彩の縦糸

其の十一 悪霊祓い

中津佐渡の山奥。
人の住まぬ場所まで来ると、闇は濃く、深く黒く、空気までもが淀んでいる。
闇の中を進めば、大きく出っ張った岩陰に、朽ち果てた庵が見つかるはずだ。

闇陰庵――

そう名乗り、出雲大国全土に及んで災厄の根を蔓延らせようとする集団があった。
庵に踏み入れても、そこは荒ら屋と化し、何もないように見えるかもしれない。
だが、暗く淀んだ空気の中に、かすかなれど人の気配を感じる事ができるならば。
壁の向こうにかけられた封印を解き、階段を降りて地下へ抜けることもできよう。


黒スーツの女、九鬼辰基もまた、この庵に戻ってきていた。
戻ってきたというよりは、強制的に戻された。
彼女は座敷牢に放り込まれ、今はまだ、謹慎処分を受けている。
長門日吉敷を葬り損ねた。その不始末の罰であった。
「猶神流、我等が仕業の仕事は何件引き受けた……?」
蝋燭の灯りだけが頼りの暗い間に、男の声が蠢く。
地の底から響くような、低い声であった。
「二件じゃ。残り一件は、どうやら弾かれたようじゃの」
別の声が、ぱらり、と床へ落としたのは三枚の紙切れ。
それぞれに、霊害に対する被害者の悲痛な叫びが書かれている。
霊媒師、それも猶神流総帥へ向けて出された依頼書だ。正式な物ではない。写しであろう。
「受けたのは狐憑きと悪霊祓いか。つまらぬな、あたしの依頼は弾いたのか」
女が呟く。
薄明かりに何か小さなものが羽音を立てて、彼女の周りを飛び回っている。
「ぬしの依頼は、別の霊媒師が引き受けることになりそうじゃの」
隣に座る老人が囁き、女は舌打ちした。
「つまらぬ。猶神流でなければ、あたしの虫たちの相手にもならぬだろうよ」
「ならば」
最初の低い声が言う。
「その者を殺してしまえばよい。再び依頼は猶神流に持ち込まれようぞ」
「そうだな。そうするか」
女は低く笑った。
「悪霊遣い、お前の勝算はどうだ?引き受けたのは長門日兄弟と聞くぞ」
女に問われ、奥の闇から声が応える。
低くもなく高くもなく、抑揚さえもなくした、淡々とした声が。
「勝算はある。俺の悪霊は、あいつとは比較にならぬ」
「九鬼か」
女が言うのへ、乾いた声の男は頷いた。
「九鬼一門など、我等が闇陰庵の中では小者も同然。お主の悪霊ならば、長門日源太と言えども無傷では済むまいよ」
「吉敷は?九鬼辰基がやられたのは、源太ではなく吉敷であろうが」
女の問いに、闇の中の声は即答する。
「くだらぬ。兄の笠を着た狐など、問題ではない」
ただ一つ、問題があるとすれば。一息つき、男は言葉をつないだ。
「山伏協会の手先が一人、奴らの味方についたという情報もある」
「山伏協会か……厄介な」
老人が嘆息し、女も唇を噛む。
「あたしの虫を貸そうか?足止めぐらいはできようぞ」
だが、闇からは返事がなく。その代わり、のっそりと立ち上がる気配を感じた。
「行く」と一言だけ呟きを残し、奥の気配は絶ち消える。
「……唾棄め。一人で大丈夫かのぅ?」
老人の呟きに、女は隣で肩を竦める。
判らない、というよりは呆れたようにも見えた。
「奴は少し気負いすぎだ。あげ足を取られるかもしれん」
そう応えたのは女ではなく、最初の低い声であった。
「奴だけでは足りぬかもしれん。暁、お前も行ってくれるか?」
それには答えず、女が尋ねる。
「狐遣いは?」
「九郎か。奴は今ごろ猶神流の手先と戦っている頃であろうよ」
「九郎の依頼を引き受けたのは、何という奴だ?」
「名は……南樹芳恵、だそうだ」
老人が膝をうつ。
「その名は聞いた覚えがある。優れた霊力の持ち主で、予知能力もあるそうじゃな」
「ハッ!くだらんな。霊媒師に予知能力があるから、それが何だというのだ?」
女にせせら笑われ、老人は幾らか気分を害したようで、口を尖らせる。
「九郎の動きが読めるやもしれぬ。狐憑きが人の手でなされた害だと読まれては我等の仕業と勘ぐるやもしれぬではないか」
「読まれたところで、なんだ。九郎は負けぬし、千鶴を引きずり出す早道にもなろう」
女が断言し、低い声も同意した。
「まやかしなど小手先の技術。たとえ見破られたとして、霊力勝負でも九郎は負けぬであろう」
「九郎が勝てば、千鶴は動くと思うか?」と、女が言い。
低い声は答えた。
「あの老人を動かすには唾棄も勝たねばならぬ。そして、暁――お前も」
「判っているさ。さっさと片付けて、猶神流の手の者を誘き出してやるよ」
くっくっく、と腹の底で低く笑う。
女だけではなく、低い声の持ち主も、そして老人も。皆が一様に笑っていた。
「老いぼれさえ倒すことが叶うならば」
「おうよ、その時こそが我等の悲願達成よなぁ」
「何としてでも達成せねば、猶神流の天下は続くことになろうぞ。心してかかれ」
「おう」「あぁ」
闇から次第に気配は消え、やがて最後は蝋燭の灯りも、ふっとかき消えた。


