彩の縦糸

其の十五 狐祓い

「狐憑きか。あの依頼なら、南樹が引き受けたんと違うんかのぅ」
気のない源太にかぶりを振ると、九十九は断言した。
「南樹はやられた」
「何ッ!?」
思わず腰を浮かしかける源太の袖を、横からチョイチョイと引っ張る者が。
振り向けば、レオナが戸惑いの体で尋ねてよこす。
「えっと、ミナキさんって?誰?」
「南樹芳恵。猶神流霊媒師の一人だ、俺にとっては先輩にあたる」
淡々と答える吉敷の横で、九十九も目線にレオナを捉えた。
「そこにいる源太は霊気による力押し、俺は霊波を乗せた術を得意とする。南樹は霊の気配と同調することが出来る。だが……」
「相手は多勢だったのか?」
横からの源太からの問いに恐らくは、と九十九は頷く。
「腕と足に何か強い力で締め付けられたような痣があった。傷も酷く、多勢から暴行をうけたのではないかと医者は言っている」
暴行は暴行でも、性的暴行である。
しかし彼は、そうは言わなかった。言葉を濁した。
静や小夜子といった女性のいる前で、言うべき話ではなかったからだ。
「卑怯じゃのぅ。相手は、たった一人のか弱い女性じゃろうが」
ぷんすかと源太は怒り、レオナも「女の人なんだぁ」と小さく呟くと、握り拳を固めた。
「やっぱり、それって相手は闇陰庵なのかな?」
今度は九十九が尋ねる番で。
「お前達は闇陰庵について何か掴んでいるのか?」
といった問いに、吉敷も源太も首を振り、レオナだけが答えた。
「はっきりと何かを掴んだってわけじゃないけど……今猶神流へ入ってくる依頼の大半数は、彼らの仕業だと思う」
「どうして、そう思う?」
九十九の目を真っ向から見据え、レオナは真顔で言った。
「だって、わざわざ名指しで呼び出そうとしてきたんだよ?闇陰庵の先兵が、大婆様のことを。彼らが千鶴様を狙っているのは明確でしょ」
「それは判るが、だが全ての依頼が奴らの仕業とは限らんだろう」
九十九は慎重だ。するとレオナは軽く手を振り、肩を竦める。
「でも、現にミナキさんって人はやられちゃった。強いんでしょ?その人。それとも何?猶神流の霊媒師っていうのは、その辺の雑魚にもやられちゃう実力――」
「猶神流を虚仮にするつもりなら許さんぞ」
最後まで言い終わらないうちに、吉敷がレオナの胸ぐらを掴み上げる。
小夜子の息を呑む音が聞こえたが、先輩の前で無礼な口を叩く小僧を許すわけにいかなかった。
いきりたつ吉敷を止めたのは、当の先輩、九十九であった。
「まて、長門日。南樹ほどの実力者を倒す相手が、そうそう野にいるとは思っておらぬ。俺も婆様もな。だからこうして、源太の力を借りに来たのではないか」
「でも、源ちゃんと九十九さんとよっしーの三人で戦うとして……正攻法で勝てる相手なのかなぁ〜?正攻法でいって、やられちゃったんでしょ?ミナキさん」
胸ぐらを掴まれているというのに、レオナは余裕綽々だ。
吉敷が殴るわけないと思っているのか、或いは殴られても避ける自信でもあるのか。
なおも嘲り続ける彼を見かねて、さすがに静が窘めようとした時。
源太が先に誘いをかける。
「三人じゃ力不足と抜かすか?ならレオナ、お主はどうした方がいいと思うんじゃ」
するとレオナ、にっこりと微笑み皆の顔を見渡した。
「もちろん、レオナも手伝うよ。それから、そこにいる小夜ちゃんもね」
「え?」
いきなり水を向けられ、驚く小夜子に重ねて問う。
それは問いというより最早、脅迫に近い調子であった。
「もちろん、行くよね?よっしーのこと、心配だもんねぇ〜?」
「そ、それは勿論ですわ」
