彩の縦糸

其の二 本家

黒い法衣に身を包み、足には草履。
目元まで深く笠を被るという些か古風で胡散臭い仕事着に着替え、長門日吉敷は翌日、本家へと出かけた。
奥山を下り中津佐渡の麓まで降りてくると、ここからは、なだらかな盆地が続く。
田舎じみた風景の砂利道を歩きながら、彼が向かう先とは。

猶神流霊媒総本山。

猶神流霊媒の本殿があった。彼の師匠でもある大婆様が住んでいる屋敷だ。
大婆様の本名は猶神千鶴というそうだが、彼女を名で呼ぶ者は誰も居ない。
弟子は無論のこと孫娘三人までが、大婆様と呼んでいた。

昼間だというのに、すれ違う人影は無い。
中津佐渡は古びた田舎だ。年々、若者の姿も少なくなっているという。
皆、村を捨てて、都会へ出て行くのだという。
前方に人影が見えてくる。
すれ違いざまに吉敷は会釈をし、相手も軽く頭を下げる。
互いに深く笠を被っていた。故に相手の足下だけを見た。
あまり見かけぬ若々しい色の着物に、吉敷は、おやと振り返る。
人影は見る見るうちに遠ざかってゆく。
歳の確かめようもなかったが、歩き方からして女性であったようだ。
この道の辿り着く先には、大婆様の屋敷がある。
では、今の人は大婆様の客だったのだろうか。
――などと考えながら、吉敷は猶神屋敷の門をくぐった。


一の門、二の門とくぐり抜け、長い石段を登ると、ようやく屋敷が見えてくる。
戦国でもない今の時代、ここまで厳重にする必要があるのだろうかと吉敷は時々思うのだが、大婆様曰く霊媒師には敵も多いとのこと。
商売敵や無法者の嫌がらせがあるという。
それぞれの門の隅には、ちょこんと座り込む影が二つ、大婆様の遣わした式神が二体、門を守っている。
彼らは狛犬の姿をしていた。番犬というわけか。
「大婆様。長門日吉敷、参りました」
木戸を叩き、中へ入る。屋敷の中は薄暗く、灯りもともっていない。
不意に吉敷の顔のあたりで、小さな灯がともる。
燃えさかる、小さな馬が首振りで彼を招いた。
[大婆様は、こっちにいらっしゃるみたいだよ]
火霊だ。
呼んでもいないのに現れて、ふわりふわりと宙を舞い、廊下の奥へ先に飛んでゆく。
[足下暗いでしょ?後をついてきて]
「有り難い」
どういたしまして、そう答える代わりに火霊は、くるくると宙で回ってみせた。