連絡を取って長門日家へ集合してのレオナの第一声は、このようなものであった。
「悪霊が相手なら、よっしーにお任せするね」
死霊も悪霊も似たような存在であり、相性はあまりよくない。
どちらも負の世界、闇の世界に存在する霊である。
闇に対抗するには、聖か火の属性を持つ者であったほうが、断然有利だ。
九鬼の時は互角に戦えていたが、たまたま両者の霊力が同等であったというだけだ。
レオナの死霊よりも相手の悪霊の持つ闇が強ければ、勝敗は逆転していたであろう。
「俺に?しかし、俺は――」
自信がないのか口ごもる吉敷の背を強くはたき、源太も口添えする。
「安心せぇ。儂もいるんじゃ、滅多なことでは負けやせん」
「誰も負ける心配など、していない!」と怒ってから、吉敷はレオナを見据えた。
「俺に任せる理由を聞かせてくれ」
「だって」
レオナの目線が吉敷を離れ、吉敷の真横の空中に止まる。
そこに居て、それでいて常人には見えぬ存在――聖獣を、彼は見た。
「よっしーの聖獣には、火を使う子がいたでしょ?あの子の力を借りれば一発だよ」
「火霊か。しかし、本当に」
「なぁに?まだ、ためらってるの?皆と戦うこと」
下から顔を覗き込まれ、吉敷は目をそらした。
「……いや。そうじゃないが」
「そうじゃなければ、何?」
「……火だけで全部倒せるのかどうか、怪しいじゃないか」
だが吉敷の戸惑いなど何処ふく風で、レオナは、はっきりと断言した。
「倒せるよ」
管ちゃんも言ってたでしょ?と、手を後ろに組んで空を見上げる。
「聖獣はね、神様の次に強い霊なんだよ。そこらの霊とは格が違うんだから」


三人が向かったのは依頼主、名は小宮麻呂彦という男の家であった。
一行は家の中ではなく納屋のほうへ通される。
麻呂彦曰く、家は悪霊に占領されてしまい、入ることもかなわないと言うではないか。
「そんなに凶暴なんですか?」とレオナに問われ、麻呂彦は即座に頷く。
「凶暴なんてもんじゃ……殺されるかと思いましたよ!」
今度は源太が問う。
「いつから、このような状況に?思い当たる理由はありますかな」
麻呂彦は、しばし躊躇していたが、やがてポツリポツリと話し始めた。

