彩の縦糸

其の七

安民宿と照蔵は言っていたが、この民宿の風呂は露天だという話であった。
山奥ではなく海沿いの民宿に露天風呂があるのは珍しい。
部屋数も多くなさそうな小さな宿なのに大浴場ではなく露天風呂を作るとは、えらく奮発したものだ。
「ここの経営、ちゃんと成り立ってんのかねぇ?」
「ま、甥に無料同然でお祓いの依頼をするぐらいだ。お察しであろうよ」
「依頼料が出るのかも怪しくなってきたよな」
「なぁに、いざとなったら照蔵の懐から出してもらうから心配無用じゃ」
何気に失礼な発言を飛ばす甚平と源太の後にくっついて、吉敷と九十九も男湯の暖簾を潜る。
脱衣所には誰もいない。
風呂へ来る前に土産屋もちらり覗いたのだが、どこも閑散としている。
やはり幽霊出没が客の入りにも影響しているのか。
「昼間海の家へ来た人々は、どこへ宿泊しているのでしょう」
「さぁな。ここ以外にも民宿は幾つかあるようだし、他の宿に泊まっているんだろ」
話しながら、なんとなく吉敷は九十九の横に立ち、隣の籠へ替えの衣類を放り込む。
着替えている間にも、九十九が吉敷へ話しかけてきた。
「昼間は俺が抜けた代わりを務めてくれたそうだな。礼を言う」
「い、いえ。手伝いは、全員が任されていましたから……」
「謙遜するなよ。というか、俺相手に緊張するのも全然直ってないんだな」
「それは、先輩ですから」
「うちの流派は先輩後輩の溝も壁も、存在しないんだ。吉敷も、へんに気兼ねしないで気軽に話しかけてくれないか?」
言われてみれば、確かにそうだ。
照蔵なんかは源太や九十九より遥かに年上且つ先輩であるはずなのに、彼らは全員が気安い口調で接している。
さすがに大婆様が相手だと源太も多少は畏まったりするのだが、彼女だけは特別であろう。
なんたって、師匠なのだから。
「しかし、新米が先輩へ気安く話しかけるというのは失礼ではありませんか?」
「相手が失礼だと感じていないんだ。なら、失礼じゃない。だろ?」
「す、すぐには無理だと思いますが……善処します」
「ふははっ、なんじゃ九十九は吉敷と仲良うなりたいんか?」
「そりゃあな。同門ってだけじゃなく、お前の弟でもあるし」
いきなり源太が混ざってきたかと思うと、九十九の耳元でひそひそ囁く。
「吉敷と仲良うなりたいんだったら、抱擁をオススメするぞ」
「抱擁?」
「そうじゃ、べたべた触りまくってやればやるほど親愛の情も深まるってものよ」
「ふれあうのが好きなのは、お前だろ。吉敷は、そういう系統には見えんぞ」
「では、どんなふうに見えるんじゃ?」
「そうだな……交流には生真面目で、人付き合いでも距離を置くように見える」
「ぶっぶー!ハズレじゃ〜!」
いきなり小声から大声になり、「何がハズレなんだよ?兄貴」と混ざってきた吉敷へ源太ではなく九十九が応える。
「お前の系統さ。吉敷、人との交流は好きか?」
「えっ……そ、その……」
「なんて急に聞かれても、答えようがないか。なら、質問を変えよう。俺のことは、どう見ている?どんな奴だと思っているんだ」
「ええっ……」
たちまち頬を赤らめて、がっちがちに硬直する吉敷へ軽く溜息をついて。
九十九は苦笑しながら、吉敷の肩を軽く叩く。
「お前は兄貴とは全く違うんだな」
「す、すみません……」
「いや、謝らなくていい。今のは謝る場面じゃない。とにかく吉敷、いつかは俺にも慣れて気軽に話しかけてくれるのを期待しているぞ」
「は……はい」
極度に緊張した返事をしながら、上着を脱いだ九十九を横目で盗み見て、吉敷は内心溜息をつく。
