彩の縦糸

番外・五 帰宅

帰りの汽車に揺られながら、三人の話題は吉敷が持ち帰ってきた刀に集中した。
朝方にかけて調べもしたのだが、どういった刀であるのかは判明しなかった。
レオナと源太は「これぞ伝説の刀に違いない」と、根拠もないのに自信たっぷりであったが。
長さは三尺あまり、腰に差しても引きずりそうな大太刀である。
その割に手で持った感覚は意外と軽く、片手でも振り回せそうな重さであった。
刃は白く輝きを放ち、柄には菊の彫り物が施されている。
また、鞘には全身にかけて天へと登る龍が彫られていた。
とても、そのへんの野原に放置しておいていいような造りの刀ではない。
勝手に持ち帰っていいのか?吉敷は、出発前にも思ったことを再び考えた。
兄とレオナの勢いに負けて持ってきてしまったものの、次第に後悔がわき上がる。
「でも意外。お坊様の刀だっていうから、レオナ、てっきり霊刀だと思ったのに。その刀、どう見ても普通の刀だよね?」とレオナが言うのに、源太も頷く。
「おぅ、縄がぶっつりと切れたぞ」
通常、霊刀に分類される類は、霊的な対象しか斬ることができぬとされている。
縄が物理的に切れるということは、今、手にしている刀は普通の刀だという事になろう。
「じゃあ、よっしーがそれを持って歩いたら、お侍様になっちゃうね!」
くすくす、とレオナが笑い、源太は顎に手をやり唸った後、ぽつりと付け加える。
「まぁ、霊媒師も刀の所持は許されとるし、別に構わんじゃろ。なぁ、吉敷?」
黙って刀を見つめていた吉敷は顔をあげると、ぼんやり頷いた。
「……え?あ、あぁ。そうだな」
「うん?どうしたんじゃ、上の空だのぅ」
「いや、」
近寄る兄を軽く押し戻し、吉敷が言う。
「この刀、本当に持ってきて良かったんだろうか、と」
途端、レオナには溜息をつかれ、源太も横で苦笑する。
「まだ言ってる。いいじゃない、よっしーが見つけたんだから。それに」
「吉敷が、あの場にいたからこそ出現したのかもしれんじゃないか」
兄貴の言うことは、こじつけに過ぎない。
だが返しに行く労力を考えると、それもまた面倒ではある。
吉敷が一人、悶々と考え込んでいるうちに、汽車は中津佐渡へと到着した。

「じゃ、これからの予定が入ったらレオナにも知らせてね」
大荷物を担いで歩き出すレオナを呼び止め、源太が尋ねた。
「それはいいが、どこに連絡すりゃ〜いいんじゃ?」
源太に問われ、忘れてた、とばかりにレオナは頷く。
「あ、そうか」
大きな音と共に荷物を地に置き、中からごそごそと取りだしたのは手帳。
顔に似合わぬ黒い表紙の、ごっつい手帳をぱらぱらとめくって一枚破り取った。
「これ、連絡先。ここに電話してくれればいいから」
ほぅほぅ、と眺める兄貴の横から吉敷も覗き込む。
レオナの連絡先は、中津佐渡にある旅館の電話番号が書かれていた。
「それじゃ、またね!源ちゃん、よっしー、バイバーイ」
言うが早いかレオナは大荷物を担いで走り出し、あっという間に走り去っていった。
後ろ姿を呆気にとられて見送った後。吉敷がポツリと呟く。
「……そういや」
「ん?」
「あの大荷物は結局、中に何が入ってたんだ?」
「さぁのぅ」
兄は首を傾げ、だが、それもつかの間の事で、すぐに弟を促した。
「それよりも、家に帰ろうか。久々の我が家だ」
久しぶりったって、たかが一泊二日の小旅行だ。源太も大袈裟すぎる。

中津佐渡の大通りは、休みの午後でも人通りが少ない。
歩いている姿もまばらで、旅行帰りの長門日兄弟を除けば、一人二人ぐらいだろうか。
兄弟の、かなり後方を同じ方に向かって歩く女性がいる。
ゆったりとした足取りだが、確実に前をゆく兄弟を意識しているようでもあった。
女性は俯きがちに笠を被り、淡い藤色の染めに桜の柄が入った着物を着ていた。
だが彼女を見た者は着物よりも先に、笠から垣間見える顔へ目がいってしまうかもしれない。
それほどまでに、女性は美しかった。
雪の如き肌の白さと、どこか儚げさを携えた瞳は、ひっそりと野に咲く野草を思わせる。
砂利道を抜けて兄弟が奥山へ入っていくのを見届けると、女性は立ち止まった。
「……吉敷様」
誰にいうでもなく、小さな声で囁く。
自ら発した名前に満足したかのように頷くと、女性は踵を返して来た道を戻ってゆく。


