彩の縦糸

其の十一

その辺にいた海水浴客まで巻き込んでの西瓜割り大会も夕暮れと共に終わりを告げ、民宿に戻ってきた吉敷達は窓口にて記帳する客の多さに気づいたのであった。
「西瓜割り大会が功を成したのかねぇ」
「その前に九十九が体を張って宣伝してくれたからのぅ。九十九、お主には足を向けて寝られんようになったわい」
「よせよ、そんなに煽て上げても二度と浴衣は着てやらないからな」
「何を言うとる!夜は浜辺で花火の打ち上げをやるんじゃぞ?花火といえば浴衣で観覧。基本じゃろ」
最早すっかり様子見というよりは夏を満喫している先輩方に、吉敷の頬も思わず緩む。
宿に客が大入りとなれば、報酬にも上乗せがくると想定される。
報酬の問題だけではない。
この夏、先輩方と知り合えたばかりか、ほんの少し距離が縮まったようにも感じる。
来て良かった――しみじみ、そう思わずにはいられない吉敷であった。
「うむ。花火は浜辺で眺めてもよし、廊下の縁側で眺めてもよし。九十九は芳恵を誘って縁側で団扇を仰ぎながら、浴衣での閲覧をお勧めするぞ」
「まだ一夏のなんたらってのを推奨していたのか……」
「もう、ここまできたら覚悟決めちまえよ、お前も。どうせ今年中には結婚する予定なんだろ?」
「そりゃあ結婚前提と言われ続けてきたわけだし、いつかはするつもりだが」
「いつかは、ではない。今じゃろ!」
「今すぐは無理だ。あいつの中で例の件が吹っ切れるまでは」
「なぁに、女は強いんじゃ。もうとっくに吹っ切れておるわい」
「女でもないお前に何が判るんだ、源太」
「俺は、この中で唯一の既婚者じゃぞ?お前ら独身童貞とは違うんじゃ」
「こらァ、ゲンッ!お前らって俺まで童貞に含めんじゃねーぞ!?」
だんだん廊下では憚られる会話になってきたので、吉敷は皆を夕飯へ誘う。
夕飯を食べ終えたら、風呂に入って、それから花火を待つことになる。
無論、見ないで寝てしまってもよいのだが、寝るには時間が早いし、音がうるさくて寝られないだろう。
なんだかんだ文句を言いつつも、全員が浴衣に着替えて食堂へ向かう。
吉敷も初めて民宿備え付けの浴衣を着てみたのだが、丈も帯の長さもちょうど良くて、まんざら悪くもない。
ただ一つ難を言えば、背中の刺繍が格好悪い点ぐらいか。
「大体九十九、お主はやたら着物を嫌っておるようじゃがな。着物にも利点があるんじゃぞぅ?そう、例えばこうやって胸元に手を差し込んでみたり」
食堂にも客がふえて貸し切り状態ではなくなっていたのだが、照蔵は委細構わず隣に座った九十九の胸元に手を差し込んでくる。
さわさわ胸を撫でたばかりか乳首まで摘んでくるものだから、九十九には勢いよく振り払われた。
「食事中に絡んでくるのは、やめろよ」
「すまん、すまん。だが、浴衣の利点が判ってもらえただろうか」
「今の行為の何が利点なんだ?」
「じゃからの、芳恵の胸元に、そぉっと手を差し入れたり……足と足を絡めて抱き合ったりすると、より一層盛り上がるというもんじゃぞぉ〜?」
「うむ。着物最大の利点は脱がしやすい部分じゃ、九十九。花火の下、恋人同士でいちゃつくのであれば、浴衣は基本じゃろう」
「お前ら、そんな邪な理由で着物が好きだと公言していたのか!?今までッ」
激高する九十九に「どうしたの?ずいぶん怒ってるみたいだけど、何の話をしていたの」と尋ねながら南樹が隣へ腰を降ろしてきたのを幸いとし、九十九は笑顔で「何でもない」と言い繕い、照蔵を足で蹴っ飛ばして遠ざけると、南樹へ振り向いた。
「この後、花火を打ち上げるそうだ。良かったら一緒に見ないか?」
「うん、是非。浜辺に出ればいいの?それとも」
「ん……そうだな、外に出ると二回風呂に入るハメになりそうだし、縁側でいいか」
「あ、お風呂先に入っちゃうの?」
「あぁ。夕涼みついでに花火を見ようと思ってな」
二人の弾む会話を横目に、吉敷は、ひそひそと兄達に相談する。