最初は、いたずらかと思っていた。
麻呂彦宛に、奇妙な手紙が届いたのだ。
手紙には差出人の名前もなく、ただ一枚、荒々しい毛筆で書かれていた。
『猶神流に荷担する者よ、汝に災いあれ』と。
そうは言われても、と麻呂彦は首を傾げる。
猶神流に荷担と言われても、荷担するような事をした覚えもない。
祖父が他界したときに、経を読んで貰おうと猶神流の霊媒師に頼んだことはあったが……
まさか、あれが『荷担』になるとも思えない。
もしかして……出す相手を間違っているのでは?
しかし、この文面。誰宛に書いたつもりか知らないが、立派な脅迫状である。
警察や郵便局へ持って行くにしても、あれこれと聞かれるのはたまったものではない。
考えるうちに面倒になり、手紙は破いて捨ててしまった。
それから数日後――

「最初はカタコト、と何処かで音が鳴る程度だったのですが」
家の中で音がなる。自分一人しかいない部屋の中で、だ。
ふと音のほうを見やると、コップがひとりでに落ちていたりする。
地震ではない。揺れてもいないのに、勝手に落ちる。
そういったことが何度も続いた。
気味が悪くなり、猶神流へ除霊を頼む手紙を出した。
他の霊媒師は思いつかなかったのか?とレオナが聞くと、麻呂彦は首を振った。
「この辺じゃ、霊媒師といえば猶神流ぐらいで……へぇ、他は知らないんです」
そして手紙を出した翌日から、家の中が見えぬ何者かに荒らされるようになったという。
「監視されていたんですね」
レオナが言い切り、麻呂彦の額に皺が寄る。
「霊に、ですか?」
「はい」
レオナは頷き、こうも言った。
「たぶん猶神流と関わった者全てに、ちょっかいをかけているはずです」
「猶神流と関わった者全てに?しかし依頼が来たのは、この家だけだぞ」
吉敷が疑問を口にし、源太も唸りをあげる。
「この界隈で似たような現象に悩まされとった家なんちゅうのも聞かんしのぉ」
「皆が皆、お金持ちだとは限らないでしょ?霊祓いって、結構お金がかかるんだから」
まるで高銭取りみたいな言い方をされて、温厚な源太でも鼻息が荒くなる。
「うちは格安で祓っとる。どんな貧乏人でもな!」
レオナが意味ありげに源太を見た。
「そぉ?」
そうでもない、とでも言いたげだ。
「最近じゃ依頼のランク付けをしてるでしょ。簡単な仕事は余所へ回したりして」
「そんなこと!」
吉敷が叫び、源太も叫んだ。
「何故知っとるんじゃ!」
えっ?と吉敷は兄を振り返り、慌てて尋ねる。
「振り分けているのか?本当に」
兄は苦虫でも噛みつぶしたような苦々しい表情を浮かべていたが、やがて頷いた。
「ここ近年は人手に対して需要が多すぎてのぅ……簡単な依頼や安い依頼は、他の流派へ回しておったんじゃ」
「面倒な依頼や高く払ってくれそうな客だけ寄り選んでいたんだよね?」
知ってるんだから、とでも言うように、レオナが胸を張る。
彼は猶神流のことを、一人で色々と調べてきたようだ。
吉敷のような下っ端では知らないことも、知ってしまったのかもしれない。
気持ちが表に出ていたのか、吉敷を慰めるようにレオナが言った。
「よっしーは知らなくても当然だよ。やっていたのは幹部級の熟練者達なんだから」
大婆様の命令で、源太や他の熟練先輩方が、そうした選別を行っていたということか。
なんにしても、あまり知りたくなかった情報では、ある。
誰にでも公平にといった創始の心構えは、一体どこへ行ってしまったのか。嘆かわしい。
「猶神流様にも、色々なご事情がおありなのでしょうなぁ」
しみじみと麻呂彦が言った。客にまで心配されていたのでは、商売も成り立たない。
「それで、どうして、この家の依頼だけが選別されたんだ?」
吉敷が尋ねるのへ答えたのは、レオナではなく源太。
「そりゃあ、まぁ……表で屋敷を見ただけでも判るじゃろ、な?」
言葉を濁され、吉敷は納屋の窓から小宮の本宅を見た。
屋敷と呼ぶほどでもないが、それなりに大きな家だ。金も持っていそうに思われる。
「それに、私は二度ほど依頼書を送っております。事の緊急さが大婆様にも伝わったのでございましょう」
と麻呂彦が締め、改めて彼は三人へ頭を下げた。
「よろしくお願いします。あの家は代々、小宮の家として受け継がれてきたもの。私の代で手放すわけには参りません。どうか、悪霊を祓って下さいまし」
「任せて下さい。三人もいるんですから、しくじりませんよ!」
レオナが元気に言い、「ね?」と二人にも返答を促した。
「あぁ。小宮さん、あんたは危険だから此処でお待ちなさい」
源太も力強く頷き、麻呂彦の背を軽く叩く。男は素直に頷いた。
言いたいことを全て先の二人に取られてしまった吉敷は、一言だけ声をかける。
「善処を尽くします」
腰をあげ、先に出ていくレオナと源太の後を追った。


