彩の縦糸

其の五

黙って立っていれば女が寄ってくる。
――と言われても、やはり黙って立っていては客引きにならないのではないか。
ぼちぼち海水浴の客が増えてきた頃合いを見計らって、九十九は声を張り上げた。
「海の家、開店ですよー!是非お食事にいらしてくださーいっ」
接待だの客引きだのを、まさか職が安定した今になってやらされるとは思ってもみなかった。
だが海水浴場の客にしてみれば客引き係の内面のモヤモヤなど知ったことではなく、良く通る大声に誘われて、ぞろぞろと集まってくる。
「おっちゃん、ここって何売ってんの?」
「あぁ、焼きトウモロコシやら焼きそば……それから西瓜もあるな。まぁ、まずは席に腰掛けてくれ」
少年が五人ばかり集まってきて、九十九に話しかけてくる。
洟垂れ世代にオッチャンと呼ばれるのは、別に嫌ではない。
十代から見れば三十代は充分オッサンだ。
少年達は「お席は、どこでも空いていますよ〜」と愛想良く微笑む南樹を無視し、なおも九十九に尋ねてきた。
「焼きトウモロコシって?焼いてあんの?熱いの?それと、あれ何?貝焼いてんの?食えるの??」
「なんだ、お前ら海の家は初めてなのか?あぁ、全部食えるぞ。あのオッサンが焼いてんのは蛤だ」
あのオッサン、と照蔵を指さすと、本人が嫌そうな顔を向けてきた。
九十九よりだいぶ年上のくせしてオッサン呼ばわりが嫌とは、意外と繊細な面もあるものだ。
「焼いたものは全部熱いかもしれんが、よく冷ませば大丈夫だ。それに、飲み物も用意してある。ちゃんと冷たいやつを」
「おっちゃんのオススメ、なに?俺、それ食いたい!」
「俺の?……そうだな、定番だが焼きトウモロコシは美味いぞ」
やたら接近してくる子供を、やんわり押しのけながら、自分の好きな品目を教えてやると。
子供達は「じゃあ、それ食うー!焼きトウモロコシ、五本ー!」と叫んで、バタバタ席まで走っていった。
息をつく暇もなく、今度は別角度から女の子集団に声をかけられた。
「あのォ〜。ここってェ〜スイーツありますゥ〜?」
「スイーツと呼べるかどうかは判らんが甘味ならあるぞ、一応。かき氷と西瓜の二択だが」
「あんみつもあるぞい!」と店の奥から源太の声が聞こえてきたが、少女軍団は当然のスルーで九十九に話しかけてくる。
接待は南樹に任せたはずなのだが、客がそちらへ向かってくれないのでは如何ともし難く。
仕方なく、九十九は対応にあたった。
「えっとォ〜西瓜ってェ〜、切ってあるんですかァ〜?」
「ん、あぁ。八つ切りが基本だが、言えば、大きさも変えてくれる。小さく切って欲しければ、奥の料理人に頼んでくれ」
「じゃあ〜、じゃあ〜、かき氷は?何味があるんですゥ?」
「あぁ……苺、夏蜜柑、葡萄、それから練乳の四つだ」
「え〜、結構たくさんあるぅ!ねぇねぇ、どれにしよっ?」とキャピキャピ入り口で騒ぐ少女達を、そっと店の席へ促すと。
色とりどりの軍団はキャアキャア騒ぎながら、適当な席に腰掛けた。
ふぅ、と溜息を吐き出した九十九へ、さらなる客の質問が浴びせられる。次は爺さんだ。
「ほげぇ〜。そ、そこの、おにいちゃんや。すまんのだがの、文字がちっさくて読めんのじゃあ〜」
「ん、あぁ、そうか。なるほど。じゃあ待っていてくれ、今、大きく書いてやるから」
接待を南樹に丸投げすればよいものを、九十九も九十九で親切に受け応えるものだから、客が彼を案内係だと勘違いするのも致し方ない。
どこからか板を持ち出してきて、品目を大きく書き直してやる九十九の元には、いつしか人だかりが出来ていた。
客は好き勝手に直接源太らに注文してしまうわ、入り口に群がった連中は九十九にばかり話しかけているわで、手持ちぶたさになった吉敷は、同じく暇を持て余す南樹へ話しかける。
「今のところ、怪しい客はいないようですが……」
「そうね。子供とお年寄りばっかりだよね」
「十和田殿は大人気ですね」
「うん。彼、人当たりがいいから。それに、お人好しでもあるし」
