彩の縦糸

其の六

客引き兼案内係が途中で抜けてしまって、海の家は閑古鳥が吹き荒れたかというと、それはなく。
むしろ今まで以上に客が、それも女性の客が多く集まってきていた。
というのも、これまで九十九の影に隠れていた吉敷の存在が、女性客の目に触れたからだ。
最初は「あの人かっこいい」と小さな囁きであったのが、次第に「そこの、おにいさ〜ん」だのと指名されるようになり、吉敷は客でごった返す店内を注文取り兼片付け係として忙しく駆け回るハメになった。
今や席は満員、外で待つ人まで現れている。
「ぬぉぉっ、南樹とツクモは何処行ったんだ!?手数が足りねぇっ」
「なぁに、二人は二人でそっとしておけ。ここは儂らだけで、乗り切るぞぅ!」
厨房でも、甚平と照蔵、それから源太が汗を飛ばして調理している。
瞬く間に氷は底をつきトウモロコシも品切れとなり、残っているのは蛤か餡蜜かという頃合いになって、吉敷は怪しい気配を一人の女性客に感じ取る。
見た目は他の女性と変わらない。
多少際どいトップパンツを身に纏い、片方の目へ髪の毛を被せている。
しかし、彼女の放つ気配は明らかに人のもの以外も混ざっていた。
細くか弱く、それでいて絡みつくような――とでも言えばいいのか。
人が本来持ち得る生命の力強さを感じさせない、危うい気配である。
吉敷は食器を片付けるフリをして、彼女に近づいた。
「こちら、お下げしても宜しいでしょうか?」
「いいわ。……あなた一人で片付けから注文取りまで、大変ね」
「いえ、これも仕事でございます」
折り目正しく会釈する吉敷へ、女が微笑む。
「真面目なのね……そろそろ、全品品切れではないかしら?」
「そのようです。申し訳ございませんが、おかわりはご遠慮していただけると他のお客様にも」
「おかわり?フフ、そうね……おかわりは、そうね、あなたがいいわ」
「えっ?」
「ねぇ、岩場へ行きましょう……?ここは、人目がありすぎるもの」
女性は勘定を机に置いて立ち去ろうとする。
岩場か。
照蔵の話を信じるならば、岩場へ連れ込まれた男は精気を抜かれたり幻惑を見せられるらしいが、素直についていっていいものか。
いや、それ以前に店はまだ営業中。
ここで吉敷までもが抜けたら、注文取り兼片付け兼料理の運び役がいなくなってしまう。
ついていくか悩む吉敷へ「おにいさん、注文いい〜?」と元気な声が飛んでくるものだから、吉敷は、そちらを優先した。
勿論、幽霊退治の件を忘れたわけじゃない。
しかし、それと同じぐらい海の家の手伝いだって大事なはずだ。
「お待たせしました。ご注文を、お申し付け下さい」
「キャーッ♪」
「きたぁ〜、格好いい〜!」
「えっとねぇ、餡蜜三つお願いしますっ」
「餡蜜三つでございますね。かしこまりました、では少々お待ち下さい」
「いや〜ん、もう、笑顔が素敵すぎるゥ〜!」
「あ〜ん、一日中眺めていた〜い」
女の子達にキャアキャア騒がれても冷静に接待の態度を崩さず、営業用笑顔まで浮かべる吉敷には照蔵も感心する。
大量の焼きそば注文と格闘する源太へ話を振った。
「よっしーは学生時代に、茶店の手伝いでもやっとったのか?うむ、実に手慣れておる。見事じゃ」
「そんなもん、しとるわけなかろうっ。店の手伝いは、これが初めてじゃ」
「ほぅ、それにしては行儀が良いではないか。親のしつけか?いや、それはないな。お主を見ていると、しつけられたのかどうかも怪しいわ」
「吉敷は俺と違うて礼儀正しいんじゃ。それに、女に騒がれるのも慣れておるしの」
「へぇ〜、捨ておけねぇじゃねーか。その話、もっと詳しく」
隣で餡蜜を容器に盛りつけていた甚平までもが雑談に混ざってきて、一人熱々の鉄板と向かい合って汗だくの源太は、じろりと二人を睨みつける。
全く。吉敷のモテ自慢なんぞ、なんで自分が話さなければならぬのか。
実際のところ吉敷がモテモテな現場を見たわけじゃないのだから、話そうにも話せない。
