さすがに即日とはならず、日付をまたいだ翌日。
鬼島らの稽古は【出張】という名目で、一般領への移動に許可が出された。
本来なら武術訓練は軍内部で行われるはずなのに、外部への出張稽古が許されたのには理由があった。
「わぁぁ〜、きーちゃん久しぶりぃぃ」
「しーちゃん、会いたかったよぉぉ」
道場の中央でガシィッ!と稽古着の中年が二人、力強く抱きしめあう。
「し、しーちゃん……?」「きーちゃんだぁ?」
鬼島と伊原がドン引きする中、深雪は苦笑した。
「お二人は警察時代の同輩だそうですよ」
ASURA司令官・獅子塚 栄一郎と深雪の叔父・岸原 合士は、アスラーダ軍へ入隊する前、警察官を勤めていた前歴がある。
そこで知り合い意気投合、立場が別れた今でも、あの時の友情を忘れていないとは獅子塚の談だ。
「へー。新卒入隊じゃなかったんすか、獅子塚さん」
値踏みするような伊原の視線を真っ向受け止めて、獅子塚は頷いた。
「ウム。警官時代にスカウトされて軍へ移籍したのだ。きーちゃんは、こう見えても」
「しーちゃん、紹介する時は名前で言っておくれよぅ」と本人に突っ込まれて、ゴホンと咳払いのちに言い直す。
「失礼。岸原氏は今、警視総監を勤めている。お役所仕事になっても、腕は鈍っていないようで何よりだ」
「警視総監!?」と驚く鬼島へ岸原が力なく笑った。
「はは……警視総監なんて肩書きはオマケみたいなもんだ。軍の監視下に置かれてる今じゃ警察なんて」
「きーちゃん、それ以上言ったら、めっ、だぞ」
今度は獅子塚がツッコミ役に回り、岸原も表情を引き締める。
「おぉっと、すまんすまん。では諸君、さっそくだが稽古を始めるとしようじゃないか」
稽古は武館の指導者、つまり師匠岸原の他にも熟練者が二、三人待機しており、彼らとの組手で行う。
「その前に、まずは自己紹介してくれるかね」と岸原に言われて、右から順に名乗りを上げた。
「鬼島 哲平、一般領出身です。一応、グローブナー体術を学んでいました」
「ほぅ、経験者か。では本日の稽古も、やり方は判るな?」
岸原に確認を取られて「え、はい」と頼りない返事をする鬼島の脇腹を、伊原がどつく。
「グローブナーvs河原流の戦いじゃんよ、代表ガンバ☆」
「は?別に俺が代表ってわけじゃ」との反論を右から左へ聞き流し、自己紹介を始めた。
「伊原 尚吾でぇーす。スラムあがりのド素人なんでェ、武術の稽古は積んでませぇ〜ん」
「スラムあがりなら、格闘の素人とは言えまい」と岸原も言い返し、マジマジと伊原を眺める。
「どうしたんだ?きーちゃん」
獅子塚に尋ねられ、岸原は、やはり伊原から目を離さずに答えた。
「うん、彼の顔……どうも、どこかで見た覚えがあるようなんだが」
「あまりにイケメンだから、街で見かけて印象に残っちゃいましたかぁ?」
ヘラヘラする伊原には、鬼島も「あまり調子に乗るなよ」と小声で突っ込んでおいた。
スラム住民の顔を一般領住民が覚えるとしたら、手配書か逮捕ニュースぐらいでだろう。
伊原は前科持ちだったのか。そんな話は一切、鬼島の耳に入ってきていないが。
最後に深雪のほうを見て、岸原が言う。
「彼女は知っているから省略でいいか」
だが、直後に熟練者の手が上がり「一応お願いします」と促されて、深雪は頭を下げる。
「三森 深雪と申します。一般領出身、武術の経験はありません」
「そして、私の可愛い姪っ子である。皆、この子を怪我させたら許さんぞ」と、岸原。
笑ってはいるが、目がマジだ。
熟練者の面々も引きつった笑顔で「素人相手の稽古で怪我なんて、させませんよぉ」と受け流す。
「親バカならぬ叔父バカかねぇ」
伊原はヒソヒソ鬼島へ耳打ちし、場に生まれた少々ぎこちない空気を獅子塚が一掃した。
「では、始めよう。組手稽古開始!」
鬼島は熟練者との組手が主体、自称素人の伊原と深雪は受け身の練習から始まり、道場には床に叩きつけられる派手な音、そして熟練者のあげる気合が響き渡る。
今日は一日、みっちり稽古をやるのだと獅子塚から聞かされている。
明日は筋肉痛確実だと憂鬱になりながらも、伊原は、彼にしては真面目に稽古へ取り組んだ。
――同刻。
クヴェラでは、ちょっとした騒ぎがあがっていた。
襲撃してきたユニオンへ報復するとナロンが言い出したのだ。
報復を誓うだけならともかくも、彼自身が一般領へ行くなどと言うもんだから、騒ぎになった。
「兵士を行かせる程度に留めておけ」とアイグランが諭しても、言うことを聞くような相手ではない。
「ほっときゃいいだろーが、あんなクソども」
全く乗り気ではないクライヴと比べたら、ナサーシャは乗り気満々だった。
「そうはいかないさァね。天下のクヴェラがガキ共の集団にナメられたとあっちゃあ今後の活動に支障がでるよ」
ナロンは「そんなの関係ないよ」と一笑し、「とにかくムカツク。だから殺すの。わかった?」と単純明快な感情論をぶっ放す。
「殺すのですか?」と確認を取るジャスパに被せる形で「殺す必要があるのか?今の段階ならば、脅す程度で良かろう」とアイグランも説き伏せにかかる。