小声で話している側で、「あっつぅ〜い!」と女の子が騒ぎ出し、手招きと共に大声で「おにーさん、おにいさん、ちょっと来てェ〜!」と九十九を呼び寄せる。
品目デカ版を作り終えた九十九が何事かと走り寄ってみると、少女達はキラキラと期待に満ちた目で九十九を見つめ、焼きトウモロコシを差し出して「ねぇ、ふーふーしてぇ?」などと宣ってきた。
「え、いや、それぐらいは自分でやってくれ」
「え〜?ふーふーしてくれないと、食べらんな〜い!」
「だが、俺が息を吹きかけたら汚いだろ。ツバまで飛ぶかもしれないし」
「だって、この焼きトウモロコシ熱すぎるぅ〜。こんなの出すとか、この店、信じらんな〜い!」
見かねて南樹が「あの、お客様」と声をかけるのと、九十九が「仕方ないな、貸してみろ」と焼きトウモロコシを手に取り、ふーふー息をふっかけたのは、ほぼ同時で。
呆気にとられてポカンと見つめる南樹と吉敷の前では、きゃっきゃと大喜びする女の子達の姿があった。
「おにーさん、優しい〜、ありがと〜!」
「どういたしまして。じゃ、俺は戻るぞ。あぁ、熱かったら次からは飲み物を注文してくれ」
「え〜、待って待って、いかないでェ」
入り口へ戻りかけたところを、ぐいっと腕ごと引っ張られ、たたらを踏んだ九十九は少女の隣へ腰を下ろす。
些かムッとして振り向くと、同じ机に腰掛けた目という目が興味津々こちらを眺めてくるものだから、ぎょっとなった。
こんな大勢の女の子に囲まれたのは、生まれて初めてだ。
そのどれもが十代前半の子供達とはいえ。
「ね、おにーさん、このへんの人じゃないでしょ。地元、どこ?」
「あぁ、中津佐渡だ」
「中津佐渡!?うちのおかーさんの故郷だァ」
「中津佐渡から何でココにきたの?出稼ぎ?」
「出稼ぎじゃないが、手伝いにな。厨房の連中に頼まれて」
「わ〜、えらーい!」
先ほどの小僧どもと変わらない年齢の子供達に「偉い」と褒められたり、「おにいさん」と呼ばれるのは奇妙な感じがした。
オッサン呼ばわりされたほうが、しっくりくる。
少女達の飽くなき好奇心はキリがなく、とりとめもない質問が次々飛んでくる。
それらに逐一答えてやりながら、九十九は無言のSOSを南樹に飛ばしたのだが、これがまた彼女には全然通じておらず。
「もう、十和田くんったら鼻の下伸ばして」
「えっ?そ、そうでしょうか。俺には困っているように見えますが……」
「そう?女の子に囲まれて、ご満悦じゃない」
助けてくれるどころか吉敷と何やら小声で話し、機嫌の悪そうな表情を向けてくるではないか。
何が原因で苛ついているのだかは知らないが、接待係をちゃんと実行して欲しい。
それに、選別もだ。先ほどから二人は何もしていない。九十九が確認した限りでは。
やっとこ少女達の会話が途切れたのを幸いに、立ち上がって入り口に戻りかければ、今度は斜め向かいの客に呼び止められる。
ジジババ子供独身男性だらけの店内には珍しく、妙齢の女性お一人様だ。
はて、このような女性、いつの間に来店していたのか。
爺さんの為に品目を書き直す間に人だかりが出来ていたから、その中にいたのかもしれない。
「ふふ、おにいさん、お疲れさま。これ、私のオゴリよ。呑んで頂戴」
「それは、あんたが注文したやつだろ?俺はいい、あとで水でも飲んどくから」
「あら、遠慮しないでいいのよ。あなたの働きっぷりに見惚れたの。そうね、これはチップの代わりかしら」
「チップも必要ない。俺は只の手伝いだ。手伝いが働くのは当然だろ?」
「……私のオゴリ、嫌なの?」
「嫌ってんじゃないが」
「なら、いいじゃない。ね、呑んで」
「……あぁ、じゃあ、遠慮なく」
押し負かされて、九十九がごくごく麦酒を煽る横では、際どい水着の女が彼の顔を至近距離で見つめている。
気に入らない。
手伝いだから要らないと言っているのに、自分の注文を九十九に呑ませようとする、この女が。
やたら胸を寄せ上げて、彼の視線に入るようにしてくるのも気に入らない。
彼を色気づいた目で見つめているのが、何よりも気に入らない。
大体、九十九も九十九だ。
何故最後まで拒否を貫かない?