背格好が自分と似ていたから、てっきり痩せ形なのだとばかり思いきや、九十九は意外と引き締まった体躯をしていた。
それは昼間にも確認済みなのだが、こうして間近でじろじろ眺めて見ると、はっきり判る。
筋肉のつきかたの違いが。
初日の飯時で『戦いに応じた肉体へ改造するのは基本』だと九十九は言っていた。
その論理でいくと、式使いの吉敷には筋肉など必要ないのだろう。
しかし全く生っちょろいというのも、これはこれで格好悪いのではないか。
なまじ筋骨隆々な兄と長年同居しているせいか、吉敷は軽く肉体コンプレックスになっていた。
それなら鍛えればいいのだが、鍛えると言われても何をどうすればいいのか判らない。
ひとまず近所を走り回って神社の階段などを往復してみたが体力がついたか否かは自分でも怪しいし、筋肉はというと全くついていない。悲しいことに。
吉敷の無遠慮な視線に気づいたのか、九十九が笑いかけてくる。
「どうした?手がとまっているぞ。早く脱いで風呂へ行こう」
「あ、はっ、はいっ!」
「吉敷は、す〜〜ぐ緊張すんのな!ツクモなんかの、どこらへんに緊張ポイントがあんのかねぇ」
「うむ。俺なんぞは大婆様クラスにならんと、よう緊張もできなくなったわ」
「嘘つけぇ〜。お前は婆様が相手だって全然緊張してねーだろ」
兄貴と甚平は大声で笑いながら浴場へ入っていく。
きっと彼らは、初対面の頃から照蔵や大婆様が相手でも臆しなかったのだろう。
兄の傍若無人さは、時々羨ましくもある。
自分は、やっぱり他の人のようには生きられない。
吉敷は深々溜息をつくと、衣類を全部脱ぎ捨て、皆の後ろに続いた。

露天風呂は、意外や意外にも広かった。
体を洗う石張りの横に、板張りになっている場所がある。
板の上には筵が敷いてあり、触ると、ぽかぽかと暖かい。
これは何だろうと吉敷が首をひねっていると、背後から声をかけられた。
「そこは怪我人が怪我を癒す床じゃ。怪我をしてなくとも、寝そべると気持ちが良いぞ」
「おっ、テル。早かったじゃねーか。叔父上殿には話を聞けたのか?」
「うむ。湯にゆったり浸かって話すとしよう。だが、その前に」
わきわきと両手を開閉し、照蔵は九十九の横へ腰を下ろす。
見れば満面の助平笑いを浮かべており、この表情には見覚えがあるぞと吉敷は思った。
そうだ、自分へ悪ふざけをする時の兄貴の顔に、そっくりではないか。
しかし九十九に警戒心は微塵もなく、平然と体を洗っている。
「九十九、今日はよう働いてくれたのぅ。お礼にモミモミして進ぜよう」
「按摩してくれるってのか?照蔵も好きだよな、誰かとふれあうのが」
「ぬふふ。誰にでも、というわけではないぞ?お主だからじゃ、九十九」
「そう言わずに、後で吉敷にもやってやれよ。あいつも今日は沢山働いたそうだから」
「いや!吉敷は後で俺がたっぷり揉みほぐしておくでの。九十九は目一杯、照蔵の按摩を受けるがよい」
「しなくていいからな、兄貴」
「むむっ、皆の前だからって遠慮せんでもえぇんじゃぞ?吉敷」
「遠慮で言っているんじゃない」
「ほぉー。ゲンとなら会話が弾むんじゃねーか、吉敷は!」
「まぁ、兄貴だからな」
兄へ話しかけたのを甚平に聞きつけられて、吉敷は口を閉ざした。
黙ったのをヨシとして肩をモミモミしてくる源太を、ぐいっと無言で押しのける。
兄には、後できっつい一撃をお見舞いせねばなるまい。
二人っきりなら、いくらでもしていいが、皆の前では、お断りだ。
