彩の縦糸

其の十三 真価

周囲一帯を包み込む闇。
自分と聖獣以外、何も見えない。
いや、もう一人いた。姿の見えている相手が。
そいつは源太の格好をしていた。しかし、奴は源太ではない。
聖獣には勿論だが吉敷にもそれが、はっきりと判っていた。
「……ふん」
鼻先で笑うと、吉敷は背中から太刀を引き抜く。
高尾山より引き抜いて持ち帰りし、正体不明の大太刀だ。
「相手の油断を誘うならな、それと判らぬように姿を現わすもんだ。貴様と話している途中で姿を見せるなど、偽物ですと言っているようなもんだぞ」
吉敷の耳元に浮かんだ火霊も、うんうんと頷く。
[本物の源太なら、真っ先にヨシキを抱きしめるもんね]
「余計なことは言わなくていい」
すかさず火霊を窘め、吉敷は刃先を悪霊へ向けた。
「兄貴の姿を模した相手だろうが手加減はしてやれんぞ。さっさと元の姿に戻ったらどうだ!」
どうせ相手としては、兄貴の姿をした者に攻撃ができるか?などと言うつもりだったのだろう。
だが、今の状態ならば吉敷は出来ると断言する。
曖昧な状態での遭遇だったならともかくも、こいつは、はっきり違うと己の勘が告げている。
それに傍らの火霊もまた、この源太は偽者であるとの結論を下した。
体を取り巻く炎の勢いが激しさを増している。攻撃態勢に入っているという何よりの証拠である。
「不愉快か……兄の姿を…………模写されるのは」
いずことも知れぬ場所から、声が問う。
視線は悪霊へ向けたまま、吉敷は答えた。
「当然だ。汚らわしい悪霊なんぞに肉親を模されて、不快に思わぬ奴がいるものか」
闇の中で気配が動いた気がした。
「なら…………戦い、倒して、姿を戻してみせるがいい…………」
言葉の裏に嘲笑めいたものを感じ、吉敷の太刀を握る両手に力がこもる。
素早く、火霊が耳打ちした。
[ヨシキ、刀を使うのは最終手段だからね!まずは僕が攻撃してみる、効かなかったら援護お願い]
「判った」と答えるのも最後まで聞かず、炎の馬は宙を蹴って悪霊の懐へと飛び込んだ。
炎の蹄が悪霊を激しく蹴り飛ばすと、辺り一面に火の粉が散り、真っ暗闇を煌々と照らす。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに周囲は闇に閉ざされた。
時折、パッ、パッと火の粉が飛んでは、火霊と悪霊の姿が映し出される。
攻撃を仕掛けているのは火霊ばかりで、悪霊は防戦一方といったところだろうか。
攻防を見ているうちに、吉敷は不思議な現象に気がついた。
火霊の炎が悪霊の体のあちこちに飛び移り、ちろちろと燃えている。
おかしい。
悪霊というからには、相手は当然、霊体のはずだ。
それが何故、物理的に煙まであげて燃えているというのか?
「管狐。奴は……実体があるのか?」
懐から筒を取り出し、そっと囁くと。顔を出した管狐は、怪訝な顔で吉敷を見上げた。
[変なことを聞くんだね、吉敷。実体がなかったら、人間に攻撃できないじゃないか]
「え?じゃあ、やはりあれは実体があるのか?」
自分で尋ねておいて何だが、吉敷の声は裏返る。疑問を肯定するように、管狐は深々と頷く。
[悪霊っていうのは本来、何かに取り憑かないと人間に危害を加えられないんだ]
吉敷の場合は特別で、彼は霊体に触れられる数少ない人間であったりするのだが。
しかし吉敷の体質など、彼と実際に戦ってみたことのない奴が知っているはずもなく。
今回の相手もそれを知らず、悪霊を何かに取り憑かせた状態で襲わせた、というのが妥当な線か。
「――火霊!戻れッ!!」
不意に最悪の事態まで思いつき、吉敷は慌てて火霊を呼び戻す。
景気よく悪霊を蹴りつけていた火霊は、必死の制止に驚いて振り向いた。
[ど、どうしたの?急に。もうちょっとで全身火だるまに出来そうなのにっ]
見れば、悪霊の体は火の移っていない場所などないといわんばかりに、赤く光っていた。
あちこちから、白い煙をあげている。
炭化してしまったか、右手はだらりと下げたままだ。顔だけが無傷であった。
[こいつ、顔だけは庇うんだ。顔が弱点なのかな?]
吉敷の側へ戻ってきて、火霊が囁いた。
「それどころじゃない」
再び刀をきつく握りしめながら、吉敷は呟く。
「こいつ……こいつの実体は、罪なき民である可能性が高いんだ」
[えぇっ!?]
悪霊遣いの余裕ともいえる嘲笑は、そこから来ているのではないか。
倒されても別に、かまわない。
そうとも取れた理由は、乗り移っている媒体が奴にとって損害の出ない対象だから。
知らずに倒してしまったと言い訳しようが、死骸が明るみに出れば吉敷は殺人犯になってしまう。
[そんな……それじゃ、僕には手も足も出ないじゃないか]
火の粉を撒き散らしながら、火霊は愚痴垂れる。
[僕の炎は悪霊もろとも実体を焼き尽くしちゃう。悪霊だけ綺麗に焼くなんて、無理なんだ]
火霊に出来ないのであれば、水蛇や雷角にも無理であろう。
属性の違いはあれど、攻撃手段としては似たようなものだからだ。
吉敷の視線が手元に落ちる。
この太刀が、何かの役に立たないだろうか。
そもそも、この太刀は一体どういった効力を秘めているのだ?
「管狐。お前、武器の能力を調べることは出来ないか?」
ゆっくりした動作で、悪霊が近づいてくる。
あちこちを炎が焦がしているというのに、奴は熱さを感じていないようであった。
[どうして、出来ないかって聞くの?出来るか、って聞いてくれた方が嬉しいのに]
管狐は不満そうに鼻を鳴らすと、吉敷の腕を伝って滑り落ち、刀の上に飛び乗る。
「おい、危ないぞ」という吉敷の忠告は無視して、ふんふんと刃に鼻をつけて匂いを嗅いだ。
[やっぱり。霊刀だ。吉敷、この刀からは神聖な気配を感じるよ]
「悪霊にも効きそうか?」
これで刀までもが効かなかったら、真にお手上げだ。
闇の中で逃げまどうしか、出来ることがなくなってしまう。
刀を握る手が汗ばんできた。
吉敷は刀を振るったことなど、今までの人生において一度もない。今日が初めてとなろう。
効くか効かないか以前に、当てられるという自信もなかった。
[大丈夫。霊刀は、霊だけを断ち切る刀だもの。実体に影響はないから安心して]
吉敷の不安をどう受け取ったのかは判らないが、肩先に登った管狐が囁いてくる。
[真ん中を狙って一刀両断。吉敷なら、できるよね]
念を押され、吉敷は渋々頷いた。
「善処はする。外れたら神にでも祈ってくれ」