彼が押しに弱い性分なのは知っているが、自分以外の女性のワガママなんか聞かなくたっていいのに。
南樹の嫉妬ボルテージはガンガンあがっていき、傍らの吉敷が何か言っていたのに全部聞き逃した。
南樹は踵を返し、海の家を離れる。
ここにいたら、どんどん黒い感情で自分の心が埋め尽くされそうだ。
「みっ、南樹先輩!どちらへ行かれるんですか!?十和田先輩、南樹先輩が!」
「おい、どこ行くんだ南樹ッ!」
切迫した吉敷の声で緊急事態に気づいた九十九も、慌てて南樹を追いかける。
南樹は後ろも振り向かず、ずんずん早足で歩いていく。
九十九も駆け足で追いかけたのだが、砂浜を抜けて岩場に差し掛かったあたりで見失ってしまった。
「くそ……南樹、どこだ?」
何も言わず一人で出歩くなんて、およそ彼女らしくもない。
真夏の海は、幽霊だけが危険対象じゃない。
ナンパな男どもや大波高波、岩場ならウニを踏みつけることだってあろう。
ぶつくさ文句を言いつつ南樹の姿を探し求める九十九の耳が、小さな物音を聞き取った。
すかさず駆けつけてみれば、岩場に座り込んだ南樹を見つけた。
「南樹。どうしたんだ、いきなり抜け出したりして。吉敷も心配していたぞ?」
声をかけるや否や南樹がくるりと振り向いて、「九十九くん……!」と勢いよく飛びついてくるもんだから驚いた。
驚いているうちにマウントを取られ、岩場に押し倒される。
頭をぶつけなかったのは幸いであった。
「みっ、南樹!?一体、なんの真似だッ」
「九十九くん、やっと二人っきりになれたね……」
「二人っきりって、夕べも二人っきりだっただろ!?」
「あんな状態で二人っきりでも嬉しくないよ!それに、今は水着で二人っきりだよ……?」
「そ、それは、そうなんだが」
「うふふ……九十九くんの体、逞しいね」
「ちょ、ちょっと待て!」
いつもの三十倍は積極的なんじゃないかってぐらい胸元にスリスリすり寄られて、九十九は泡を食う。
普段なら九十九が嫌がれば直ぐさまやめてくれるのに、今の南樹は制止も聞かずに胸を押しつけてくる。
瞳は熱っぽく潤んでいるし、吐く息は荒いしで、立ち去る直前まで不機嫌だったはずなのに、これは一体どうしたことか。
「九十九くん、私、私ね、もう我慢できないの……」
「がっ、我慢って何を我慢してたんだ!」
「もう、我慢って言ったら、あなたとの性行為に決まっているでしょう?」
「は……はぁっ!?」
「私、九十九くんと、ずっとやりたいな〜って思ってたんだよ?なのに九十九くんってば全然手を出してくれないんだもん……私って、そんなに女としての魅力がないの?」
「い、いや、そんなことはないが、でもっ」
「でも、なぁに?輪姦された女なんか、抱く価値もない?」
「言ってないだろ、そんなことは!ただ、俺はっ」
「俺は?」
「お前が、自分から言い出してきた時に応えるつもりでいた……!だが、しかし、今のお前はおかしいぞ!?今は仕事中だってのに」
「もう、あれこれぐちぐちうるさいなぁ。そんな我儘マウスは口づけで塞いじゃうぞ」
「わぁぁっ!ま、待て、まだ心の準備が――」
慌てる九十九におっかぶさるようにして、南樹のくちが迫ってくる。
だが重なるかという寸前で南樹の動きはピタッと止まり、彼女が叫んだ。
「やだぁ!こんなの、こんな形でしたいとは思ってない」
「は?」
ポカンとする九十九の上で、『だまらっしゃい!』と叫んだかと思うと、また南樹が叫ぶ。
目は九十九を見ておらず、空を見上げたまま。
まるで見えない相手と話しているかのように、独り言の対話を続けた。
「十和田くんとはイチャイチャしたいと思っていたけど、こんな形は、やだぁ!無理矢理奪おうなんてサイテーだよぉ」
『無理矢理にでもしなきゃ、こいつは鈍感だから判ってもらえないでしょーが!いいから、あんたは黙って私の言うとおりに動けばいいのよッ』
「そうじゃなくて、私からするんじゃなくて、十和田くんにしてほしいの!」
『それが無理だから、私がこんな真似してるんでしょーが!いいの?さっきの女みたいなのがコナかけてきたら、そのうちこいつの気持ちも、そっちに傾いてしまうわよ!』
