川口神社は表向き、神道を崇める体制を装っている。
その裏では、お布施を資金に民間でのリミテッド・ギア研究を行っていた。
アジニアでは間違いなく大罪であり、例えクヴェラに拉致されたとしても救出に軍が動くはずもない。
なのに、ナロンは軍の手先がスラムに現れたと言う。
「川口親子とは別口なのかねぇ」
捕虜の見張りを他のメンバーと交代した達朗は食堂で落ち着く。
クライヴは一緒ではない。
ナロンが戻っていると知った途端、また外へ出ていったようだ。
榊も自室へ戻っていき、今は別のメンバーと雑談に興じている。
「ここんとこ目立ちすぎたってのが原因かもな」
雑炊をすすりながら、そう想定したのは達朗と同じ一般兵の宮古だ。
「ま、一般領で暴れりゃ〜目立って当たり前なんだが。やりすぎなんだよ」
「けど、ナロンが」
「それだがよ」
宮古は食べ終えた椀を机に置いて、そっと奥を見やる真似をする。
「一般領で暴れるってのは、ホントにクヴェラの方針なのかねぇ?んなことすりゃ軍が鎮圧に出向くのは馬鹿でも予想できる展開だろ。あいつら、マジで血も涙もない制裁するって言うじゃねーか。もう抜けようかどうしようか悩んでんだけど」
「まぁ、方向性が気に入らなきゃ抜けるのもアリだわな」と一応は同意した上で、達朗も聞き返す。
「けど、ここ抜けたら生活に困るんじゃないの?質素な暮らしに戻れるワケ?お前」
「それだよ」
カツ、カツと箸で椀の底を叩いて宮古がぼやく。
「一度ゼータク味わっちまうとねぇ。だから抜けらんなくて、そっちでも悩んでいるっての」
クヴェラに所属している限り、三食屋根つき生活に困らない。嫌な雑用さえ我慢できれば。
嫌な雑用というのが、先程宮古の言っていた一般領への無断侵入だ。
アジニアに産まれた者なら、アスラーダ軍に逆らうのは死に直結すると最初に教え込まれる。
異なる区域との交流はできても移住は軍を通さないと不可能、そして許可が降りるのは稀も稀、まずないと見ていい。
そのくせ財力が落ちると、下の区域へ強制移住させられる。
貴族領に住む人々ですら軍に逆らう権利を与えられておらず、全区域の住民が奴隷のような立場であった。
そうした支配下にあった人々がクヴェラの甘言に誑かされるのは当然の成り行きで、しかし、いざ軍と直接対決と言われたら、宮古のように尻込みする一般兵も多かろう。
一般人とは異なり、軍人は相応の武術訓練を受けている上、おまけに民間では絶対に許可の降りない銃まで所持している。
鉄パイプやナックルで抵抗したって、虫けらのように殺されるのは目に見えている。
軍とは戦いたくない。
さりとて、今の生活も失いたくない。
両者に挟まれて、身動きの取れなくなった一般兵の多いこと。
こんな状態で軍の先兵に突っ込んでこられたら、戦い以前の問題だ。
「ま、いざ戦いが始まったらギア適合者に全部おまかせして、俺らは部屋で震えてましょっか」
楽天的な達朗を疎ましそうに一瞥し、宮古は深い溜息を漏らす。
「そうさせてくれりゃ〜いいんだけど、俺達も引きずり出しそうな人が約一名いっからなぁ」
ギアの適合者で血気盛んというと誰だ?ナサーシャだろうか。
だが、彼女が一般兵を戦場に引きずり出す確率は極めて低いと予想できる。
彼女は、どちらかというとスラム住民に同情しているような面が見受けられた。
クヴェラの総本山がどこにあるのかは判らずとも、アジニアが他都市から見て異常な管理体制にあるのだというのは、彼女たちを観察していると、よく分かる。
悪さをしても説教やデコピンで済ませる上司など初めて見た。良くも悪くも部下に寛大だ。
これがアスラーダ軍だったら数日謹慎の上、除隊。さらに下の区域層への強制移住も覚悟せねばなるまい。
スラム住民へ同情しているのはアイグランもだ。
聞くところによると、入信者全てに住処や食事の提供を指示したのは彼だという噂だ。
ここが酷い状況であると判った上で、やってきたのだ。情報収集の手駒、或いは騒動の囮とするために。
ただ、そうした思惑にアイグランやナサーシャは関わっていなさそうに伺える。
そればかりか、ナロンとの連携も上手くいっていなさそうなのが気にかかる。
総本山の意図がアスラーダ軍の調査にあるとして、それを踏まえて行動しているのは、もしやナロンだけなのでは?
