彩の縦糸

其の三 管狐

夜、源太に話したところ、彼は大層喜んでくれた。
「これでやっと吉敷も一人前じゃのぅ」
手伝えることがあれば言ってくれ、そうまで言ってくれたのだが、頼む代わりに吉敷は尋ねた。
「俺の仕事は自分でやるからいい。それより兄貴、そっちの仕事はどうなんだ?」
無名の吉敷と違って源太は、それなりに熟練を積んだプロだ。そこそこ名も売れている。
そのプロの源太が、大婆様直々に仕事を回してもらったとなると――
かなり面倒な、それも命にかかわる危険な仕事と見ていい。
源太の実力は信頼している。少々力業な部分はあるが。
悪霊退治において大事なのは基礎の霊力だ。
源太の霊力は、最大霊波だけなら、大婆様にも匹敵すると吉敷は思っている。
並大抵の悪霊には負けるまい。やり方が力押しでも、退治してしまえば問題ない。
それでも、万が一ということもある。
自分の初仕事より、源太の仕事内容のほうが気になって仕方がなかった。
だが源太は、からりと笑って吉敷の追求を逃れると、力強く弟の肩を叩く。
「半人前が、いっちょまえに先輩の心配か?お前はまず、自分の仕事を心配せぇ」
ほれ、なんといったかな。大婆様にもらった聖獣は、と話を促されて吉敷は答えた。
尻ポケットから竹の筒を取り出す。
普段着へ着替えても、常に肌身離さず持っていた。これも大婆様との約束だ。
「もらったんじゃない、預かったんだ。これのことだろ?」
「そうそう、それ。そいつの名前は、何というんだ?」
どうせ名前を聞いても、源太には話しかけることも見ることも触れもしない。
吉敷以外の人間は、皆そうだ。聖獣の姿を、きちんとした形で見ることが出来ない。
白くて、もやもやした煙。
光り輝く球体。
その程度にしか、認識できない。どれほど霊力が高くても、だ。
それでも兄に興味を持ってもらえたのが嬉しくて、吉敷は名を教えてあげた。
「管狐。水道管のカンに、キツネって書いて、クダギツネと読むそうだ」
他人には白くてモヤッとした煙にしか見えないだろうが、こいつの本当の姿は違う。
名に応して、小さな狐の格好をしている。竹筒に入るほどの大きさの狐だ。
「その名前、誰に教えてもろたんじゃ?」
大婆様か?そう尋ねられて、吉敷は頷いた。
聖獣にも教えてもらったことはもらったのだが、初めて名を知ったのは大婆様が先だった。

管狐は、非常におとなしい奴だ。
何か尋ねられれば素直に答えるものの、自分から吉敷に話しかけることは希である。
他の聖獣は吉敷が話を振らずとも、好き勝手にしゃべりまくるというのに。
吉敷にまだ心を許していないようにも見えた。
いつも筒の中に引っ込んで、こちらから話しかけたときだけ反応する。
話はするが、受け答え程度の簡素なもので、そこに感情や意見を混ぜることはしない。

――こいつと一緒に仕事ができるだろうか?
少し疑問に思わないでもなかったが、もう決めたのだ。
他の聖獣とは友達という関係である以上、仕事へ巻き込むわけにはいかない。
それに管狐は、大婆様から「使役しろ」という意味で預かった。
友達じゃない。大婆様から遣わされた、吉敷直属の部下なのだ。
こいつと一緒にやらなければ、初仕事の意味がない。そう思うようになっていた。


翌日、吉敷はさっそく依頼主の元へ向かう。無論、例の胡散臭くも古風な仕事着で。
依頼主の屋敷は、中津佐渡の郊外にあった。大きいが、しかし建物にはガタがきている。
屋根など雑草がぼうぼうで、とても手入れされているとは言い難い。
貧乏なのか金持ちなのか、判りかねる屋敷であった。
しかし猶神流は、相手の財力にこだわる流派ではない。
例え貧乏人だろうと、低料金で仕事を引き受ける。それが商売繁盛の秘訣らしい。
表札には『苑田』と書かれている。吉敷は、何か引っかかるものを感じた。
苑田。
どこかで聞いたことのあるような。
まぁ、どこにでもあるような名前でもある。思い直し、戸を叩く。
すぐに戸が開き、彼は中に招き入れられる。

