彩の縦糸

其の三

[ヨシキ、この幽霊達を片っ端から倒せばいいの!?]
出てくるなり四方を素早く見渡して、火霊が尋ねてくる。
間髪入れずに吉敷は頷いた。
幽霊の数は、今や十体どころの騒ぎではない。
三、四十、いやさ部屋中を覆い尽くすほどの数だ。
甚平や照蔵が符術で消しているが、一体一体消していたのでは間に合わないほどに。
「あぁ、俺の反対方向を頼んだぞ!」
[任せて!]
ごぅっと赤い炎が幽霊の集団へ飛び込んでいって、片っ端から打ち消していく。
吉敷も甚平達のほうへ振り向くと、刀を水平に構えて叫んだ。
「先輩がた、伏せて下さい!今から薙ぎ払いますッ」
「のわぁっ!」
宣言と同時に薙ぎ払われた刀に、思わず照蔵も甚平も腰を落とす。
もっとも、避けずとも霊刀が彼らに当たる心配はない。
この刀は吉敷が斬りたいと思ったものしか斬れないのだから。
「おまっ、攻撃と宣言の間に数秒置けよ!ビビッちまったじゃねーかッ」
「ぬぅ……いかん、手を休めるでないぞ、二人とも」
吉敷へ文句を言う甚平を遮るように、照蔵が二人へ注意を促す。
一旦は全部切り払ったと思った幽霊が、また増えてきているではないか。
火霊のほうはと見やると、こちらも、ひっきりなしに現れていて、状況は芳しくない。
「こんなに大量に出るとまでは、聞いてねーんだけど!?」
「うむ、今宵は特に出血大サービスのようじゃ」
「なんだそりゃ、一体どういうッ!?」
「儂が単独でやっていた時よりも数が多いということよ!」
こちらが手勢を増やしたせいで、幽霊達も団結したのだろうか?
相手が無尽蔵に出てきたとして、符は無限ではない。聖獣とて同じ事。
吉敷も然りだ、片っ端から刀で薙ぎ払っているが、払った側から出てこられては。
早くも息が上がってきた。
「先輩方、奴らを一網打尽にする攻撃はないんですか!?」
「ねーよ!それ持ってんの、ツクモだけだッ」
「いや!源太、お主の霊力ならば一気にいけるのではないか!?」
「やってもえぇんか?この民宿、吹っ飛ぶかもしれんぞ」
そうだ、源太は何をやっているのか。
やはり、ちまちま一体ずつ倒していたと見えて、兄にしては遠慮深い攻撃をしていると思ったら、全力でやれば建物が吹き飛ぶと言う。
ふと吉敷の脳裏に、吹き飛んだ雑木林の風景が浮かんだ。
もしや兄の霊波動は広範囲で放った場合、攻撃対象を選択できないのではあるまいか。
「ぬぅぅっ、それは困るぞ源太!この民宿及び海の家を存続させるのが我らの目的である」
「いや……待てよ、テル。俺ら二人で結界を張れば、或いは?」
「何と!?源太の霊力、受け止めきれると言い切るのかッ?」
言うまでもないが、源太の霊力は婆様を除けば猶神流で一番を誇る。
その源太が最大出力でぶっ放したら、彼より低い霊力の甚平と照蔵の結界で受け止めきれるのかは、甚だ疑問である。
しかし、話している間にも幽霊の数は増えており、火霊も吉敷も息切れ気味だ。
狐憑きとの死闘から半年、吉敷の体力があれから鍛えられたかというと、これもまた怪しい。
その証拠に、三、四回刀を振り回しただけで、すっかり汗だくだ。
吉敷の意識が凝縮されて出来たというのなら、重さも、もっと何とかならなかったのか。
自分のものなれど腹を立てていると、油断をついて幽霊が吉敷の体へ手を伸ばしてきた。
「うわぁ!」
「何っ!?」
無数の手が吉敷の体に絡みつく。
瞬く間に拘束され、吉敷は身動きが取れなくなった。
「くそっ、離せ!」と暴れても、透き通った腕が離れてくれるはずもなく、しかも手は無遠慮に吉敷の服の内へ入り込んでくるわで気持ちが悪いったらない。
[ちょっとー!僕のヨシキに触れていいって誰が許可したの!?やめてよね]
傍らで火霊が吠えているが、だからといって炎を仕掛けては吉敷まで巻き込んでしまうので、火霊には手が出せない。