一歩。
二歩。

相手との間合いを計るように、じりじりと摺足で悪霊との距離を狭めてゆく。
もう少しで手が届きそうな距離にまで狭めたところで、吉敷は足を止めた。
背後に浮かぶ火霊へ、脳内で指示を出す。
――俺が斬り合いをやっている間に、悪霊遣いの居場所を探ってくれ。
判った。そう答える代わり、火霊は姿を消した。相手に気取られぬ為の配慮であろう。
闇から、低く、くぐもった声がする。
「聖獣を……消したか。もう諦めたのか……?」
乾いた唇を舌で湿し、吉敷は答えた。
「諦めてなど、いないさ」
手にした刀が、きらりと閃く。
どこからも光は当たっていないというのに、刃は目映いほどの輝きを放っていた。
「貴様、太刀を扱えるのか?……その細腕で振えるものなら、振るってみるがいい」
吉敷が手にしているのは三尺弱の大太刀。だが、意外なことに思ったよりは重たくない。
当てられる自信などないが、重さでふらつくことはない、とも吉敷は踏んでいた。
真っ向から真ん中を一刀両断しろ、と管狐は言った。
そうだ、この武器を刀だと思わなければいいんだ。
スイカ割りの棒か何かだと例えればいい。そうすれば気も楽だ。

