彩の縦糸

其の二

民宿は残念ながら兄貴と二人とはならず、南樹一人を別部屋にして、男性陣はマグロ部屋と相成った。
昼間集合した海の家と今いる民宿は照蔵の叔父が経営する店で、海の怪退治は身内の依頼であったのだ。
身内の店といえど、かき入れ時の季節に何部屋も借りるわけにはいかない。従って全員大部屋だ。
「まっ、海の季節にタダで泊まれる上、食事付とあっちゃこれ以上の待遇は図々しいってもんよな」
と甚平は言っているが、昼間は報酬の件で喧々囂々やっていた。
照蔵は身内だから無償でも構わないだろうが、他の面々は実費でここまで来たのだ。
さらに他の依頼を蹴ってまで駆けつけたとあっては、ただ働きでは面白くない。
彼らは取り分を決めて満足した後、今後の予定も話し合った。
源太との甘い夜にうつつを抜かしているように見えて、吉敷も、そのへんはちゃんと聞き耳を立てていたから知っている。
幽霊は複数、夜に出る。海の家ではなく、この民宿に。
やつらは必ず、客がある行為に耽っている時に出るのだという。その行為とは――
「俺達を呼ぶのは構わんとして、何故南樹まで呼んだんだ?女が一人混ざれば、部屋が別になるなんてのは呼ぶ前から判っていただろうが」
「ん?南樹が同部屋じゃなくて寂しいんか?九十九は」
「そうは言っていない」
ぐびりと酒を一口飲んで九十九が続ける。
部屋に転がるのは、空のとっくりだ。
もう、かれこれ五、六本は空けている。
飲んでいるのは九十九だけではない。下戸の吉敷を除いた全員だ。
「あいつは、あんな目にあったばかりだってのに人を襲う物の怪退治に誘うとは気が利かなすぎるだろ」
「大丈夫じゃ。何か出ても九十九、お主が守ってくれるからの。儂らも当然力になるぞ」
「軽く言ってくれるがな、部屋が別々じゃ何かあっても判らんぞ」
「その為に防犯鐘も渡したんじゃ。何かあれば、あれをガンガン鳴らすよう、南樹には伝えてある」
防犯鐘は女学生が痴漢対策として持ち歩く鐘で、危険人物などに遭遇した時、振り回せば四方八方に大きな音が鳴り響く――という近所迷惑なシロモノだ。
だが音がすれば、驚いた誰かが駆けつけてくれるかもしれない。
実際、ある程度の防犯成果は上がっているらしい。
「それにな、九十九。儂らは考えたんじゃ」
「何を」
「傷心の今こそ、あばんちゅうるな夏をあいつに贈ってやろうと」
鯰髭の筋肉達磨なオッサンが、いきなりアバンチュールなどというハイカラな外来語を織り交ぜてくるもんだから、吉敷は驚いた。
驚いたのは吉敷だけではなく、九十九もポカンとして照蔵を見つめる。
「なんだ?いきなり。酒に脳が浸かりすぎたのか」
「ふっふっふ。芳恵にお主と一夏の甘ぁい恋を過ごさせてやろうという、儂らの同輩心よ」
「……何を言い出すかと思えば。余計なお世話だ」
「だがよ、お前が鈍感なせいで南樹がああなったと言えなくもないんだぜ?」
甚平のは結果論だ。
たとえ九十九が南樹の恋心に気づいていたとしても、依頼は単独で引き受けていたのだから、どのみち同じ結果に行き着いていたであろう。
九十九がそう突っ込むと、そうじゃないと甚平は首を振る。
「お前が!先に南樹とヤッちゃっていれば!彼女だってショックを受けなかっただろって言ってんだ!」
「それこそ余計なお世話ってもんだろ。お前らに、あいつの何が判るんだ。それに、俺の意志は無視なのか?お前らの言い分は、俺もあいつを好きという前提の元に成り立っているようだが」
「けど、嫌いじゃないんじゃろ?」
ちら、と上目遣いに源太に尋ねられて、初めて九十九が言葉に詰まった。
以前話した時は、南樹と自分は恋人関係ではないと、きっぱり断言していたように吉敷は記憶している。
あれから、関係に変化でもあったのだろうか。
「……そりゃあな。一応、同期だし」
「それだけじゃないじゃろ〜?」
「おうよ、芳恵のお主を見る目。一年前とは大違いじゃわい」
「そうとも、前は憧れの十和田くんを見る目だったのに、今年の南樹は、すっかり私の九十九くんを見る目じゃあないか!」
吉敷から見た南樹は昼間、あまり九十九とは話していなかったように思うのだが。
しかし照蔵と源太は確信があるようで、両側から九十九の頬を突いては冷やかしの言葉を投げかけている。
「どうなんじゃ?見舞いの席で告白されたんと違うのか?」
「それとも復帰後か?お主らつきあっているんと違うのかのぅ」
