彩の縦糸

其の四

翌日。
九十九を襲ったのは、猛烈な頭痛であった。
あれだけ飲みまくったのだから二日酔いになるのは当然と言えば当然なのだが、それよりも前後不覚になって以降の記憶がない。
知らない部屋に布団の上で横たわっていた状況も気になる。
誰がいつ布団を敷いたのか、そして、ここは誰の部屋なのか?
「よー、オハヨウ」
考え込んでいると、襖がガラッと勢いよく開き甚平が入ってくる。
窓を振り返ると、さんさんと日の光が降り注いでいた。
ひとまず起きようと身動きした瞬間、再びズキーンッと激しい頭痛がきて、九十九は「ぐぅ……」と唸って頭を押さえる。
「ははっ、全員見事に二日酔いコースってか。待ってろ、今、解毒してやっから」
懐から符を取り出した甚平が、九十九の額に符を当ててくる。
じんわりと暖かい波動が符越しに伝わってくると、頭痛と吐き気、目眩が収まっていくのを感じた。
本来は毒物の効果を和らげる為の術だが、二日酔いにも効くとは驚きだ。
こうした"回復"の呪を唱えられるのは大婆様を除けば甚平ただ一人ゆえに、彼を誘ったのは正解と言えよう。今回は、特に。
「もう皆、外に出てるぜ。お前が最後だ。海の家にも出るんだとよ、怪奇が。んで、今は皆で見張っている」
「みんな……南樹も、か?」
「ん、あぁ」
夕べの記憶が、だんだん蘇ってくる。
自分は南樹を助けようと彼女の部屋へ飛び込んだのだ。
そこで大量の幽霊を退治したのまでは覚えているような気もするが、それから、どうなった?
部屋を見渡しても、彼女はいない。
甚平の話だと、既に浜辺へ出ているようだが……
「…………」
「ん、どうした?」
「まさか、とは思うが……俺は夕べ、ここで寝たのかッ!?」
「あー、お前すげーイビキかいて爆睡してたらしいな?んで、あまりにも眠れないからって南樹のやつ、」
最後まで聞かずに九十九は部屋を飛び出した。
「お、おいっ、まてよ!水着に着替えてから行けって!」
甚平が何か騒いでいたが、暢気に水着なんぞに着替えている場合ではない。
この国では未婚の男女の同部屋宿泊が禁じられている。
もし夕べ、南樹の部屋で一晩明かしたのだとしたら大変だ。
重罪を犯してしまったことになる。
自分だけならまだしも、彼女まで巻き込むとは。
酒臭い服のまま浜辺に飛び出してみれば、「おーい」と遠くで照蔵が手を振っている。
昨日の昼にも集合した、海の家に集まっているようだ。
南樹の姿もあり、九十九の足は一旦止まりかけるも、追いついてきた甚平に背中を押されるようにして海の家へたどり着く。
「随分とごゆっくりだったのぅ、九十九。まぁネボスケに関しちゃ俺も人のことは、よう言えんのだが」
「がっはっは、夕べは儂ら全員潰れたからのぅ、よっしー以外!」
馬鹿笑いしているが、夕べは、そこの照蔵の誤情報のせいで吉敷と南樹を除いた全員が前後不覚になったのだ。
しかも九十九に至っては重罪を犯してしまった。
九十九は無言で詰め寄ると、照蔵の首を締め上げる。
「ぐえっ!?い、いきなり何じゃ、夕べの酒がまだ残って」
「照蔵……俺は、俺は、貴様のせいで……ッ!」
「ちょ、ちょっと、どうしたの?十和田くんっ。落ち着いて!」
被害者たる南樹にも止められて、九十九は、がばっと平伏した。
「え、な、何?どうして土下座なんか」
「すまんっ!夕べ、戻るまでは意識を保つつもりだったんだが酒に負けて寝てしまったッ。全ては俺の責任だ!」
「あ……あれは、仕方ないんじゃない?十和田くん、だいぶ泥酔していたみたいだし。ってか、寝たから土下座って意味が判らないんだけど」
「部屋同伴の罪は俺が一手に引き受けると言っているんだ!」
「あー……」
やっと彼が何で平謝りしているのかが全員に判り、唖然とする。
酒でぶっ倒れたのだ。
