彩の縦糸

其の十四 悪党の末路

屋敷内は相変わらず暗かったが、先頭を飛ぶ火霊のおかげで足下だけは明るい。
はたして吉敷と火霊が書斎とされる部屋へ飛び込んでみると――奴は、居た。
椅子に腰掛け、両手を膝の上で組んで。
痩せた男であった。手だけが異常に細く、長い。
「逃げなかったのか?まだ隠し球でも持っているというのか」
尋ねる吉敷を無視し、男の視線が後から入ってきた九十九に向けられる。
乾いた唇から、掠れた声が漏れた。
「……応援を呼ぶとは……猶神流も、名を守るために必死と見える……」
「違うな」
一歩前に抜き出でて、九十九は男の呟きを遮った。
「長門日は応援など呼んでおらぬ。俺が勝手に此処へ来ただけだ、私用を伝えに」
乾いた目は九十九を捉え、男が呟く。
「……どちらでも……同じ事だ」
ふわりと火の馬が、刀を握りしめる吉敷の手元に舞い降りる。
彼の緊張を和らげるが如く、陽気な調子で檄を飛ばした。
[ヨシキ、あいつの時間稼ぎにつきあう必要はないよ。一気にトドメを刺しちゃおう!]
「あぁ、判ってる」と目だけで頷くと、吉敷は周囲を素早く見渡す。
窓は全て閉まっている。内側からも、そして恐らくは外からも頑丈に釘で木を打ちつけてある。
だが、異常と思えるのは、それぐらいであった。
この部屋だけは、荒れていない。家具の全て、何もかもが元の場所に収まっていた。
しかるに、悪霊遣いは最初から書斎に陣取っていたのではなかろうか。
「手駒もいない、貴様には味方もいないッ。ここが貴様の墓場だ!」
怒鳴ると、空洞のような瞳が吉敷を見つめ返す。
男が唇を動かす。しかし、言葉は音となって表に流れてはこなかった。
「長門日、お前は後衛を。俺が打って出る」
囁く九十九には首を振り、吉敷は刀を正眼に構える。
「いえ。先輩は後衛をお願いします」
訝しげに彼を見つめた九十九だが、すぐに何かを察したか頷いた。
「いいだろう。だが霊刀は生身の人間には効をなさぬ。斬るのではなく峰打ちを狙え」
素直に頷く吉敷の背に回り、数珠に念を込め始める。
薄暗い部屋に、ぼんやりと淡い光が生まれた。
「ゆくぞっ!――でやぁぁッッ!!」
気合い一閃。男の元へ一直線に飛び込むと、吉敷は大太刀を勢いよく振り回す。
太刀はガツッ!と机に突き刺さり、吉敷の足下を転がり抜けた男が、廊下へ身を翻した。
だが、そこで奴を逃がしてやるほど九十九も優しくない。
廊下へ出る寸前で男の前に足を伸ばし、悪霊遣いは躱しきれず床へ這い蹲る。
「吉敷ッ!」
名を呼ばれ、無意識に身体が動く。
机に突き刺さったままの刀は放置して、吉敷は悪霊遣いの背中に飛び乗った。
全体重をかけて男の後頭部に力一杯、両拳をたたき込んでやる。
男は、ぐぅっ、と言葉にならぬ呻きを一声あげたかと思うと、がくりと頭を垂れた。
「……なんだ?こやつ、全く弱いではないか」
九十九が足でゴロリとひっくり返してみれば、悪霊遣いは口から涎を吹いている。
白目を剥いていた。完全に気絶しているようだ。
「恐らく、術が頼りの者だったのでしょう」
そういう吉敷も、ハァハァと息を切らせている。大した運動量でもないのに、だ。
いくら重たくはない、そう思った太刀でも振り回せば充分重たいことが判った。
振り回すよりは斬りかかった方が楽。
それが判っただけでも、今回の戦いには収穫があったといえよう。
吉敷は机に突き刺さったままの刀を引き抜こうと――して、顔を真っ赤にさせる。
なんてことだ。
机に深く食い込んでしまった刀は、必死になって引っ張っても、びくともしないではないか。
ゼィゼィと肩で息を切らせていると、背後から伸びてきた手が苦もなく刀を抜き取る。
「お前も、多少は身体を鍛えたほうがいいぞ」
九十九の身長は吉敷より、やや高いぐらいで、体格も、さほど変わらない。
だが、それでも吉敷よりは、だいぶ力に差があるようであった。
呆れる九十九から霊刀を受け取り、吉敷は赤面した。
「……精進します」