「十和田殿は南樹殿と二人きりでの観覧をご希望のようです。我々は、どうしましょう」
「そうじゃのぅ。自由時間で、エェんじゃないか?」
「んだな。俺も増えてきた客を物色してーし……」
「無秩序なナンパは慎むのじゃぞ?民宿への影響も考えてな」
「俺が、んな真似すると思ってんのかよ?テルゥ〜」
「よし、では風呂の後は各自、自由行動ということで。吉敷は兄ちゃんと一緒に花火を見ようかの」
「……いや、浜辺で他の人達と一緒に見てみたい」
「むぅ。なら、そうするか」
「む?よっしーは花火大会も初めてじゃったか」
「はい。大勢で空を見上げる、それを俺も体験してみたいのです」
「大勢でぼけーっと大口開けて花火眺めるだけだぜ?それの何が楽しいんだか」
「まったく、甚平は盛り下げ上手じゃな。よっしーは知らない者達と、かけ声を併せたり、お囃子をしてみたいのじゃろ」
それもあるが、吉敷には人の多く集まる催しものに参加した記憶が一切ない。
学生時代の自分は、そういったものを『馬鹿馬鹿しい』と思い込み、避けて通ってきてしまった。
今にして思えば、その考えのほうが、よっぽど馬鹿馬鹿しいと言える。
楽しめる時に楽しんでおく。
いつ命が消えるか判らない職業についた今、吉敷は、それを深く考えるようになっていた。
ここへ着いたばかりの頃は兄と二人でいちゃつくことばかり考えていたが、兄との関係についても、そろそろ本気で覚悟を決めなければいけない。
いつかは、あの家を出なければなるまい。
それを考えると吉敷は憂鬱になってしまうのだが、ポンと源太に肩を叩かれ、心配そうに顔を覗き込まれた時には、平常心に戻っていた。
「兄貴とは、これからも機会があるから……」
「お、おぅ。そうじゃな。二人っきりの機会は、いつでも作れる」
ぽつりと呟いた吉敷にデレデレと鼻の下を伸ばしまくってテレる源太を横目に眺め、「全く、とんでもねぇ兄弟愛だぜ」とぼやく甚平の肩を軽く叩いて諫めると、南樹と盛り上がる九十九へも目を向け、照蔵は箸を置く。
「ごちそうさま」
「ん、照蔵早いな。もう食ったのか」
「うむ、儂は花火大会の手助けをせねばならぬのでな。酒を飲むことも、まかりならん」
「風呂は、どうするんだ?お前一人だけ後で入るのか」
「否。風呂は皆と共に入る。自由時間は別々じゃ」
「そうか。なら、俺達も早く食べて風呂に行くとするか」
「ん?九十九は、ごゆっくりしていってもエェんじゃぞ。芳恵に併せて」
「手伝いをすると決まっているなら、早めに動いたほうがいい。食事が早く終われば風呂に入れる時間も、その分だけ長くなるしな」
「いや、じゃから、そう思って儂だけ早めの食事を、だな」
「それに一人で入る風呂ってな、寂しいだろ。だから一緒にいってやる」
「なんだ、遠慮してんのか?ガラじゃね〜なぁ、テル。珍しくツクモが気を利かせてくれてんだ、遠慮なく乗っとけよ」
遠慮していたわけではないのだが、照蔵はお言葉に甘えておく事にした。
恐らく今晩か明日の朝で仕事は終わる。幽霊は二度と出まい。
確信があった。 故に九十九とふれあえるのも、今夜の風呂が最後だ。
次に会える時まで、心おきなく触っておかねば。


食事を済ませた後は一旦南樹と別れ、全員で風呂へ行く。
吉敷や源太も食事を切り上げており、皆のさりげない心遣いに照蔵は感激したりもしたのだが、よく考えると他の皆は、ゆっくりしてくれたほうが親切だったのではあるまいか。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えつつ、脱衣所の門を潜った。
風呂場は相変わらず閑散としている。
今は時間帯が早いから、誰もいないのであろう。
帯を解いて、くるくると丸めて籠に放り込みながら、なるほど、浴衣は確かに脱ぎやすいと吉敷は感心した。
