街が燃えている。燃えているのは、ここからそう遠くもない住宅街だ。
消防車のサイレンが遠くで鳴っている。
それも一台ではない、幾つものサイレンが重なり合って聴こえた。
大学帰りの七尾は眉をひそめ、立ち止まる。
火事が起きるの自体は珍しくないが、何台も消防車が出るような大火災は、彼が一般領で住むようになってから一度も見ていない。
もう一度、火事の方角を見た。
かなりの広範囲にわたって赤く輝いており、街全体に燃え移りそうなほどの大惨事だ。
なんだろう、胸騒ぎがする。軍に出撃要請しなきゃいけないような事態が起きているのではあるまいか。
もし軍がくるとしたら――鬼島も出動するのだろうか。
鬼島 哲平は七尾の後輩であったが、ある日突然、アスラーダ軍にスカウトされたとかで大学を辞めて貴族領へ引っ越してしまった。
本人は何も言わずに消えてしまったし、家族ぐるみで引っ越されたので、このことは人づてに聞いた。
鬼島がくるのなら火事場見物したい。
だが、もし他の隊員に自分の存在を見咎められたりしようもんなら、一般領での立場が危うくなる。
駆けつけたい衝動を、ぐっと堪えて、七尾は帰路を急いだ。
勇馬が市街戦を始めてしまったのに驚きなら、火事に発展する砲撃をクヴェラが仕掛けてきたのも仰天だった。
信じられない。ユニオンを探して潰す、それだけの為に無関係な民家まで巻き添えにするなんて。
クヴェラが良くない組織なのは知っていたつもりだが、それでもアスラーダ軍よりはマシと考えていた。
とんでもない。軍以上の無法者ではないか。
勇馬も勇馬だ。ここでドンパチを始めたら、せっかくの協力者を手放すことになりかねない。
唖然とする真琴を残して、松田も先ほど出ていった。ギアを装着した姿で。
クヴェラメンバーと思しき三人組がユニオンのアジトを探しているといった情報は、彼らが店で聞き込みを始めた時点で日下部家に届いていた。
なにしろ、ここアジニアの一般領住宅街にはユニオンの後援会があるぐらいなのだ。
後援会に連なる人は皆、ユニオンを正義の組織だと信じて疑わず、アスラーダ軍の圧政から救ってくれるものと考えている。
だからユニオンに仇なす悪意は全て、日下部家へ報告するのが暗黙のルールとなっていた。
その後援会を仕切っているのが日下部 拓巳、川口親子が現在ご厄介になっている家の持ち主だ。
日下部は嘘の案内で迷子にする案を出してきたのだが、そいつを却下したのが勇馬で、逆に此処へ誘導する作戦へと切り替わる。
勇馬は彼らが日下部家の玄関をまたぐよりも前に出ていき、先手必勝で仕掛けた。
ユニオンの印象低下を心配する真琴とは裏腹に、今は皆して表で戦う勇馬をモニター越しに応援している。
内蔵武器が一切なくても関係ない戦い方だ。お互い、肉弾戦で殴り合っている。
黒のギアにも、もしかしたら武器がないのかもしれない。そうであればいいと真琴は願った。
消防車は画面後方で必死の消火活動を行っていたが、燃えさかる火の勢いのほうが激しく、消火できているとは言い難い。
軍は、まだ到着していない。消防車よりも出撃が遅いとは、やはり彼らにとって一般領民は集金用の金袋でしかないのか。
画面に松田が映り、彼もまた、銀色のギアと向かい合っていた。
松田のギアも内蔵武器が一切ないという話だが、どうやってクヴェラのギアを撃退する気だろう。
川口親子を救出する際には軍とクヴェラとで戦っていたからドサクサで何とかなったようだけど、今回は、そうもいくまい。
「……子どもがいます!」
不意に後援会メンバーの一人が叫び、日下部もモニターへ目を凝らす。
「本当だ、何故屋根の上に?」
勇馬と黒いギアの戦いの側に幼い子供が一人いて、ひっきりなしに何かを叫んでいる。
カメラがズームして、彼らの声を拾いあげた。
彼らは、こう騒いでいた。
