彩の縦糸

其の十二

浜に出てみると既に人が集まってきており、聞けば、この辺りでは毎年打ち上げるので有名なのだと言う。
花火一つ打ち上げるのにも大金が動くと、風の噂で聞いたことがある。
この民宿、安民宿と見せかけて、実は毎年儲かっているのではあるまいか。
だが吉敷の脳裏に浮かんだ、そんな疑問も、花火の大きな破裂音と共に四散した。
どーんっと大輪の花がまっ暗な空に咲き開くと同時に、周りの人々の口からは「満開!」と大声が飛び出す。
この地方独特の、お囃子なのであろう。
吉敷も最初は小声で呟いていたが、源太に誘われ、次第に大声で皆とお囃子を併せるまでに至った。
花火は次から次へと、あがっては散る。ひっきりなしの間隔だ。
色とりどりの花が開いて数秒後には腹に響く重低音が辺り一面に鳴り響き、花火とは、こんなにも大きな音だったかと吉敷は驚いた。
人混みの中に甚平と照蔵の姿を見つけていないが、照蔵は手伝いをしているという話であったし、甚平も何処かで女性をナンパしているのかもしれない。
傍らで兄が何か話しかけてきたようだが、花火の音に紛れて聞こえない。
それでも吉敷は聞こえたふりをして、ウンウンと頷いておいた。
この場でかけられる言葉など、大体決まっている。
「花火、綺麗だね」か、或いは「来て良かった」の二つだろう。