雁字搦めの吉敷を見据え、甚平と照蔵が驚愕に目をむいた。
「こいつら、人体に触れられるのか!?」
「いや、儂が戦った時には掴めも掴まれもせんかったぞぅ?」
「吉敷は特異体質なんじゃ!」
「特異体質ッ!?」
甚平と照蔵がハモり、源太は頷く。
「吉敷は霊体に触れるし、声も聞こえる。同時に霊体が吉敷に触ることもできるんじゃ」と応え、悔しさに歯がみする。
あれだけ密着されてしまっては、源太の霊波動でも吉敷を巻き込んでしまう。
悩んだのも一瞬で、すぐに甚平が結論を下した。
「ゲン、今から結界を張る!お前の霊波動で吹き飛ばしてやれッ」
「し、しかし、そんなことをすれば吉敷が」
「吉敷!お前、その霊刀で結界を張れるか?」
「け……結界、ですか?」
「そうだ!ぶっつけで悪いがな、霊波動を霊刀で受け止めるんだ!」
結界なんて、吉敷は一度も使った事がない。
霊刀で波動を受け止めろと先輩に言われたが、そのような事は可能なのか。
源太はすでに霊力を貯め始めている。ぶっつけだが、やるしかない。
要は、霊刀で波動をたたっ斬ればよい。
間違って自分まで吹っ飛んだとしても、幽霊が倒せるなら、それに越したことはない。
場合によっては大怪我を負うかもしれない。
いや、もしかしたら死んでしまうかも?
――雑念を振り払い、吉敷は目を閉じる。
源太の仕掛ける間合いを、今か今かと待ち続けた。
「いくぞ、吉敷!こらえきるんじゃぞッ」
甚平と照蔵の結界も完成したのであろう、源太が吠えた。
吠えて数秒後、彼の全身が白く輝き、強大な霊力の塊が、こちらに向かって飛んでくる。
吉敷は歯を食いしばり、霊刀を己の前に掲げた。
結界。
どのようなものかは判らないが恐らく、それは盾のようなものではないかと吉敷は見当をつけた。
脳裏に盾を想像する。
果たして刀は源太の霊波と接触した瞬間、すぱっと吉敷のいる範囲だけを一刀両断にして、残りは全て幽霊に向かわせた。
「なんとぉ――ッ!?」
照蔵らの見守る中、吉敷を囲んでいた幽霊達が甲高い断末魔を残して一瞬でかき消える。
同時に室内の灯りも落ちて、真っ暗になった。
「てっ、停電!?」
「違う、これは……幽霊達の仕業じゃ!」
「じゃあ、退治しきれなかったのかよ!」
「一部はな。二戦、三戦は覚悟せねばなるまい」
それにしても一面真っ暗だ。
これでは、どこに何があるかも判らない。
己の無事を確認するまでもなく吉敷は周囲を見渡すが、あれだけいた幽霊が一体も見あたらない。
気配を探っても、何も感じない。この部屋の中には。
「撤退しやがったのか?」
「いや……この部屋にはおらぬが、外に気配を感ずる。廊下だ、一旦廊下に出るぞ、あたっ!」
「何すんじゃあ、照蔵!俺にぶつかってどうするッ」
「非常灯ねーのかよ、この民宿っ」
「そんな気の利いたもんが、安民宿にあると思うてか甚平っ」
あちこちで、どたんばたんと蹴躓く音がしていて、今動くのは危険だと吉敷は考えた。
しかし、幽霊がまだいるとしたら、なおのこと南樹達が危ないのではないか。
こちらは四人がかりと聖獣一匹で、やっと撃退できたぐらいだ。あちらは二人しかいない。
「先輩方は待機していて下さい!俺は十和田先輩達を助けに、うわっ!?」
「吉敷、今動いたら危ないぞぃ。兄ちゃんがキャッチしようにも何も見えんし」
「アダッ!ゲン、いくら弟が心配だからって人を踏んづけてく奴があるかっ」
「悪い悪い。ほら、な?もう何処に何があるかも、よう見えん」
「言われてみれば、襖も見えんのぅ」
別の意味で足止めをくらってしまった。
照蔵の言葉に、再度吉敷が暗闇へ目をこらしてみても、廊下へ続く襖の位置さえ判らない。
それに万一廊下へ出られたとしても、南樹の部屋が判らないのに吉敷は気づいた。