一方――
猶神流霊媒の使い手、南樹芳恵は、森の中を疾走していた。
彼女は千鶴に命じられ、狐憑きの依頼を引き受けていたはずであった。
それが何故、森の中を走っているのか。
――逃げていた。
幾つもの足音が、ざざ、と茂みをかきわけて追ってくる。
足音はどれも人のもの。
十人ばかりの男達が、手に松明や提灯を掲げ、あちこちを照らす。
彼らの動きは統一されており、一つの乱れもない。
目がうつろであった。
尋常ではない。何者かに操られていた。
南樹は、彼らから逃れるべく森の中へ逃げ込んだのであった。
傷つけるわけにはいかない。
いくら操られているとはいえ、相手は地元の住民なのだ。
「まさか、これほどまでとは……」
口の中で呟き、南樹は流れる汗を額から拭う。

狐憑きと称され、隔離された男を祓う。最初は、それだけの仕事であった。

狐の霊が人へ乗り移る、それを狐憑きと呼ぶ。
乗り移られた人間は錯乱状態に陥ってしまう。
おかしな言動をする程度の軽い症状で済む者もいれば、暴れ出すなどして手に負えない重度の症状が出る者もいて、憑依状態は様々だ。
だが、どのような症状が出ようと被害が出るのは、本来ならば憑依された一人だけ。
取り憑かれた人間一人がおかしくなるだけで、周囲にまで影響が及ぶことはない。
しかし――南樹が看た狐の霊は。
次々と憑依先を替えたあげく、ついには家の者と近所全ての者達の意識を乗っ取ってしまった。
霊が移れば、憑依されていた者は正気に返る。
それが本来の狐憑きだが、この狐憑きは違った。
狐が去った後も人は錯乱状態のままであり、誰も彼もが南樹を狙って襲いかかってくる。
野良ではない。
誰かの使役による霊だ、と南樹はアタリをつけ、その場から逃げ出した。
街の中央へ逃げるわけにはいかなかった。
被害を、この近辺だけで抑えておかなければ。
使役された狐憑きなど聞いたこともないが、狭い地域だけでも、このザマなのだ。
中央街まで引っ張っていこうものなら、被害は甚大。南樹一人の手では負えなくなる。
霊に操られているとはいえ、乗り移られた人間の体力が増加するわけではない。
森の中を逃げ回り、相手の体力を先に消耗させてやればいいのだ。
操られた人間さえいなくなれば、後は術者との直接対決になる。南樹にも勝機は回ってこよう。
あとは狐が乗り移れるであろう最大人数が、南樹の予想を上回っていないことを祈るばかりだ。
がさ、と近くの茂みが揺れる。
弾かれるように南樹は、その場を飛びずさった。
「いたぞ!こっちだッ」
誰かが叫び、灯りが集まってくる。
集まりきる前に彼女は走り出していた。
だが、足下を何かにすくわれ激しく転倒した。
何が引っかかったのかと思えば、張り出していたのは木の根でも枝でもなかった。
白い毛で覆われた太い尻尾が彼女の足に、しっかりと巻き付いている。
「何なの、これ!?」
思わず叫びをあげ、南樹は尻尾を引きはがそうとするが――
尻尾に触れた途端、すぐさま手を引っ込めた。
冷たく痺れるような感覚。暖かそうな毛の生えた尻尾だというのに、指先がチリチリと痛む。
手を見ると、赤くなっていた。白い毛が、指先と掌に刺さっている。
汚らわしい物でも触ったかのように白い毛を抜き捨て、彼女は恐怖の眼差しで尻尾を見つめる。
尻尾は攻撃してくるでも締めつけてくるでもなく、ただ南樹の足を掴んで放さない。
「狐……狐、なの?」