後をつけられていたなどとは微塵も思わず、源太と吉敷は我が家へ到着する。
だが戸を開けようと手をかけた直後、力も入れぬうちに戸が開いたので吉敷は驚いた。
「やはー!源ちゃん、よっしー、お帰りィ!」
間髪入れず静が飛び出してきたので、吉敷は慌てて彼女の飛びつきから逃れる。
代わりに源太に抱き留められ、静は「えへへ」としまりのない笑顔を浮かべて夫を見上げた。
「寂しかったんだからねぇ?三人だけで旅行いっちゃうなんてサ。ずるいよぉ」
静を指さしたまま口をパクパクさせる吉敷を見て、源太は困ったように頭を掻く。
「あー、先に言っておくべきだったか」
どうやら静が家に戻っていること、源太は前もって知っていたようである。
恐らくは、あの時だ。
吉敷とレオナが風呂に入っている間にした電話で、予定の変更があったのだ。
「どういうことだ?なんで、あんたがココにいるっ!」
やっとこ声に出せた吉敷が問えば、静は口を尖らせ、すねてみせた。
「どういうことって、ココは、あたしの家でもあるもん。ねぇ?源ちゃん」
「兄貴!約束が違うぞ!!」
両側から愛すべき弟と妻に責められて、源太は更に困った様子で二人を宥める。
いや、この場合、宥めるべきなのは弟だけか。
「いや、だからのぅ、吉敷。これは俺じゃなくレオナの差し金で、な?」
「レオナァ?あいつが静の帰宅と、どう関係するっていうんだ」
冷たい視線の吉敷へ答えたのは、源太ではなく当の静。
「レオナがさ、そろそろ家に戻った方がいいって言うから帰ってきたの。それにあの子、今日からは中津佐渡の旅館に泊まるって言ってたし」
いつまでもレオナの実家で寝泊まりしているのも悪いしねぇ、と言って静は笑った。
「レオナ、あいつ……そんなこと一言も言わなかったぞ」
一言でもいえば、吉敷は絶対不機嫌になる。
俺がレオナの立場でも言えないだろうな、と源太はコッソリ考えた。
ちなみに源太が彼から聞かされたのは、帰りの汽車に乗る直前のこと。
吉敷へ話す暇もありゃしなかった。
「あれ?よっしーは、あたしが帰ってきちゃ不満なんだ。寂しいなァ〜」
などと兄の前で言われては、そうだと答えるわけにもいかず、吉敷は不承不承否定する。
「秘密にされていたのが気にくわないと言っただけだ、あの野郎」
「あ、よっしーも気付いたんだ。レオナが男の子だってこと!」
兄嫁はまだ何か嬉しそうに言っていたが、吉敷は取り合わず家へ入っていった。
彼の背中を見て、静が声をあげる。
「あっれ〜?よっしー、なにそれ、その大きな刀!」
一番最初に気付くであろうはずのものに、今ごろ気付いている。
兄貴が説明してくれるだろ、とばかりに吉敷は、さっさと自室に引っ込んだ。


午後からは大婆様の元へ顔を出す。
そう言われて、吉敷は源太と共に猶神流の総本山へと向かった。
二人が歩く後を、またしてもつけてくる者がいる。
旅行から帰った時に兄弟を尾行していた、あの女性であった。
兄弟が石段を登り、門の向こうへ消えていくまでを見送ると、女性は足を止める。
木陰に身を置き、じっと様子を伺っている。二人が出てくるまで待つつもりのようだ。