申し訳ないが、彼ら二人は二人だけで何とか対処してもらうしかなさそうだ。


吉敷達が大量の幽霊相手にドタバタ乱闘していた時分、南樹もまた、幽霊と対決していた。
駆けつけた九十九が見たのは、無数の幽霊と睨み合う彼女の姿であった。
幽霊が動く気配はない。しかし、南樹も動けずにいる。
支配下に置いたまでは良いのだが、攻撃も操作もできない膠着状態にあった。
「と、十和田くん、どうしよう、これ」
「おう、どいてろ南樹」
酔っぱらってグワングワンな頭なれど、九十九は懐から符を取り出す。
動けないのであれば、二、三、朱雀でも放てば消滅させられるだろう。
そう思ったのだが――額に汗を浮かべた南樹が拒否する。
「ど、どけないよ」
「なんで」
「だって、ちょっとでも動いたら拘束が解けちゃうんだもの」
「あぁ?お前、同調してんじゃないのかよ」
「してるけど!ちょっとでも動くと解除されちゃうの、こんな相手初めてで、どうしたらいいか判らなくてっ」
それで手出しできないまま睨み合っていたのか。
普段なら同調した時点で、霊体は南樹の支配下に置かれる。
あとは成仏だろうと消滅だろうと、彼女の意志次第で何とでも出来る。
しかし、それが出来ないのだと彼女は言う。今回の相手は一般幽霊とは異なるようだ。
「なら一体ずつ消してくか」
「それも無理!っていうか無駄だから、符の無駄遣いしないで」
「あ〜?」
「消しても消しても次が出てきちゃって……」
膠着状態へ入る前に、彼女も一通り試したと見える。
にしても不思議だ。
幽霊は酒盛りしないと出てこないと照蔵は言っていたのに、一人でいた南樹の元にも現れるとは。
しかも、こんな多勢で。
「……お前、一人で酒盛りしていたのか?」
「さ、酒盛り?何それ、してるわけないでしょ!」
「ふーん」
「それより、早めに打開策を出してくれると嬉しいんだけど」
棒立ちしているように見えるが、よく見ると南樹の手は細かく震えているし、額に大量の汗が浮かんでいる。
同調は長く続ければ続けるほど、精神に負担がかかる。
誰かが駆けつけてくれるまで、ずっと縛り付けていたのだから、負担も倍増だ。
「んなら、一気に吹き飛ばすか」
「お、お願い」
と言ってから、南樹は九十九の様子がおかしいことに気がついた。
やたらプンプンと酒の匂いを放っている。
半分泥酔したような、とろんとした視線で、頬も真っ赤である。
部屋で今まで何をしていたのだろう。先ほど、酒盛りがどうのと言っていたが。
「な、なんでそんなに、お酒臭いの?まさか、部屋で酒盛りしていたの?夕飯でも、あれだけ飲んだのに!?」
「あー……照蔵が、そうしろって言うから」
何か話すたびに、南樹の声がキンキン九十九の脳味噌に突き刺さってくる。
酒盛りしなければ幽霊は出ないと照蔵が言うもんだから、仕方なく九十九も参加した。
途中で下品な話題になっても幽霊が出るまでは我慢するつもりだったのだが、酒をあけるペースと反して幽霊が、なかなか出てこないものだから内心では焦っていた。
意識が途切れる前に出たのは幸いであった。
「どっ、どういう意味?そういえば、さっきも酒盛りがどうって」
「酒盛りしないと出ないんだとよ」
「で、でも、してなくても出たけど!?」
「だよなー、なんだよ、騙された……」
「ね、寝ないで?寝る前にコレ、何とかしてくれるっ!?」
足下もふらふらおぼつかないし、先ほどから、ひっきりなしに瞼をこすっているのは眠いのか。
だが、ここで九十九に眠られては困る。南樹一人では、とても対処しきれない数だ。
焦る南樹の前で九十九は何やらむにゅむにゅ呟いていたようだが、やがて、ぼんやりした表情で彼女に応える。
んー……おおわざで、ふきとばしゅ
「えっ?」
みにゃきは、けっかい……たのむ
