2.偏差値Dのヤンキー高校

親が見栄張ったせいで私立に通う羽目になったのを、俺は今でも後悔している。
この学校は最悪だ。偏差値が低いせいか、バカばっかり揃っている。
かくいう俺もバカだ。
元ヤンキーの両親を持つ子供が、頭いいわけないだろう。
SNSで息子の自慢をしたいが為だけに毎月無理して高い学費を払っているというんだから、俺の親はバカと呼んで差し支えない。
俺自身は高校なんて何処でも良かった。
偏差値40の学校は公立にだってゴロゴロあるし、わざわざ私立を選ぶ理由がない。
私立なのにバカしかいないヤンキー学校なんて卒業後の進路にも難儀しそうだが、入ってしまった以上は仕方ない。
どうせバカの就職先は決まっている。コンビニ、ガソリンスタンド、スーパー、工場員。
俺の親も母がホテルの清掃員で父はパチンカーだしな。ほぼ母のパートで暮らしていると言っても過言じゃない。
家は安ボロアパート、登るたびに鉄筋階段がギシギシいうんじゃ友達だって呼べやしない。
――もっとも、俺はできるだけ目立たないよう、ひっそりと高校生活を送っている。
なんでかは判らないが、小学校に入ってから中学校を出るまでの間、何人もの奴らが俺に「好きだ」と告白しまくってきて、心底辟易したからだ。
好きだと言われても、そいつらは友達でも知り合いでもない、ただ、同じ学校の生徒ってだけだ。
何の感情も沸かない。
ともかく好きではないのは確かなんだから、こんな気持ちで交際するのは相手にも失礼だろう。
告白してくる女子を片っ端から断り、断った数が十人を越えた辺りで何故か校内では俺が硬派だということにされてしまい、そのうち女子だけではなく男子にまで告白されるようになったが、それも全部断った。
友達なら、いいんだ。喜んでなってやる。
何故、恋人なんだ。もう結構だ、告白されるのは。
高校に入って、やっと何人か友達らしき交流が生まれた。
全員告白を断った相手というのは微妙な処だが、この際、文句は言うまい。
だが先も言ったが、家には呼べない。連中は何度となく俺の家へ遊びに来たがっているが、絶対にお断りだ。

先週、隣のクラスに転校生がやってきた。
名前はモロ女なのに言葉遣いが男で、男みたいに乱暴でガサツなくせに自称女なんだそうだ。
俺のクラスの連中はトランスジェンダーだと騒いでいた。
トランスジェンダーが何なのか判っていないとは、さすがバカ学校の生徒なだけはある。
トランスジェンダーとは、心と体の性別が一致していない人を指す。
女の体で生まれてきたけれど自分では自分が男なんじゃないかと思っている、といった具合に。
隣の転校生は女の体で女を自称しているんだから、断じてトランスジェンダーではない。女だ。
名前は坂下 恋華。見てきた奴らの話だと、前髪パッツンで猫目気味なチビだそうだ。
生意気だとの噂も聞いている。同い年を捕まえて、生意気もクソもないもんだ。
それに生意気だろうと高飛車だろうと、バカよりは数段マシだろう。この学校は、先輩もバカばっかりで頭が痛くなる。
なにしろバス停を破壊、横入り乗車は当たり前、校内のガラスを割る、上水路へ吸い殻を投げ捨てる、万引き常習、近場の高校生とバトルするなど負の武勇伝には事欠かず、素行の悪さは近所界隈でも、お墨付きだ。
いくら私立でも、こんなヤンキー高校に通わせていたんじゃ自慢にもなりゃしない。
……いや、或いは元ヤン両親ならではの自慢なのか?
最悪だ。なにもかも。さっさと三年過ぎるのを待って、すみやかに卒業したいもんだ。