『罪なき民間人の家に火を放つとは、許し難き悪党め!俺達ユニオンは、けしてお前らクヴェラを許さないッ』
屋根の上でビシィッとポーズを決めた勇馬は、殴りかかってきた黒い拳を寸でのところで避ける。
『ごちゃごちゃうるせぇんだよ、さっきから!テメェは、いちいち説教しねーと喧嘩もできねーのか!?』
黒いギアに何と罵られようと、勇馬の戦法は変わらない。
ビシッと指をさして罵り返した。
『説教だと感じるということは自分が悪事に加担している罪悪感はあるようだなッ!見直したぞ!だが、子ども同伴で来るのは頂けない!その子を戦いに巻き込んで、あわよくば盾にでもするつもりなのか?この腐れ外道が、恥をしれッ!!』
『あ?……俺らと敵対してるってのにナロンを知らねーってのかよ』
動きを止めたギアの背後で、同伴の子どもことナロンが叫ぶ。
「お兄ちゃん!そのギアは僕が倒すって何度言えば戦いをやめてくれるの?」
だが、お兄ちゃんこと黒いギアは一、二度首を振って少年の申し出を却下した。
『うっせぇな、てめぇじゃ弾切れ起こすってんだろ。何のために俺が一緒に来てやったと思ってんだ』
「もぉー疲れ切るほどの相手じゃないってば!こんなの一発で仕留めてみせるよぉ」と、ナロンが頬を膨らませる。
少年も何を以て勇馬を倒すと言っているんだか、素手だしギアの適合者でもなさそうに見える。
パッと見た感じでは小学校低学年ぐらいの、そのへんにいるような普通の子どもだ。
こうして黒いギアと仲良く会話しているからには、あの子もクヴェラの一員ではあるんだろうが。
首を傾げる面々の横で日下部が「ナロン……もしや、ナロン=アス=カーパインなのか!?」と大声を出すもんだから、驚いた。
「ナロン=アス=カーパイン?誰ですか、それ」との問いにも、日下部は顔色をなくして「クヴェラの超能力者だ!」と叫ぶ。
「超能力者ぁ?日下部さん、そんなエンタメ本気で信じてるんですかぁ」
あちこちで懐疑の声が上がり、しかし日下部は「いるんだよ、本物ってやつは」と持論を崩さない。
「じゃあ聞きますけど、超能力ってのは具体的に」と誰かが話す傍らで画面がピカッと眩く光る。
直後、勇馬の『ぐぅっ……!』といった苦しげな声が響いて、全員慌ててモニターへ視線を戻すと、勇馬が腹を押さえた格好で黒いギアに乱打される姿が目に入った。
「なんだ!?今、何が起きたんだ」
ほとんどの者が日下部の発言に気を取られて、モニターを見ていなかったに違いない。
だが、真琴と託麻は見逃さなかった。画面が光った瞬間、あれはナロンが勇馬へ向けて放った光線だ。
光線が一直線に勇馬の腹を貫通した。
ナロンが超能力者なのはクヴェラでの聞き伝えで知っていたが、実際に使われたのを見たのは、これが初めてだ。
実弾を物ともしない装甲であるはずのギアを貫通するとは、とんでもない威力の攻撃じゃないか。
ただし弾切れ、使いすぎるとデメリットが生じる能力なのは不幸中の幸いだ。バンバン無駄撃ちさせれば自滅に追い込める。
問題は、たった一発で勇馬が黒いギアの攻撃を避けられないほどのダメージを負った点だ。
『ったく邪魔してんじゃねーよ、クソが』とモニターの向こうで吐き捨てたのは黒いギアで、勇馬が屋根から転落した後だった。
「言ったでしょ?あいつを倒すために、ここへ来たんだって」とナロンも譲らず、両者が睨み合ったのも一瞬で。
『あー、やってらんねぇ、萎えた』との一言を最後に、黒いギアは屋根を飛び降りる。
カメラはナロンを映し続け、ナロンが「ちょっとーお兄ちゃん、どこいくのー?」と下へ声をかけていたかと思うと、いきなり「あ!待って、何処行くの!?」と叫び、カメラも黒いギアを追いかけた先に赤と青と緑のギアを捉えた。
「アスラーダ!?」
