彩の縦糸

番外・四 明朝の輝き

後ろ手に縛られた手を動かそうと試みていた吉敷は、諦めて地に寝転がる。
縄は思った以上に堅く結んであり、鋭い刃物でもなければ、とても解けそうになかった。
まったく。
なんて兄だ。
疲れたと騒いでいたから、宿に帰ったらマッサージでもしてやろうと思ったのに!
それにレオナもレオナだ。
今の季節を、いつだと思っているんだ?
冬だぞ、冬。
下に敷かれたのが風呂敷だけでは、背中も尻も痛くてたまらない。
何もかもが気に入らず、吉敷はふてくされた気持ちで夜空を眺めた。
星が綺麗だ。
この辺りは吉敷の住む中津佐渡と同じように、空も澄んでいる。
[ね、吉敷。こうやって寝ころんでるとさ。悩みなんて、どうでもよくなってきちゃうよね]
竹の筒から抜け出した管狐が、ちょろちょろと吉敷の上へ登ってきた。
[源太のこともレオナのことも忘れて、のんびりしようよ]
空を見上げたまま、吉敷はむっつりと答える。
「のんびりするのは賛成だ。だが、あの二人を許すつもりはないぞ」
[また、そんなこと言っちゃって。ホントはもう許してるんでしょ?]
くすくす、という忍び笑い。白い毛玉も空を見上げる。
[源太が帰っちゃって、寂しいくせに]
管狐の呟きに、吉敷は視線を逸らして呟いた。
「別に、寂しくて怒ってるわけじゃない」
黒々とした瞳が吉敷を捉える。
[どっちにしろ霊力を高める修行は、吉敷一人でしなきゃいけないんだよ?]
レオナと源太が一緒にいたところで、手伝える事など何一つない。
いや、見られていたのでは意識集中の妨げにもなる。そう遠慮しての退場だったのかもしれぬ。
管狐に突っ込まれるまでもなく、吉敷にも薄々それは予想できていた。
だから、余計に苛つくのである。
あの時すぐに気づけなかった自分自身の鈍さに。
「ま、いいさ。兄貴もレオナも居なくなって、やっとのんびりできると思えば」
[でしょ。のんびりしようね]
嬉しそうに頷くと、小さな狐は吉敷の上で丸くなった。