「小夜子殿!?」
危ないから来るな、といったことを吉敷が口にする前に、小夜子は言い切った。
正眼に吉敷を見据え、きっぱりと。
「吉敷様。わたくしも、お供いたします。けして吉敷様を危険に晒したりは致しません」

――さて。
改めて小夜子とレオナも仲間に加えたところで、九十九が懐から地図を取り出す。
ちゃぶ台の上に広げると、皆もそれを覗き込んだ。
「椚区界隈の地図だ。南樹が追い込まれ、やられたと思われる現場が此処」
九十九が指さしたのは雑木林。
「彼女は……」
ちら、と静や小夜子を一瞥し、ごほんと咳払い。
それだけで何かを悟ったか、静が腰をあげる。
「あ、あたし、お邪魔みたいだから台所行ってるね。片付けでもしてるわ」
「おぅ」
源太だけが応じ、静はすぐに居間から消えた。
もう一人の女性、小夜子は立ち上がらず、逆に九十九を促す。
「わたくしは何を聞かされても平気でございます。お話の続きを、どうぞ」
もう一度大きく咳払いをすると、唇を舌で湿らせて九十九は続けた。
「南樹は性的暴行を受けていた。発見された時、彼女は全裸で横たわっていたそうだ」
「林の中で、乱暴されたってこと?相手は誰なの、狐に憑かれた人?」
尋ねるレオナを横目で捉え、彼は首を真横に振る。
「それは判らん。発見者は椚区の住民達が八人ほど。全員が男性だった」
今度は小夜子が疑問をくちにする。
「全員が殿方、でございますか……?それも不自然でございますね」
「うむ。女性が、その……全裸、だというのに男が運び込むというのは、どうも」
全裸、とくちにするだけでも恥ずかしくなり、吉敷はどこか上向き加減に呟いた。
南樹芳恵とは、まだ顔合わせしたことがない。
だが、噂だけなら大婆様の処の三人娘から聞かされた覚えがあった。
若くて美しく健康的で、そして何よりも明るく強い女性だという。
女性の良い点ばかりを集めた、理想の人間だという話であった。
「医者が言うのには」
九十九が言い、皆も注目する。話はまだ、終わっていなかったようだ。
「……南樹は、数人から乱暴されたのではないか、という話だ」
「数人?じゃあ、まさか運んできた人達が犯人なんてオチじゃないよね?」
レオナの予想に九十九の眉が、ぴくりと跳ね上がる。
また彼が失言でもしたのかと吉敷は慌てたが、そうではなかった。
「大婆様も同じ予想をしておられた。地区全体の住民が狐に憑かれているのではないかと」
「ありえん話じゃーないわな」とは、源太。
腕組みをしながら、吉敷とレオナ、そして九十九と順番に見やる。
「大婆様を相手に戦おうっちゅう連中じゃ。それほどの霊力があってもおかしゅうないわ」
「だよね。あの九鬼って人も、ただの先兵だった割には強かったし」
レオナが即同意する。
「地域全体が操られているんじゃ、お手上げじゃないか。どうすればいいんだ?」
早くも吉敷がさじを投げ源太に問うと、兄貴は、あっさりと受け流した。
「どうって、一番霊力の強い源を探して叩きのめせば、それで終わりじゃ。簡単じゃろ?」
まったく、簡単に言ってくれる。
しかし、そう上手くいくぐらいなら南樹先輩だって、むざむざやられはしまい。
恐らくは彼女だって探したはずだ。だが、彼女には見つけられなかった。
何の策もなく、行き当たりばったりに集団でノコノコ出向いたって、結果は同じだろう。
まずは、誰かが地区の様子を偵察する必要がありそうだと吉敷は考えた。
そいつを提案し、まずはレオナに振ってみる。
「レオナ、まずはお前が様子を見てくるってのは、どうだ?」