死霊を戻してしまったことを、レオナは後悔していた。
暗闇の中、相手を傷つけず戦うことが、これほど難しいとは。
ひとまず突くのをやめ、振り払うことだけに専念する。近寄られたら、一巻の終わりだ。
だが重たい錫杖を振り回すのには腕力がいり、非力なレオナにとっては一苦労であった。
おまけに、襲いかかってくる悪霊は一人ではない。
二人、三人と次第に多くなる。何処に収まっていたのかと思うほど、数が増してきた。
気づけば、すっかり周りを囲まれている。レオナは額の汗を袖で拭った。
「か弱い子供相手に大勢で殴りかかるなんて、余裕のない戦い方をするんだね!」
憎まれ口を叩いてみても、闇の中の気配が動じることはない。低い嘲笑が返ってきただけだ。
「余裕がないのは……お前だろう。息が上がってきているぞ……」
「当然でしょ?レオナは生身だもん」
まずい、足がふらつく。それでも弱味は見せまいと、彼は両足で踏ん張った。
「気負わず楽な道を取ったらどうだ…………実体ごと悪霊を倒す、簡単な話だろう」
向かってくる悪霊を錫杖で追い払い、レオナは闇へ怒鳴った。
「そんな手には乗らないんだから!レオナが誤って殺すのを待ってるんでしょ!?」
答えはない。だが、それこそが返答といっても過言ではなく。
相手が、吉敷達を社会的にも抹殺するつもりで仕掛けてきたことを証明していた。

暖かい。
根本まで、みっちりと吉敷の尻に突っ込んだまま、源太は激しく腰を振った。
「あぁ、あぁ、吉敷の中は暖かいのぅ」
四つんばいになった吉敷は、時折甘い吐息を漏らし、身を捩る。
「兄貴……」という小さな呟きが、耳をくすぐった。
それがまた可愛らしくて、愛おしくて、源太は激しく腰を突き動かす。
ここが敵陣だということも、彼の脳裏からは吹き飛んでいた。
吉敷に突っ込める日が、こうも早くに実現しようとは。夢心地とは、今の状態を指すのだろう。
手を回し、吉敷の竿に軽く触れる。と、反射的に弟は尻を突き上げてきた。
「うおぅッ!」
予想外の動きに、源太の体も跳ね上げる。絡み合う肉の感触が心地よい。
片手で吉敷の金玉を弄くりまわしながら、背中へ舌を這わせた。
「よ、吉敷。な、気持ちよいか?気持ちよいか?」
「ん、あ、あぁ、兄貴、もっと、もっと、強く握って」
吉敷の手が導くように源太の手の上へ重ねられ、源太は言われるがままに弟の睾丸を揉みほぐす。


屋敷の中が緊急事態に陥っているなど、表にいる者には分かり得ない。
門へ手をかざした九十九に判ったことは、何かの強い力で扉が封印されている――
それだけであった。
「どうですか?開きますか……?」
しきりに尋ねる小夜子へ頷くと、九十九は扉から手を離す。
「何者かが内側から封をしております。が、この程度の封印なら私が解いてみせましょう」
吉敷に会いたい。
そう懇願する小夜子に頼まれて、九十九は屋敷の中を伺う事にした。
何故、小夜子の囁きに乗ってしまったのか。自分でも判らない。
しかも家主である小宮には、内緒で。バレたら、ただでは済まないだろうに。
苑田小夜子。彼女には一種の魔力がある。
彼女の為になら何でもしなければいけないような気にさせる、何かの魔力が。
扉からは邪悪な念を感じた。外から開けさせまいとする、強い念の力だ。
この屋敷に祟っているという悪霊の仕業であろう。
だが悪霊が作った封如き、一流の霊媒師なら解けなくては恥というもの。
九十九もまた、一流のプロを自称する霊媒師である。
彼は懐から破邪札を取り出し、扉へ押し当てた。
札を通じて、ちくちくと指先に鋭い痛みが走る。
邪悪な思念が具体化され、痛みとなって跳ね返ってきたのだ。
痛みは思いのほか、強い。ただの悪霊如きが作った封印ではない、と彼は直感する。
「これは――人の、念?」
「如何なさいましたか、九十九様」
九十九は安心させようと、小夜子へ微笑みかけた。
「ご安心を。封は解きます。しかし……小夜子殿は万が一を考え、表でお待ち下され」
小夜子の瞳が不安に揺れる。
「万が一?吉敷様の相手は、かように強い者ですか」
彼女にこれほど心配される吉敷が少し憎らしく感じ、九十九は自分で自分の心境に驚いた。
こんな状況で嫉妬など。俺は一体、何を考えているんだ?
ふい、と視線を逸らし、九十九は背中で答える。
「それはまだ、断言できませぬ。ですから万が一、なのですよ」
全神経を扉へ集中させる。札を通じて、ありったけの念を扉へ送り込んだ。
念と念が暴れ狂う衝撃を札越しに感じたが、ややあって、扉は音もなく開かれる。
九十九の送った念が相手の念を上回り、扉にかけられた封印を解きはなったのだ。
「源太は苦戦しているのやもしれませぬな。小夜子殿は、此処で」
「いいえ。わたくしも、参ります」
遮る九十九の横を擦り抜け、小夜子が先に足を踏み入れる。
九十九は慌てて、彼女の後を追いかけた。