南樹が風呂を出る頃には、既に花火の音が聞こえてきていた。
渡り廊下へ急ぐと、縁側には団扇でパタパタ仰ぎながら座っている男が一人。
九十九である。
周辺には誰もいなかった。皆、浜辺で見ているのであろうか。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「なに、大丈夫だ。花火は九時まで打ち上げるそうだから」
「あ、おっきいのが今あがったねー。民宿の花火大会っていうから、もっとしょぼいのかと思ってた」
「あぁ、俺もそう思っていたんだが、さっき入口を見たらチラシが貼ってあったぞ」
この界隈では有名な花火大会だったと九十九から聞かされて驚く南樹の顔を、赤や緑の光が照らす。
のんびり湯に浸かっていたと見えて、南樹の頬は赤く染まっていた。
仄かに香るのは温泉の湯なのか、それとも彼女自身が使った液体石鹸の匂いなのか。
急いで着替えたのか、浴衣が少々着崩れている。
それもまた、風情があると九十九は考えた。
浴衣を見て、このような考えに自分が至るとは初めての事態だ。
それとも、相手が南樹だから寛容になっているのだろうか?
「……ね、私より花火を見よう?」
「ん、あぁ。すまん」
九十九の視線が空に向かうのを見ながら、南樹は九十九へ視線を移す。
昼間は嫌々着たような事を言っていた気がするのだが、彼は今も浴衣を着ており、そしてまた、嫌々着ているにもかかわらず、さまになっていて格好いい。
こんなに似合うのに、どうして着物が嫌なんだろう。
昔、誰かに嫌なことでも言われて、それで嫌になってしまったとか?
南樹は、ぽそっと褒め讃えた。
「格好いいよ」
「……ん、何が?今の花火か?」
「十和田くんが」
「は?」
「十和田くん、浴衣すっごく似合うと思うよ。格好いい」
「ん、いや、今言うことか?それ」
「うん。今言わないと、きっともう着てくれなくなりそうだから」
ひっきりなしに花火の音が鳴り響いていて、お互いの会話が聞き取りづらい状態にありながら、南樹の褒め言葉は九十九の耳にしっかり届いたかして彼が赤面して視線を外すのを、南樹はじっくり眼窩に収めておいた。
花火を眺めるのも悪くはないのだが、九十九を眺めているほうが、ずっと楽しい。
彼の見せる全ての表情が愛おしい。
「お前が……喜んでくれるなら、何度でも着てやる」
「そう?じゃ、次から夏に会う時は浴衣必須で」
「いっ!?……いや、おう。判った」
「約束だよ」
「それは判ったが、それより花火を見ろよ。俺じゃなくて」
「花火も綺麗なんだけど、花火より十和田くんを見てるほうが楽しいかなぁ」
「なんでだ」
「花火見てキラキラ喜んでいる十和田くんが可愛い、なんて思ったり?」
またまた泡食って「可愛いって誰が!?」と怒鳴る九十九を、くすくす笑いながら南樹が見つめると、すぐに、からかわれているのだと彼も気づき、むくれたふうに口を尖らせた。
「お前、全然浪漫に浸らせてくれないよな」
「へぇー、浪漫に浸りたかったんだ?」
「そりゃあな。恋人同士となったからには、色々と」
「例えば?」
「今、こうやって二人で花火見て、なんとなく、そんな気分になって」
「そんな気分って?」
「いや、だから、そんな気分だよ」
「どんな気分よ?」
「……こんな気分だよ」
いきなり抱き寄せられての密着に、えっ?となる暇さえなく、おでこにチュッと口づけされて、南樹の心臓は跳ね上がる。
さっきまでテレていたかと思えば、唐突に大胆な行動に出る九十九には、毎回驚かされてばかりだ。
九十九の身体からは温泉の湯とは違った良い匂いがするのだが、彼がボディソープといったものを使うタイプには見えないし、そうするとこれは彼自身の匂いなのだろうか。
嗅いでいると、体と心がぽかぽかしてくるような、そんな優しい匂いである。
というか、九十九からは温泉の匂いがしない。
花火前に風呂に入ると言い出したのは彼のはずなのに、入らなかったんだろうか。
ふと苦笑混じりに見つめてくる彼の視線とかち合い、南樹はフンフン淫らに九十九の匂いを嗅ぎまくっている自分に気づき、一気に恥ずかしくなった。
「そんなに汗臭かったか?一応、風呂には入ったんだけどな」
「あ、汗臭いってんじゃないんだけど、なんかイイ匂いがするな〜って、思って……ごめんなさい」
「いや、謝らなくていい。いいが、しかし良い匂いって?」
「うん。十和田くん、良い匂いするよね」
「そうか?いや、そんな匂いしないと思うけどな。俺なんかより、お前のほうがずっと良い匂いだ」
「えっ……」
ぽかんとして見上げると、彼もハッと我に返って「あ、いや、温泉効果かもしれんが」と言い訳してきたが、そんなことより何よりも、まだ抱きしめられている状況で、しかも超至近距離で意味深な台詞を吐くなど、これ以上ないぐらいの恋人距離感ではないか。
九十九は、気づいていないんだろうか。こうした状況のドキドキ感に。
バンバンひっきりなしに大音量が鳴り響き、赤や緑や黄色の光が自分達を照らしているけれど、もう、花火なんかどうだっていい。
こうやって抱き合っているだけで、幸せだ。
今なら本音だって伝えられそうな気がする。
昼間に言えなかった、自分の本音を。
もう、あの事件は自分の中では吹っ切れたって。
勇気を出して、南樹は声に出してみた。
「あ、あのねっ」
「ん?」
「あの、あの事件は、もう……もう、吹っ切れたから!酷い目に遭ったし、病院で目が覚めた直後は死にたくなったけど……でも、殺されなかっただけマシだったって、やっと思えるようになってきたから」
九十九は黙って聞いている。
その顔は笑ってもいなければ驚いてもおらず、真顔だ。
続けるかどうするか迷ったのも一瞬で、南樹は先を続けた。