「いいけど。報酬は、よっしーの体ってことで、一つ宜しく!」
冗談は顔だけにしてほしいものだ。
「こんな時に、ふざけるな!」と怒る吉敷を見て、レオナも肩を竦める真似をした。
その顔が途中で凍りつき、彼は慌てて全力で撤回しなければならなくなった。
「じょ、冗談だってば。冗談だよ!?だから、怒らないでね小夜ちゃんっ!」
吉敷が小夜子のほうへ目をやる頃には、彼女も穏やかな表情に戻っていたが。
「冗談はさておき、偵察を出すというのは良い案だな」
九十九が吉敷の意見に賛同し、源太も曖昧に頷く。
「だが、誰が行く?俺もお前も顔が割れとるじゃろ。無論、吉敷もじゃ。となると」
三人の目線は、おのずと小夜子やレオナに向けられる。
吉敷と目があった瞬間、小夜子がコクリと頷くのを見て、吉敷は嫌な予感にかられた。
「わたくしが――」「駄目だ!」
叫んだのは、ほとんど同時であった。
「吉敷様!」
悲鳴にも近い声をあげる小夜子を制し、「小夜子殿に危険な真似はさせられませぬ」と吉敷は、きっぱりと断言したのだが、横合いから素っ頓狂な奇声が、それを邪魔した。
「いいね、それ!小夜ちゃんとレオナなら顔も割れてないし、いってみよう!」
「あん?レオナ、お主は顔が割れとるじゃろ。九鬼とやらのせいでな」
すかさず源太に突っ込まれ、レオナは「あ、そうか」とポリポリ頭を掻いた後。
改めて小夜子へ頭を下げた。
「というわけだから。一人で行ってくれる?」
「駄目だ!!」
今度は吉敷が悲鳴をあげる番である。
悲痛な叫びは、しかし小夜子本人の弁に遮られた。
「偵察も宜しいのですが、事は緊急を要しているはずでございます。偵察をかねた囮作戦というのは、いかがでございましょうか?」
小夜子がふざけている様子はない。いや、彼女は元々ふざけるような人でもない。
目を見れば判る、彼女は大真面目だ。
大真面目に、囮になると発言しているのである。吉敷は必死で小夜子を止めた。
「いけませぬぞ、小夜子殿!南樹殿が、どうなったのかは今し方聞かれたであろう!小夜子殿は、南樹殿と同じ目に遭われたいと申されるのか!?」
ぼそりと九十九も呟く。
「……俺も吉敷に賛成だ。女性を囮にする策は好かん」
しかし、とも彼は続けた。
「顔が知られていないのは、小夜子殿だけだしな……」
「おとりも偵察もやめにいたしましょう!」
自分から言い出したことなのに、早々と撤回する吉敷。
言うのではなかった、という後悔の念が彼の脳裏を渦巻いた。
対照的に、九十九は冷静であった。
「ならば、どうする?地区全体が敵となり、気配も感じ取れぬ中で」
「うむ。操られてる奴らからも敵さんの気配がするじゃろうからの」
こんな時だけ、早々と源太も賛同する。
頼りにならない兄貴をじろっと睨みつけてから、吉敷は小夜子へ向き直る。
だが口を開きかけた時、胸元に彼女が飛び込んできたものだから、頭が真っ白になった。
「……どうか、どうか小夜子の申し出をお許し下さい、吉敷様。小夜子は、吉敷様のお役に立ちたいのでございます……!」
などと、涙を溜めて上目遣いに見上げられては、駄目だと言い切ることもできやしない。
もう、言おうとしていた言葉が何であるかも忘れてしまった。
朱に染まり硬直したまま、吉敷はぎこちなく頷いた。
「よ、宜しいでしょう。しかし小夜子殿、どうか、ご無理はなされるな。我々の策を聞き、その通りに行動していただきたい」
す、と胸元が軽くなる。小夜子が身を離し、微笑んでいるのが見えた。
「……ありがとうございます、吉敷様。必ずや、お役に立ってみせます」