ただ小夜子といい小町といい、吉敷と関わった女性の態度を見ていると、やはり学生時分にもモテていたと考えるのが自然であろう。
「考えてもみぃ。息をしているだけでも様になる色男が、女に見向きされないはずがなかろう。吉敷は、そういう男よ」
「うむ、まさに蝶が群がる花の見本よな、よっしーは」
「カァ〜、いいねぇ色男様は!学生時代は、ちぎっては投げちぎっては投げで群がる女達を食いまくっていたってのか?」
「そんな淫らな真似はしとらん。吉敷は硬派だからの」
「ますますもって、お主の弟にしておくのは勿体ない男よのぅ」
「何だと?そりゃあ、どういう意味じゃ、照蔵」
「同じ腹から生まれたとは思えないって話だよ、なぁ?」
どうでもいい雑談で盛り上がっている先輩諸氏の元へ、浮かぬ顔の吉敷が歩いてくる。
「なんじゃ?吉敷。疲れたんか?疲れたなら、兄ちゃんが接待役を替わってやるぞ」
「そうじゃない……先輩方、先ほど怪しい気配の者を見つけました」
「なんじゃと!?」
「バッカヤロー、そういうことは早く言えよ!」
声の高くなる甚平の口元を咄嗟にガバッと押さえ込むと、照蔵は話の続きを促した。
吉敷曰く、その客はお一人様の女性で、人の身でありながら霊的気配も感じさせていた。
岩場へ誘われたのだが店を抜けるわけにもいかず、注文を取りに行っている間に女は姿を消していた。
「それはまた、選択肢に困る状況であったな」
「いや、吉敷。一人でついていかんで幸いだった。お前一人じゃ手に余る相手というのも充分あり得るからのぅ」
「けどよ、吉敷の霊刀は幽霊相手なら無敵なんだろ?なら一人でついてったって」
「霊刀が如何に無敵でも、よっしー自身は無敵じゃあない。源太が言いたいのは、敵が岩場で増える可能性であろう?」
「それもあるが、一番問題なのは敵ではなかった時の対応じゃ」
えっ?となって甚平らと共に吉敷が兄を見やると、源太は得意げに語り出す。
「本物の女性という可能性も充分考えられるぞ。なんせ吉敷は俺が見ても、くらくらするほどの男前だからのぅ」
「や、でも吉敷が今言ったじゃねぇか、霊の気配を感じたって。なぁ?」
「取り憑かれておる気配を、お主の弟が感じ取ったのだぞ?何故信じてやらぬ、源太」
「むむ、信じておらんわけではないのだが、ただ、な?吉敷はウブだし、お色気攻撃には慣れとらんじゃろ……やっぱ一人で行くのは危ないと思うぞ」
「もういい、兄貴。件の女性は、まだ、この辺りにいるかもしれません。店を閉めた後にでも見回りをしてきましょうか?」
「いや……しても無駄であろう。今日は他に誘われた奴もおらぬようだし、空振りか」
そこへ「空振りじゃないぞ」と混ざってきたのは、九十九だ。
どこへ行っていたのか、南樹も一緒に戻ってきたようだ。
「ほほぅ!二人一緒に戻ってくるとは、これは、あばんちゅうるの予感!」
「九十九よ、お前もやる時ァやる男だったんじゃな!これは予想外の展開じゃあ!!」
「して!して!!どこまで進んだのじゃ?恥ずかしがらずに言うてみぃ!」
何故か興奮するマッチョ二人組を横目に、九十九は吉敷と甚平へ報告する。
「憑依霊には俺と南樹が遭遇した。そいつは成仏させたが、一つ疑問が生じた」
「疑問?俺としちゃあ、お前らが二人一緒にバックレていたほうが疑問なんだが」
「余計な詮索は後にしろ。今は真面目に依頼の話を」
「依頼も大事だが、注文も大事じゃ。ほれ九十九、吉敷でもよいが、注文の品を持ってってくれぃ」
熱々の焼きそばを鼻先に突き出されては、九十九も話を中断せざるをえない。
「仕方ないな、話は店が終わった後にしよう」と言い残し、大量の焼きそばを盆に並べて持っていく彼の背中を見送りながら、ぽつりと思い出したかのように吉敷が呟いた。
「接待は南樹先輩に、お任せするのではなかったんでしょうか」
「そういや結局あいつ、全部自分でやっちまったよな。ま、いいけど」


海の家を閉めて民宿に戻ってきた面々は、九十九の話を聞く。