――どれぐらい時間が経過したのか――

ハッと目を覚ますと、身震いするほど肌寒い。
寒いという感覚が蘇ってくるにつれ、吉敷の下半身を衝撃的な事件が襲った。
まずい。漏れそうだ。
咄嗟に立ち上がろうとして、両手両足が縛られている事を思い出す。
「くそ、こんな事態ぐらい予測できるだろうにッ。あの馬鹿兄貴が」
重ね重ね馬鹿兄貴へ怒りを募らせる吉敷へ、誰かが声をかけてよこした。
[お困りでござんすか?宜しければ、あちきがお手伝いしましょうかぇ]
「あぁ、頼む」
そう答えてから、改めて吉敷は、ぎょっとする。
今のは、誰の声だ!?
じっと声のしたほうへ目を凝らせば、白くぼんやりとした影が浮かび上がってきた。
地面に届きそうなほどの、黒々とした長い髪。
真っ赤な振り袖は大胆にも裾が開いており、白い素足が見え隠れしている。
美しい女が、そこに立っていた。勿論、普通の人間ではない。
月明かりに照らされているというのに、女の足下には影がなかった。
「お前は、確か」
源太の作った式神の中に、似たような容姿のやつがいたはず。
式神ならレオナが全て白紙に戻したはずだが、こいつは残っていたのか。
女が艶やかに微笑む。
[覚えておいででしたか。見たところ、吉敷様は困っておいでの様子――お手伝い、できることはございませぬかぇ]
「あぁ、出そうなんだ。できれば」
ズボンのチャックを降ろして欲しい。そう、頼もうとして吉敷は躊躇した。
いくら式神とはいえ女の姿をした者に、社会の窓を開けてくれと頼むのは非常識すぎやしないか?
そんな思いが脳裏を横切る。
不意に黙りこくった吉敷を、じっと眺め。式神は薄い笑いを口元に浮かべる。
[恥ずかしがることはござんせん。あちきは所詮紙、造られし者でございますよ]
「それは、まぁ、そうなんだが……」
返す吉敷は歯切れが悪い。
[それに源太様は、申しておられました]
吉敷の側にかがみ込み、女は、ごくりと喉を鳴らした。
[吉敷様が困っておいでなら、己自身で判断し手助けを致せと]
細い指が、そろりと吉敷の股間を撫でる。反射的に、吉敷は仰け反った。
「ちょっと待て!何をやって」
[用を、足したいのでございましょう?お手伝い致します]
人差し指と親指でズボンのジッパーを摘み上げ、女はチャックを降ろした。
それだけに留まらず、チャックの間から入り込んだ女の手が、吉敷の逸物を引きずり出す。
「も、もういい。それで充分、ゥんッ」
冷たい風に煽られて吉敷は縮こまるが、続いて股間を襲った生暖かい衝撃には呻きをあげた。
彼の竿に、式神がしゃぶりついてきたのだ。
舌先が丹念に先端を舐めてくる。かと思えば、根本までくわえ込む。
くすぐったくも気持ちの良い感触――
気持ちが良い?
こんなの、気持ちがよいはずあってたまるか。
だが理性に反して体は正直なもので、逃れられない快感に吉敷は身悶えする。
「ば、バカ!やめろッ、そんな、の、手伝いには……な、ならないだろっ」
それに、こんなことを続けられていたら。本当に漏らしてしまう、それも式神の口の中でだ。
先ほどから、吉敷の膀胱は限界を訴えている。早く一気に放ってスッキリさせたい。
[我慢なさることはござんせん。あちきの口の中へ放ってくださいぇ]
「で……できるかッ……!」
他人の口の中に小便するだなんて。
相手が式神、この世のものではないにしろ、前代未聞の無礼であることに代わりはない。
だが強がった途端、ぶるぶるっ、という震えが腰に来た。膀胱からの合図だ、限界が近いという。
「く……ぅっ」
ギリギリと歯を食いしばり、吉敷は下半身の欲求に耐える。
[我慢強ォございますねぇ。では]
女が口を離す。やっとやめてくれるのかとホッとした直後。
激しく吸い付かれ、「ひァッ!」吉敷の口からは悲鳴とも喘ぎともつかぬ声が飛び出た。
再び口を離し、女は袂を口元にあてて笑う。
[吉敷殿。あちきが敵だったとして、やめてと言われて果たして止めましょうか?]
「なっ……」
引きつる吉敷を楽しげに眺め、耳元で囁いた。
[嫌だと思うのなら、止めて欲しいと思うのなら、あちきを攻撃してご覧なさい]
これもまた、修行の一環だとでもいうのか。
怒りで涙を滲ませる吉敷を一瞥すると、式神は彼の睾丸に息を吹きかける。
舌を這わせ、玉をすくいあげる。知らずのうちに吉敷は自ら腰を浮かせていた。
「あっ、あ……あぅッ……うっ」
理性とは裏腹に、口からは断続的に喘ぎ声が出てしまう。
声を出すまいと思っていても、式神が舐るのをやめてくれない限り我慢できそうにない。
[……吉敷殿は、敏感な御方ですこと。そろそろ、我慢も限界なのではありませぬか?]
細い指が竿を滑り、陰嚢を揉みほぐす。
もう、もう駄目だ。出る――ッ!