モニターを見ていた全員が叫び、「今頃!?遅いでしょ!」と火事に目をやる者や「それより勇馬くんは、どうなったんだ!」と慌てる者などで場が混乱に陥りかけるも、日下部の「諸君、予定通りだ!軍がきたからにはナロンも撤収するだろう」との一喝で収まる。
いや、混乱は収まったものの「けど、勇馬くんがやられちゃうような相手に勝てるのぉ?軍!」との疑問は健在で、彼らが勝てるかどうかは日下部にも断言しきれない。
松田の報告で存在は知っている。だが、その報告にて彼らがクヴェラに手も足もでなかったとも聞いている。
救援はギア三体しかいないのだろうか。カメラを四方八方へ動かしたが、他に軍人らしき人影は見当たらない。
勝てるのかどうかは甚だ怪しいが、善戦してもらうしかない。
それより火が、こちらへも回ってきそうな勢いだ。日下部は皆に命じると、避難を急いだ。
一般領からのSOSが軍部に届いて、数時間後。ようやく一般領へ足を踏み入れたASURAは現場へ急行した。
消防車よりも初動が遅くなってしまったのには理由がある。
出る寸前で伊原のギアに異常があると診断されて、その調整に手こずっていたせいだ。
全ては戦闘後、メンテナンスに出すのを忘れていた伊原自身のミスだ。
ともあれ万全の調子で駆けつけた鬼島が見たのは、真っ赤に燃え上がる住宅街と路上に横たわる白のギア、そして自分に向かって一直線に襲いかかってきた黒いギアの拳を避けきれず、鬼島は派手に『ぐへぁ!』と叫んで吹っ飛んだ。
『何やってんだァ、哲平ちゃん!訓練の成果を見せたれやぁ』と叫んだ伊原も、飛んできた実弾をギリギリ屈んで『うわっとぉ!』と避ける。
『クライヴ、ナロン、撤退するよ!』と銀色のギアが遠目に叫び、かと思いきや『ギャア!』と色気もへったくれもない悲鳴をあげて地べたに転がった。
彼女の体勢を崩したのは、背後から突っ込んできた紫のギアによるタックルだ。
銀色が立ち上がる前に紫のギアが、こちらへ駆けてくる。同時に叫んだ。
『勇馬を救い出す、協力してくれ!』
『勇馬って!?』と叫び返した深雪には『あそこに転がってる白いやつだ!』と叫び返し、伊原もついでとばかりに要請し返した。
『んじゃあ、哲平ちゃんも助けてくれや!あそこでボコられている赤いやつなんだけど!』
勇馬はナロンの近くで倒れており、鬼島はクライヴに捕まって袋叩きにされている。どちらも不用意に近づくのは危険だ。
だが、悩んでいる時間はない。
またミサイルが飛んできて、『きゃあ!』だの『しつけぇーっ』だのと叫んで三人はナサーシャの追撃を避けた。
『えぇい、ちょこまか動くんじゃないよ!大人しく当たりなッ』とは、向こうも無茶を言う。
チラとナロンの様子を盗み見て、伊原は内心首を傾げる。
奴は倒れた勇馬にトドメを刺すでもなく、ただ、じーっと見つめているだけだ。
ユニオンのギアに興味があるにしても、拉致するといった動きも見せないのは奇妙だ。
伊原の思考は『ファイヤー!』という深雪の大声で四散して、『まぁった外部音声出てんぞ!そんなんじゃ当たりゃしねぇっての』と呆れる伊原の視線の先で、「うわぁっ」と叫んでナロンが無様に避けるのを見届けた。
「なにするの、いきなり!もー、むかつくぅっ」
尻餅をついて怒鳴る少年を見て、またも伊原の脳内には疑問が浮かぶ。
今の攻撃は飛んでくる方向すら判っていたんだし、ナロンなら楽々避けられたんじゃないのか。
どうにも解せない。奴の行動すべてが不自然だ。
腑に落ちないまま、紫のギアに言われた通り伊原も攻撃に加わる。ただし目標は前方の二人ではなく、後方に控える銀色だ。
前方へ突っ込んでいくと見せかけて、途中で地を蹴って後方へ飛ぶ。
追いかけてきた銀色の実弾は顔面で撥ね退けて、そのまま彼女の元へと弾丸の如し勢いで突っ込んだ。
『ウギャ!?』と、またまた悲鳴をあげて銀色が地べたを転がる。遠距離砲撃ばかりするだけあって、近接戦には弱いようだ。
これなら中距離の自分でも互角に戦える。
