クヴェラ・アジニア支部、その奥にある研究ルームにて。
「ぎゃあぁぁぁっっ!?」
野太い男の叫びが木霊する。
「ど、どうした榊!」
傍らの髭モジャが、引っくりこけた若い男を助け起こす。
榊と呼ばれた若い男は目の前を指さして、泡食う勢いで叫び返した。
「こ、こっこっ、こいつ!こいつ、女じゃねぇ!キンタマついてやがるッ」
「あ〜ん?」
二人の前に大人しく座るのは、巫女姿の女性――ではなく、榊の発言を信用するのであれば、男性。
長い茶髪を後ろで一束目にまとめ、芯の強そうな瞳は真っ直ぐ榊を見つめている。
「……身体検査は、もう終わりですか?」
とても男だとは思えない高い声色で尋ねた。
まだ年若く、少年と青年の境目に見えなくもない。
髭モジャは上から下まで彼を眺め回し、感嘆の溜息をもらす。
女装と呼ぶには完璧すぎる。仕草から物腰まで全てにおいて女だ、こいつは。
「ちくしょッ、道理で泣きも喚きも抵抗もしないはずだぜ!」
悔しがる榊を半分呆れ目で眺めながら、髭モジャは思案した。
何故、彼は女装しているのか。
市街の女子供がクヴェラの下っ端に誘拐拉致されたり暴行を受ける事件が多発している、この御時世に。
「おい達朗、なーに考え込んでんだよ!こいつぁ男だと判ったんだ、そんなら容赦なくブチのめしてやろうぜ」
キンタマショックから立ち直った榊が喚くも、すぐにリンチ制裁を止める声が入った。
「待て、無用な暴力は禁ずると言ったはずだ」
見ればアイグランが入ってきたところで、背後にはナサーシャの姿も見える。
二人とも大陸本部から送り込まれてきたクヴェラの幹部である。
榊と達朗が慌てて敬礼するのを横目に、アイグランの目が巫女少年に留まる。
「泣きも騒ぎもしない、か。観念したのか?」
少年は首を真横に振ると、じっとアイグランを見つめ返した。
「いいえ。ここへ来れば父を軍から匿える……そう、考えました」
「ほう、クヴェラを隠れ蓑にしようという魂胆だったか!そいつは恐れ入った」
アイグランに嘲笑されても、少年は眉一つ動かさない。
「あんたの親父の研究が、あたしらに悪用されるたぁ考えなかったのかい?」
ナサーシャに問われても、やはり真っ直ぐ彼女を見て答えた。
「アスラーダ軍に悪用されるのでしたら、貴方がたの研究材料になったほうがマシでしょう」
少年の父親こそは、ナロンが拉致を決めた原因でもあるリミテッド・ギア研究者に他ならない。
だが民間がギアの研究をするのは、どの都市でも禁じられている。いわば犯罪者だ。
川口親子は表向き神社を隠れ家にしていた。
しかし、巫女姿で出歩く息子が一般兵に捕らわれて、父親も素性を明かすまで追い詰められた。
「ほう?」と笑うのをやめたアイグランに目線で促されて、少年は思いの丈を吐き出した。
「……軍は建前上、防衛のためにリミテッド・ギアを開発していると公表しています。ですが、本当は違う。父の掴んだ情報によると、他都市へ攻め込む戦力にするつもりなのだと聞きました」
「あたしらが同じことをするとは」
「それも、思いました。ですが、貴方がたであればアスラーダ軍よりも被害を最小に抑えられるのでは……とも考えました」
少年は、ひどくアスラーダ軍を恐れている。
クヴェラよりも軍のほうが怖いと感じるとは、珍しいアジニア市民だ。
軍は市民の生活を支える支配者――というのが、アジニア市民が持つ一般認識のはずなのに。
「もしかして、あんたの親父さん」
何かを思いついたナサーシャが口にする間もなく、「ピンポーン、正解。
歳の頃は十代前半だろうか、やたら小さく背丈はアイグランの腰ほどもない。
ラフなTシャツに短パンと、見た目は、そこらにいる少年と大差ない。
「ナロン!あんた、それで親子共々拉致してきたってのかい?軍を脱走した研究者なんて厄介者にしかならないじゃないか!」
うつむく巫女少年の顎を掴んで上を向かせると、ナロンは意地悪く笑う。