と、達朗は推測する。
ふと机に影が落ちたので、何気なく二人は背後を振り返る。
一般兵の誰かが雑談に混ざりたくて近づいてきたのだと思ったのだが、違った。
「なにか、お悩みのようですが、如何致しましたか?」
宮古の口元が、げっとでも言いたそうな形で固まる。
慌てて達朗が場を取り繕った。
「い、いえ、軍の手先が攻めてきたら怖いな〜って話をしていただけでして……ヘヘッ」
「彼らはまず、この場所を探り出そうとするでしょう。それを阻止するのも、あなた方の役目です」
背後にいたのは藍色の袈裟に身を包んだ坊主――ではなくクヴェラ幹部の一人、ジャスパであった。
彼の情報は驚くほど少ない。一般兵で彼をよく知る者が、ほとんどいないせいだ。
ギアの適合者ではあるものの、普段どこで何をしているのかはクライヴ以上に不明である。
彼の下につけられた部下、宮古がまさにそれなのだが、その部下でもジャスパのことは深く知り得ていない。
それでも聞かれちゃヤバイぐらいの認識は宮古にもあったようで、達朗は内心舌打ちした。
こいつか。こいつが一般兵を戦場に連れていきそうな適合者だと、宮古は踏んでいるわけか。
こうして話している分には物静かで、血気盛んからは程遠い印象を抱くのだが……
「判っています。連中には、実際どう対処すればいいでしょうか?」
下腰で尋ねる達朗に「彼らが情報を求めているのであれば簡単です。せいぜい撹乱しておやりなさい」と言い残して去っていく後ろ姿を見送りながら、宮古がぼやく。
「あ〜、やだなー。あの人やる気満々だよ。こりゃゼッテェ俺等が妨害役になるフラグじゃねぇか」
「やる気満々なんだ?あれ」
「そうだよ。あの人が興味を持ったら最後、俺等はこき使われる運命なんだ」
ブツブツぼやきながらも、やはりクヴェラを抜ける決心がつかないのか、宮古は自室へ戻っていった。
彼と別れた後も達朗は一人、食堂で考え込む。
アスラーダ軍の先兵は十中八九、ギアの適合者で間違いあるまい。
何人送り込まれたのかまでは定かではないが、そちらも大体の情報を掴んでおく必要はあろう。
クヴェラの適合者は、少なくとも四人いるのが判明している。
幹部の四人が、そうだ。入信初日に、そう紹介された。
それぞれが、どういった性能や見た目なのかは判っていない。
彼らがギアで戦わなきゃいけないほどの強敵が、ここスラムには存在しなかったせいだ。
だがクヴェラ本部の狙いが軍の持つギアだとすると、近いうちに戦闘を目にする機会が訪れる。
軍は必ず支部の場所を突き止めるだろう。
妨害は悪手だ、全てのスラム住民がクヴェラの味方ではないのだから。
スラムで聞き込みを始めた鬼島に判ったのは、ここの住民は二通りに分かれるといった点であった。
支部のあると思わしき場所情報は人によってバラバラだが、確実に嘘を教えてくる人間が混ざり込んでいる。
恐らくは具体的な場所を教えてきたほうが、クヴェラの関係者であろう。
クヴェラは全スラム民に歓迎されているわけではない。あからさまに嫌悪を示す住民もいた。
そうした住民のクヴェラ観は『居住で釣って奴隷のようにこき使う宗教』で一致しており、支部の場所を把握していない。
何故宗教なのか?と問えば、高いお布施を要求されるからだと返ってきた。
住居の対価じゃないのか?という伊原のツッコミにも、対価にしちゃ高すぎると返ってきて、高いお布施を払えた信者へのやっかみも含まれていると思われた。