最初から相部屋を取ったわけではない。
おまけに彼は熟睡していた。
夕べ、誰かに怪しまれるような事は何一つ起きなかった。
「あのね、十和田くん。心配しなくても大丈夫だから」
「大丈夫って何がっ!?」
「夕べ、私、あの部屋で寝なかったし」
「何だと?じゃあ、どこで」
「えっと。あなたのイビキがすごかったから……廊下にある厠で、こうやって毛布にくるまって」
部屋が一緒じゃなくても、どのみち迷惑をかけたんじゃないかと尚も土下座で謝罪する九十九を遮って、南樹は微笑んだ。
「判った。じゃあ、次からは気をつけてね」
「判ったって、次からって、お前……っ」
「もう、本人が許すって言っているんだから、この話はおしまいにしよ?でね……十和田くんの水着も見てみたいなぁ〜。早く着替えてきてね」
言われてようやく九十九は気づいたのだが、全員水着に着替えている。
照蔵の手紙にも水着持参と書かれていたから、一応水着は持ってきた。
遊びでもあるまいし、とその時は思ったのだが、真面目な南樹や吉敷まで素直に着替えているところを見ると、水着になるのも何か意味があるのだろうか。
「判った」と頷いて宿にUターンして走っていく九十九の背中を見送りながら、照蔵が大きく息を吐き出す。誤情報を掴ませてしまったのは悪いと思っている。
だが、いきなりキレて首を絞めてくるとは予想外だった。
「以前より怒りっぽくなったんじゃなかろうか、あやつ」
「いやぁ〜。昨日の誤情報に関しては、俺も怒ってんだけど?」
「そうだな。見事にゲロをぶちまけよったものな、お前は」
「どうして酒盛りの晩に出る、なんて結論になったのか聞いていい?」
「なに、数人の客の情報を元に、儂が決断したのだ。だが、女性客からも情報収集するのを忘れておったわい」
源太もそうだが、この流派の先輩諸氏は実力こそ桁違いなれど、仕事が案外いい加減なのではないか。
心なし幻滅した吉敷だが、九十九が着替えて戻ってきたので、内面の愚痴を心の奥へ仕舞い込んだ。
「……よかった〜、十和田くんも外来式だ。これでやっと、お揃いだぁ」
「ん?どこが揃いなんじゃ、南樹。九十九はお前と違って胸なんぞ隠しとらんぞ」
「ちっ、違う違う!形式が一緒って話をしただけで!!」
源太と照蔵を除いた全員が外来式の水着だ。
近年、褌や着物装の水着で海に入る若者は少ない。
尻丸出しという格好や水で透けるのが恥ずかしいというのもあるが、流行も一つの原因であろう。
南樹の水着は上下に分かれた"トップパンツ"と呼ばれるもので、上下ともに布面積が小さく、露出度がえらく高い。
それでも従来の国産水着と比べたら、着替えやすいし水で大事な部分が透けないし、模様も可愛いものが多い。
「何が違うんだ?」
「え!あ!い、いや〜、格好いいなと思って!十和田くんの水着、すごく似合ってる」
「……そうか?お前も、その……似合っていると、思う」
ベタ褒めされるほど格好いい水着でもなく、九十九の履いているのは吉敷や甚平と大差ない地味な男性用水着だ。
似合っていると言いつつ下向き加減に視線を逸らして照れる九十九を見、新たな彼の姿に南樹は心を震わせる。
掴みはバッチリ。
あとは、どうにかして二人きりになる機会を作らねば。
「それで……照蔵、昼間の怪奇は、どんなふうに現れるんだ?」
「うむ。昼間の幽霊は夜より厄介ぞ。なんせ海水浴の客に乗り移って、お色気攻撃をかましてくるのだからな」
霊に憑依された人間を見分けるのは簡単だ。
気を探れば、正常かそうでないかは、すぐ判る。
接触した際に軽く念でも送り込んでやれば、霊を追い出すの自体は問題なかろう。
問題は、お色気攻撃だ。
「乗り移られるのは、全て女性と決まっておる。大変じゃぞ?どれが客で、どれが憑依か全然判らんのじゃから」