あれやこれやと、ごねてみたものの、偵察に行けるのは小夜子しかいないのである。
源太の大きすぎる霊力は目立って仕方がないし、九十九は有名人すぎる。
九鬼と対面している吉敷やレオナも偵察には行けない。
となれば、小夜子が行くしかない。だが所詮、彼女は素人だ。
あまり期待しすぎるというのも酷であろう。
いきなり大将の居場所を探れといわれても、探りようがあるまい。
小夜子は霊媒師ではない。故に、霊気を感知する方法も知らぬ。
そこで、吉敷達は彼女に別のことを命じた。すなわち、椚区に住まう住民の調査だ。
何故、南樹を病院へ運んだのが男性だけだったのか。
女性住民は、何処へ行ってしまったのか?どうなってしまったのか。
区域全体の様子を、それとなく伺って欲しい。
住民全てが操られているのであれば、何かしら周辺の地区でも噂になっているだろう。
椚区だけではなく、周辺の地区にも足を伸ばして欲しいと頼んだのである。
「わかりました。お時間はかかるかもしれませんが、どうかお待ちになっていて下さいませ」
小夜子の決意を否定したのは、九十九。
「いや、時間はかけなくていい」
何故、と目で問う彼女には、こう説明した。
「貴女が先ほどおっしゃっていたように、事は緊急を要するのでございます。それとなく噂話を聞いてくるだけで宜しいのです。それだけで次の手が打てます」
「ホントか?」
疑わしそうに聞いてくる源太へは、自信たっぷりに頷いた。
「敵が少数か複数か、それだけを知りたかったのだ。後は何とでもしてみせる」
「で、数が判った後の作戦は?」と尋ねるレオナには、目で吉敷を示す。
「彼の持つ霊刀が、狐を祓ってくれる。狐を次々祓ってゆけば、親玉もすぐ見つかろう」
「……では、さっそく旅支度を整えて参ります。吉敷様、皆様。ごきげんよう」
す、と立ち上がる小夜子に、慌てて吉敷が見送りに出た。
戸口まで見送りに来た時点で、吉敷は意を決して彼女に話しかける。
「あ、その。小夜子殿」
「……はい?」
振り返り、彼女がひたと吉敷を見つめる。心なし上擦った声で、吉敷は言った。
「身の危険を感じたら、即、逃げて下さい。俺が、必ず助けに行きます」
しばらく静寂があった。
黙ったまま見つめてくる小夜子は、一体何を考えていたのか。
沈黙の数秒を過ごし、ようやくポツリと漏らした。
「……嬉しゅうございます」
そう呟いた彼女は真から嬉しそうに、はにかみ、吉敷へ深々と頭を下げる。
「では」
小夜子が会釈して立ち去る頃には、吉敷の意識も現世へ戻ってきていた。
すっかり彼女に魅了されている自分に気づき、吉敷は頭を抱える。
勢いで囮作戦を許してしまうのではなかった。
兄貴や先輩達には悪いが、この作戦、少し変更させてもらおう。
「火霊、管狐。いるか?」
胸元から即座に返事がする。
[何いってんの?ボクはいつでも一緒でしょ]
それと重なるように火の馬も、姿を現わした。
[何?ヨシキ]
懐から竹の筒を取り出し、管狐を表に出しながら吉敷は二匹に命じた。
頼むのではなく、彼らの主人として命令を下した。
「小夜子殿の後を、それとなく尾行しろ。彼女が危うくなれば」
[判ってる。ヨシキに伝えるんだよね]
火霊と管狐の二匹は同時に頷き、すぐに大気の中へと姿を消した。
二つの霊気が遠ざかっていくのを感じながら、吉敷も居間へと戻る。
作戦会議は、まだ続いている。
小夜子の後を霊獣に追わせたことを、彼らに感づかれてはならなかった。

  
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