黄色い飛沫が、星空へ向けて放たれる。
吉敷の上に覆い被さっていたはずの女の姿は消えて、白い紙が夜空を舞った。

荒い息をつく吉敷の顔を覗き込む、のっそりとした影。
「ん。間一髪……では、ないな。間に合わなんだか。すまん、すまん」
影の主は源太だ。旅館の浴衣らしきものを羽織っている。
「……なんだよ」
吉敷はむくれて、ソッポを向いた。
「今ごろ、何しに来たんだ?」
それには答えず、源太は小便でびしょ濡れとなった吉敷のズボンを脱がしてゆく。
「濡れてちゃ気持ち悪かろ?」と笑顔で宥め、とうとう全部剥ぎ取ってしまった。
太股までもが冷たい風に晒され、吉敷は再び身震いする。
自分はさぞ格好悪い状態にあるんだと情けない気分になりながら、彼は兄を罵った。
「だからって、こんなトコで脱がさなくたっていいだろうが。風邪引いたらどうしてくれるんだ」
吉敷の激怒を軽く聞き流し、源太がおっとりと言う。
「のぅ、吉敷。何故、露女に攻撃せなんだ?」
「露女?」
「さっきの式神の名前じゃ。お前の高めた霊力で撃破できるかと思うたんだがの」
そう言って兄は、わざと式神に吉敷を襲わせた事を白状した。
「五体無事ではない状態で敵に襲われる、なんてのは、この業界よくある話でな。そん時、いつもいつも誰かが助けに来てくれるとは限らん。頼れるのは自分だけじゃ」
この山は吉敷の霊力を高める気配に満ちている。
例え両手足を縛られ、動けない状態だったとしても、霊力さえ高めることができれば。
強い気を当てさえすれば、式神を元の白紙へ戻すことなど簡単だったはずだ。
「判ってる、けどッ」
むっとした顔で何かを言いかけ、吉敷は口ごもる。
だが兄に促され、やけくそになって怒鳴った。
「漏れそうだったんだから仕方ないだろ!」
「はっはっはっ!感じて集中できんかった、の間違いじゃぁないのか?」
大爆笑され、ごっつい指が吉敷の大事なところをツンと突いてきた。
「んあッ」
吉敷はビクンッと身を捩らせ、源太の腕を腿で挟み込む。
意図的にやったのではない、もちろん無意識だ。
思いのほか強い力で挟み込まれて、驚く源太へ吉敷は哀願する。
これ以上、刺激されたくない。これ以上何かされたら、出るのは小便だけでは済まなくなる。
「ば、ばか。さっき出したばっかりなんだぞ!汚いし、触るなよ」
「ふふん。吉敷の小便など、とうに見慣れたわい」
幼少の頃、吉敷の世話は源太に任されていた。下の世話も、兄の仕事であった。
おむつを替えたりウンチをほじくったりしてくれたらしいが、残念ながら吉敷には記憶がない。
「そりゃ、子供の頃の話だろ!?そ、それに……あうっ」
大きな掌で、源太が吉敷の逸物を包み込む。暖かい手が上下して、竿を扱いてきた。
「だ、だめぇ」
情けない悲鳴をあげ身を捩る吉敷だが、源太の動きは止まらない。
人差し指と親指で亀頭を軽く摘み、吉敷の口から甘い声を上げさせた。
もう片方の掌では尻肉を捏ね回し、寒さで尖った乳首へは舌を伸ばし、れろれろと舐めてやる。
「やぅッ、だめ、だめぇ、源太、源太ぁッ」
吉敷は髪を振り乱し、可愛い声をあげ、内股で源太の腕を挟む力も強められた。
もはや、兄貴呼びですらない。
源太を名前で呼ぶ吉敷など、小学校を卒業して以来、とんとご無沙汰であった。
それだけに源太の興奮も高まり、やめてと喘ぐ弟の意志を無視して、彼は大いに張り切った。
後ろの穴をなぞり、ゆっくりと中へ指を進めてゆく。
急に突き入れたのでは痛いだけだ。入口近辺を入っては抜き、入っては抜きを繰り返した。
「あ、あ、あっ、げんた、駄目、あ、はぁッ」