そうとは知らず。長門日兄弟は、大婆様と面会していた。
吉敷の次に引き受ける依頼を、婆様へ催促しに来たのであった。
「引受人待ちの依頼なら三件ほど入っておるわな。だが主ら二人がかりでやる程でもない」
婆様は初めにそう前置きしてから、源太へ向けて幾つかの依頼書を広げてみせる。
「大物が一件。程々のものが二件、軽いものは一件も入っておらぬ。源太、どれを選ぶ?」
「狐憑き、害虫駆除、悪霊祓い……ッスか。どれもこれも、ですなァ」
次々と依頼書を見て、源太は最後に全部を放り投げた。気に入る依頼が無かったようだ。
「狐憑きは面倒ですからねぇ。こいつは俺より南樹に回してやった方が」
「じゃろうな。狐祓いは吉敷向きでもないしの」
二人だけで会話を進めている。
吉敷は狐祓いというものに興味を覚えたが、黙っていることにした。
なんせ源太の気が乗らないのでは、引き受けさせてもらえそうもない。
今の吉敷は、源太の相方兼弟子だ。自分の好きな依頼を引き受けられる立場にない。
「悪霊祓いってのも、なぁ?」
ちら、と源太が流し目をくれてきた。
「ついこないだ戦ったばかりじゃしのぉ。吉敷も嫌じゃろ?」
一応、こちらを気遣ってくれている。首を振り、吉敷は大婆様を見る。
「その悪霊は何に取り憑いているのですか?」
「家じゃ。屋敷全体に取り憑き、物は投げるわ、窓は壊すわ。大変な様になっとるようじゃの」
「では、急ぎませんと」
膝を進め、該当の依頼書を手に取った。
必死な文字が紙の上に踊っている。依頼主の気持ちが、そのまま表れているようだ。
「吉敷、悪霊祓いを引き受けたいんか?」
源太の問いに「あぁ」と間髪入れずに吉敷は頷いた。
脳裏に黒いスーツの女を思い描き、知らず彼は拳を握りしめる。
この依頼が奴の仕業と決まったわけではないが、もしそうなら雪辱を果たす良い機会かもしれない。
「九鬼辰基と申したか。件の手先は」
婆様が呟く。
「はい。闇陰庵……でしたかね」
天井を見上げ、源太が答えた。彼にしては珍しく、相手の名前を覚えていたようだ。
悪霊祓いの依頼書を懐にしまい込み、源太は立ち上がった。
「俺らは、これにします。期間は、まぁ、一週間ありゃあ何とかなりますかね」
「どの依頼も鷹津禍の手が伸びぬとは限らぬ。用心してかかれ」
「はい」「心得てますよ」
婆様の忠言に、力強く源太が頷き、横で吉敷も深々と頭を下げた。

「俺は虫駆除に興味があったんだがの」
屋敷を出てから源太がポツリというのを聞きとがめ、吉敷も言い返す。
「なんだ。だったら先に引き受けてくれても良かったのに」
「んん。まぁ、なんだ。興味と言っても大したもんじゃない。ただ、」
霊媒の仕事として回される害虫に興味があったのだ、と告げた。
確かに、吉敷も仕事内容を聞いた時には首を傾げたものだ。
手数がいるから猶神流に持ち込まれたのだろうという結論へ至ったのだが。
「世には虫使いっちゅう奴もいるらしいのぅ。それかな?」
源太が言うのに「虫使い?使役の一つなのか」と、吉敷は尋ねた。
「うむ。俺はまだ、見たことないんだがの」
「でも相手が虫使いなら楽勝だな。殺虫剤を持っていけば勝てる」
珍しく茶化す吉敷を「こら」と源太は窘め、眉根を寄せて弟に忠告する。
「死霊悪霊と同じで、人の意志が入り込んだ相手はどれも強敵じゃ。虫とて同じよ」
「でも、兄貴はまだ見たことがないんだろ?」
小馬鹿にした調子で聞き返され、うっと呻く源太を背に、吉敷はさっさと歩いていく。
「相手を侮るのはよくないかもしれないが、怯えすぎるのもどうかと思うね」
一旦は足を止めた源太も弟の後を追いかけ小走りに追いつくと、歩みを遅めた。
「吉敷は強気じゃな。まぁ、弱気よりは強気のほうが心強いかのォ」
「だろ?……今回の依頼も、その気で行くから援護は頼んだぜ」
もう二度と、負けない。
悪霊相手に戦える力を得た今は。
今度こそ、今度こそは必ず勝ってみせる。管狐含め、聖獣たちの力を借りて。
そんな吉敷の内心が伝わったのか、源太は黙って頷いた。頼もしそうな目で弟を見つめ。