ふわふわとした尻尾は、ちょうど尻のあたりから、すぱっと切れた形をしている。
ここにあるのは、尻尾だけだ。胴体は何処にいるのだろう。
それにしても大きな尻尾だ。首に巻いても二回りはいけそうな長さである。
尻尾だけで、これだけ大きいのだから、きっと胴体は……
そこまで考えて、南樹はぞくっと背を震わせた。灯りが、こちらへ迫ってきている!
「くそ……ッ」
懐から小刀を取り出し、斬りつけようとする。
だが尻尾を切ろうかという瞬間、彼女の脳へ直接語りかけてくる声があった。
「いけませんね。あなたのように可憐な女性が、刃物を振り回す、などというのは」
「誰ッ!?姿を見せなさいッ!!」
大声で叫んだ途端、大きな音と共に茂みが蹴散らされ、幾つもの灯りで照らされた。
憑依された男達の顔が浮かび上がる。
声の主は姿を現わさず、男達の包囲網は次第に狭まってゆく。
片足は狐の尻尾に囚われたままだ。両手は自由だが、まさか彼らを傷つけるわけには。
声が、また聞こえた。
「さぁ、見せて貰いましょう。猶神流の遣り方を。軒並み狐を祓ってごらんなさい」
「あ……あなたの仕業なの!?狐の霊を使役して、皆を操っているのは!」
姿なき相手に怒鳴ってみせるも、風と共に聞こえたのは苦笑だけで。
包囲を狭めた男達の手が、南樹へ伸びてくる。
いきなり腕を掴まれ、そこへ気を取られているうちに、手にした小刀を奪い取られた。
「あっ!か、返してっ」
必死に手を伸ばすが、小刀を持った男は後ろに下がってしまう。
さらに別の手が彼女の胸元をまさぐり、隠し持っていた小刀は全て没収されてしまった。
八本もの小刀が、地面に散らばる。
「やれやれ……危険な方だ。八本も小刀を携帯していようとはね」
落ち着いた、だが、どこか気取ったようにも聞こえる声が憎たらしい。
遠くから映し見でもしているのであろう。南樹の脳へ直接届くということは。
両腕も押さえつけられ、南樹は完全に身動きが取れなくなってしまう。
動かせるのは頭と、まだ自由である片足だけだが、これでは何も出来ないのと同じだ。
南樹が拘束されれば男達の動きが止むかと思えば、そんなこともなく。
「得意の霊力とやらで、我が狐を追い払ってごらんなさい。集中できるものならば」
地に落ちていた小刀を、それぞれの手に握り、男達が虚ろな視線を南樹へ向ける。
「な、何をさせるつもりなの?やめなさいッ!」
南樹の声は震えていた。切り刻まれるかもしれない、という恐怖が彼女を襲う。
「早くしないと……あなたの身も、危うくなりますよ」
声に急かされるまでもなく、南樹は集中しようと瞼を閉じたのだが。
「きゃあっ!」
振り下ろされた小刀にシャツの胸元を、ばっさりと切り裂かれて悲鳴を上げた。
刀は南樹の肌を傷つけることもなく、シャツだけを一刀両断にする。
白い下着を外気へ晒され、恥ずかしがる暇もないうちに別の小刀が煌めいた。
小刀はズボンをズタズタに切り裂き、彼女を下着姿にしてしまった。
また別の方向から迫る小刀は、露わになった南樹の下着を上下とも、ぶった断った。
あっという間に丸裸にされて、南樹は、ようやく彼らが何をしようと――
いや、させられようとしているのか思い当たり、激しく抵抗の色を見せる。
「いやッ、やめて!皆、目を覚ましてェ!!」
激しく首を振り、身体もよじって逃れようとするが、操られる者達へ声が届くことはなく。
森は、彼女の悲鳴と喘ぎに包まれた。