伊原は銀色のギアを捕まえると、極至近距離で、これでもかというぐらいエアバーストを叩き込んでやった。
本来なら対称を吹き飛ばす体勢崩し用の装備だが、至近距離で連発すれば何度も殴られるのと同様の衝撃を与えられる――
と、獅子塚は言っていた。果たして言葉通りか、銀色のギアは『ぐ……ぁっ』と苦悶の声を絞り出すと、その場に崩れ落ちた。
伊原が銀色とやり合っている間、深雪はバカスカ砲撃を繰り出しており、黒のギアへ飛んでいった弾は全て片手で弾かれていたが、ナロンのほうへ飛んでいった弾は奴に「ひえぇぇっ!」と悲鳴をあげさせるのに充分で、しまいには転んで膝でも擦りむいたか、ナロンが涙目で「もぉぉー!お姉ちゃん、しつこい!先に死んでもらうよ」と物騒なことを宣うのが見えた。
奴の身体が光り輝き、深雪だけにターゲットが絞られたんだと判った瞬間、紫のギアが『でりゃー!』と気合一発、何かをぶん投げて、大きなコンクリートの破片がナロンにぶち当たり、「ぎゃぅっ!」と叫んで吹っ飛ぶのを目の当たりにした。
勇馬を助けろだのと抜かすから、紫の奴もユニオンメンバーの一人だろうに、子どもの姿をした相手に躊躇なく、あんなデカイものをぶつけるとは恐れ入る。
元スラムの住民だった伊原もドン引きレベルだ。ナロンを捕まえるのには、土手っ腹に拳でも入れりゃ〜いいと思っていた。
民間の家が轟々燃えているのに、お構いなく格闘戦を繰り広げていた件といい、ユニオンの唱える正義とは何を指しているんだ。
己の考えに気が散って、一瞬でも黒のギアから目を離したのは、まずかった。
あっと思った時には黒い塊が懐に飛び込んできて、『がはっ!』と伊原がよろけ、深雪や紫のギアも『きゃあ!』『ぐぇっ!』と手痛い一撃をくらい、三人の体勢が崩れた隙間をぬって黒い影がすり抜ける。
片手にナロンを抱きかかえ、もう片方は銀色のギアを引きずって、黒いギアは走り去っていった。
二人もギア適合者を連れてくるぐらいだから、てっきり死ぬまでガチンコバトルをするのかと思いきや、随分あっさりした逃走だ。
まぁ、ガチンコ勝負する気は伊原にもない。かねての手筈により、伊原は空に向けてピィーッ……と笛を吹く。
間を置かず、あちこちからバラバラと飛び出してきた黒服の軍人に辺り一帯を囲まれ、白いギアは手荒く「起きろ!貴様らを連行する」と叩き起こされる。
『ハッ!?悪はどうなった、退治できたのか?』と素っ頓狂な発言で飛び起きる勇馬、その両手にガチャンと嵌められたのは手錠だ。
『待ってくれ、クヴェラはどうなったんだ?どうして俺が逮捕されなきゃいけないんだ!』と慌てる彼に、伊原は説明してやった。
『このへんに放火したのは、お前らユニオンなんだろ?そういう通報があってな、そんで俺達が駆けつけたってワケ』
『なっ、俺達が放火だと!?違う、火事を起こしたのはクヴェラなんだ!』
「はいはい、事情は向こうで、たぁんと聞いてやるから。まずはジープに乗れ」
言い訳するも軍人全てには無視されてジープへ押し込まれる勇馬、それから別のジープに紫の奴も連れ込まれて、軍へ帰還する車両を見送りながら、伊原は深雪と鬼島へ声を掛ける。
『放火したのって、やっぱクヴェラだよなぁ?まぁいいけどさ。俺達も帰ろうぜ』
『う……うん』と立ち上がった鬼島は頭がクラクラするのか、出掛けの時の元気は、どこかへ消え去っている。
深雪はジープの去った方角を眺めていたが、すぐに火災の広がる住宅街へ目を向けて、ぽつりと呟いた。
『だとしても火災を放って戦っていたんじゃ、その罪で問われるでしょう。しかもギアの無断持ち込みもありますから罰金と説教、追放は逃れられませんね』
まったくもって、伊原も鬼島も深雪の意見に完全同意だ。
あの様子では、どんな言い訳を聞かされることやら、尋問官も一苦労だろう。
-つづく-