「あー、もう!うるさいっ」
両脇の二人を疎ましそうに払いのけ、九十九は、ぐびっと手元の杯を煽る。
七本目が空になった。夕飯の後とはいえ、些か飲み過ぎだ。
幽霊は酒盛りの晩に現れると聞かされていたが、こんな大量に飲んだ状態では、却って危ないのではないか。
吉敷の心配を余所に、しかし全員まだグデングデンには酔っておらず。
先輩諸氏の中では一番酒が弱そうに見える九十九も、照蔵と源太を力押しではね除ける程度には意識がはっきりしている。
あれだけ飲んで平気とは、恐るべき蟒蛇どもだ。
「俺と南樹がつきあっていようがいまいが、お前らには関係なかろうっ」
「いーや、ある!」
「あるともよ!」
「なんでだ!?」
「儂らは、あの子を時には愛しい娘のように、時には頼れる可愛い同胞として見守ってきた……いわば、お母さんのような存在じゃあ!」
「なんで、お母さんだよ!男なら、お父さんだろ!?」
「どっちでもえぇわい。とにかく南樹には幸せになってほしいと願っておった。なのに九十九、お前ときたら全く鈍感で、そのうちに、あの事件よ。南樹の無念を思うと、俺達の心も張り裂けそうじゃった」
猶神流女性霊媒師の中で飛び抜けて実力の高い南樹を、彼女より年上の面々が可愛がる気持ちは吉敷にも判らないではない。
が、頬を染めて語る照蔵を見ていると、母親の気持ち以外も混ざっていたのではないかと邪推してしまう。
吉敷の眺める前で、すっくと甚平が立ち上がる。
えらく据わった目で九十九を睨みつけると、人差し指を突きつけて叫んだ。
「えぇい、まどろっこしい!この際、単刀直入に聞くッ。お前がつきあっていないんだとしたら、あいつは俺がもらう!」
質問というよりは、宣戦布告だ。彼を見上げ、源太がカラカラと笑う。
「なんじゃ甚平、お主も南樹が好きだったんか?だが諦めぇ、南樹の視線には九十九しか写っておらんでの」
「う、うるせぇ!どんなに好きでも相手が見てくれないんじゃ南樹だって諦めるっきゃねーだろうが!そん時は、この俺がバシッと受け止めてやるってーのよ」
「つきあっている!」
「あ?」
「……つきあっていると、言ったんだ。俺と南樹は」
更なる酒のおかわりをつぎながら、ぼそっと九十九が告白する。
「な、なんだってぇー!?」と大袈裟なポーズを決めて絶叫する甚平を横目に、照蔵と源太は顔を火照らせて、輝いた目を九十九へ向けた。
「おぉ!では、ついにあばんちゅうるな夏の幕開けが!」
「これは我々も手助けせねばならんのぅ!」
「しなくて結構だ」
「そうはいうが、お主、女性の扱いは判るのか?つきあいを始めたと言うても、未だ童貞なんじゃろ。ここは愛妻家の俺に指南を乞う場面じゃぞ」
後輩もいる前で、源太は堂々と九十九の触れてはならない領域に踏み込む。
吉敷があまりにも大人しいせいで、存在を忘れてしまったのだろうか。
いや、彼らはだいぶ前から吉敷の目を気にしなくなっていた。
こんな下品な話題を始めた瞬間から。
「そんなもん、つきあううちに判っていくだろ」
「うぅむ、駄目だこりゃ。あばんちゅうるには程遠いわい」
「全くじゃ。判っておらんのぅ、九十九。男と女の関係は男が積極的になってやらねば、いつまで経っても先に進めんのだぞ」
「おっ、源太先生の恋愛講座か?ヒューヒュー♪」
甚平が口笛を吹いて囃したてる。
失恋したばかりのはずだが、さほどショックでもなかったのだろうか。
照蔵も吉敷と同じ事を考えたのか彼に尋ねた。
「甚平お主、立ち直りが早いのぅ」
「まーな。つきあうんじゃねーかって予想はあったからよ。なんたって、あんなことのあった後だろ?如何にこいつが鈍感であろうとも、本人に確認ぐらいは取るんじゃないかと思ってよ」
「ふむぅ。では何故、先ほどはあのような宣戦布告を?」
「あ?カマかけに決まってんだろ!」
わざと挑発して素直じゃない九十九のくちを割らせる為だった――
とは甚平の弁だが、どこまで本当なのか。
まぁ、いい。それよりも源太だ。
一体何の指南をくれてやるつもりなのだろう。
静との思い出語りなど聞かされては、たまったものではない。
もし始まったら、風呂に逃げようと吉敷は考えた。
窓の外を見ると、とっぷり夜は更けて星が瞬いている。
そういや忘れるところであったが幽霊は、いつ出るのだ。
夕飯を食べ終え、部屋で酒盛りを始めてから、かれこれ二、三時間は経過したように思うが、全く出てくる気配がない。今夜は空振りか。