「その情報、今度こそ間違いじゃなかろうな」
「む、疑っておるな?九十九。だが安心せぇ、昼間の怪奇は儂も経験済みじゃ」
「お色気攻撃とおっしゃいましたが、具体的には、どのような攻撃を仕掛けてくるのですか?」
「おぅ、よっしー。お主も気になるか。なに、最初は普通に雑談などを振ってくるのだがな、次第に顔を間近に寄せてきたり、おっぱいをすり寄せてきたり、ふぅっと耳元に息を吹きかけてきたりしてな、サービス満点じゃ」
ふぅっと耳元に息を吹きかけられて、吉敷は慌てて身をひいた。
今のは相手が照蔵だったので気持ち悪さも半端ないが、これが例えば小夜子あたりの美少女にやられたら、どうか。
きっと自分は動転してしまうに違いない。
上手く対処できるかどうか心配だ。
「そのお色気攻撃、私にもしてくるのかなぁ」
「女が女に?そりゃ〜ないんじゃねーか?あるとすりゃあ、ツクモに乗り移って襲いかかってくる――」
何か言いかけた甚平は、即座にガゴンと勢いよく当の九十九に頭を殴られた。
だが文句を言おうと顔をあげた彼は、九十九に獰猛な視線で睨まれる。
続けてヒソヒソと囁かれた言葉には、甚平も謝るしかない。
「バカ!南樹は、それでやられたんだぞッ」
「わ、悪ィ……」
彼女が狐に乗り移られた人々から性暴行を受けたのは記憶に新しい。
あれから半年しか経っていないのだ。
冗談でも口に出していい話題ではない。
「女性客が襲われたという噂は届いておらんが……しかし芳恵、お主も用心するに越したことはない」
「うん、判った」
「無事に憑依を追い出したとして、倒せるんかのぅ?」
「それがのぅ……追いかけたまではよかったが、海に潜られてな」
「海に?なら潜って追いかければいいじゃないか」
「息が続けばな。あいつら、むちゃくちゃ深くまで潜りよるんじゃ。それの対策も考えんといかんのぅ」
今から潜水の練習をしたとしても、付け焼き刃では上手くいくまい。
対策を考えるとすれば、海へ逃げられる前に仕留める方法を考えるべきだ。
吉敷の提案に、誰もが頷く。
せっかく、これだけの手数があるのだ。
照蔵リサーチによると、昼間現れる怪は夜の怪と違って一日につき、多くても二人程度で少ないらしい。
狙われるのは大体が男性。
憑依された側も無事ではすまない。
海中に逃げた女性は、未だ行方知れずのままだという。
「なら簡単だな。誰かが囮になろうぜ」
「よっしゃ、じゃあ言いだしっぺの甚平、お主がやれ」
「うぇぇ〜、俺がぁ?いや、俺は駄目だろ」
「なんでじゃ?」
「お前らが万一やられた場合、回復できるのは俺だけだぞ」
「けど、幽霊はお色気攻撃してくるだけなんでしょ?回復なんて必要ないんじゃ……」
「いや、誘惑に引っかかると催眠もかけられるでな。儂も初日は酷い目に遭うたものよ」
「酷い目って?」
「うむ、幻に惑わされて危うく馬糞を食いそうになったわ」
それは嫌だ。
だが万が一幻術をかけられたとしても、甚平の解術なら目を覚まさせられる。
となると、甚平はどうしても援護に回ってもらわなければならないだろう。
「やっぱ、ここは一番弱い奴が囮になるべきじゃね?例えば吉敷とか」
「吉敷は駄目じゃ!!吉敷にベタベタ触れてくる美女など現れおったら俺の心は嫉妬で壊れてしまいそうじゃあ」
「何だそりゃ。個人的な理由で反対するなよ」
「まぁ、源太の反対する理由はともかく、よっしーは攻撃に回ってもらわんと困るぞ。なんせ霊体をぶったぎれるのは、よっしーしかおらんでな」
吉敷の霊刀は前準備ぬきに、接触すれば一発で霊体を消し去れる優れものだ。
他の者達だと霊体を相手に戦う場合、まず、標的の動きを止める必要がある。
吉敷はそれを必要としないのだから、この戦いでは攻撃の要となろう。
