Dagoo

ダ・グー

22.目には目を、歯には歯を

放課後――
下校の音楽が鳴り響く中、白鳥は森垣に指定された場所を探して迷っていた。
学校ってやつは、どうしてこうも無駄に広いのか。
普段は用事のある場所にしか行かないから、知らない場所は当然知らないままだ。
誰かに案内させても良かったのだが、下手に巻き込むと後が面倒になる。
プール横の更衣室。
今は使われていない場所を、何故か森垣は待ち合わせ場所に指定してきた。
剣道部の説明だと言っていたが、とてもそうは思えない。
説明するだけなら部室でだって構わないはずだ。
くだらない企みがあるのだろう、と白鳥は見当をつけた。
そいつは秋吉を虐めた事と、何か関係するかもしれない。
秋吉が登校拒否児になってしまって、虐める相手がいなくなったか?
「プールは、ここだよな……」
校庭を横切って裏庭にまわり、やっとプールを見つけたまでは良かったのだが、更衣室らしき建物が見あたらなくて白鳥は途方に暮れる。
と、そこへ声をかけてきた者がいた。
「遅いよ、白鳥くん。来てくれないかと思っちゃったじゃないか」
軽やかな笑顔を向けてきた、その少年は会釈し、改めて名乗りをあげる。
「はじめまして。剣道部の主将をやっている淀塚 龍騎だ。君が森垣くんの言っていた、白鳥くんだよね」
顔立ちの整った少年だ。
スマートで足は長く、真っ白な学生シャツが眩しい。
立ち振る舞いも堂々としていて、とても、誰かを虐めるような子には見えない。
「あぁ、そうだ」
ふてぶてしく笑い、白鳥は横柄に言い返した。
「剣道ってのに興味持ってやったんだ。さっさと教えてもらおうじゃねぇか」
偉そうな事この上ない言い分に、ほんの少しだけ龍騎は形の良い眉をひそめたが、何も突っ込まず、彼はくるりと踵を返す。
「おいで、案内しよう。更衣室はこっちだ」
大人しく後をついて歩きながら、白鳥が尋ねた。
「どうして更衣室なんだ?プール用なら、水泳部のテリトリーだろうが」
龍騎は軽く笑って受け流す。
「冬場は水泳部の練習も休みだよ。それに、あの更衣室はもう使われていなくてね。部室だと、練習中の部員がいるから手狭だろ?うるさくて声も聞き取りづらいだろうし」
もっともらしい理由をつけてきた。
何も知らない奴なら、ここで納得してしまうのだろう。
全く言いよどまない処を見ても、事前に念入りな打ち合わせをしてきたか、或いはこいつが発案者か。
更衣室はプールの真後ろに、ひっそりと存在していた。
木製の古ぼけたドアは開くのかどうかも怪しかったが、龍騎が手をかけるとガチャリと音がして細い隙間が開く。
中に二人の気配を感じる。二つとも人間の気配だ。
扉の脇に息を潜めて忍んでいるつもりのようだが、気配を感じ取れる者からしてみればバレバレだ。
僅かながらの悪意を感じる。敵意と言い換えてもよい。
一つは森垣の気配。もう一つは知らない人間だ。雪島という奴かもしれない。
のこのこ入っていったら、二人が襲いかかる手はずだろう。
どう考えても、剣道部の説明会ではない。
龍騎を含めた三人は、何故か自分を袋だたきにする予定のようだ。
恨まれるような真似をした覚えは、もちろん白鳥にはない。
その代わり目立つような真似は、した覚えがある。
クラスの女子を魅了した。
魔力を取りやすくする為の処置だったが、それで恨みを買ったのかもしれない。
立ち止まった龍騎を、白鳥は無遠慮に眺める。
いい面構えをしている。俗に言う『イケメン』だ。いかにも女子にモテそうな。
ダグーが掴んだ情報でも、彼は女子にモテモテらしい。
こういう奴は自分以外のモテる存在を、案外気にかけるものだ。場合によっては、消そうとする。
そういうことか。剣道部は釣り餌だ。
「さぁ、どうそ」
手を伸ばして部屋の電気をつけた龍騎が一歩後ろに下がり、先に入るよう白鳥を促してくる。
「あんたが先に入れよ」と、白鳥も先を譲ってやった。
「いやいや、君はお客さんだから」
さらに譲ってくる龍騎へ、不敵な笑みを崩さず白鳥が言う。
「入った途端、閉じこめられるのは勘弁だからな。テメェが先に入って罠じゃないと証明してみせろ」
疑っていますと言っているようなものだ。
「悪戯する為に呼んだんじゃないんだけどな」
龍騎は苦笑して、なにやら口元で呟くと、仕方なく先に入っていった。
間を置かずに白鳥も入ってきて、襲いかかるタイミングを逃したとでも言いたげな顔で森垣と、もう一人が迎え入れる。
「よ……ようこそ、説明会へ」
「あぁ、お呼ばれしてやったぜ」