書斎の騒ぎに、駆け寄ってくる足音が二つ、部屋へ飛び込んでくる。
「どうしたの、猶神のお兄さん――あっ、よっしー!」
先に来たのはレオナだが、吉敷の視線は彼を飛び越し、後ろの人物に注がれていた。
「さっ、小夜子殿!? 小夜子殿が、どうして、此処に!」
まともに動揺する吉敷の襟首を掴み己の方へ振り向かせると、九十九は彼に打ち明ける。
「お前を心配して飛び込んでこられたのだ。お前も猶神流の一員なら、顧客を心配させるな」
心配してきた?
しかし何故小夜子が、吉敷の依頼人と場所を知っていたのか。
まさか九十九が小夜子に話すとも思えない。
依頼主の秘匿が絶対であることなど、彼が知らないはずもない。
謎ばかりの急展開に困惑する吉敷の元へ、小夜子が駆け寄ってきた。
「吉敷様……ご無事で、なによりでございます」
ひし、と胸の内に抱きつかれ、吉敷はその場で硬直する。
何をどうしたらいいものか、さっぱり思いつかない。頭の中が真っ白に染まった。
棒立ちする吉敷に助け船を出したのは、レオナの呟いた一言であった。
「あれ……?そういや、源ちゃんは?」
「そうだ。源太とは会わなかったのか、誰も?」と、九十九も廊下を見渡すが。
聞き慣れた大声も、重量のある足音も、聞こえてくる気配がない。
「そ、そうだ、兄貴を!小夜子殿、俺は兄を捜してこねばなりません」
慌てて吉敷も小夜子を己から引き離し、廊下へ飛び出そうとした。
その時、小夜子の発した小声が彼の注意を引き戻す。
「あ、あの……っ」
皆の意識が、彼女に注目する。
それに気づいてか小夜子は視線下向きに恥じらいながらも、ぽつぽつと話し始めた。
「……わたくしが、こちらへ来る前に台所……水場のほうで、声を聞きました。何か、大きな獣の唸る声のようで……恐ろしくて、中は覗いていないのですが……」
即座に九十九が頷く。
「覗かなくて、ご賢明でした」
手招きに吉敷を呼び寄せると、耳元で指示を与える。
「お前は二人を守っていろ。俺は台所を見てくる」
ところが、九十九が走り出そうとすると、三人も一緒についてきた。
「ん?台所へ行くなら、レオナ達も一緒に行くよ」
「しかし」と渋る九十九へ、レオナは片目を瞑って見せる。
「もう敵は倒しちゃったんだし、残っても危険なんてないでしょ。一緒に行こ?」


だが、台所へ駆けつけた直後。
九十九はレオナと小夜子を手荒く廊下へ押し戻すと、水場へ続く戸を閉めてしまった。
「ちょっと!いきなり、何?」
レオナがドンドンと戸を叩くも、九十九は無視して傍らの吉敷を促す。
「おい、貴様の兄に何か一言言ってやれ。どうせなら、うんときつい一言をな!」
言われた吉敷のほうは、というと――
ただ呆然と、目の前で繰り広げられる痴態に、口をぽっかりと開けるしかなく。

目の前で、縺れ合う二つの肉体。
一人は源太だが、源太の下にいる男には全く見覚えがない。
口の周りに無精髭を生やした、小太りの中年だ。
それが、源太と堅く抱き合って、二人して荒い喘ぎを漏らしているのである。

目を背けたくなる光景であった。というか、九十九は何気に視線を外している。
吉敷も理性では目を背けたかったのだが、彼の目は一点に固定されていた。
源太の逸物は男の尻に、根本まで埋め込まれている。
接続部分が擦れるたびに、中年が甘い声をあげ、源太の舌が男の背を舐め回す。
むかつくことに兄貴は、男の背を舐めては吉敷の名を連呼していた。
何をやっているんだ。
そいつは、俺じゃない。
「あー……もしかして、こういったものを見るのは初めてなのか?」
九十九の声で我に返り、慌てて吉敷は視線を外す。
「……まさかな。その歳で、それもないか」
続いて呟いた彼の言葉は耳に入らなかったが、吉敷は真っ赤になって否定した。
「べ、別に見入ったりなどしてませんッ!ただ、兄貴が、こんな親父相手にしてるのがっ」
「あぁ、そうだよな。嫁さんがいるのに男を相手にするわけがない」
先輩が何気なく放った一言は、常識的ながらも、吉敷の心にぐさりと突き刺さる。
どうせ家でもやっているんだから、源太の性交は見慣れているはずだ。
それに嫁がいるんだから、男なんぞを相手にするわけがない。
それで、お前はビックリしてしまったんだろ?可哀想に。
――そう、九十九は言いたかったに違いない。
だが省略された、本来なら当たり前であるはずの事実に、吉敷は傷ついた。
そうじゃない。
そうじゃないんですよ、先輩。
俺は、兄貴が、あんな下ぶくれの太った中年と絡んでいるのが嫌なんだ……
傷心の吉敷に九十九は気づいているのかいないのか、源太の背後に回り、数珠を拳へ巻き付ける。
「さて……そろそろ、この馬鹿の目でも覚まさせてやるか」
「あの、先輩?一体なにを」
恐る恐る尋ねる吉敷へは片目を瞑って頷くと。
「はッ!」
気合いと共に、拳を振り下ろした。
源太の背中へ、勢いよく。