曰く、岩場にて南樹に取り憑いた霊を成仏させた。
それはいいのだが、幽霊は何故普段は海の底にいて、海の家で誘惑を繰り返すのか。
過去に海に身投げをした者や海の家で酷い目にあった客はいなかったのかと九十九に尋ねられ、照蔵は首を傾げた。
「酷い目とは漠然とした話じゃのぅ。九十九、お主は具体的に何があったと推測しとるんじゃ?」
「例えば、そうだな、男にこっぴどくふられて悲しみの余り海に身を投げた女や、或いは海の家で男に誘惑されて無体な目に遭わされて……といった被害者が過去にいたかどうかを叔父さんに尋ねてくれ」
「なるほど。幽霊の身元を探ることで、祟りの原因を探ろうというわけか」
「あぁ。俺達は幽霊を退治してくれとだけ言われて集まった。だが力押しで強引に霊を消滅させたとしても、真の解決にはならないんじゃないか?」
「叔父上には霊の妨害さえなくなれば、いいと言われたんじゃがのぅ……しかし九十九、お主が気になるのであれば儂は、いくらでも協力しようぞ」
「もちろん、俺も協力するぜ。ところで」
「ん?」
「なんで、お前ら二人は岩場に行ったんだ?営業中だってのに、俺らに何の断りもなく」
話を蒸し返されて九十九が嫌な顔を浮かべるのも構わずに、甚平からは文句が飛ぶ。
「お前ら、いくらつきあってるからって言ってもよー仕事をほっぽり出してイチャイチャすんのは、どうかと思うぞ?二人も抜けたせいで、こっちゃ手数が足りなくて大忙しだったんだからな」
「べ、別にイチャイチャしたくて店を離れた訳じゃない」
「ほぉ〜〜?その割には、二人揃ってトンズラしやがったよな」
「あ、あのっ、十和田くんは悪くないの!私がっ」
「私が?」
「ふんふん、私が??」
「え、えっと、私が、その……スネて、仕事を放り投げちゃったから十和田くんは、心配して追いかけてきてくれただけで」
「ほほぅ。して、南樹は何が原因でスネよったんじゃ?ん?ん?」
「あ、あの……その……十和田くんが女性へ接待をするのは、嫌だなぁって……」
「ほほぅ!嫉妬か、なるほどのぅ〜」
「故に岩場へ誘い込むとは、芳恵もやりおるのぅ」
「えっ!?あ、あの、そんなつもりじゃっ」
放っておけば果てしなく続きそうな冷やかしに、仕舞いには「もう、いいだろ!」と怒鳴って、九十九が下世話な詮索を終わりにさせる。
源太と照蔵は、まだ聞き足りないといった顔をしていたが、九十九に背を押されるようにして南樹は自分の部屋へ戻っていった。
「お前ら、本当に余計な好奇心が強いな!」
「そりゃあのぅ、ミスター鈍感さんの遅咲きの恋開花だからのぅ」
「うむ、是非ともオメデタまで進んでもらわんことには儂らも落ち着かんのよ」
「進みすぎだろッ。まだ結婚もしていないってのに」
「ほぅ、九十九としては結婚までは考えてあるのか」
「……結婚までは、じゃない。その先もだ」
「おぉう、これは大きく出よったな。童貞を捨てる日も早いか」
「だが!それ以上の詮索は、いくらお前らでも許されないと思え!!」
怒り心頭の九十九を見たのは、これで二回目だ。
以前仕事で失態をやらかした時、彼に、こっぴどく怒られた。
先輩諸氏の他愛ない雑談を聞き流しながら、吉敷は窓の外を眺める。
薄暗くなってきた浜辺には、人っ子一人いない。
昼間の大賑わいが嘘のようだ。
「そんなことより!早く叔父さんに聞きにいけよ、照蔵はッ」
「はいはい、急かさなんでも行くわいな。お主らは先に風呂へ行っててくれ。儂も後から行くでな」
「おう」
照蔵を聞き込みに追い出した後は高ぶっていた気分も落ち着いたのか、九十九は風呂へ行く準備を始めた。
準備といっても大したことはない。
手ぬぐいと歯ブラシを巾着袋に突っ込んで、あとは替えの下着を持っていくぐらいだ。
源太に誘われて、吉敷も皆と共に風呂場へ向かう。

  
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