傍らの九十九も同じ事を考えたようで、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに思い直したのか、イライラした調子で浴衣を籠に投げ込んでいた。
あれだけ着物が嫌いだと公言した手前、素直に認めるのが癪なのであろう。
見れば、甚平や照蔵も九十九の様子を盗み見していたようで、苦笑を浮かべている。
ふと自分への視線に気づき吉敷が振り向くと、九十九が手招きしている。
近づいた吉敷の耳元で囁いた。
「俺は、認めたわけじゃないからな」
「え?」
「脱ぎやすくても、それはそれ、だ。もう二度と浴衣は着ない」
「は、はぁ……」
嫌いなら嫌いで好きにすりゃあいいだろうに、何故吉敷に言うのか。
こちらの知らぬ間に、着物嫌い派に数えられていたのであろうか。
呆然と佇む吉敷を置き去りに、九十九は大股で浴場へ向かい、その後を甚平や照蔵も追いかける。
源太がポツリと「九十九は頑固じゃの。ま、そこも奴の味なんじゃが」と呟き、吉敷を促してきたので、一緒に脱衣所を後にした。
「九十九、そこの温床に寝そべってくれるかの。別れの按摩じゃ、たっぷりじっくりモミモミしてやるぞぃ」
「なんだ別れって、大袈裟だな。連絡してくれれば、いつだって会いに行ってやるぞ?」
「うむ、まぁ、しかし仕事が溜まっている間は、お互い身動き取れぬじゃろ?従って別れは別れじゃ。帰ってすぐ、お主が気持ちよく働けるようにしちゃるぞい」
温床とは筵の敷かれた暖かい床の事で、本来は怪我人が怪我を癒すために寝そべる場所らしいのだが、今の時期には怪我人も病人も宿を取っておらず、誰も利用していない。
言われたとおり素直に仰向けで寝そべる九十九へ、照蔵が尋ねた。
「何故仰向け?」
「仰向けのほうが安心するんだ。うつぶせだと視界が悪くて、な」
「ふむぅ。しかし按摩は、うつぶせのほうが、やりやすいのじゃが」
「仰向けだって大差ないだろ?お前、俺の胸や腹を揉むのが好きじゃないか」
「う、うむ」
ダイレクトな言い分に一体どこまで照蔵の下心に九十九は気づいているのだろうと吉敷らは内心たまげたのだが、言った本人は、さして問題発言をしたつもりもないようで、気軽に按摩を促してきた。
「やるなら早めに頼む。お前だって、ゆっくり湯に浸かりたいだろ」
「うむ?いや、長湯は、さほど趣味ではない。お主と共に入るのは、これが楽しみでな」
「按摩が?お前、本当に変わっているよな……じゃあ一人で風呂に入る時は、楽しみが何もないのか」
「まぁ、そうなるかのぅ。しかし九十九、お主とて一人風呂は楽しみがなかろう」
「そうでもないさ。自分の身体の変調を確かめたり、戦術思考に耽られる時間だと思えば」
「なんと、風呂の時間一つ取っても鍛錬に置き換えるとは。いやはや、お主のほうが余程変わり者じゃぞぉ?九十九よ」
話している間にも照蔵の両手は、いやらしい動きで九十九の胸や乳首を掴んでは丹念に揉みしだいているのだが、食事中では嫌がった割に風呂での按摩は大丈夫という九十九の感覚も理解できず、吉敷の眉間には細かい縦皺が寄る。
湯の中で苛つきを溜め込む吉敷を気遣ったものか、甚平が声をかけてきた。
「お前も大概テルに厳しいよな。あれは、ああいうもんなんだよ」
「そうはおっしゃいますが、あんな似非按摩で何の疲れが取れるというのですか」
「取れた気になりゃ〜いいんだよ、ツクモが。昨日も肩こりが治った気がするって騒いでただろ?要は気分だ、気分」
「それでは、結局十和田殿を騙している事に代わりがないではありませんか。朱雀殿は何故そこまで寛容でいられるのです?」
「前にも言っただろ。あいつら二人が仲悪くなるのは、困るんだ。俺達が今後も同流派の仲間として仲良くやっていくためには、な」
それに、と続けて彼は言う。頑固な吉敷を宥めるかのように。
「こんだけ人がいりゃあ、気にくわねぇ奴の一人や二人、出てくるだろうが俺達ァ、命がけの仕事をやってんだ。頼れる仲間は必須だぜ。そこんとこ、忘れんな」