廊下が騒がしい。
いや休み時間は、いつも騒がしいんだが、今は休み時間じゃない。
教室移動の真っ最中に騒いでいるのは、どこのクラスのバカだ?
「だからぁ、違うって言ってんだろ!?何度言やぁ判るんだよ、このバカッ!」
やたら威勢のよい、それでいて甲高い声が廊下に響き渡る。
「てめッ、バカたァなんだ、バカたぁ!」とキレているのはニ年の先輩諸氏だ。
以前、屋上でたむろって煙草を吸っていたのを見た記憶がある。
極力関わり合いになりたくない相手だが、何故、一年の教室がある廊下にいるんだ?
廊下には人だかりが出来ていて、さらに先輩らが誰かを取り囲んでいて、さっきの甲高い声は一番中央で発されたものらしい。
女子か?女子を大勢で取り囲んで一体何をやっているんだ、あのバカ先輩どもは。
「廊下でオッパイ見せろっつって絡んでくるバカをバカと呼んで何が悪いってんだ、バーカ!」
コワモテヤンキー軍団に取り囲まれているというのに、中央の誰かは威勢が衰えない。
俺も野次馬の背後から覗き込んで見てみれば、前髪パッツンの猫目女子、こいつは噂の転校生じゃないか。
先輩が尚も吠える。
「テメェ、Tなんだろ?性自認男だったらオッパイぐれぇ見せられんじゃねーのかよ!」
転校生も吠え返した。
「だから性自認も女だってなんべん言えば、テメェのチッポケな脳みそは理解すんだ!?俺は女だ、Tじゃねぇ!」
やれやれ。
聞くに堪えない喧嘩だが、要するに転校してきたばかりの後輩を先輩が大勢で虐めているのか。
おまけに周りの同学年生は見物するばかりで助けようともしない、と。世も末だ。
こんなバカ学校に転校してくるんじゃ、こいつもバカなんだろうが、虐められているのを放ってはおけない。
俺は人垣に割って入り、転校生の真横に並ぶ。
「なっ、なんだテメェ!ちっとデケェからってイイカッコしようってんなら容赦しねーぞ!」
とか何とかギャンギャン騒ぐ横っ面を、軽く殴ってやった。
「ぽぎゃっ!?」と先輩は大袈裟に叫んで、尻もちをつく。
他の先輩の逃げ足は早く、「て、てめっ、覚えてろォ!」と言うが早いか、廊下を疾走していく。
仲間が一発殴られただけで全員逃げ出すとは、ヤンキー高校にしては、えらく臆病な先輩諸氏だ。
負の武勇伝を作ったのは、過去の卒業生なのかもしれない。
人垣が一斉に「す、すげぇ!一発KOじゃねーか」だの「やぁん、格好いい」だのと騒ぎ始めたので、早々に退散しようと踵を返した俺へ転校生が声をかけてきた。
視線を外し、どことなくテレた様子で。
「あ、ありがとよ。お前、強ェなぁ……ヘヘッ、まさか助けてくれるやつが現れるたぁ思わなかったぜ」
「別に」と俺は呟き、これだけじゃ短いかと思い直して、付け足した。
「女がよってたかって虐められていたんじゃ、誰だって助けるだろ」
野次馬は一人として助けようとしなかったんだが、あくまでも一般常識での話だ。
困っている人がいたら助けろ。これは小さい頃、俺の父が教えてくれた道徳だ。
俺の親はバカだが、バカなりに正義と道徳を持ち得る人間であった。
「お……女?」と小さく呟いた転校生が、プルプル肩を震わせる。
何かまずいことを言ったんだろうかと訝しむ俺の前で、彼女は声を張り上げた。
「お前、俺を女だと思ってくれるってのか!?」
何を今更。さっき自分で性自認女だと騒いでいたじゃないか。
体が女で心も女なら、そいつは生物上女であり女以外の何物でもない。
コクリと頷くや否や、すっかりボロ泣きの転校生がガッ!と俺の両手を握りしめてきた。
「お前、イイヤツだなぁ!ダチになろうぜ!俺ァ坂下 恋華ってんだ、お前は!?」
もう一度頷き、俺も名乗りをあげた。
「――小野山 育おのやま いく。よろしく、坂下」

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