ニヤリと笑い、白鳥は室内へ素早く視線を走らせた。
カメラがある。
更衣室には不似合いなアイテムだ。こいつらが持ち込んだ物だろう。
壁際に立てかけられているのは、二本のバット。
これも更衣室には似つかわしくない物である。
座れるような椅子はない。扉の壊れたロッカーが五つばかり並んでいる。
ここで説明会をやるつもりだとしたら、せっかくの希望者を逃してしまいそうでもある。
実際には説明会ではなかったのだから、余計な心配だが。
後ろ手に扉を閉めた龍騎が、ニッコリ微笑んで白鳥の横に立つ。
同様に、さりげなさを装って森垣が前に、もう一人の痘痕面――雪島が背後に立った。
「それじゃ、さっそくだけど剣道について簡単に説明するよ。剣道とは剣術がスポーツ化したもので、竹刀を用いて打ち合う種目なんだ。勿論ただ打ち合えばいいってわけじゃなくて、ちゃんとルールが定められている」
壁に立てかけてあったバットを手に取ると、ぽんぽんと掌を打ちながら、龍騎は続けた。
「時間内に決められた場所を突いた者が勝利する。小手、面、胴。君もTVやなにかで聞いたことがあるんじゃないかな?小手打ちは、小手をつけた箇所を攻撃する技。面打ちは面をつけた、顔を攻撃する技だ」
びしっとバットで顔を指され、白鳥が口の端を歪める。
「あぁ。なんとなくなら聞き覚えがある」
くだらない剣道講座など、まるで興味が沸かない。
彼らが、いつ仕掛けてくるのか。白鳥の興味は、そこにある。
仕掛けてきたが最後、返り討ちにしてボッコボコにしてやり、ついでに恥ずかしい写真を撮ってやろう。
ちょうどいいことに、カメラも用意されているようだし。
「技が決まったかどうかは審判が判断する。場合によっては反則を取られる事もある。足を引っかけたり転ばせたりするのは、御法度だ。正々堂々戦う、それが剣道の神髄だからね」
正々堂々。
こいつがイジメをしていた事実を知った今だと、虚しく聞こえる言葉だ。
じりじりと森垣、雪島の両名がすり足で動き、腰を低く構える。
襲いかかりやすい態勢に入ろうとしているらしい。
龍騎より、この二人を横目で観察していたほうが判りやすい。
三対一だが人間如き、敵じゃない。何の能力も持ち合わせていない人間の子供など。
「小手だの胴だのって言葉で言われてもピンとこねぇな。実戦で見せてみろよ」
白鳥は気づいていないふりを続け、龍騎に持ちかける。
「いいとも。じゃあ部室へ行く前に、ちょっとだけ体験しておこうか?竹刀がないから、代わりにバットで」
龍騎の言葉を合図にダッと森垣が勢いよく飛び出したのを、見逃す白鳥じゃない。
片手でぐいっと彼の体を押して、飛びかかる方向を流させた。
「え、あっ、わぁっ!」
止まりきれなかった森垣が雪島と激突するのを見もせずに、正面からバットで殴りかかってきた龍騎を迎え撃つ。
面が決まったかという寸前、胸に強い衝撃を受け、龍騎の体は後方にすっ飛んだ。
「ぐげっ!」と、らしからぬ叫びが龍騎の口から漏れたのは、扉に激突した直後だ。
恐らくは、龍騎自身も何が起きたのか判らなかったであろう。
殴りかかったはずなのに、自分が後ろに吹っ飛ばされるなんて。
背中と胸がジンジン痛む。重たい物をぶつけられたような痛みだ。
しかし、龍騎には状況を把握する時間も与えてもらえなかった。
白鳥の顔が間近に迫ったと認識する暇もないまま、腹に拳を一撃入れられて昏倒する。
「こ、このやろう!」
起き上がった森垣と雪島は、もう演技するのも忘れて逆上している。
「ちょこまか逃げまわってんじゃねーぞ、このチビ野郎がァッ」
両手で押さえ込まんとする森垣の顔に、思いっきり白鳥の華麗な回し蹴りが入り。
「ぶぼっ」と言葉にならない悲鳴を吐き出し、森垣は床に蹲る。
今の衝撃で鼻血でも出たのか、しきりに鼻をさする彼に、上から見下ろして白鳥が吐き捨てる。
「俺はチビじゃねぇ、てめぇがデカすぎるだけだ」
それで終わりではなかった。
容赦のない追い打ちの蹴りが森垣の後頭部を蹴り飛ばし、ぐぅっとくぐもった声をあげて彼を気絶させた。
雪島は襲いかかるタイミングを逃したのか、身構えたまま襲ってくる気配がない。
よく見りゃ顔色が悪い。自分達より強い相手だと判って、臆したか。
所詮はイジメっ子、自分より弱い相手としか戦えないのである。
「く、くそっ!」
くるりと身を翻し、壁に立てかけてあったバットを手に取るよりも先に、白鳥の攻撃が雪島を襲う。
首筋に、すとんと手刀を入れられて、雪島は呆気なく床に転がった。

