Limited

act10 一般領

本来、スラムから一般領へ入るにはゲートを通過する必要がある。
そしてゲートを通過するには、専用パスポートを購入しなければいけなかった。
このパスポートが、また法外な値段で、もとより収入手段を持たないスラム住民の手が届く代物ではない。
だが、そうした手続きは今回、一切不要であった。
ナロンの特異な能力――超能力を使えば一瞬で済む。
アジニアへ来た時だって船に乗らなかったのだ。瞬間転移で直接スラムへ入り込んだ。
ただ、本人曰く、この能力は無限に使えるものでもないらしい。
多用すると精神疲労が半端なく、無理をすると数日間、寝込む羽目になる。
便利なようでいて不便だ。
ともあれ、一瞬で一般領へ足を踏み入れたクライヴの感想は、綺麗に舗装された街であるといった月並みなものであった。
スラムは綺麗な場所がない。クヴェラの支部だって一般領の住宅と比べたら、あばら家だろう。
足元の道路にしたって、しっかりセメントで固められている。ぬかるんだ場所や陥没穴など一つも存在しないかとさえ思えた。
「あんまりキョロキョロするんじゃないよ。田舎モンだと思われっちまうじゃないか」
感動をぶち壊す説教が背後からかけられて、しかしクライヴは背中の声を無視して、なおもあちこちを見渡す。
一般領の住宅は、どれも二階建てだ。細い道をまっすぐ歩いていくと、大きな道路へ出た。
直後、通行人の一人と視線がかち合う。
そそくさと急ぎ足で去っていったけれど、今の奴は確実に此方を意識していた。
否、正確には金髪の少年、ナロンを見て驚いたのだと思われた。
驚かれるような恰好をしていたのかというと、そうでもない。
今日のナロンは空色の帽子に薄緑のTシャツ、下は黄色の短パンと、どこにでもいるような子どもの服装である。
道行く人の数は、まばらだ。平日の朝なら社会人は仕事、学生は学校へ行っている時間であろう。
人通りが少ないとはいえ、いつまでも、ここに立ち止まっているわけにもいくまい。
「やっぱ目立ってんぜ、お前の髪」
「そうかなぁ。今は観光シーズンじゃないのかもね」
自分の前髪をつまみ上げ、ぽつりと呟いたものの、すぐにナロンは探索へ切り替える。
「さ、それより早くユニオンの隠れ家を探さなきゃ」
「それなんだけどさ」と話すナサーシャは、いつもの胡散臭い薄いヴェールをまとった占い師もどきではない。
長い黒髪はポニーテールにまとめ、薄紫のブラウスにクリーム色のスラックスと、一般領に併せた服装にしてきた。
「闇雲に探して見つかるもんなのかい?手がかりが一つもないってのにサ」
「そんなの、地道に聞き込みするに決まってるじゃない」
とんでもないことを言う。
一般領と一口に言ったって、徒歩で歩き回るとなると半端ない広さだ。
大通りを中心に、細道が何本も連なる。
全域を探し回る前に、せめて民家なのかビルなのか、それぐらいは知っておきたいところだが……
「具体的に何を聞けってんだ」と尋ねるクライヴも、普段の垢にまみれた浮浪者然なスタイルではない。
匂い立つ悪臭はジャスパの手により洗い落とされ、今は黒のTシャツにジーパンと今時の青年ファッションに直された。
バンダナをしていない彼をナサーシャは初めて見たが、黙って立っていりゃ、そこそこイケメンだ。
「んーと。ここ最近、大勢引っ越してきた家がなかったかどうかを尋ねてみて。協力者も含めて、一緒に住んでいるのは一人二人じゃないはずだよ」
「どうして単独行動じゃないと思うんだい?」
ナサーシャに尋ねられて、ナロンは肩を竦める。
「彼らはピンポイントに僕らの支部を襲撃してきたよね。それと逃走の手際を見ても、スラムの町並みに詳しい仲間がいるか情報をかき集められる人員があるんじゃない?」
ここ数日、スラムでの異常は発見されなかった。
怪しく聞き込みして回っていたのなんてアスラーダの連中ぐらいで、だからこそユニオンの襲撃を許してしまった。
確実な情報を掴んだうえで襲撃してきたと見るべきだ。
スラムの町並みは入り組んでいる。違う区域や街にいた人間が、簡単に見つけ出せるとは思えない。
現地で聞き込んだアスラーダと異なる方法で、ユニオンはクヴェラの支部を突き止めた。
一人も兵隊を送らずに、どうやって?