「これまで、スラムの奴らはサ」
人気のない建物の影までやってきた辺りで、伊原が囁いた。
「上流から降りてくる残飯が主食だったんだ」
地下に張り巡らされた排水溝は一般領や貴族領とも繋がっており、そちらで捨てられた食べ物がスラムまで流れ着く。
飲料は雨水ないし汚水だ。
そのまま飲む者も多いと聞かされて、想像を絶する生活に鬼島は息を呑む。
スラムの住民は金を持たず、排水溝から流れてくる材木を組み立てた家らしき物の中で暮らしている。
排水溝を漁ると食べ物や材木の他にも、まだ着られる衣類や壊れた機械も手に入る。
排水溝がスラムの生活必需ラインといっても過言ではなかった。
だがクヴェラと名乗る団体がスラムに現れて以降、スラムの生活は一変した。
高額なれど金を払えば、住居のみならず一般領と同じ食生活にありつけるようになった。
「その高いお布施は、どうやって集めたんだ?」
首を傾げる鬼島に伊原は肩を竦める。
「初めの一歩は排水溝だ。捨てられた衣類のポケットにさ、たま〜に入ってんだよ、小銭が。そいつを溜め込んで、クヴェラに渡すんだ。んで、溝浚いするのが面倒な奴は持っていそうな奴から奪うこともある。お布施の額ってなぁ、明確に決まってるわけじゃねぇ。だからクヴェラに入った奴が一般領に侵入して奪ってきたのを、さらに他のやつが横取りするってパターンもあるな」
「さすが、お詳しいですね」と呟く深雪を一瞥し、「そりゃあ、ずっと住んでりゃ〜嫌でも覚えるっての」と伊原が締める。
ややあって、「スラム出身なのか!?」と叫んだ鬼島には、二人揃って「シィッ!」と制した。
「軍は全ての領土で適合者を探しています。伊原さんはスカウトでスラム領から、いらしたんですよ」
深雪に小声で教えられて、鬼島は伊原をマジマジと眺めた。
知らなかった。言われなきゃ一生気づかなかっただろう。
一般領の住民と大差ない、垢抜けたファッションだ。
なんせスラムの住民ときたら体臭まみれか泥まみれ、風化して色の抜けた服を来た人々ばかりなのだから。
下水溝から拾ったにしても洗濯はしないのかと鬼島が問うと、ここじゃ洗う水の確保ができないと伊原には一蹴される。
「俺が着てんのは、ぜーんぶ軍の配給品だよ。家も、まぁ、軍寮があっから問題なしってね。とにかくさ、こんな贅沢一度でも受けちまったら、もうスラムの生活にゃ戻れねぇ。そいつはクヴェラに入信した奴らも同じだろうぜ」
明確に教えてもらった場所は全て空振りに終わり、クヴェラの連中が情報撹乱しようとしているのは疑うべくもない。
問題は、誰がそうなのか区別のしようもない点。
これまでに聴き込んだ住民は誰一人として、垢抜けた格好の者がいなかった。
「人は嘘をつく時、できるだけ真実から遠のいた情報を教えるといいます。従って、これまでの場所情報提供に出てきていないポイントを虱潰しに探してみましょう」
深雪がマッピングしたスラム街の手製地図に探した場所を次々書き込んでいき、やがて探していない場所が一箇所に絞られる。
ゲートから見て南西、奥まった壁の突き当り近辺だ。
ここにあるといった情報は一つも聞いていない。探してみる価値はあるだろう。
「よし、いってみよう」
鬼島たちは大通りには出ず、常に建物の影に入る小道を頼りに南西へと向かう。
彼らを監視する何者かが通信機越しに「撹乱は失敗しました。奴らは支部へ向かっています」と報告するのにも、全く気づかずに――
-つづく-