部屋は薄暗く、湿った匂いがする。
隅に布団が敷かれ、問題の娘が寝かされていた。
苑田小夜子。
それが彼女の名だという。
吉敷は彼女を見た。そして、ハッと息をのむ。
――美しい。
彼が今までに見た、どんな女性よりも美しい。
顔かたちの整った美人というだけではない。病的な美しさが、そこにあった。
父親が無言で布団を剥ぐ。
娘は寝着を着用してはいたが、体格は服の上から見ても明らかであった。
首から下が、異常に細い。肩など、つるりとして原型も留めていない。
何者かに取憑かれたせいで、骨まで変形してしまったのかもしれない。
袖から、ひからびた腕が覗いている。胴体から直接生えているように見えた。
胴体もひどいもので、まるで寝たきり老人のように、からからに萎びている。
枯れ木が布団の上で寝ている。そう形容してもいいほど、痩せ衰えていた。
体は無惨なことになっていたが、顔だけは変わっていないと父親は言う。
それだけに、この子が寝たきりになった姿など見るのもしのびない、と噎び泣く。
どうか、どうか、この子を助けてあげて下さい。
何度も土下座され、吉敷は父親を落ち着かせるまでに数分の時間を要した。

父親を下がらせた後、吉敷は懐から竹の筒を取り出した。
大婆様には聖獣を使役して、この仕事を片付けろと命じられている。
だが、よしんば悪霊を彼女の体から追い払ったとしても、彼女の体は元に戻るのか?
一見したところ、邪霊を追っ払ったぐらいじゃ治りそうもない。
彼女の体は、明らかに骨が変形している。
それも多少の整形如きでは直せないほど、ひどい状態になっていた。
医者ではないから確かなことは言えないが、肩と腕の付け根は素人目に見ても異常だ。
彼女の体格を治すことまで、依頼内容には含まれていない。
これじゃ悪霊を退治しても、彼女は幸せになれないのでは?

苑田小夜子。
美しい女性だ。できることなら助けてあげたい。
助けて、幸せにしてやりたい――

その手段が見つからない。
もしかして、聖獣が治してくれるかもしれない?
そのような奇跡の力を持つ聖獣など、吉敷は今まで一度も会ったことがないが。
大体、奇跡など。まるで神じゃないか。
それに、まだ、悪霊だって退治できるかどうかも判らないのだ。
彼女が本当に、悪霊に取憑かれているのかどうかすらも……
小夜子の元へ膝を進め、枯れ木と化した体に掌を当てる。
弱々しい波動。
弱々しいが、一定の波を打っている。
これが彼女の持つ、生命の証。これとは異なる霊の波動を探ればよい。
だが、すぐに吉敷は首を傾げた。
おかしなところなど、何一つない。掌に感じるのは小夜子の波動だけだ。
何か異物が混ざっていれば、すぐ判りそうなものだが。
ふと、吉敷は思い出す。
吉敷の霊力は低くて役に立たない、と大婆様は言っていた。
そもそも、数多の霊媒師が何も感じられなかったのだ。
彼らより霊力が低くて役立たずの吉敷如きに、感じられるわけがないではないか。
聖獣を使役せよ。
聖獣と共に仕事を解決せよ。
大婆様は、そうも言っていた。
聖獣が何か、異物を発見してくれるということか。
だが、どうやって探させよう。
今まで彼らに何かを頼み、その力を使ってもらうことは、たびたびあった。
しかし誰かの体に潜り込み異物をいぶり出すなど、やったことがない。初の試みだ。