晴れて吉敷が屋敷の表に出てきたのは、中へ入って半日後であった。
依頼主、麻呂彦の大絶賛を浴びながら屋敷を後にする。
「ま、半日で終わったんだ。途中経過はどうであれ、成果は上々じゃろ」
涙目の兄が言う。まだ背中が痛むのか時折さすっているが、しかし同情はできない。
いくら悪霊に騙されていたとはいえ、あんな中年を吉敷と間違えるなんて。失礼だ。
そもそも、闇夜で甘えられたから騙された、という源太の言い分も気に入らない。
兄貴は自分のことを、そんな甘ったれだと思っていたのか。
吉敷の不機嫌は、考えれば考えるほど、どんどん増していくばかりであった。
その不機嫌メーターの上昇に歯止めをかけたのは、小夜子の囁き。
鈴を転がすような珠の音で、彼女は言った。とても嬉しそうに、少し、はにかみながら。
「そうですね……それに、皆様、どなた様もご無事でしたもの。よかったです……」
それについて吉敷が頷くよりも早く、レオナが同意する。
「うんうん、そうだよ!皆が無事で事件も解決。大円満ってやつだね!」
台詞を根こそぎ横取りされ、一、二拍置いてから吉敷も頷く。
「そ、そうですな。まぁ、一人欠けそうになった者もおりましたが」
じろ、と横目で兄を睨むと、しゅんと縮こまる源太の姿が見えた。
口元に手をあて、「ほんにそうです」と頷いていた小夜子が、不意に尋ねてよこしてきた。
「ときに――あなた様は、吉敷様とは、どういったご関係なのですか?」
きょとんと自分を指さし「えっ?レオナのこと?」と聞き返すレオナへ、頷く彼女は。
いつの間にか笑顔を潜め、すっかり真顔である。
黒い瞳の奥には微かな嫉妬が見え隠れしているように見えたのは、レオナの勘違いだろうか。
「え……っと」
思わぬ憎悪を向けられレオナは戸惑い、見かねた源太が横から口を挟む。
「なぁに、仕事仲間じゃ。猶神流の仕事を手伝いにきてくれた山伏じゃよ」
「ついでに申し上げておきますと」
レオナの真横に立った吉敷も、口添えした。
「こいつは男です。お二人とも、騙されぬよう」
「男!?」
小夜子と九十九が見事にハモり、レオナは憤慨する。
「男じゃないもん!レオナは、もう女の子として生きてるんだからね!」
「心がどうであれ、少なくとも体は男だっただろうが!」
ジト目で睨む吉敷と怒るレオナを交互に見つめ、ややあって九十九は大きく溜息をついた。
「虚弱野郎にオカマ山伏か……どっちも頼りになりそうもないな」
途端に両脇から、ぎゃあぎゃあ騒がれて、彼は再び頭を抱える羽目になる。
「先輩!俺とこいつを同類にしないで下さい!」
「失礼しちゃうなぁ、猶神流のお兄さん。レオナはオカマじゃなくて、女の子だよ!」
尚も延々と続きそうな喧嘩を打ち切らせたのは、源太の呆れ声。
「あー……お前ら、道の往来で堂々喧嘩っつーのもなんだ。まずは俺の家に戻ろうかい」
真っ先に九十九が頷き、源太を見た。
「そうだな。俺もお前に伝えたいことがあった」