隣では自称按摩が展開されているが、九十九の肩だけと言わず胸や腹筋まで揉みしだいており、どうしても手つきがいやらしく見えてしまうのは、だらしなく鼻の下が伸びきった照蔵の表情が原因なのか。
何度胸を揉まれても、九十九は屁とも思わないのか会話に途切れはない。
「九十九、お主はやはり、もそっと筋肉をつけるべきじゃが、しかし、この中途半端な肉付きも、これはこれで味があるのぅ」
「なんだよ、中途半端って。俺は、これでいいんだと言っただろ?」
「うむ、まぁ、そうだな。うむ、よきかな、よきかな」
「お前こそ、術主体をやめて武闘派に転向する気はないのか?」
「ありえんのぅ。儂は平和主義なんでな、人を殴るのは苦手じゃ。それにな、筋肉は魅せる為につけておる。殴る為のものではない」
「髭達磨の筋肉なんぞに、一体誰が魅せられるっていうんだか……」
「同好の志が理解してくれるわい。だが、ぬふふ、九十九、お主の身体は実に儂好みになりおった」
「下げたり褒めたり忙しいな。そいつは筋肉とは無関係な話か?」
「無関係のようでいて、関係もある。腰にも筋肉がついてきて、ますます儂好みじゃ」
「まぁ、お前の為に鍛えたんじゃないけどな」
按摩というより身体に触りたいだけのように見えて、やはり九十九に対して下心があるとしか思えない。
照蔵への猜疑心に凝り固まる吉敷の眉間には、いつしか深い縦皺が刻まれる。
そんな吉敷へ、そっと甚平が囁いてきた。
「テルは毎回あんなんだぞ、ツクモが相手だと。ま、あいつらの仲が険悪になっても困るし、ツクモには余計な知恵を与えんなよ」
「あうたびに、あのような真似を……?」
「まーな。ツクモが嫌がってねーのは俺にも理解できねぇが、ゲン同様、誰かと密着すんのが好きだからなーあいつも」
「ち……ちなみに、朱雀殿は?」
「俺?俺ァ、嫌だね。いくら親しいっつってもよ、あんなふうにベタベタさわられるなんざァ、ごめんだね」
先輩の中にも自分と同じ感覚の者がいて、吉敷は安心する。
初対面では嫌な奴だと思った相手がそうなのは、少々意外ではあったが。
すっかりドン引きした吉敷の前で、九十九がぐるんぐるんと大きく肩を回す。
「ん、こりが取れた気がする!ありがとな、照蔵」
「なんの、なんの。疲れたならば、いつでも言うがよい。何度でも按摩してやるぞ」
「さて、と……」
立ち上がって湯に入った九十九は、湯には浸からず、ざぼざぼ歩いていく。
何をするのかと見守っていれば、風呂の縁に手をかけ遠くを眺めるように身を乗り出した。
何か気になるものでも見えるのだろうか。
吉敷も彼の元へ、ざぶざぶと湯をかき分けて近づいてみる。
「何か見えますか?」
「空を見てみろ、綺麗な星空だ」
「あぁ……本当ですね」
真っ暗な空に、幾つもの星が瞬いている。
この辺りの空は、吉敷達の住む中津佐渡よりも星の数が多いように感じた。
海岸からは静かな波音も聞こえる。よい景色だ。
――空を眺める二人の後ろ姿を、さらに眺める視線がある。
言うまでもない。照蔵と源太だ。
「むほぅ!むほほぅ!!たまらんのぅ、たまらんのぅっ」
「うむ、吉敷の背中にかかる後ろ髪は俺が見ても絵になるのぅ」
「よっしーもよいが、九十九の背中から尻にかけての曲線美が」
「いや、もう、それはいいから。テル、そろそろ叔父上の話を聞かせろよ……」
心底萎えきった甚平の横やりで、話題がようやく本道へ入る。
甚平に呼び寄せられ空を眺めていた二人も近寄ってくると、肩まで浸かって話を待つ。
「うむ、まず自殺者が過去いたかどうかだが……叔父の話だと、いたそうじゃ。九十九の読み通り、女が一人」