「昔、一般領に住んでいた人から聞いたんだけど、アジニアには情報ネットラインがあるんだってさ。一般領用と、貴族領用とのね」とナロンは言う。
両者の違いは使える区域の違いで、どちらも住民同士での交流用として軍が設置した。
軍の流す公式情報は一般人向けの内容しかないが、住民が発信する情報には眉唾や嘘も多く含まれる。
だが、もし、その中に軍やスラムを知る者が混ざっていたとしたら?
ゲートとて万全なシステムではない。
なんせ軍隊を抜け出す奴がいるのだ、スラムだってパスポートを持たずに抜け出す手段ぐらいあるだろう。
一つ二つでは確証が持てずとも複数の同じ情報を見つけたら、試す価値はある。
アスラーダの侵入と時期が重なったのは、ユニオンが故意にそうした可能性も高い。
「そんなものを使いこなしているっていうのかい……ユニオンは」
ギリィと爪を噛むナサーシャをよそに、ナロンは話を締めた。
「アジニアに住む協力者にしてみたら、使いこなすのは容易だろうね。さ、それじゃ三方向に散らばって情報収集しよっか」
「待ったぁ!」
踵を返して何処かへ立ち去ろうとする少年は、即座にナサーシャから止められる。
「勝手に分散するんじゃないよ。ここはアウェイなんだ、全員一緒に動いたほうがいいに決まっている」
「なんでェ?」と判っていないナロンに、眉をつりあげて説教した。
「奴等に襲われた時、対処しきれないじゃないか!一人じゃ」
「あー……」と空を見上げて考え込んだのも一瞬で、すぐにナロンは破顔する。
「つまり、君が危険ってことね。オッケー、了解。じゃ、一緒に探そうか」
奇襲されて危険なのは、遠距離主体のナサーシャだけではない。
ナロンなんか、もっと危険だ。超能力者というだけでギアの適合者ではないのだから。
どうも、この少年は自分の力を過信しすぎなのではあるまいか。
出掛けにもアイグランやジャスパからは念を押されている。けしてナロンを単独行動させるなと。
支部の活動は彼の存在あってだとも言われた。
ここアジニア支部において、ナロンの絶対的な能力がスラム住民の信仰となっている部分は多い。
それはナサーシャも薄々感じていた。クヴェラが宗教だなんだと言われる所以である。
スラム住民へ下っ端が根も葉もない戯言、例えばクヴェラがお布施を欲しているだとか言った噂を吹き込んでいるとの情報も、彼女の耳に入ってきている。
しかし、もうナサーシャ一人の力では止められないぐらいに膨れ上がっていた。ナロン信仰の勢いは。
なにより大陸本部やアイグランが何も言わないのだから、彼女がとやかく言う問題じゃなかろう。
「お前」と、ずっと黙っていたクライヴが口を挟む。
「例の未来視だかなんだかでは探せないのかよ」
「千里眼とは違うんだよ。あくまでも未来で起きる出来事が、ぼんやり視えるだけなんだ。僕の予知は」
それに能力の多用はご法度だ。下手したら、探索が片道切符で終わってしまう。
「面倒だけど、聞き込みしてまわろうか。ただし、目立たない範囲でね」
落胆の溜息とともに号令をかけて、ナサーシャはナロンとクライヴ、双方を引き連れて近くの店へ入った。


歩き回って一軒一軒、聞き込みして回った結果、最近、多くの人間が出入りしている家を知っているといった証言を得た。
民間人の家だ。名前は"日下部"というらしい。
既に太陽は真上にあり、炎天下の直射日光が容赦なく照りつけてくる。
日下部家の場所も教わったが、大通りにある、ここから見て一本手前の小道を右へ入って、まっすぐ歩いたら突き当りを左へ向かい、さらにまっすぐ進んで突き当りの道を右へ曲がって左から数えて四軒目の家だという、大変わかりにくい説明を受けた。
「周辺の地図が欲しいねぇ……そういうもんはないのかい、ここにゃ」