「君の魂胆は透けて見えるよ。僕らに父親を拉致させて、ここを襲撃させる建前を与えようっていうんだろ?だから、そんな目立つ格好で僕らをおびき寄せたんだ。ここまでは、まんまと君に嵌められた。お見事だったね」
「え?」「何を?」と、意味が解らず動揺する仲間を背に、なおも問い詰める。
「けど、残念でした。今から、こちらへ軍の偵察がやってくる。三つ巴になったら、君のお仲間も簡単には君を救い出せないよ」
「軍の偵察だってぇ!?」
今度こそ意味が通じたのか、ナサーシャが大声で叫ぶ。
「あんた、どうしてそれが」「超能力で視たのか」
同時に問われた二つの疑問へナロンは頷いた。
「うん。こっちの狙い通りにギア所持者を送り込んできた。ここからが本番ってわけ。で――クライヴお兄ちゃんは?」
「お前でも探せないのか?」とアイグランに尋ねられ、ナロンは肩を竦める。
「僕に視えるのは未来だけだから、ね。今、誰が何処にいるのかは見えないよ」
ナロンの持つ能力は予知であり千里眼ではない。超能力と一口に言っても、けして万能の神ではないのだ。
「それより救助って」と幹部の会話へ割り込んだ達朗をジロリと睨み、アイグランが続きを問う。
「そうだ、救助とは何だ?川口博士を助けに義勇の市民が現れるというのか」
「義勇っていうか」
どこか小馬鹿にした調子でナロンが言う。
「川口 託麻は、世にも珍しい民間研究者だからね。彼を欲しがる人は僕達だけじゃないってことさ」
託麻の息子、川口 真琴は無言で様子を伺った。
彼らの話を聞くに目の前の少年ナロンは超能力者のようだ。
しかし、能力で看破したにしては情報が断片的である。
能力を持ってしても、救援者が何処の組織なのかまでは判らなかったらしい。
一体誰が助けに来るというのか。全く心当たりがない。
救助されるというのなら、それに賭けてみるのも手の一つか。
どう転ぶにせよ、アスラーダに身柄を拘束される以上の不幸は、そうそうあるまい。
ナロンと幹部二人が部屋を出ていった後、緊張から解き放たれた榊と達朗は同時に大きく息を吐く。
クヴェラがスラム領に現れたのは、そう昔ではない。
ある日突然、見知らぬ人間が大勢増えた。
アジニアは壁で一面を囲まれた都市だ。
他都市から入り込むには港に入った上で一般領とのゲートを通過するしかないはずなのに、とても軍に許可されたとは思えない大人数でスラムに現れたのだ。
彼らは幼い少年ナロンをリーダーとし、寄付金を要求する見返りとして一般領への無断侵入手段を授けると言った。
てっきりゲート通行証を偽造するのかと思いきや、超能力を用いて直接一般領へ送ると言う。
最初は誰もが信じなかった。
超能力者なんてのは全部エンターテインメントが生み出した偶像だと、高を括っていた。
だが、興味本位で寄付金を渡した住民の一人が瞬間移動で一般領を往復してからというもの、お布施をする住民は一気に増える。
榊も、その一人だ。
生まれてずっとスラム以外の場所を知らなかった彼は、初めて一般領へ足を踏み入れて、自分が如何に差別されていたのかを知る。
この都市を支配するアスラーダ軍への憎しみが高まった。
だから、クヴェラへの参加を求められた時には迷わず頷いていた。
クヴェラの一般兵となった彼に与えられた仕事は、同志集めと一般領での略奪行為だった。
略奪はスラム領を一般領並の生活水準にするのが目的だとナロンに語られて、素直に信じた。
なにをするにも軍の手助けが必要で、しかし軍が助けてくれる兆しも伺えず、スラムに生まれた者は蛆虫が如く生活を強いられて、ゴミのように死んでいくのが常であった。
住民の心は荒み、盗みや殺人、裏切りが日常茶飯事だった区域に、クヴェラは光明を差し込んでくれたのだ。
略奪行為でクヴェラの存在は一般領にも伝わり、向こうでの嫌われ者になったが、自分に与えられなかった贅沢が日常だった奴らに同情なんぞ沸く訳がない。