ろれつも怪しくなってきた。こんな状態で術を唱える気か。
大丈夫なのか?下手したら、暴走するんじゃ――
南樹がハラハラ見守る中、九十九が符をバラバラと足下に落とす。
酔っぱらっているにもかかわらず、符は、きちんと陣の形を成している。
やる気満々だ。
てんめーにゃるきゃみに、ねぎゃーたもー、われにちきゃらをさずけぅひたのげんぶぅ、みにゃみのせーりゅー、ひぎゃちのしゅじゃぎゅにひのみゃっこ……
「ちょ、ちょっと何言っているのか判らないんですけどッ!?」
九十九の術は、ろれつが完全に回っていない。
これでは南樹が不安に陥るのも致し方ないが、しかし九十九は呪の途中でニヤリと笑って受け応える。
おみゃーら、れいりゅつだょりはぼーしょーしてもじゅちゅは、ぼうしょうしにゃいんにゃ……
「え、何言ってんの?ごめん、全然わかんないんだけど!」
ふん……しょれより、けっかい、はやく
同調したまま結界を張れと言われた。
そりゃあ張れない事もないのだが、負担が、どれだけのものになると思っているのか。
しかし泥酔した相手に目つきも悪く睨まれては、拒否の選択肢もない。
相変わらず何を言っているのかは不明だが、九十九の呪は一応終わりに近づいているようで、符陣が薄く光り輝いている。彼の術に呼応しているのだ。
しほーに、おわしゅしじゅーぉ、わがめーにこえぇぅ……わぎゃちちゃらとにゃり、しゅべてのてきぉーうちはらいたもー
半開きの目で、幽霊を睨みつける。
その頃には南樹の結界も発動していて、彼女は汗だくになりながら、事のなりゆきを見守った。
これで九十九の術が不発に終わったら、為す術がない。二人揃って幽霊にやられるしか。
げふっと一回酒臭いゲップを放ってから、九十九が徐に手を掲げる。
足下の符が、ふわりと宙に浮かんだ。
四色の光の束が一直線に幽霊軍団へ放たれて、部屋中がバシバシッと目映い光に覆われたかと思うと、次の瞬間には灯りが全部落ちて真っ暗になる。
「うわ、何?停電ッ!?」
……うし、かんりょー
続けて何かが派手に床へばたんと倒れて南樹はビクゥッとなるも、何秒後かには部屋の灯りが元に戻り、床に倒れた九十九を見た。
「とっ、十和田くん、十和田くんっ!しっかりして!?」
抱き起こすと、九十九はカーカーいびきをかいて寝ているではないか。
術を最後に意識が途絶えた模様である。
そして、あれだけ部屋にいたはずの幽霊は、今や一体もいなくなっていた。
九十九は見事に爆睡している。
ちょっとやそっと揺すったぐらいでは起きまい。
いや、叩き起こして部屋まで戻らせるのは可哀想か。
少し考え、南樹は彼を膝枕してあげた。
「もう十和田くんったら、無防備に寝ちゃって……」
件の狐憑き騒ぎの後、九十九と南樹は結婚を前提としたおつきあいを始めたのだが、これがまた、いつまで経っても友達の延長を貫いている。
南樹としては恋人らしく揃いの着物を着てみたり、一緒に食べ歩きなどをしてみたいのだけれど、九十九が全く乗り気ではない。
仕事以外で着物を着るのは嫌なのか、南樹の要望は頑としてはね除けられた。
それならばと妥協して外来着で持ちかけても梨の礫で、どうやら彼は世間に自分達が恋人同士であるぞと主張するの自体が嫌いであるようだ。
このままでは何もないまま、結婚すらもないまま終わってしまうのではないかと日に日に焦っていたところに、今回の依頼が舞い込んだ。
海だ。
海では誰もが開放的な気分になるという。
これはもう、行くしかあるまい。
人助けもさることながら、もし、九十九と二人きりの時間を取ることが可能なれば――
何か進展が望めるかもしれない。南樹は、そんなヨコシマな心で参加したのであった……

  
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