やめてだの駄目だのと大騒ぎしつつも、吉敷に抵抗する様子は更々ない。
次から次へと我が身を襲い来る快感に、身をゆだねているようにさえ見えた。
「んん。可愛いのぅ、吉敷はホンマに可愛ェのぅ」
ちゅうちゅう、と音を立てて乳首を吸ってやると、吉敷が、ぶるッと身を震わせる。
小さな吐息が聞こえた。視線を上手にやると、吉敷と視線が合う。
吉敷が小さく呟く。
「げ、源太。あの……さ」
もう抵抗するのは――いや、やめてと騒ぐのは止めたのか。
吉敷の顔には恥じらいと戸惑いを残しながらも、一種の決意らしきものが見え隠れしていた。
「ん、なんじゃ。もっとやってほしいか?」
吉敷は黙って頷く。
「おぉ、そうかそうか!なら続けるぞ」
だが喜ぶ源太を制し、こうも続けた。
「何でも好きなだけ、していい。けど……こういうことは、もう、これっきりにしてくれないか」
そう言い切った吉敷の声色には、諦めにも似た響きがあった。
「な」
何を言われたのか判らず、源太は、しばし硬直する。
が、そこは深く考えない単細胞な彼のこと。五秒と立たぬうちに復活した。
「嫌じゃ」
きっぱりと男らしく答える兄を見て、苛立ったのは吉敷のほうであった。
「な……なんでだよ!頼みを聞いてくれたって、いいだろ!?」
本当は吉敷だって、これっきりにして欲しくなどない。
でも――源太には静が居るのだ。この関係を続けていくなど、どだい無理な話。
「お前の頼みなら幾つも無償で聞いてやってるじゃろうが。それよか、たまには兄ちゃんの頼みを聞いてくれてもいいんじゃないか?」
甘えすぎを逆に指摘され、ぐぅとなっている間にも、新たな刺激が送り込まれてくる。
「や、ちょ、ちょっとやめ!今は、まじめな話をしてるんだから手は止めろ!!」
暴れる弟の姿に苦笑し、源太はようやく愛撫をやめた。
片方の掌はまだ、吉敷の股間の上に置かれていたが。
「……ったく」
穏やかな笑みを浮かべているが、兄は吉敷と同じぐらいの頑固者だ。
ちょっとやそっとの意見じゃ滅多に意志を曲げない。
「いいか、俺達は兄弟だぞ」
わかりきったことを吉敷は口にする。
「ん。そうだな、だが」
何か言いかける源太を畳みかけるように、大声で遮った。
「兄弟は、こんなことしちゃいけないんだ。たとえ気持ちよくても!」
「ん?気持ちよかったのか、吉敷?」
源太は顎を掻き、ちろりと流し目で吉敷を見る。弟は真っ赤になりながら弁解した。
「と、とにかく!一時の感情で、あの女――静、を泣かせるような真似をするんじゃないっ」
「一時の感情か。そいつは違うぞ、吉敷」
大きな掌が、やわやわと吉敷の睾丸を揉み扱く。
あっさりと快感に押し流され、吉敷は背を仰け反らせる。
「ん、んッ、だ、駄目だって言っただろ……!今は真面目な話をっ」
ふるふると身を震わせる吉敷の胸へ舌を這わせながら、源太も大真面目に諭してよこした。
「あぁ、真面目な話の途中じゃ。前にも言ったろうが、俺はな。吉敷。静とお前と、両方とも同じぐらい大事に思っとる。どっちが欠けても駄目なんじゃ」
そんなの。
そんなの、相手の気持ちを全然考えていない。
レオナの弁ではないが、吉敷も今では、そう思う。
どちらも好きなんて、言う側はそれで満足なのかもしれないが、言われる側は辛いだけ。
学生時代は二人だけの時間を過ごし、あげく結婚までしてしまったぐらいだ。
静には、源太を自分だけのものにしたいという欲求が人並み以上にあろう。
吉敷だって、同じだ。
幼い頃からずっと兄と共に暮らしてきた。物心ついた頃には、常に兄が側にいた。
兄を独り占めしたいという気持ちは、恐らく静よりも強い。

