
だが、それだと九十九は照蔵の下心に気づいているという結論になるのだが、風呂場での彼は微塵も、そうは伺えなかった。
いや、九十九が気づいていないというのは、長年の親友である自分が断言できる。
「儂は!恋人でもない者に、みだらな真似などせぬッ。みだらがしたければ、婚姻で身を固めた上でする男ぞ!!」
「ふぅん……でも、昨日お風呂でボクの胸を揉んだのは、なんだったの?」
「あれは!按摩じゃ!あーんーまーじゃー!!!」
「……ふん。世の中の男なんて、全員やるだけやってポイする外道だよ。あなたがそうじゃないって証拠は、あるの?」
「あるわ!達磨くんは旅行でも合宿でも、一度も女性に手を出したことがないもの!」
「一度も?でも、あなたの見ていない場所で襲ってたんじゃないの?」
「その女性ってのは、私よ!だから間違いないわ!!」
南樹と照蔵の無茶論を呆然と聞き流しながら、吉敷は九十九こと鈴の表情が次第に納得しかかっているのに気づいた。
はからずも、照蔵の存在が"男はケダモノばかりではない"というのを証明することになりそうだ。
幽霊が女性へ乗り移る理由も、今なら朧気に判る。
彼女は、男を試したかったのだ。
自分をポイした男のように、世の男達も外道なのか否かを。
「ボクも……生きているうちに、あなたみたいな人に会えたら良かった」
「なに、大丈夫じゃ。輪廻転生すりゃあ、会えるに決まっておる」
「輪廻転生……ボク、また人間に生まれ変われる、かな……?」
「その気持ちがあるなれば、必ず生まれ変われる。儂が太鼓判を押そう」
「ふふっ……あなたの思い込みが、なんだか今は頼もしくみえるよ。ほんとに生まれ変われたら、その時は、ボク」
「うむ。その時には、お主を大切に想う男が現れて、お主を幸せに導いてくれようぞ」
「輪廻転生したら……また会おうね、照蔵……」
ぎゅぅっと照蔵に抱きついた格好で、九十九の中にいる何者かは熱っぽく照蔵を見つめていたが、やがて白い霊魂が抜け出てくると、青空に吸い込まれるようにして舞い上がり、そして消えていった。
九十九に抱きつかれたままの照蔵と、吉敷、南樹は空を見上げ、幽霊の成仏を見送った。
「これで……全部、終わったのかなぁ」
「うむ。納得したのだ。あの者も、いずれは転生して幸せになろうぞ」
「……というか随分安請け合いしていたけど、いいの?あの人、次の人生はあなたと結ばれる気満々だったみたいだけど」
「大丈夫じゃ。輪廻転生すれば、記憶は全て忘れてしまう。生前の記憶も、幽霊であった頃の記憶もな。じゃから何もかも新しゅうなって、良き恋人を見つけて幸せになるであろう」
「そういうものなのかしら」
「うむ。人生とは、そういうものなのじゃ」
何度も頷きながら、照蔵の手が九十九の尻をいやらしくナデナデしているのを吉敷がジト目で見守っていると。
不意に九十九がハッとした表情を浮かべて、次の瞬間には「うわぁぁぁっ!!?」と大声で叫び、「お、九十九。正気に戻ったか」と声をかける照蔵の顔面を思いっきり拳骨で殴ってきた。
げぼはぁッ!な、何を致すのじゃあ、九十九ッ」
「何をする、は、こっちの台詞だ!なんで俺とお前が抱き合ってなきゃいけないんだ!?」
「何を言うか、熱っぽい視線のおまけつきで抱きついてきたのは、お主であろうが!」
「誰がそんな真似をするというんだッ」
「まぁ九十九、落ち着け。お前は幽霊に操られておったんじゃ。それを、そこの照蔵が」
「これが落ち着いていられるか!……って、俺が操られていただって?」
「うむ、まぁの。かわゆくすり寄られて、うっかり正気がぶっ飛ぶ処じゃった」
たちまち無言になってしまった九十九の肩を、ぽんぽんと叩いて源太は慰める。
「屈辱だろうが致し方あるまい。相手の方が上手だった、それだけの話よ。だから、な?あまり落ち込むでないぞ、九十九」
「……落ち込んでいるわけじゃない」
ジロリと親友に睨まれ、動揺する源太に容赦ない追求が飛ぶ。
「源太、俺が操られている間、お前は何処までやったんだ?事と次第によっては、いくらお前でも許さんぞ」
「な、なにもしとらん。ホントじゃぞ?安心せぇ、お前が困るような真似、この俺がすると思うか」
「お前は案外簡単に理性が飛ぶからな……信用できん。吉敷!」
「は、はいっ」
「お前に問おう。お前の兄貴は、どこまでを演技としていた?具体的に、俺に何をしたのか説明してくれ」
「は……え、えぇと、その、愛し合うふりを、少々」
「ふり程度で済んだのか?」
「は、はい……」
「……そうか。なら、いいんだ」
本気で水着を脱がそうとしていました、なんてことは吉敷のくちからは死んでも言えない。
これからも、兄と十和田先輩が親友でいられるには。
上手く誤魔化してくれた弟へ目配せすると、源太は笑顔で九十九の肩を叩く。
「まったく、この俺を疑うとは酷いのぅ」
「すまんな。空白の記憶があるというのは、予想以上に恐ろしいもんだ」
「ふむ、まぁ、仲直りできたようで良きかな。九十九、ついでに儂への誤解と拳骨についても謝罪の言葉が欲しい処じゃが」
「あぁ、悪い。お詫びに、宿に戻ったら何でも言うことを聞いてやる」
「ホントだな?約束じゃぞ」
照蔵が殴られたのは、直前まで九十九の尻を撫で回していたからだろうに。
とも吉敷は思ったのだが、先輩が相手ゆえに突っ込んでおくのは、やめておいた。
「それじゃ皆、帰りましょう?」と南樹にも促され一同は海の家へ戻り、甚平の愚痴と文句と説教を延々と受ける羽目になったのだった――

  
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