汗だくのナサーシャに問われ、「あそこに本屋があるけど、この辺の地図があるかどうか探してみる?」とナロンが尋ね返す。
「いや、そういうんじゃなくて一般領のネットだったか、そこで調べられないのかい!?」
だが、ナロンときたら「アクセス権利がないよ」と笑って受け流すと、さっさと歩き出す。
貴族領もそうだが、一般領のネットは当然、一般領の居住権を持つ人間にしか使用できない。
ナロンに教えた奴も昔に住んでいたんじゃ、とっくに権利を剥奪されていよう。
クライヴは「あじー」と呟いて路肩に座り込んでいる。
始終Tシャツを引っ張って風を送り込んでいるが、そんな程度じゃ涼しくなるわけもなく、ついにはシャツを脱ぎ捨てた。
「って、コラー!目立つ真似をするんじゃないよッ」
「あ〜?お前が脱ぐんならともかく、野郎が脱いだって気にする奴ァいねーだろ」と本人は無頓着だが、とんでもない。
道行く婦女子の視線が熱い。主に思春期の娘さんらが思いっきりガン見しているではないか。
先程も言ったように、クライヴは、そこそこ見栄えのいい男前だ。
そんな青年が突然脱いだりすりゃあ、異性に興味津々なお年頃の少女達がガッツリ見入ってしまうのも致し方ない。
そろそろ学校や会社も終わった時間だ。人目が多ければ多くなるほど、こちらの行動も制限される。
「あぁ、もう、手間のかかる奴だねぇ!公園へ寄り道していくよっ」
「公園?でも、途中の道順に公園なんてないみたいだけど」と遠くを見やるナロンの手も引っ張って、視線の先を示す。
「すぐそこにあるだろ、公園は!そこでコイツに水をぶっかけてから行こうじゃないか、放っといたら全裸になりかねないし」
「全裸!?お兄ちゃん、全裸になるの?」
何故か嬉しそうなナロンへ間髪入れずに「脱がねーよ!」と心底嫌そうな顔でクライヴも怒鳴った。
「ビショビショに濡れて気持ち悪いから脱いだってのに水ぶっかけようってのかよ、お断りだ」
「そんなこと言って、パンツの中も汗まみれでグッチャングッチャンなんだろ!?」
「きったねぇ言い方すんなよ、そこまで濡れてねーよ」
「どうだか!あんたは本当に脱ぎそうだから――」
声の高くなる喧嘩を途中で遮ったのはナロンで、「ねぇねぇ、僕達注目の的だよぉ?」と言われて、ハッとなったナサーシャが辺り一帯を見渡すと、いつの間にやら物好きが人垣を作っている。
「なんだなんだ、喧嘩か?」だの言っているのは、まだいいほうで、中には「あのお姉ちゃん綺麗だねぇ、モデルさんかな」なんて此方の素性を詮索してくる目もあるわで、こんなところで一般人の好奇心を煽っている場合ではない。
「い、いくよ、もうっ!」
ずかずか公園方向へ歩いていこうとするのへは「こっちだって、さっきの道順」とナロンが彼女の腕を引っ張り軌道修正、クライヴは汗でびしょ濡れのTシャツを絞ると着直した。
ぴったり肌に張り付いて気持ち悪いのだが、上半身裸でいるとナサーシャの癇癪に触れる以上は我慢するしかない。
炎天下の中を歩き回ったせいか頭はガンガンしてくるし、ふとすれば意識が途切れそうになる。
早く目的の家まで辿り着きたい。
到着後は戦いになるだろうが、ギアを装着すれば直射日光からは逃れられる。
歩き回るのも聞き込みも飽きた。クライヴは、さっさと戦って帰りたい気分になっていた。
出掛けにジャスパやアイグランが何か言っていたようにも思うが、忘れた。
まぁ、重要な用件なら、きっとナサーシャが覚えているはずだ。
歩いてすぐ右手にある小道へ入り、まっすぐ突き進むと突き当りに出る。
そこを左手に曲がり、ずんずん住宅街を進んでいくが、行けども行けども次の突き当たりは見えてこない。
「何処だよ、日下部ェ!」
早くもナサーシャの頭は沸騰してきて、大声で喚くのは「しっ、目立たないで」とナロンに叱咤されて、我を取り戻す。