屋敷へ一歩入った九十九と小夜子の目に飛び込んできたのは、戦う少女の姿であった。
山伏の服装をしている。黒い何者かに襲われていた。
間一髪、すれすれで攻撃をかわしているが、いつまでも保つものではない。
「邪霊どもめ、多勢に無勢とは卑怯な真似を!小夜子殿、お下がり下さいッ」
すぐさま九十九は小夜子を下がらせ、懐から数珠を取り出した。
視界から全てを追い出し、念を込める。
手元の数珠が淡い光を放つと、黒い影も少女も振り向いた。少女が驚愕に叫んだ。
「だ、誰!どうやって、入ってきたの!?」
レオナの声は意外なほど闇に反響し、どこかで低く舌打ちをする音が聞こえる。
問いには答えず、九十九は数珠を振りかざした。
「邪霊退散!汚らわし闇の住民よ、肉体より立ち去るがよいッ」
同時に懐から飛ばした札が、悪霊の体に張り付いた途端。
声にならぬ声をあげ、黒い影達が、くなくなと崩れ落ちた。まるで糸の切れた操り人形の如く。
結果に満足したか、大きく息を吐き、九十九は呟いた。
「ふん。源太め、この程度の敵に手こずるとは……腕が落ちたんじゃないか?」
倒れた人影を、こわごわと戸口で見つめていた小夜子が、小さく声をあげる。
「この方は……江本様では」
「江本?小夜子殿のお知りあいでございますか」
九十九へ頷くと、小夜子は弱々しく応えた。
「三軒先にお住まいの……先月から、行方不明となっておられた方です」
行方不明者?
首を傾げる九十九の背後で、山伏少女がホッと胸を撫で下ろす。
「やっぱり、ここの住民だったんだ!はぁ〜、殺さなくて本当に良かったぁ……」
振り向き、九十九は山伏へ尋ねた。
「君は?長門日と共に仕事をしているという者か?」
すると山伏少女は屈託なく笑い、九十九と小夜子の顔を交互に見比べる。
「はい。里見玲於奈っていいます。あなた達は、猶神流霊媒師の人?」
「俺はな」
九十九は顎で小夜子を示す。
「彼女は違う。長門日に用があるそうだ」
「長門日って、源ちゃん?それとも、よっしー?」
「よっしー?」
オウム返しに尋ね返す九十九の脇を擦り抜けるようにして、小夜子が前に出る。
「吉敷様は……吉敷様は、ご無事でいらっしゃいますでしょうか……?」
無事だよ、と返ってくるかと思いきや、レオナは首を傾げている。
「さぁ……レオナも、二人とはぐれちゃったから」
「はぐれた?屋敷の中でか」
いくら広い屋敷とはいえ、隅々まで探せば直ぐにも合流できよう。
レオナが戦っていたのは一階の居間だ。薄暗い先には階段も見える。兄弟は二階では?
そう尋ねようと九十九が口を開いた時、唐突にレオナが素っ頓狂な声を上げる。
「あれぇ?奥が見えてる!さっきまで真っ暗だったのにィ」
「何を言ってるんだ。奥なら最初から見えていただろう」
九十九と小夜子が飛び込んだ時から、薄暗いまでも部屋の内部は確認できていた。
今も真っ暗であるが、家具は黒い影となって散乱しているし、目を凝らせば見えなくもない。
だが、困惑の九十九と小夜子を残し、レオナは走り出す。
「おい!何処へ行くつもりだっ」
呼び止める九十九へは首だけ振り向いて、彼は応えた。
「源ちゃんと、よっしーを探さないと!二人も手伝ってくれるよねっ」
何故かは判らないが、二人の乱入者があったことで術が解けたらしい。
部屋の様子さえわかれば、怖いことなど何もない。
早いところ長門日兄弟と合流し、屋敷の何処かに隠れる術師を探し出せば、こちらの勝ちだ。
「とにかく、片っ端から部屋を開けて!何か見つけたら大声で知らせてね!!」
レオナは二人へ指示を飛ばし、小夜子と九十九が頷くのを尻目に階段を駆け上った。