「やっぱりか」
「で?どんな理由で、おっ死んじまったんだ?そいつは」
「ヤるだけヤりまくった挙句、その男には、こっぴどくふられてな」
「可哀想にのぅ」
「それで、そいつを殺して自分も入水したそうじゃ。死体は、この露天風呂であがった」
「!!」
全員が勢いよくザバァッとあがるのを見、照蔵はカラカラ笑う。
「というのは、嘘じゃ」
「テッ、テル、お前なぁっ!」
「冗談言ってないで、真実を話せよ」
「うむ。女は入水自殺した、海にな。死体は見つからなかったそうじゃ」
「一人だけだったんかのぅ?自殺した女は」
「叔父上の話だと、そうなろう」
「しかし……そうなると何故幽霊は複数現れるのか、だが」
九十九の疑問に照蔵が答える。
「これは儂の仮説だが、あれは全て同じ霊なのではあるまいか」
「んじゃあ本体は海の底にいて、分身を飛ばしているってーのか?」
「それだと、手が出ませんね……本体を何とかして海から引きずり出さないと」
幽霊をおびき出す算段を考えねば、永遠に堂々巡りだ。
額を突きあわせて考えるうちに、九十九がぽつりと提案する。
「分身でもいい。相手が何を望んでいるのか聞き出すんだ」
「霊と話を?しかし、乗り移りでもしてくれんことには会話もままならぬぞ」
「昼間、南樹に霊が乗り移った話をしただろ。あれと同じ状況を作ればいい」
「む、九十九。また芳恵に霊を憑依させようと言うのか?」
「いや、南樹に乗り移らせるのは面倒が多い……乗り移らせる対象は、俺だ」
これには全員が「えぇっ!?」と叫んで立ち上がる。
霊は女にしか取り憑かないと言っているのに、男の九十九に乗り移らせるのは無理ではないのか。
「九十九、それでは、お主が操られることになるのではないか?いや、それ以前に霊は男には乗り移らんのだぞぅ」
「甚平、お前の幻術ならいけるよな。俺の性別を誤魔化す事ぐらい」
「そ、そりゃあ出来ない事もないがよ……お前の女体化ァ?うへぇ、キモッ。お前がやるぐらいなら、吉敷にやらせたほうがいいんじゃねーか?」
「吉敷は駄目だ。失敗した場合、吉敷には攻撃手にまわってもらう必要がある」
「うむ、それに吉敷が女体になってしもうたら、男が群がってきて大変だわい」
「俺の心配は無用だ。憑依されても抵抗ぐらい出来る」
「でも下手して操られでもしたら、お前を敵に回すわけだろ?やっぱ吉敷のほうがいいんじゃねーか、弱いし」
「よっしーは全然弱くなかろう。聖獣をけしかけられたら、儂らは全滅必至じゃ。しかし……九十九を危険に晒すというのものォ」
「全く見知らぬ女性が乗り移られるのを待つわけにもいくまい。誘い出すのも俺に任せてくれ。死んだ理由さえ判れば、なんとかなるはずだ」
もはや何を言っても、九十九はやる気満々のようだ。
甚平は肩をすくめ、照蔵も渋々納得する。
元より吉敷に異論はない。
九十九に名案があるというのなら、是非ともお任せしたい。
源太は親友の肩を叩き、最終確認を取った。
「九十九、明日はお前の策でいくとしよう。大丈夫じゃ。例えお前が制御不能になったとしても、俺が必ず助けてやるでの」
「あぁ。信じているぞ、源太。それと明日は、お前にも多少協力してもらう」
「協力?何をすればよいんじゃ」
「それは明日のお楽しみだ」
一体源太に何をやらせるつもりなのやら。
少しだけ、不安になった吉敷であった……

  
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