大婆様のいる部屋までつくと、火霊は掻き消える。
吉敷は膝をつき、襖を軽く叩く。
「大婆様。長門日です」
「ようきたのぅ、吉敷や。顔を見せておくれ」
襖の向こうからしゃがれた声が彼を招き、吉敷は音もなく襖を開いた。
猶神流――
この流派が、いつから存在して、いつの間に各地へ支部を持つほど大きく成長したのか。
鷹津禍流が長門日流を打ち破り、全国に名を知らしめた頃まで遡る。
最強と謳われた長門日流に打ち勝ったことで、鷹津禍の初代霊媒師は慢心していた。
次第に彼らは高い報酬を要求するようになり、実力はありながら悪名も高まった。
ちょうど、その頃辺りからだろうか。
貧しい者達の間で、猶神流の噂が広まったのは。
無償で悪しき霊を払う術師。
鷹津禍流は、彼らを排除しようと考えた。自分たちの商売の邪魔になると考えて。
猶神流は鷹津禍流に勝負を挑まれ、これに打ち勝つ。
戦国時代も終わろうという末期の時代、新しく最強の霊媒流派が誕生した。
そして現在に至る今になっても猶神流は弟子を増やし続けている、というわけだ。
現在、猶神流を一手に取り仕切っているのが大婆様。
部屋の奥で布団にくるまり縮こまっている、しわくちゃのお婆さんが、そうだ。
目があるべきはずの場所は皺と皺で挟まれていて、よく見えない。
むしゃむしゃと、何かを食べるような仕草で婆さんが口を動かす。
「久しゅうぶりに顔を見たわ。元気でやっておったか?」
膝を前に進め、正座したまま吉敷は答えた。
「はい。大婆様も、お変わりなく」
「ほっほっほっ。なぁにがお変わりなく、じゃ。老いて、どんどん醜くなっておるわ」
婆さんの皺だらけの顔が、くしゃくしゃと歪む。
気を悪くしたのではなく、純粋に笑っているようだ。
「源太も元気かぇ?儂の言うとおり毎朝の修行も怠ってはおらぬかぇ」
「えぇ、元気でやっております。修行は――」
していない。そう正直に答えてもいいものか、彼は、しばし躊躇する。
その躊躇が答えとなり、大婆様は口をへの字に結ぶ。
「しょうもない小僧っこだぇ。持って生まれた才能を縮めよる」
それに比べて吉敷は、と皺に隠れた目を細め。
「きちんと修行しておるようだの。以前よりも増して霊力の高まりを感じるわ」
「有り難き、お言葉です」
平伏する吉敷の頭が撫でられる。
ハッと顔をあげてみれば、いつの間にやら婆さんとの距離が近づいていた。
大婆様は布団に入ったままだ。
吉敷は正座したまま。
だというのに、二人の距離は明らかに縮まっている。
大婆様が近づいてきたにしろ、音も気配も感じなかった。
「ときに吉敷や。儂が預けた聖獣は育っておるかのぅ?」
「はい。こちらに」
胸元を探り、吉敷が取り出したのは竹の筒。
「まだ獲物を捕るまではいきませんが、会話までなら何とか――」
言いかける彼を制し、大婆様が言う。
「獲物など捕らせる必要はない。吉敷、そやつの能力は敵を倒すことではない」
その時、竹の筒から這い出てきたものがある。
白くて形を留めない、もやもやした煙のようなものだ。
そいつは大婆様の姿を見るや否や、すぐさま筒の中へと引っ込んでいった。
「毎日念じ、心を通い合わせよ。やがて、やつの方から吉敷に教えてくれるであろ」
老婆は声なき声で笑い、再び吉敷の頭を撫でる。吉敷は深く頭を下げた。
不意に声の様子が、がらりと変わり、大婆様は明るく話し始める。
「さて。今日おぬしを呼び寄せたは、それだけの用ではない」
パンパンと奥へ手を打つと、襖が開いて使用人が入ってくる。
大きな盆を支えていた。
盆の中から一つの巻物を取ると、大婆様は吉敷の目の前に転がしてくる。
受け止める彼を見ながら、婆様は言った。
「やっと、おぬしの初仕事が見つかったでな。そいつを読んでみぃ」
「は、はい」
仕事の内容とは、このようなものであった。

最近、屋敷の中に悪しき気配を感じる。
霊媒師を呼び寄せ調べてもらったが、彼らは何も感じない。
だが、確かに何かが存在している。娘がそう言って、怯える。
最初に異変が起きたのは、娘の身にであった。
数日のうちに、食を取っても取っても痩せ衰えていくばかり。
何かに取憑かれたかと再び霊媒師を呼び、調べてもらったが霊の存在はないと言う。
やがて、娘自身の行動にも変化が現れた。
夜中に抜け出し、沼の方へ出かけてゆく。沼へ飛び込み、生魚を食うようになった。
目は爛々と輝き、生臭い息を吐くようになった。
それでも巷の霊媒師は、何も取憑いてないと判を押したように声を揃える。
一応、普通の医者にも診せた。だが、病気でもないと診断された。
では一体、うちの娘はどうなってしまったんだ?

「……初仕事にしては」
難しすぎる。読み終えてから、彼は一息つく。
「うむ」
大婆様も深く頷いた。
「実は、うちの者も何人かよこした。結果は同じじゃった」
娘には何も取憑いてない。
熟練の霊媒師が声を揃えて言うからには、やはり娘は別の理由で狂ったのでは?
吉敷がそういうと、大婆様は首を振り「いや、儂はそうは思わぬ」と理由を述べた。
「霊気の質が違うのではないかと思うておる。これは、おぬし向きの仕事だと」
「私向き……ですか?」
そう言われても、吉敷はまだ霊媒の仕事など一度もしたことがない。
大婆様に、俺の何が判るというのだ。
「おぬしの力は、儂らとも源太とも違う。異質な力じゃ。きっと、この娘の役に立つ」
俺の力――
兄とも師匠とも、先輩達とも違う力と言われると、たった一つしか思い浮かばない。

聖獣たちと話せる能力。

話せるばかりか、見えもするし、触れもする。
彼らに頼んで彼らの能力を使ってもらうことも出来るのは、吉敷だけだ。
大婆様が、戸惑う吉敷を見据えた。
「はっきり言おう。おぬし一人の力ではまだ、どんなひ弱な悪霊だろうと退治出来ぬ」
これはまた、はっきりと断言してくれたものだ。
反論しかける彼に、老婆は殊更大声で言い切った。
「おぬしの霊力では、まだ悪霊には勝てぬでな。だが聖獣の力――あれを使役できるようになれば、悪霊退治も出来るようになろうぞ。吉敷よ、この仕事で聖獣使役を己のものとせよ」
使役というのは、聖獣を道具や手足のように使いこなすことだ。
今まで、彼らとは友達であっても、使いこなそうとは思ったこともなかった。
友達だからだ。
友達とは利用し合う仲ではない、互いに協力しあう仲だから。
だが唯一、友達ではない聖獣が一匹いる。
大婆様から預かった竹の筒に住み着いている、小さな聖獣が。
この仕事では、こいつと一緒に戦ってみよう。竹の筒をしまいつつ、吉敷は決心する。