ひた、と吉敷は正眼に悪霊を捉え、上段に刀を構えた。
悪霊の足が止まる。輝きを放つ刃に恐れでもなしたか、それ以上近づいてこようとはしない。
吉敷は大きく息を吸い込み、そして一気に吐き出した。
「……はぁッッ!」
気合い一閃、真っ向から悪霊へ斬りかかる。
すぃ、と空を薙いだ感触が伝わってきた気がした。
だが刀の先は、悪霊の肉体へ吸い込まれるように入ってゆき、脳天から股へと擦り抜ける。
「な、にっ!?」
これには斬った吉敷のほうが驚いてしまい、彼は一歩二歩と、たたらを踏んだ。
[見つけた!見つけたぞッ!]
驚きはそれだけに留まらず。間髪入れず、吉敷の脳裏に響いてきたのは火霊の興奮した思念。
バランスを崩していた吉敷は、それに応えることも叶わず、支えを求めて手を伸ばす。
手が悪霊に触れた、と思った直後。悪霊が後ろ向きに倒れ込んだものだから、たまらない。
「どわぁッ!」
たちまち支えを失って、吉敷は前のめりに転んでしまった。
したたか顔面を床に打ちつけ、痛みで這い蹲っていると、頭上から声がかけられる。
「……何をやっているんだ?お前は」
聞き覚えのない声にハッとなって首だけ擡げてみれば、見知らぬ男が呆れた顔で覗き込んでいた。
「誰だ、お前は!」
そう、怒鳴ってから気がついた。
黒い法衣に身を包み、足には草履。右手に持っているのは、藁で編まれた笠だ。
左手には数珠をぶら下げている。どう見ても同業者、いや――
「一度会っているだろ、忘れたのか?それより、お前の兄貴はどこだ?はぐれたままか」
精悍な顔には見覚えがあった。
確か、名は十和田九十九。源太と同期の先輩じゃないか。
九十九は床に倒れた悪霊を一瞥し、ほぅ、と感嘆の溜息を漏らしてから吉敷を振り返った。
「悪霊を肉体から断ち斬るとは、なかなかの腕前だな。源太が自慢するだけはある」
「え?」
きょとんとなった吉敷へ、九十九も「え?」と聞き返し、もう一度聞き直す。
「いや、こいつを倒したのは、お前だろう?その大太刀で悪霊を斬った、そうじゃないのか?」
吉敷は、がばっと跳ね起き、嬉しさのあまり九十九の手を握りしめる。
「判るんですか!?」
握られた方は気味悪そうに手を振り解き、「お前、俺を馬鹿にしてるのか」と、ぼそり呟いた。
「一目見れば、その刀が普通ではないことなど誰にでも判る。それに現場からして――」
九十九につられて、吉敷も周囲を見渡した。
居間ではない。
見たことのない部屋にいた。ここにも、床一面に散乱する家具やガラスの破片。
そこにいるのは九十九と吉敷の二人だけ。
いや、倒れている何某も併せれば、三人しかいない。
「こいつに乗り移っていた悪霊を倒したのは、お前しかいないという結論になる」
突然、九十九と吉敷の間へ割り込むように、赤い炎が飛び散った。
[何やってんの、ヨシキ!せっかく見つけたのに、逃げられちゃうだろ!?]
「わ!」
いきなりの悲鳴に九十九は慌てて左右へ視線を走らせ、額の汗を拭った。
「……なんだ、いきなり。変な声をあげて、どうした?何か思いついたのか」
答えず、吉敷は火霊へ叫び返す。
「見つけたって、奴は何処にいた!?」
[こっち!書斎にいたんだ、椅子に座ってねッ]
答えるのも、もどかしい、とばかりに炎の馬は扉を突き抜ける。
廊下を風切る勢いで飛んでゆく。勢いよく扉を開け、吉敷も廊下へ飛び出した。
後に残された九十九は、何がなんだか判らない。
だが判らないまでも事態の緊迫だけは理解したのか、吉敷の後を追いかけた。

  
△上へ