「つまり、朱雀殿にも気に入らない仲間がいた、ということですか……?」
「まーな。おりゃあ、最初はツクモが気に入らなかったんだ。ま、でも長くつきあううちに、そんな蟠りも消えちまったよ」
あっさり気に入らなかった相手を教えてくれたのに驚愕なら、蟠りが消えたと断言されたのにも驚きだ。
彼の話を信用するなら九十九とは南樹を取り合う恋敵であったにもかかわらず、全ての嫌悪を乗り越えてしまったというのか。
驚く吉敷に、甚平が笑う。
「俺達ァ、お前とも仲良くやっていきたいと思ってんだぜ?吉敷」
「え」
「ツクモや兄貴とばっかじゃなくてよ、俺やテル、南樹とも話そうぜ。追々にな」
「は……はい!」
やや緊張気味ではあるものの、甚平と会話が弾む弟を見て源太は何度も感慨深く頷いた。
人見知りでお兄ちゃんっ子だった吉敷も、短期間で随分と成長したものだ。
皆との顔合わせを兼ねて、この依頼へ連れてきたのだが、連れてきて本当に良かった。
温床では「尻も、尻も、はよぅ」と催促する照蔵をほったらかしに、九十九が、くたぁっと横たわっている。
筵の上は、ぽかぽかして暖かいから、眠くなってきたのだろう。
しかし、今の時間に寝たら夜中に目が覚めるのは必至である。
花火大会もある。寝ている場合ではない。
「九十九、九十九、今寝てはいかん。起きるんじゃ」
「ん、んんー。ここ、気持ちいいんだ……」
「気持ち良いのは判るが、花火はどうするんじゃ?南樹も待っていよう」
源太にユッサユッサと揺さぶられて、パチリと目覚めた九十九は飛び起きる。
「そうだ、長湯している場合じゃないぞ、照蔵!」
「う、うむ。そうじゃの。しかし、あがる前に尻も」
「手伝いがあるんだろ?急げ!」
「し、尻を〜、後生だから最後にモミモミっと触らせておくれな九十九ぉ〜」
なにやら喚く照蔵を脱衣所へ無理矢理押し出すと、九十九は、くるりと振り向くや否や風呂へ勢いよく飛び込んでくる。
おかげで頭から濡れ鼠になった吉敷はブルブルと頭を振り、同じく全身びしょ濡れとなった甚平がムカついた目で睨みつけてくるのにも構わず皆を促した。
「俺達も急いで浸かって上がるぞ。照蔵のあげる花火を余さず見てやらなきゃな!」
「それはいいがよ、風呂に飛び込むとか今時小学生でもしねーぞテメェ〜」
「一、二、三、四……」
「おい、聞いてんのか!?ツクモッ」
「……七、八、九、十!よし、あがるぞっ」
浸かってから十秒きっかりでザバッとあがる九十九を、吉敷はポカンと見送った。
烏の行水にも程がある。
「てめ、こら、人の話聞きやがれ!」と悪態をつきながら甚平もあがっていき、残った吉敷は源太と二人、ゆっくり湯に浸かる。
騒がしいのが一気に三人いなくなり、風呂場は静かになった。
「……甚平が最初九十九を嫌っていた理由、判ったじゃろ?」
「あぁ……十和田殿は俺が考えていたよりも、ずっと奔放な性格だったんだな……」
「甚平は、あぁ見えて案外真面目な面もあるからのぅ。対して、九十九は真面目に見えて案外いい加減な処がある。人の話も割と聞かんしの。じゃが二人とも、それぞれに長所短所があるんじゃ。一面だけでは、人は語れぬ」
「それは達磨殿や南樹殿にも言えることか?」
「そうじゃ。いいとこ悪いとこ全部ひっくるめての信頼できる仲間達よ。吉敷も、もっと皆と打ち解けるとエェ。親しくなればなるほど、いろんな面が見えてくるぞ」
「あぁ。それは、追々」
頷く吉敷に源太も微笑んで。
九十九達があがってから五分ぐらい後に、吉敷と源太も風呂をあがる。
脱衣所には既に三人の姿もなかったが、気にするでもなく自分のペースで浴衣に着替えた吉敷は兄に手を引かれるがままに、その足で浜辺へ出た。

  
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