「吉敷様」

ふと、二人の思考を遮るように、涼やかな声が響く。
慌てて兄弟が周囲を見回してみれば、そこに立っていたのは藤の着物に身を包む女性。
女が笠を脱いだ途端、吉敷はハッとなる。
「さ……小夜子殿!」
にわかに心臓は早鐘を打ち、顔が紅潮してくるのを彼は自身でも感じ取っていた。
もしかしたら、声が裏返ってしまったかも知れない。
それぐらい意表を突かされた。女性は、苑田小夜子であった。
整った顔立ちはそのままに、ほっそりとした手足。
病的なまでに白い肌。艶やかな長髪は、後ろで一纏めに束ねられている。
以前出会ったときよりも、彼女の美しさは増しているようにも思えた。
じっと見つめ合うこと数十秒、ようやく口を開いたのは吉敷が先であった。
「あ……その、何か御用ですか?」
「はい。どうしても……吉敷様に、御礼を申し上げたくて」
弱々しく笑い、彼女は深々と頭を下げる。
あの依頼の話か。謝礼は貰っているというのに、律儀な人だ。
「私、ご覧のとおり体も治りました。これも全て、吉敷様のおかげです」
「あとは外で元気に遊ぶこっちゃな。健康的な色黒になれるぞぃ」
横から源太が要らぬ突っ込みをいれ、吉敷はジロッと兄を睨んでから小夜子へ話しかけた。
「俺は何もしていません。礼を言うなら山伏協会に言ってやって下さい」
「でも、依頼をお引き受けなさったのは吉敷様です。ですから――」
「それに謝礼はもう受け取りました。小夜子殿の感謝の気持ちも充分伝わっています」
「お金では感謝の気持ちは伝えきれません。こうして吉敷様へ直接御礼を述べること……迷惑でございましたか?」
薄幸の美少女に上目遣い、しかも泣きそうな表情で尋ねられて、誰が迷惑だと言えようか。
吉敷は前言撤回、しどろもどろに赤面しながら彼女へ答えた。
「い、いや、迷惑では……ありません。あ、ありがとう」
どっちが感謝を述べているのやら判らぬ呟きを漏らす吉敷を見て、小夜子は微笑んだ。
見る者の心まで暖かくなるような、優しい笑みであった。
「今日は、こうして表へ出てきた甲斐がございました。では吉敷様、私はこれで」
再びぺこりと頭を下げ、ゆっくりと遠ざかる彼女を眺めていると、源太に尋ねられた。
「ふふん、吉敷。その様子じゃと、お前……あの娘に惚れとるな?」
ビクッと振り返って兄の顔を伺うと、兄はニヤニヤ笑いを口元に張り付かせている。
兄嫁が吉敷へ向けた悪戯を考えているときの顔と、ソックリだ。
「べッ、別に惚れてるわけでは!」
否定する吉敷の背中や肩を乱暴に叩き、源太は大爆笑。
「わっははは!照れるな照れるなっ。さっきの吉敷は爆笑もんだったぞ、真っ赤っかで」
そう言うと、どもった吉敷を真似してみせる。完全に、からかうことを楽しんでいる。
「好きなんじゃろ?隠すな、吉敷よ。しかしさすがは我が弟、俺に似て面食いじゃのぅ」
なにが、さすがなんだか。源太が面食いだったというのは初耳だ。
それに静が美人だとは、お世辞にだって言えないだろう。
「惚れるのは構わんが、吉敷。俺とレオナの気持ちも忘れるなよ?」
「レオナ?あんな奴、どうでもいい」
というか、源太は妬いているのか?そちらのほうが、吉敷は気になった。
表面上、源太は冷やかし全開でヤキモチをやいているようには全く見えないのだが……
「それより兄貴、もしかして」
言いかけて、はたと気付き、吉敷は残りの言葉を飲み込んだ。
これは兄貴の仕掛けた罠だ。

――もしかして、妬いているのか?

なんて聞くということは源太を好き、或いは両想いという前提の元になる。
「もしかして、なんじゃい」
「……なんでもない」
無愛想に首を振る吉敷へ近づくと、兄はそっと耳元で囁いた。
「もしかせんでも妬いとるぞ。強力なライバル出現でな、がっはははは!」
かと思えば大声で笑い出し、うわっと耳を押さえる弟の背中を乱暴にどつく。
「さ、家に帰るぞ。帰ったらレオナと連絡を取って、作戦会議でも始めるか!」
耳を押さえたまま呆ける吉敷をほったらかしに、源太は意気揚々と帰っていった。

  
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