大婆様に別れを告げ、石段を降りてゆく帰り道。
途中、背後から声をかけられるが、吉敷は振り返らず、降りる歩も緩めず。
「ちょっと!むかつくなぁ、久しぶりに会ったってのに挨拶もなし?」
相手は一段とばしで降りてくると、吉敷を追い越し前に回り込んだ。
「よっしー、おひさぁ。あれっ?ちょっと背が縮んだんじゃない?」
悪戯っぽい瞳が、吉敷を見上げる。
彼は不機嫌に返した。
「伸びることはあっても縮んだりするものか。お前が高くなったんだろう」
小町は、最後に見た時よりは大きくなっていた。
ほんの子供にしか見えなかったのに、いつの間にか背が伸びて胸も出てきた。
おかっぱだった髪の毛は、伸びたところを二つに結んでいる。
着ているものも赤トンボ柄の着物ではなく、紺の上着にスカートで胸元にはリボン。
地元の中学校の制服を着ていた。学校帰りといったところか。
「それと。俺のことを、よっしーと呼ぶんじゃない」
不機嫌に文句を言えば、あっさり切り替えされる。
「だって、よっしーはよっしーだもん。変なの、ここに居たときは文句言わなかったのに。誰かに何か言われたの?」
再び石段を下りながら、吉敷は答えた。
「兄嫁が真似して困ってるんだ」
その足下を、ちょこちょこと小町がついてくる。
「兄嫁?あぁ、静さんって人?綺麗だったねぇ〜あの人のドレス!」
思い出して、うっとりと空を見上げた。
綺麗なもんか。
昔ながらの国技流でやろうという兄貴の意見を全く無視して、あの女は自分が着たいからという、それだけの理由で外来式を選んだのだ。
外来式に抵抗がある訳じゃない。
吉敷だって、普段着に何着か外来服を持っている。
ただ、静が源太の意見を丸無視した。それが気に入らないのだった。
「あ。よっしーむくれてる。まだ気に入らないんだ、静さんのことォ」
ふと我に返れば、小町が下からニヤニヤと覗き込んでいる。
しまった、気持ちが表に出ていたか。
心を見透かされた気分になり、吉敷はますます不機嫌になって自然と早足になる。
小町は慌てて追いかけねばならなくなった。
「そ、そんな急いで帰らなくても大丈夫だって!源太なら、今は仕事に出てるしっ」
「なんで、お前が知ってるんだ?」
「ぁいたッ!」
立ち止まると、どん、と背中にぶつかった小町が後ろから抗議してくる。
「急に止まんなよっ、危ないだろ!」
構わず吉敷が同じ事を問うと、彼女は口を尖らした。
「それぐらい判るよ。こないだ、大婆様から仕事もらってたもん」
大婆様から?
じゃあ兄貴は最近、大婆様と会っていたんじゃないか。
なのに何故婆様は先ほど、源太は元気でやってるか、などと尋ねたのだろう。
もしかして――非常に危険な仕事なんじゃないだろうな?
「そんなわけで源太は超多忙だから。初仕事、手伝ってもらおうったって無駄だかんね」
ポンと吉敷の背中を叩き、小町が悪戯っぽい目で笑う。
「ちゃんと自分でやりなよ〜?自分と、聖獣の力だけでね」
「当然だ」
むっとして言い返すと、吉敷は再び歩き出す。


砂利道を抜けて、奥山へ入る。
その後を、一つの影が追っていく。
前を歩く吉敷は、全く気づいていない。
なにか、深く考え事をしているようにも見えた。
彼を追っている――後をつけているのは、女だ。
女に、見えた。
艶を帯びた黒く、長い髪。
薄い桜色に白の鶴が舞う柄の着物を身につけ、目元まで深々と笠を被っている。
笠から覗く口元には、薄く紅が引いてある。
猶神屋敷へ向かう途中、吉敷がすれ違った女であった。
吉敷が山道へ入るところまで見届けると、彼女は踵を返す。
「長門日吉敷……我が宿敵、猶神流に墜ちた長門日一門、か」
誰に言うともなく呟くと、砂利道を引き返し、途中、小道へと入っていった。

  
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