竹の筒を軽く叩き、管狐を起こす。
すぐに、もぞもぞと中の気配が動きだす。
「悪いな。お前に用がある」
声をかけると、もぞもぞが止んだ。
姿を見せぬまま、彼は吉敷を見上げる。
「お前にしか出来ぬ仕事だ。まずは筒の中から出てきてくれ」
ややあって、するり、と竹の筒から這い出てきたのは、一匹の白くて小さな狐。
背の程は、吉敷の人差し指にも満たない大きさだ。
そいつは出てきたかと思うや否や、小夜子を見た瞬間、怒濤の勢いで筒に引っ込んだ。
この反応からしても、小夜子に何か異変が起きているのは確実である。
問題は、吉敷が再度声をかけようが筒を振り回そうが管狐が出てこようとしない点だけで。
「おい。お前がいなきゃ仕事もままならないんだぞ?出てこい、怖くないから」
イライラしながら爪で筒を突っつくと、弱々しい返事が聞こえてくる。
聞こえるといっても、その声は吉敷の脳に直接響く声であり、他人が聞くことは出来ない。
[うそつき]
管狐はポツリと呟き、長く沈黙を貫き通す。
「……誰が嘘をついたというんだ」
尋ねる彼へは、もう一度ポツリと答えた。
[吉敷が。うそつき]
「俺が、いつ嘘をついたと?」
怒鳴りたい気持ちをこらえて優しく尋ねると、管狐は迷った末に、ぽつりぽつりと答える。
[あんな怖いもの、見たことない。臆病だと罵られてもいい、ここから出たくない]
この聖獣が感情に任せて物を言うのを、吉敷は初めて聞いた。
思った以上に、この聖獣が臆病だというのも初めて知った。
悪霊と戦うために遣わされたくせに、悪霊と戦うのが怖いだと?
ふざけるな。
大婆様の期待と信頼を裏切りやがって。いや、婆様だけではない。この俺の期待もだ。
いっそ筒を叩き割って、無理矢理追い出してやろうか。
そんな思いも脳裏をかすめたが、やったところで無駄だと悟る。
管狐は一目散に逃げ去り、小夜子を助ける手だてもなくなってしまう。
彼女を助けるには、イライラするほど臆病な聖獣を宥め賺し、何とか力を使ってもらうしかない。
こいつに、異物を探れる能力があればの話だが。
一つ深呼吸して自分を鎮めると、吉敷は管狐へ話しかける。
「では、そこに入ったままでいい。俺の質問に答えてくれ。お前は何ができるんだ?」
吉敷が今までに出会ったことのある聖獣。
まず、火霊。
燃えさかる炎を身にまとう、小さな馬の姿を模した聖獣。
彼は物質に火をつけることが出来る。
続いて、水蛇。
名は体を示すとおり、水のように透き通った蛇の姿をした聖獣である。
こいつの能力は、容器を水で満たすこと。水を生み出す力と言ってもいい。
[探ること。ものの内に潜むものや、相手に見つからず人の話を聞くこと]
吉敷の思案を断ち切らせるように、管狐は、はっきりと答えた。
「盗聴と透視か?」
少し意地悪く尋ねると、彼は沈黙のあと、ぼそりと呟く。
[……ひどい。もっと、優しくしてくれてもいいのに]
「これでも最大限、優しくしてやってるつもりだが」
そう、短気な吉敷にしては、まだブチキレてもいないし冷たくスルーもしていない。
だが聖獣は不満があるようで、さらに意味深な事を呟く。
[そうじゃなくて。恋人に囁くように。優しく、してほしいな]