「……ふん」
床に伸びた少年三人を見渡し、白鳥――いや、クォードは嘆息する。
どんな手を仕掛けてくるのかと思いきや、単純に襲いかかってくるとは。
自分が小柄だから、叩き伏せるのも簡単だと判断したのか?
重ね重ね、むかつく子供達だ。
更衣室でボコボコに殴り倒し、恥ずかしい写真を撮る予定だったのだろう。
カメラを用意していた処から考えても。
「あれ、もう終わったんだ?」
白髪の青年が入ってくる。キエラだ。
正体不明となった三人の少年を突っつきながら、キエラが尋ねる。
「どーすんだ?これ。なにかするってんなら手伝うけど」
「そうだな……」
クォードはカメラを手に取り、弄くり回していたが、思いつきをキエラに話した。
「恥ずかしい写真でも撮って、校内掲示板に貼りつけておいてやるか」
「あーイジメられっ子がやられたってやつを、仕返しすんの?」
秋吉は丸裸にされたらしい。
なら、こいつらも同じ目に遭わせてやるのが妥当というもの。
別にイジメられっ子の敵討ちをするつもりはない。
さっさとダグーの頼みを終わらせて、本来の任務――魔力を集める仕事に戻りたい。
「恥ずかしい写真っつったら、やっぱヌード?」
何故か嬉々として提案してくるキエラに、クォードが眉をひそめた。
「なんで嬉しそうなんだ」
「え〜、だってワクワクしねぇ?写真を貼り出された後の、こいつらの反応を想像したら」
グフフと笑うキエラに、クォードの眉間には縦皺が寄る。
反応が楽しみだなんて、イジメッ子と同じクズ思考ではないか。
こいつ、人間界に長く居すぎたせいで、人間社会に染まり始めているんじゃねぇか?
「急ごうぜ。息を吹き返す前に、やっとかないと」
キエラが、いそいそと龍騎のズボンを脱がしにかかる。
クォードも森垣と雪島、両名の服を引きちぎって強引に脱がした。
あっという間にスッポンポンになった三人を、引きちぎった服の成れの果てで後ろ手に縛り上げる。
ごろんと足で蹴っ飛ばし、三人とも仰向けに寝かせた。
「うわっ……!こいつのチンチン、小っさすぎ」
大袈裟にキエラが驚いてみせる。
クォードも、ちらりと森垣の下半身へ目をやったが、ノーコメントでカメラを向けた。
ふと思いだし、念のために確認を取る。
「雪島の分も撮るのか?」
「ユキシマ?」
「ダグーが言ってただろ、協力者だ」
雪島は龍騎達の仲間だが、同時にスパイ活動をダグーから頼まれてもいる。
その雪島も一緒に晒してしまっていいものだろうか。
一ミリも悩む事なく、キエラはグッと親指を突き出した。
「イジメッ子は三人だろ?こいつだけ除外したら怪しまれるじゃん。撮っちゃえ、撮っちゃえ」
少し考え、その通りだなと思い直したクォードは、再びカメラを構えると。
「判った」
立て続けに、三人の少年の哀れな姿を激写した。