でも、駄目だ。
だって吉敷は男だから。源太の弟、だから。
静は女だから、人の目など気にせずとも源太を独り占めできるだろう。
どんなに大好きでも、吉敷には源太を自分のものにすることなど、出来やしないのだ……

嗚咽を漏らしそうになり、吉敷は歯を食いしばる。
「……なんで」
途切れ途切れに呟いた。
「なんで俺達、兄弟なんかに生まれちまったんだろうな」
「んん?吉敷は後悔しとるんか、俺の弟に生まれてきたことを」
穏やかな目に見つめられ、吉敷は小さく息を継いだ。涙がまた、溢れてきた。
頬を伝って流れる涙をゴツゴツとした拳で拭い取り、源太は弟の頭を優しく撫でてやった。
「兄弟だって何だって構わんじゃろうが。俺は吉敷が好きだ。吉敷は、俺が嫌いか?」
あぁ。
この兄のように、世間体を気にせず大らかに生きていけたら。どんなに気が楽だろうか。
でも吉敷は源太のようには、なれない。そういう性分には生まれていない。
ふてくされたように、吉敷が答えた。
「嫌いじゃ、ない」
また涙が零れ、今度は指で拭われる。
「そうか。なら、一安心じゃな」
抱き起こされ、抱きしめられた。源太の大きな手が、吉敷の背中をさすってくる。
「いいか吉敷。静は俺がお前を愛そうと、愛想を尽かすほど短気な奴じゃない。それにな。静に言われた程度でやめるほど、お前に対する俺の愛も半端なもんじゃないぞ」
「でも……」
まだぐずってる弟を軽く睨み、「諦めろ。お前の兄ちゃんは、お前より聞き分けが悪いでの」と、もう一度力強く抱きしめてから吉敷を解放した。
「さ、そろそろ帰るか。あんまり遅いとレオナが探しにくるかもしれん」
不意にレオナの顔が脳裏に浮かび、吉敷が尋ねると。
「――あ。そういや、ちゃんと断って出てきたのか?兄貴」
兄は困ったように顎を掻いて、首を横に振った。
「いんや。もう、探しにきとるかもしれんのぅ」
「ば……馬鹿!なら、とっとと帰るぞ!の前に、この縄を解いてくれ」
立ち上がろうとして転がりそうになった吉敷は、源太に背を向けて縛られた両手を見せる。
だが兄貴の歯切れの悪いこと、源太はすまなそうに頭を下げて謝罪した。
「すまん。それ、固結びすぎて俺にも取れんくなってもうた」
「オィッ!どうするんだよ、帰りの汽車も、この状態で帰れってのか!?」
振り向いた吉敷はブチキレ五秒前。頭の上でヤカンでも沸かせそうなほど怒っている。
その吉敷の尻に、何か当たる物がある。
「おい馬鹿兄貴」
彼は項垂れる兄を呼び、注意を促した。
「俺の後ろに何かあるみたいなんだ、見てくれないか?」
「ほいほい、と。ん?」
背後に回った源太が妙な声をあげる。
「吉敷、いいもんが落ちとったぞ。これでブツリと切れば、ばっちりじゃ」
はたして、その数秒後には。
ブツリという小気味よい音がして、長らく吉敷を束縛していた縄が、はらりと解かれた。
「なんだ?なにが落ちてたっていうんだ」
縄を切るぐらいだから、尖った石か刃物の類だろうか。
――そんな危険なものが落ちている側で、よくあのような痴態を繰り広げていたのかと思うと。
恐ろしさで背筋も凍る思いがした。
再び前に回って、源太は吉敷の両足を縛る縄も切りにかかる。
何気なく『落ちていたもの』とやらに目をやり、吉敷は呆気にとられた。

刀。
それも、刃渡り三尺弱の大太刀だ。

刃は白く光り、どことなしに厳かな印象さえ受ける。
「そ、それ……ホントに、落ちてたのか?俺の後ろに」
震える声で、吉敷は指をさす。全然気付かなかった。
否。一人になって地に寝ころんだ時には、何処にも刀など落ちていなかったはずだ。
三人で山に登った時だって、こんな刀は無かった。
「ん?あぁ。こう、刃を下にして、真っ直ぐ突き刺さっとったぞい」
何も考えず、あっさり引き抜いてしまった源太の度胸も恐れ入る。
怯える吉敷の心情も知らんと、「いい土産ができたのぅ、吉敷」などと暢気なことを兄は言った。
かと思えば「吉敷」と名を呼ばれ、刀を手渡された。見かけに反して、随分軽い。
「鞘は?」
尋ねると、鞘も渡される。全身に見事な龍の彫り物がされている、綺麗な鞘であった。
源太曰く、鞘も刀の側に落ちていたという。つくづく、奇妙なこともあるものだ。
大太刀を手に何度も首を傾げながら、吉敷は前をゆく源太の後をついて、山を下りた。

  
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