正気に戻ったついでに、入り組んだ小道へフラフラ迷い込もうとしている黒T野郎の腕をハッシと掴んだ。
「どこ行くんだよ、そっちは違うだろ!?」
「こっちから良いシグナルを感じるんだ」との訳わからない言い訳には、ナサーシャの怒りも「ハァ!?」と爆発寸前だ。
だが、どうにかこうにか爆発する前に突き当たりが見えてきて、「こっちこっち、ここを右に曲がればゴールだよ!」と走り出したナロンにつられて、二人も早足で向かってみると。
曲がり角を曲がるか否かのタイミングで『スパイラルキーック!』と澄んだ声が響き、ナサーシャは咄嗟にナロンを抱きかかえて地面を転がった。
曲がり道を曲がる前に「チィッ」と舌打ち一つ、クライヴはギアを呼ぶ。
待ち伏せだ。ユニオンの連中には、とっくに何者かが日下部家を探していることなど伝わっていたに違いない。
最初の何軒かを回った時点で。
ユニオンの協力者は日下部一人とは限らないし、日下部の家を教えた人間が彼らと無関係とも限らない。
だが――連中が先制をかけてくるなら、それはそれで好都合。
外へ引きずり出す手間が省ける。
『ナサーシャ、ナロンをつれてどっか行ってろ!』
叫ぶが早いか、地を蹴って小道へ飛び込む。
同時に飛びかかってきた白いギアとぶつかりあい、共に民家の屋根へと飛び乗った。
「どっかって、あんた置いて行けるわきゃないだろ!?」
「そうだよ、それに、そのギアは僕が倒すんだからね!お兄ちゃんこそ下がっててよ!」
地上でキーキー騒ぐ二人は、周囲を取り囲まれる。
囲まれたところで相手は非武装の民間人、恐れるに足りないが、民間人ならではの戦法で軍を呼ばれる可能性がある。
現に何人かは携帯機を取り出して、どこかへかけているではないか。
「ナロン!」と叫んだナサーシャに併せるかのように、次々と携帯機がボンッ!と音を立てて爆発する。
「きゃっ」「な、なんで!?」と驚く人垣を押しのけたナサーシャもギアを装着、しかし手当たり次第に伸ばした腕は誰かを掴むことなく硬い何かに弾かれた。
視界の隅に紫の影を捉え、考える暇なく飛び退る。
『おっとぉ、意外と素早いねぇ。三対一でまごついていたにしちゃ、いい判断じゃないの』
見間違えようもない悪趣味な外装は、支部を襲って川口親子を連れ去ったギアだ。
『ドサクサで獲物を掠め取ったチンピラが、ナメたクチをきくんじゃないよ!』
啖呵を切りつつナロンの様子を横目で探ると、彼も屋根の上に居るのを確認した。
クライヴは白いギアと正面から殴り合っている。やはり互角、白いのも近距離戦に特化されたギアなのだろう。
紫のやつは銃を乱射するらしい。ナサーシャと同じ遠距離戦用か。
同じタイプのギアとは、やりにくい。
向こうもそう思ったのかどうかは判らないが、睨み合って数秒後、紫の奴が提案を持ちかけてくる。
『どうやってか知らないけど、携帯機を壊したみたいだね。けど残念、もう軍への救助要請は済んだ。ここでドンパチやるのは君らにとって分が悪い……そう思わないか?潔く退いてくれると助かるんだがな、こちらとしても』
『ハッ、その前に片付けてやるよ!お前ら二人を』
撤退したいのは山々だが、ナロンとクライヴ両名を抱えて逃げるのは、こいつと戦うよりも厄介だ。
戦いながら突破口を見つける。ナサーシャは考えをまとめると、一発ぶっ放す。
ただし、狙いは紫のギアではなく背後の民家へ向けて。
『吹っ飛びな!』
『うぉっとぉ!?』
ナサーシャの撃った弾は、かがんだ紫ギアの頭上を飛び越えて、民家のうちの一つへ着弾すると赤く煌々と燃え上がった。


-つづく-


25/02/14 update

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