ぐったりした南樹芳恵が病院に運び込まれたのは、深夜を過ぎた頃であった。
彼女は何故か丸裸で、何一つ身につけていなかった。
不思議なことに殴られるなどといった外傷はない。
だが尻から太股にかけて、幾つもの筋が垂れている。
血ではない。精液だ。
南樹は何者かに犯されていた。
彼女は運び込まれると同時に精密検査と手術を受けた。
何人もの男に、何度も無理やり犯されたのであろう。
膣は荒れ、尻穴からは出血が見られた、と医者からは聞かされた。
時折うわごとのように「狐が、狐が」と呟いている。
「狐憑き如き相手に不覚を取るとは……南樹らしくもありませぬな」
看病に当たっていた霊媒師、十和田九十九が大婆様へ話を振る。
十和田九十九。きりりと太い眉をした、そこそこ精悍な顔つきをしている男であった。
南樹芳恵や長門日源太とは同期にあたる、熟練の霊媒師だ。
「彼女を運んできたのは?」
婆様の問いに、九十九は答える。
「地元の住民達です。全員、男性で。落ち着きをなくし、慌てた様子だったそうで」
「彼らが犯したのではあるまいな?」
「まさか」
九十九は即座に否定し、婆様を見やる。
「彼らがそうする理由など、思いもつきませぬ」
婆様は目を細め、布団に寝かされた南樹を眺めた。
「だが、芳恵は何者かに犯されておった。霊には出来ぬ。生身の者達でなくてはな」
彼女を病院へ運び込んだ者達は、全てが男であった。
女は一人もいない。考えてみれば不自然では、あった。
被害者は丸裸の女性なのだ。
彼女の気持ちを憚れば、病院へ運ぶのは女性の仕事ではなかろうか。
「彼らの住まいを調べたか?」「はい」
机に置いた資料を大婆様に手渡す。皺の間から覗き込み、婆様は「おぅ」と声を上げた。
「この者達、全てが狐憑きの家周辺に住んでおる住民達じゃ」
「南樹の引き受けていた依頼と関係がある、と?」
「全く関係がないとは思えぬ。九十九、お主が南樹の後始末を引き受けて貰えぬか」
婆様の意図を謀りかねているようではあったが、九十九はまっすぐ頷いた。
「勿論でございます。同輩の仇は、必ず討ってごらんにいれましょう」
それと、もう一つ――窓の外へ視線を移し、婆様が呟く。
「気がかりな話を聞いた。我等が外へ流した依頼の一つ、害虫駆除の件だが」
「存じております。担当した霊媒師が惨殺された事件ですね」
頷く九十九へ頷き返し、大婆様は考え込んだ。もごもごと口をうごかす。
「さては、虫遣いの仕業であったか。この依頼、誰にやらせたが解決できようか」
「達磨照蔵……では、いかがでしょうか?奴ならば、虫退治には、うってつけかと」
「ふむ」
鷹揚に頷き、だが、すぐに婆様は打ち消した。
「駄目じゃ。照蔵めは、今、愁然寺の騒動に首を突っ込んでおる」
「困りましたな」と、九十九。思いつく仲間が出てこないらしい。
仲間達は皆、多忙も多忙。かくいう九十九とて、本当は暇というわけではない。
未解決の依頼を幾つか残していた、その忙しい最中での見舞いである。
婆様に見据えられ承諾してしまったものの、狐憑きの祓いは、あまり得意ではない。
かくなる上は長門日源太と連絡を取り、連携でも頼もうか、と彼は考えていた。
源太も暇ではなかろうが、同期のよしみで頼み込むつもりである。
「まぁ、よい。害虫駆除は今しばらく放っておこうぞ」
「よいのですか?」
驚く九十九へ、婆様は語気を強めた。
「引き受けようにも人手がないのでは、何ともしようがあるまい」
手の空く者ができ次第、向かわせる――そういうことで、話は一段落した。

  
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