途中、婆様の元へ立ち寄って報告を終えた後は帰路につく。
苑田の家にも寄ったのだが、小夜子は首を振り、まっすぐ吉敷を見つめた。
「吉敷様……もし、吉敷様が宜しければ、吉敷様のお家を見とうございます。……駄目、でございましょうか……?」
うら若き女性に真剣な眼差しで見つめられて、駄目だと言える神経を吉敷は持ち合わせていない。
そういったわけで小夜子もまた、長門日家の前に到着していた。
他の同行者は兄と九十九。それからレオナもいる。
改めて吉敷とレオナへ軽く会釈をすると、九十九は名乗りをあげた。
「挨拶が遅れたな。俺の名は十和田九十九。そこにいる源太とは同輩の霊媒師だ」
戸に手をかけたまま、源太が振り返る。
「その挨拶、ちっと待って欲しかったのぅ」
「何故だ?」と九十九が聞き返すのへ、戸を開けてから源太は答える。
「お前、俺の嫁さんに会ったことがないじゃろが。もう一度同じ挨拶を繰り返すハメになるぞ」
笠を脱ぎ、九十九は肩を竦めてみせる。
「何を言っている。お前の嫁さんとなら、一度会ってるだろう。結婚式の日に」
「だが、きちんとした挨拶はしていない――」
源太の答えは途中で途切れ、甲高い声が彼らを迎え入れた。
「源ちゃん、よっしー、おっかえり〜!!」
静が廊下を素晴らしい勢いで滑ってきて、そのまま源太の元へ飛び込んできたのである。
「うぉっと。静、元気なのは結構じゃが、今日はお客さんがおるんでな」
九十九と小夜子を見て今さらながら照れる静に、レオナがパタパタと手を振る。
「レオナもいるよ〜。しずさん、おじゃましまーすっ」
「あ、レオナじゃん!いらっしゃい、他のお二人もあがってくださいな。おいしいお茶とお菓子を用意しますので〜っ」
あたふたと源太から離れると、手で髪の毛を整え、静は忙しなく台所へと消えていった。
「……元気そうな嫁さんじゃないか。お前に似て」
九十九の口調は、どこか呆れていたが、源太は嬉しそうに胸を張る。
「そうじゃろう、そうじゃろう!わしにとっちゃ自慢の嫁様じゃい!」
この様子では、九十九が言った言葉の裏にある皮肉には気づいていない。
レオナと吉敷は目配せして、そっと苦笑した。

食卓には六つの湯飲み茶碗と、大きな皿に盛りつけられた三色団子が置かれている。
団子をぱくつきながら、話のこいくちを切ったのはレオナ。
「で?九十九さんは、源ちゃんに何の用があるのかな?」
お茶を一口飲んでから、彼は答えた。
「最初は源太一人に話せばいいと思っていたのだがな。少し、気が変わった」
九十九と視線が合い、吉敷はガラにもなくドキドキする。
考えてみれば、大婆様や源太を除けば同門の先輩と話すのは、これが初めてだ。
十和田九十九は、同輩とはいえ兄と比べると、かなり印象の違う男だ。
源太と比べるとスマートで――まぁ、源太と比べるのは根本から間違っている。
体格だけで見るのであれば、吉敷と同じタイプとも言えた。
すらりと細く、背は高い。
笠を取った素顔は凛としていて、なかなかの男前。
だが、どこか女性を偲ばせる吉敷とは違い、太い眉毛が男らしさを強調していた。
まるで九十九が源太の弟であるかのような、立派な眉である。
「吉敷」
名を呼ばれ、吉敷は上擦った声で答える。
「は、はいッ」
がちがちに強張った顔を向けると、九十九は苦笑した。
「そう緊張するほどでもない。……だが、心して聞けよ。今回の依頼に置ける、お前の戦いぶりは、俺の目から見ても、なかなかであった」
「お褒めに頂き恐縮でありますッ」
褒められた!
そう思った瞬間、吉敷はガバッと頭を下げて平伏する。
「だから、緊張するなと言っているだろう」
また苦笑され、吉敷の頬は、ぽっぽと熱くなった。
先輩に褒められるだけでも嬉しいやら恥ずかしいやらで、頭がいっぱいだというのに。
小夜子が、じっと、こちらを見ているのも気になって仕方がない。
彼女の視線が突き刺さるようで、そんなことを考えている自分が、さらに恥ずかしい。
「だが、如何せん腕力が不足しているようだな。術者は霊力の強さだけで勝負を決めるわけではない。お前には基礎訓練が必要だ」
ずばりと指摘を受け、吉敷は縮こまる。
脳裏に、刀を取って貰った時の状況が、ありありと浮かんでは消えた。
確かに、吉敷には腕力がない。
霊力も低く、腕力もないのでは、この先の戦いで足を引っ張ることも懸念される。
九十九の指摘は、もっともな一言であった。
なにも静やレオナが居る場所で言わなくても、という思いも胸をかすめたが。
「よって、俺はな。源太。お前の弟を俺の依頼に連れて行こうと思うのだが。どうだ?」
「え!?」
平伏していた吉敷は頭をあげ、胡座をかいて半分流し聞きしていた源太も驚いた。
小夜子も口元に手をあてて、声こそ出さなかったが驚いているようであった。
そして、レオナや静も、また。
皆の視線を一身に受け、九十九が言い直す。
「いや、正確には吉敷だけではない。源太、お前にも来て貰いたい。今度の敵は、些か俺の手にも余りそうな相手なものでな。……聞いているだろう?狐憑きの依頼については。あれを手伝って貰いたいのだ」

  
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