続けるうちに涙が出てきて、視界が曇る。
それでも話を止めるわけにはいかなかった。
全部吐き出してしまおう。そう、思った。
「病院にいる間は死のうって考えた事も何度かあったけど、でも、死んだら十和田くんには二度と会えなくなるなぁって思ったら涙が溢れて止まらなくなった。だから、死ぬのやめようって思ったの」
「……あぁ。思い留まって、正解だ」
ぎゅっと南樹を抱きしめる両腕に力がこもる。
涙に濡れた目で南樹が見上げると、九十九の笑顔が瞳に映った。
その顔が近づいてきて、唇が重なるかという寸前で動きを止める。
「南樹。これから先は生きていて良かったと、お前が思えるような人生にしてやると約束する。だから、俺からけして離れるな」
「離れないよ……離れないよ!だって、一緒にいたいから死ぬのやめたんだもんっ」
「あぁ。今まで気づいてやれなくて、すまなかった。俺が気づいていたからといって未来が変わったかどうかも怪しいんだが」
「いいの、いいんだよ、もう……だって、もう、気づいてくれたでしょう?」
「……っ、その」
潤んだ瞳の南樹に両手をまわして抱きつかれて九十九は一瞬言葉に詰まったが、次の瞬間には全てを吐き出した。
南樹だって言ってくれたのだ。
お見舞いでも、退院祝いでも、その後の交際でも全然言わなかった、九十九が本当に知りたかった彼女の心の闇を全部吐き出してくれた。
自分も己のうちに溜め込んだ言葉を伝えるのなら、今しかない。
「今まで一度も、きちんと言葉に出して言わなかったから、今、言うぞ。……南樹。お互いの仕事が落ち着いたら、俺と結婚して欲しい」
「……!」
「俺は、その、恋人同士といった、そういったことには不慣れなのと、あと、女性の気持ちなど全くの無知で、お前を不安に陥れたかもしれない。お前が何を俺に求めているのか、よく判らなかった。なんで熱心に、俺の好みから外れたものばかり薦めてくるのかも。それに正直な処、着物を仕事以外で着るのは、あまり好きではなかったしな……」
ふっ……と影をつくって目線を逸らすと「そ、それなんだけど!」と腕の中からは大声で遮られて、ん?と首を傾げる九十九へ、南樹の質問が飛ぶ。
「どうして十和田くんは、着物が嫌いなのに霊媒師になったの?着物が制服って知ってて霊媒師になったんだよね?」
「あぁ、それは勿論知っていた。しかし制服の好き嫌い如きで職を選べる立場になかったんだ。大学を出ても職を決められなかったら、無職一直線だったからな」
「そ、そこまで切羽詰まった状況だったの!?」
「本当は高卒で職を決めるつもりだったんだが、決まらなくてな……その時に、霊媒師募集のチラシを見た。天職だと思ったよ」
「あー……なるほどねぇ」
「南樹、お前だってそうだろ?誰かのために己を役立てられる、それで霊媒師を選んだんだろ。やはり選んで正解だった。お前とも出会えたしな」
「うっ、うん……」
いつの間にか花火の音は聞こえなくなっていたが、それにも気づかないほど南樹と九十九は互いの話に集中していた。
「えっと……じゃ、ついでにもう一つ質問、いい?」
「なんだ?」
「……着物、どうして嫌いになっちゃったの?子供の頃は、十和田くんだって着ていたんでしょ」
「着ていたのなんて、ずっと小さい頃に少しだけだぞ?親に無理矢理着せられて、それが反動で嫌いになったんだ。それに着物と比べたら外来着のほうが機能的で色も形も豊富で、ついでにいうなれば価格も財布に優しいじゃないか。なんだあれ、ただの長方形の布のくせして、柄も似たり寄ったりなのに、なんで着物はあんなに高いんだ?絶対ぼったくりだろ」
――あっ、これ、聞いちゃ駄目なやつだった。
遠い目になりかけた南樹は、早々に話題を戻した。
滅多に恋人っぽい言葉を吐かない九十九が珍しく放ってくれた最大級の、愛の言葉への返答をしたのである。
「きっ、着物を嫌いな十和田くんの気持ちは、じゅ〜〜ぶん判ったから!だから、あのね、話を戻すけど、いい?」
「ん、あぁ」
「あ、あのね。結婚、待ってます。仕事が落ち着いたら、連絡してね」
「あぁ……うん。判った。なんというか、恥ずかしいもんだな、こういう会話を交わすのは」
「そ……そうだね……」
抱擁を解いた後も、なんとなく互いにモジモジして何もない空を見上げていたが、ふわぁぁ〜っと九十九の大きなあくびをきっかけに、南樹が先に立ち上がる。
「あと二日三日だったっけ。ゆっくりしていこうね」
「ん、あぁ。けど幽霊は、もう出ないんじゃないか?ただの予感だがね」
「出てくれたほうが嬉しいんだけどなぁ」
「なんだ、お前にしちゃ不謹慎な発言じゃないか」
「だって、そのほうが二人でいられる時間も長くなるし」
「結婚すりゃあ、ずっと二人暮らしだぞ?逆に一人の時間が恋しくなるだろうさ」
「そんなことないよ。ずっと二人で暮らしたいって思ってたんだから。……それじゃ、おやすみ」
にっこり微笑んで立ち去る南樹を、背中が消えるまで見送ってから、九十九も立ち上がる。
今回の依頼を手紙でもらった時は、幽霊なんざ照蔵一人で何とかなるだろうに何を手こずっているのだろうと不思議に思ったりもしたのだが。
来てよかったと、今は思う。
来たおかげで南樹の色々な表情を見ることが出来たし、本音も聞き出せた。
良い夏休みになった――


それから二日ばかり様子見をしたのだが、照蔵や九十九の予想通り、幽霊は二度と海の家、及び民宿に出没することはなかった。
晴れて依頼完了となった全員は解散となり、吉敷は源太と共に帰路につく。
夏の思い出を、いっぱい胸に抱えて。




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