それにもナロンは「こっちが派手にやられたんだもん、仕返しするのはトーゼンでしょ。その結果、勢い余って殺しちゃったとしても問題ないよね」と聞く耳を持たない。
問題は大有りだ。
向こうで殺人などやらかせば、警察には顔を覚えられてしまうし、スラム領と一般領の行き来もしづらくなる。
アジニアの最下層スラム領は電気も水も止められていて、永住するに適さない場所だ。
そうした場所で生活用品や食料を一定量確保するには、一般領へ侵入せざるを得ない。
ナロンの超能力が頻繁に使えるんだったらゲートを封鎖されても文句ないのだが、そうもいかないんだから、尚更問題を起こさせるわけにいかない。
だが、アイグランが何を言おうとナロンの意思は変えられず、結局はお目付け役をつけての一般領入りとなった。
「いいか、くれぐれもナロンを野放しにするんじゃないぞ。奴が自由に動くのは我々の死滅を意味する」
アイグランの説教を「死滅たぁ大袈裟だねぇ」とナサーシャが鼻であしらう。
「それよか、なんで俺まで行かなきゃなんねーんだ」と不服顔のクライヴにも、アイグランはしかめっ面で説得にかかる。
「単純な話だ。お前の言うことなら、ナロンは一応頷くからな。いざとなったら、お前が体を張って止めろ」
ナロンの一般領行きを止められなかったのは、クライヴが説得に加勢しなかったせいだとでも言いたげである。
心底面倒だとクライヴは考えた。
意見を出さなかったのは、本気でユニオンなんか、どうでもいいと思っているからだ。
ユニオンよりも警戒すべきはアスラーダ、奴等の持つ赤いギアだ。本能で判る、あれは危険な存在だと。
もう一度まみえる機会があれば、その時こそ息の根を止めておきたい。
ユニオンのギアは、あれと比べたら素人の試作品だ。殺さなけりゃいけないほどの脅威にもなり得ない。
納得いかない顔のクライヴを、再度ジャスパも言い含める。
「私も同行したいところですが、私の格好は目立ちすぎますからね。あなた方が黒髪で助かりました」
目立つといえば目立つかもしれない。剃髪した頭に袈裟懸けは。
それは巨体のアイグランにも言えることで、アイグランとジャスパは本部に残る。
ナサーシャとクライヴが、お目付け役でついていく。
風呂でジャスパがゴシゴシ念入りに洗ったおかげで、クライヴに染み付いた匂いを取り除くのには成功した。
「金髪だって目立つだろうがよ」と文句の多いクライヴに間髪入れず言い返す。
「いいえ、一般領には観光客が訪れます。剃髪は見かけなくとも、金髪は珍しい存在ではありません」
一般に言われる観光客はノビスビルクやヨーロピアの住民が多い。欧米や北欧をルーツに持つ金髪種だ。
「なら、お前だってヅラをかぶりゃ解決だ」との案にも、首を真横に「それはなりません」と突っぱねた。
「何でさ?」とナサーシャにも不思議がられたが、ジャスパは頑として「なりませぬ」を繰り返すばかりだ。
絶対に覆せないポリシーか、或いは宗教上の縛りなのかもしれない。
それよりもと話題を変えて、ジャスパがクライヴの顔を指差す。
「その人工皮膚、剥がれないよう注意してくださいね」
「人工皮膚?」と首を傾げるナサーシャへジャスパが言うには、風呂場でクライヴを洗った際に気づいたのだが、彼の顔面、普段はバンダナで隠された左半分に酷いケロイドが広がっていたため、急遽人工の皮膚を貼り付けた。
薄いゴムで出来ているので滅多なことでは外れないが、大量に汗をかいたり頭から濡れ鼠になったりすると剥がれるかもしれない。
出かける予定の日は、真夏日が予想される。
要は、すぐ戻ってこいと暗に言われているのだ。
「言われるまでもねーよ」と手で払う仕草を見せたクライヴが立ち上がる。
「どこへ行くんだ、まだ話は終わっておらんぞ」
引き止めるアイグランへ振り向きもせず「これ以上の話も必要ねぇだろ」との言葉を最後に、さっさと出ていった。
「やはり、あいつは信用ならん。ナサーシャ、頼むぞ。クライヴの首根っこも、ついでに押さえつけてくれ」
「責任重大だねェ。判ったよ、お目付け役は果たすから、こいつが終わったら」
「あぁ、本土に話を通しておいてやろう」
アイグランと約束を取り付けて、ナサーシャは内心ほくそ笑む。
最初は面倒だと思った同行だが、彼女にとって良い方向へ話が転がりつつある。
ユニオンが一般領にパイプを持っているのであれば、探し出すのは悪い案じゃない。悪い芽は早めに摘むべきだ。
それに一般領で暴れる奴がいたら、軍だって見過ごせないはずだ。
今度こそアスラーダのギアを全員とっ捕まえてやる。
そうすりゃ本土での昇進も夢じゃない。
ここ支部では幹部の一人と言われているが、所詮No1の立ち位置じゃない。
No1は実質アイグランであろう。本土でもNo2で、ナサーシャは単なる適合者扱いだ。
この戦いを機に、アイグランを追い抜いて支部のNo1になってやる。
いざとなったらナロンをも踏み台にする野心が、彼女にはあった。
意気揚々と出ていくナサーシャの背中を、ジャスパは、じっと見つめて何事か考えているようであった――
-つづく-