一週間の初めの日。
緑秋吉は、ようやく登校する決心がついた。
ダグーが心配で学校へ駆けつけたいのは山々だったのだが、なかなか勇気が出なかったのだ。
そうこうしているうちに何日か過ぎてしまい、月曜日になって、ついに重たい腰を上げた。
三人の事を考えると、今でも吐き気がする。
しかしダグーの事を考えたら、吐き気だなんだと言っていられない。
自分が行って、どれだけ彼の為になれるかは判らない。
だが、行かなければならない。自分の為に、ダグーが苦労しているというのなら。
「……よし!」
何度目かの気合いを入れ直し、秋吉はドアノブに手をかけた。
手が震える。
足も震えている。
学校まで辿り着けるだろうか。否、辿り着くのだ。
勇気を出せ、出すんだ秋吉!
自分で自分を叱咤すると、秋吉は、やっと外への第一歩を踏み出した。

空が眩しい。
ずっと部屋に引きこもっていたせいだ。
やはり人間は、たまには外へ出ないといけない生き物のようだ。
心臓が苦しい。
他の場所へ出かける時は、難なく外出できたのに。
どうして学校へ行く――と考えただけで、体のあちこちが痛み出すんだろう。
判っている。
あの三人のせいだ。
奴らの顔を思い浮かべると吐きそうになるので、秋吉は別の顔を脳裏に浮かべた。
廃屋ビルの屋上で出会った顔だ。
名前は、確か白鳥といったか。
聞き覚えのない名前だが、同じ学園に通っている生徒らしい。先輩か同級生かは聞き損ねた。
彼が教えてくれたのだ。常勝学園が今、上や下への大混乱に陥っていると。
にわかには信じられない。だが、彼はダグーの名前を知っていた。
ダグーが困難な目に遭っていると教えてくれたのも、彼だ。
彼が、どうやって、どこでダグーの名前を知ったのか、それすらも秋吉には判らなかったけれど。
白鳥の目は真面目で、嘘をついているようにも思えなかった。
第一、秋吉とは初対面なのだ。嘘をつくメリットがない。
とにかく、出会ったばかりの少年の情報を信じ、こうして学校へ向かっているというわけだ。
学校は秋吉の家から歩いて二十分ぐらいの場所にあるのだが、遙か彼方に感じられた。
はぁ、はぁ、と荒く吐き出される、自分の息がうるさい。
運動不足か。
いや、体と脳が学校へ行くのを嫌がっているんだ。
でも、甘えている場合じゃない。
僕のせいで、ダグーさんが――!
目の前に校門が見えてきて、瀕死の思いで門をくぐり抜けた秋吉の耳に、大勢のざわめきが聞こえてくる。
何かと思って顔をあげれば、校内掲示板前に集まる人の群れが見えた。
皆が皆して、掲示板に貼り付けられた何かを指さし、笑っている。
途端に嫌な光景がフラッシュバックしてきて、秋吉は激しい目眩に襲われた。
あの時も、そうだった。皆が、僕の恥ずかしい写真を見て、けたたましく笑って……
「ぼ、僕は、僕は……ッッ」
吐き気が一気に喉元まで迫り上がってくる。
視界がグラグラして、とても立っていられない。
ふらっとよろめいた秋吉を、横合いから誰かがサッと抱きとめる。
耳元で、声を聞いた。
「よぉ、遅かったな。お前の仇、討っといてやったぜ。ダグーに感謝しとけよ」
白鳥の声だった。
霞む両目で見上げると、にやりと笑う彼と目があった。
「えっ。しら、とり、くん……?」
白鳥は、ずるずると掲示板前まで秋吉を引っ張っていき、「見ろよ」と上空を指さした。
掲示板に貼られた写真を見て、秋吉の目は丸くなる。
「あっ!?」
後ろ手に縛られて、全裸で転がされている三人。
仰向けだから、大事なトコロも丸見えだ。
僕の時とは状況が違う、と咄嗟に秋吉は思った。
自分の時は、写真にモザイクがかかっていた。顔の部分と、あそこの部分に。
だから皆には、あの写真が誰のモノなのか正確には判らなかったかもしれない。
それでもショックで、秋吉は不登校児になってしまったのだが――
掲示板に貼り付けられた写真は、モザイク修正一切なしだった。
だから、誰の裸なのかは一目瞭然というやつで。
自分の裸でもないのに、かぁぁっと頬が熱くなるのを秋吉は覚えた。
ここまでしろと言ったつもりは、ないんだけど……
ただ、ちょっと同じような写真で仕返しをしてくれれば良かったのだ。
「あっ、そうだ!君、ダグーさんがどうのって言ったよね」と聞きかけて、秋吉はポカーンと立ちつくす。
白鳥の姿は、とっくになく。
自分が自力で立っているのに、秋吉は、ようやく気づいた。


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