「………ハァ?」

恋人のように?優しく囁く?
いきなり、何を言い出すんだ。この獣は。
馬鹿のようにポカンと口を開いた吉敷には構わず、管狐は筒の中でロマンスを語り出す。
もし姿が見えるとしたら、その顔は乙女のように頬が紅潮していたかもしれなかった。
[ボクと、吉敷は一心同体だから。ボクには、優しくしてほしい。それが仲間というもの]
「いや、待て。優しくはするが、恋人というのは……」
目眩を感じ、額を抑えながら尋ねる吉敷へ、筒の中からは返事が。
[ボクを愛してほしい。ボクは、吉敷の考えてることが判る。考えは筒抜けだから]
考えが筒抜け。
このやりとりも念じ、つまり頭の中で行っている会話だから筒抜けと言われれば、そうだろう。
でも、だからといって、獣相手に愛を語れと?
混乱する吉敷に、再度畳みかけるように管狐は言った。
[ボクは獣じゃないよ。聖獣。君と心を同体にするもの]
さっきから散々、ケモノケモノと連呼されて、おかんむりになっている模様。
[ボクには吉敷の欲しがる力がある。きっと、力になってあげられる]
筒の中から出てきもしないくせに、やたら強気な発言である。
[でも、そのためにはボクが、吉敷を信頼できるようにならないと駄目]
「……じゃあ早いとこ、さっさと信頼してくれ」
不機嫌な吉敷を遮るように、管狐もむっつりと答えた。彼なりに不機嫌そうな口調で。
[吉敷は、まだボクを獣だと思ってる。使役する道具だと、思っている。だから、無理]
恋人のように愛してくれないと、信用できないだと?
いやに俗っぽいことを言い出す聖獣である。
さすがは大婆様から直々に手渡された聖獣。感情が人間以上に乙女ちっくだ。
――なんて、感心している場合ではない。いきなり仕事に支障が出てしまった。
確かに、管狐のことを獣だと吉敷は思っている。
彼が愛を語り出したときは、獣如きが使役される分際のくせに何を生意気な、とも思った。
だがそれは管狐が吉敷を信用していないように、吉敷もまた、管狐を信用していないからだ。
使役するための道具として渡された事が原因とも言えるが、本当の理由は別にある。
管狐とは、友達という名の『信頼感』がない。
他の聖獣達、例えば一番つきあいが古いのは火霊。彼とは、確かな信頼感がある。
聖獣から吉敷へ話しかけてきたのが、友達づきあいとなる最初のきっかけであった。
火霊だけではない。友達の聖獣は、皆、彼らのほうから吉敷へ接触を図ってきた。
腹を割って色々と話したりもしたし、一緒に遊んだりもした。
だから仲良くなった。信頼もしている。
管狐とは、それがない。こいつと吉敷の関係は、真っ新であった。
なのに、いきなり恋人のように――といわれても、それは無理な話というもの。
管狐は吉敷が話を振らなければ話さないし、話しても事務的に答えを返すだけだ。
これでは、仲良くなれるわけがないではないか。
といった吉敷の思考を読んだのか、筒の中で管狐が呟く。
[だって、吉敷の話し方。よそよそしいんだもの]
先ほどの怒りは消え失せ、どことなく寂しげでもあった。
[それに、吉敷のこと。まだよく知らない。もっと色々教えて?]
考えていることが判るという割には、吉敷のことを知らないと言う。矛盾だ。
それに管狐には吉敷の考えていることが判るだろうが、こちらは管狐の思考が読めない。
不公平だ。
[それは、吉敷が読もうとしないから。念じて。心を一つにして]
また読まれたのか。そうか、考えは筒抜けだったんだっけな。
なら問おう。
俺と一心同体なら、俺がどういう人間で、何を考えている人間なのかも判るだろう?
その上で、お前は俺をどう捉える。俺は、お前から見て、どういう人間だ?
吉敷が筒を睨みつけると、管狐は小さな頭を覗かせた。
[素直じゃないひと。本当は寂しいのに、構って欲しいのに、隠そうとするんだ]
頭は引っ込み、筒の奥深くまで潜り込む気配を掌に感じた。
[ボクを獣と扱わないで。友達に、してほしい。吉敷の友達に]
素直じゃない。その言葉は、そっくりお返ししてやろう。
いいか、交流関係というのはな。待つものじゃない、自分から進んで作りにいくものだ。
大きく溜息をつくと吉敷は三度、話しかける。
「俺と友達になりたかったら、まずは筒の中から出てこい。話はそれからだ」
再び、ちょろりと管狐が頭を出す。
すかさず、その頭を指で摘み、吉敷は無理矢理筒の中から引き抜いた。
[あっ!]
掌に降ろされ、おどおどしながら管狐は丸くなり。
そっと見上げる小さな目が吉敷の視線とぶつかると、管狐は恐怖で目をつぶってしまう。
念じなくても今なら判る。姿を見ているだけでも、こいつが何を恐れているのかなど。
吉敷は苦笑した。

素直じゃない、構って欲しいのに強がってしまう。
聞かれれば答えるけど、自分からは極力話さない。
話しすぎて、拒絶されるのが怖いから。

「俺は、お前を利用するだけしてポイしようなどとは思っちゃいない。利用するための道具だとも、今はもう思っていない。いいか?使役というのは、部下であり仲間だ。道具じゃない。俺は、お前と共に、この仕事をしようと決めたんだ。だが、お前がどうしてもイヤだというのなら、無理強いは」
しない、という前に声が遮った。とても甲高い、張り詰めた心の声が。
[やるよ!ボク、やるよッ。それが、信頼……を得られる方法、なんだものね]
丸くなった体から、小さな頭を覗かせて。管狐は真っ直ぐな目で、吉敷を見上げていた。

  
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