「なぁテルよ、憑依霊が男を狙うのは判ったが、具体的に、どんな奴が狙われるんだ?誰彼構わずなのか」
「狙われるのは独り身であり、海の家へやってきた男じゃ。一人でいるところに近づいてきて、あっちで話しましょう〜うふんっとなって、のこのこ岩陰まで出向いていくと誘惑の始まりじゃ。幻惑されれば偉い目に遭うし、精気を吸い取られる場合もある」
「んじゃあ、まず、ここにいないと遭遇しねぇのか」
「その通り」
「けど俺らは客じゃねーよな。店員って形になんのか?」
「そうじゃの。おぉ、そうじゃ、忘れとった」
不意にぽんと手を打ち、照蔵が仲間の顔を見渡す。
「叔父から頼まれておったのだがな、ついでに海の家の手伝いもやってほしいとのことじゃ。無論、別途給料は出る。調理係と客引き係及び接待係を、誰かやってくれんかのぅ」
「なら、皆で手伝えばいいじゃない。客引き係は一人で充分だけど」
「客引きなら、ついでに憑依霊も引っかけられるんじゃねーか?」
「おぉ、頭いいのぅ甚平。して、その役は誰がやる?」
「そりゃあ、やっぱ女を引っかけやすい顔の奴がやるべきじゃね?」
この中で顔がいい男と言うと、おのずと限られてくる。
甚平、源太、照蔵の視線が自分に向かっていると知り、九十九は焦って言い返した。
「お、俺か?俺は呼び込みも接待も、得意じゃないんだが……」
「なぁに、大丈夫じゃ。お主なら黙って立っているだけで女がわんさか寄ってくるわい」
「黙って立ってりゃいいんなら、お前らにだって出来るだろ!?」
「たわけ、甚平の言葉を聞き逃したのか?女は見た目で誘われる生き物ぞ。花に群がる蝶のように!」
女性を見下す発言も含まれたが、南樹は黙っている事にした。
ここで混ぜっ返していたら、永遠に客引き兼囮役が決まりそうもない。
本音を言うと客引きなどという如何にも女性に逆ナンパされそうな役目を九十九にはやってほしくないのだが、他に出来る者がいない以上は彼にやってもらうしかない。
「蝶が群がりたがる花ってのは、吉敷みたいな奴を指すもんだろ。俺なんかが店の前で仁王立ちしていたら、皆、暑苦しくて迂回するんじゃないか……?」
「それは儂らの場合であろう。お主は一度鏡を眺めてみる事じゃな。まぁともかく客引きをやれるのは、お主しかおらんで四の五の言わんとやってもらうぞ、九十九」
「おうよ、モロコシやら焼きそばを焼くのは俺に任せとけ!九十九は客を引っ張ってこい。ついでに接待もお任せするぞ」
「いや、だから呼び込みも接待も得意じゃないって言っているだろ」
「ツクモよぉ〜、これは仕事だぜ?仕事。任された以上は、やり遂げてみせろっつーの」
「そうそう、困っている人を助けるのが我が流派ぞ。照蔵の叔父さんが困っているんじゃ。なら、助けねばな」
あれやこれやと三人がかりで言い含められ、渋々承諾した九十九は、黙って見守っていた南樹と吉敷にも話をふる。
「ただの幽霊退治が、とんでもない方向に飛ばされたよな」
「まぁ、でも場所が海って時点で大体予想できたんじゃない?」
「こうなることが、か?予想できるわけないだろ」
「ともかく、十和田先輩は客引きに専念して下さい。憑依霊が出たら、俺が必ず倒します」
「あぁ。頼むぞ、吉敷。南樹、客は俺が引いてくるから接待はお前に任せてもいいか?」
「うん。それぐらいなら」
「ならば、客引きを十和田先輩が担当。俺と南樹先輩で選別をおこなうというのは、どうでしょうか」
「あぁ、いいな、それ。それでいこう」
照蔵らに視線を戻した九十九は今し方二人と話し合った件を三人にも伝え、海の家の商売兼憑依霊誘き出し大作戦は静かに幕を開けたのであった――

  
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