「傾かないもん!十和田くんは、そんな浮気性でも無責任でもないもんっ」
『ハ!どうせ、あんたとは同情でつきあってるだけじゃないの!?だから手を出さないんだろ!あんたが、どれだけ誘いをかけてもさっ』
南樹が話しかけているのは南樹ではない別の何か、彼女の中に入り込んだ何者かであろう。
口汚いほうが、きっとその何者かに違いあるまい。
『どんな男だって中古品より新品のほうがいいに決まってる!こいつだって今は優しくしてくれてるけど、将来どうなるか判ったもんじゃないね』
「あなたに十和田くんの何が判るの!?もう、私の中から出ていって!」
『それでまた、ペアルックから始めましょうってやって断られるのかい?そんなんじゃ、永遠に結婚までこぎ着けられるもんかい!』
「そっ、それは……でもっ……」
『欲しいものは自分で奪い取らなきゃ得られない!あんたには無理でも私なら可能さ。ジタバタしないで、さっさと口づけるよッ』
再び、ぐおぉっとのし掛かってきた南樹を、そっと手で押しとどめると、九十九は優しい目を彼女へ向けた。
正確には、南樹及び南樹の中にいるのであろう憑依霊にも。
「奪わなくたって得られるものだってあるんじゃないか?」
『はっ!?』
「言っただろ。お前が申し出てくれれば、それに応えると。南樹、お前……俺とイチャイチャしたかったのか」
「え、あ、うっ、うん……」
「今ここでするのは無理だが、そうだな、依頼が全部解決した後でもいいか?」
「えっ……?」
「俺は、約束を違えたりしない。必ずやると約束する。それにな」
じっと南樹の瞳の奥を見つめ、九十九は続けた。
「中古だの新品だのってのは、俺には関係ない。俺は、お前があんな目に遭う前から、お前を好きだった。その気持ちは変わらない。つきあうと決めたのは、同情でもない。そこは間違えてくれるなよ」
「と、十和田くん……!」
たちまち南樹の双眸はウルウルと潤んできて、感極まった彼女に抱きつかれながら、九十九は、もう一人へも穏やかに話しかける。
「お前も、大概優しいよな。お節介にも南樹の望みをかなえてやろうとするなんざ」
『何言ってんだい、私は、ただ、この女がとろとろやってんのが目障りだったから、さっさとくっつけてやろうとしただけだよ!』
「なら、さっさとやれば良かったんだ。なのに、お前は躊躇した。そればかりか南樹の反論を聞いてやったりもした。それは、お前の優しさじゃないのか?南樹に対する」
『ハッ、知ったようなくちを訊くねぇッ。女も知らない童貞のくせに!』
「童貞にだって、それぐらいは判るさ。お前、本当は寂しかったんだろ?ずっと海の底にいるんだもんな。だから時々、陸へあがって誰かにちょっかいをかけてたんじゃないのか」
『余計なお世話だよ!あー、もうっ、つまんないのを引っかけちまったッ』
南樹の体を離れ、白く、透き通った霊体が、ふわりと宙に舞う。
そのまま、すうっと上空へ溶け込むようにして消えていくのを眺めた後、改めて南樹の顔を覗き込んでみると、彼女も笑って九十九を見つめ返してくる。
「……十和田くんも、優しいよね」
「まぁな。自分でも大概お人好しだと自覚している」
「でも、その優しさ、あんまり色々な人に振りまかないで欲しいなぁ〜?」
「えっ?」
「なんでもない。一体、成仏させられたね。この調子で全部の退治、がんばろっ」
誤魔化され、釈然としないまでも起き上がった九十九は空を眺める。
幽霊は、あと何体残っているのだろう。
そもそも何故、幽霊は海の底を根城としているのか。
真に全滅を目的とするのであれば、そこらの原因も調べておくべきであろう。
それはともかく、仕事をほっぽりだして抜け出してきたのだ。
今頃は皆も心配していよう。海の家へ戻らねば。
「いくぞ、南樹」
「うん」
さりげなさを装って差し出された九十九の手を握り、二人は岩場を駆け去った。

  
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