部屋では八本目のとっくりも空にした先輩諸氏が、相変わらず下品な話題で盛り上がっている。
しかし全員呼びつけたのは強敵だからだとばかり思っていたが、まさか恋の成就が目的だったとは。
呆れて、ものも言えない。
会話に混ざらぬ吉敷の前で、源太が口をタコのように尖らせる。
「よいか九十九、なにはなくとも接吻じゃあ」
「は?」
「朝に接吻、夜にも接吻で接吻しておけば大抵の女は、うっとりしてしまうというもんじゃ」
「それは、お前の嫁さんに限った話じゃないのか?」
「何を言うとる!接吻もしたことのないお主に何が判るんじゃ」
「いや、でも」
「仕方は判るか?九十九。こうやって顎を持ち上げて上を向かせて、おもむろに、んちゅぅっと」
「お、おい、やめろ!バカ!!」
ゴッと景気の良い音がして、源太が前のめりに沈み込む。
迫り来る源太を止める為に顎を殴ったのだというのは判るが、幽霊を誘き出す算段の酒盛りで仲間割れは勘弁して欲しい。
白目をむいて昏倒した源太を介抱するでもなく、照蔵が徐に切り出した。
「接吻も結構じゃが、やはり一夏の思い出とするなればチョメチョメであろう。否、チョメチョメこそが男の本懐よ」
「はぁ?照蔵、お前まで何を言い出すんだ」
「大体、チョメチョメってなんだよ?」
「たわけものッ!チョメチョメというたら、性交に決まっておるではないかッ」
「なら最初から、そう言えよ。判りづれー」
「で?性交の何が男の本懐だというんだ」
「ずばり言おう!芳恵の傷心を埋めるには、九十九!お主の性交によって、記憶の上書きをするしかないであろうと!」
放っておいたら、とんでもなく斜め上な会話になってきて、思わず吉敷は腰を浮かす。
よく見ると、照蔵も九十九も甚平も頬は赤いわ目が据わっているわで、あまり正常とは言い難い。
酔っていないと思ったのは吉敷の勘違いで、六、七本目を空けたあたりで既に全員酔っぱらっていたのかもしれない。
「あのな。南樹は、その性交で酷い目にあったばかりだろうが。追い打ちかけて、どうすんだ」
「あんなもんはチョメチョメたぁ言わんわい。ただの暴行だ。真のチョメチョメは、愛じゃ!愛が無くてなんの性交よ!」
しかも照蔵の声は無駄に大きいものだから、民宿中に聞こえているのではないかと、ひやひやする。
いつ、この暴走した部屋を抜け出て風呂に行こうかとタイミングをはかる吉敷の耳が、微かな振動を拾った。
最初は、コト、という小さな音だったのだが――
唐突にガランゴロンと盛大に鐘の音が鳴り響き、びくつく吉敷を余所に、先輩ら三人の動きは迅速であった。
「むっ!」
「南樹が危ないッ」
真っ先に廊下へ飛び出したのは九十九で、一歩遅れた甚平と照蔵、それから同じ部屋にいた吉敷にも異変が襲い来る。
何もないと思っていた空間から白い手が伸びてきて、吉敷の体をべたべたと無遠慮に触ってくる。
吉敷が「うわっ!?」と悲鳴をあげるや否や。
「吉敷に何をする!」
昏倒していたと思った源太が起き上がり、白い手目がけて霊波動を撃つ。
断末魔も残さず吉敷を襲っていた幽霊は消えたが、敵は一体ではない。
次から次へと、何もない空間を渡って出てくるではないか。
その数、ゆうに十体は越えている。
「なるほど、こんなんじゃ民宿も商売あがったりだわな!おし、さっさと片付けるぞ、テルッ」
懐から符を取り出し構える甚平に、「おうよ!」と応えて照蔵も巻物を取り出す。
先ほどまでチョメチョメがどうのと酒盛りに興じていた連中とは思えぬほどの身の変わりっぷりだ。
甚平と照蔵は背中合わせに呪をとなえ、二人の術が完成する。
「邪霊跋扈!元ある場所に帰れ、亡霊どもがッ」
「北に住まう玄武よ、我に力を与えたまえ!」
甚平の符からは赤い炎が、そして照蔵の符からは激しい水が噴き出し、幽霊を押し流す。
しかし倒す側から幽霊が沸いてくるものだから、部屋から一歩も出られない。
南樹も、彼女の元へ向かった九十九も無事だろうか。
心配する吉敷へ、源太の声がかかる。
「吉敷!霊刀をッ。それと聖獣達も呼ぶんじゃ」
「あ、あぁ」
そうだ、ぼうっと見ている場合じゃない。
頭数には自分も含まれていたのだった。
吉敷は念じる。聖獣達へ向けて。
真っ先に駆けつけたのは炎の馬、火霊であった。

  
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