むしろ、せいせいする。喜んで奪略を行ったし、歯向かう一般民に暴力をふるうのだって良心の咎は一切ない。
それは共に捕虜の見張りに立つ達朗だって同じだろうと、榊はチラリ相方を見やる。
達朗もスラム生まれだと本人が言っていた。クヴェラには進んで自分から入信したそうだ。
スラム住民は二通りあり、一つは税を払えない無職の貧乏がスラムへ強制移住させられる没落一般民一世。
もう一つは、その親がスラムで産み落とした二世だ。
二世は例え、どんなに財を築いたとしても、それは奪った財であり、軍に見つかり次第、全てを没収される。
一般民がスラムに落とされることはあっても、逆はない。スラムの住民は一生スラム暮らしだ。
どん底の暮らしから這い上がるためなら、悪役にだってなってやる。クヴェラの唱える提案に人生を賭けた。
「ったく、急に現れっから心臓に悪いぜ、あのオヤジはよ」
榊がぶぅこら愚痴垂れるのは、支部ナンバー2の幹部アイグランのことだ。
なんでもありな組織において唯一の良心とでもいうのか、アジニア市民に無体を行う一般兵への態度が辛辣だ。
口頭注意は、まだいいほうで、ときには暴力制裁や強制排除にも出るので、一部の一般兵には大層評判が悪い。
支部リーダーのナロンが良いと言っているのだ。一般民への暴力行為を。
ナンバー1と2で意見が食い違うのは、こちらも動きにくいので勘弁して欲しい。
だが、どれだけ不人気であろうとアイグランの立ち位置は不動のナンバー2だ。
なんせ彼はギアの適合者だ。加えて生身での戦いも慣れている。
巨体から繰り出される双斧の猛攻をかわしきれる一般兵など、未だ一人も出ていない。
本人曰く、古きインディアンの血を引く一族らしい。本当かどうかは調べようもないのだが。
「ナサーシャさんみたいに、メッ!って叱るだけなら、いいのになぁ」
格好を崩した達朗におどけられて、榊も調子を併せる。
「そうそう、ナサーシャさんにだったら、いくらだって叱られてぇぜ。あんなデカブツオヤジじゃなくて」
幹部の順位でいうと彼女は、さしずめナンバー4だろうか。
ナサーシャもギアの適合者だ。
だが、彼女の長所は戦闘力ではない。
いつもは気が荒く怒鳴っている印象の強い彼女が優しい声色で顎を撫でてきたりしたら、あの見えそうで見えないスケスケ衣装で隠されたナイスバディにしっかと抱きつかれたら、抗える男なんか、この世にいないんじゃないかと榊は鼻の下を伸ばした。
いや――確実に一人、いるか。
扉が開き、続けて入り込む悪臭に榊は鼻を摘む。
入ってきたのは黒髪の男だ。
細身で髪の毛はボサボサ、背が高い。
顔半分に布を巻きつけているが、それよりも何よりも、彼が入ってきた途端、部屋中に悪臭が充満する。
「達朗、ここにいたのかよ。探しちまった」
ぽつりと呟く青年に「や、ここの見張りを命じられたんだよ、
かと思うと、なんの前触れもなく真琴の顔面を蹴り飛ばすもんだから、榊と達朗の二人は泡を食う。
「ちょ、クライヴお前、何してくれちゃってんのォ!?」
「そいつは人質だぜ!丁重に扱えって、さっきアイグランさんに命じられたばっかだってーのに乱暴するんじゃねぇ!」
二人がかりの非難も何のその、クライヴは真琴を睨みつけて吐き捨てた。
「気に入らねェ。こいつ、俺が近づいた途端カオしかめやがった」
「そりゃ〜市街のお嬢さん、じゃなくてオカマ野郎だって、お前の匂いはキッツイだろーよ」と言っている榊も、しっかり鼻を摘んでいるしで、達朗は内心苦笑する。
クライヴの放つ匂いは体臭だ。
何ヶ月風呂に入らなかったら、こんな匂いになるのかという公害レベルの悪臭だ。
鼻を摘んでも、鼻腔に入り込んでくる匂いを完全には防げないだろう。
せっかく顔はイケメンなのに、匂いのせいで全てが台無しだ。
尤も、彼が自分の見栄えを気にしているようにも見えなかった。
顔半分に巻きつけた布も、今、彼が着ている服と同じぐらいには薄汚れている。
クライヴもスラムで生まれた二世だ。親の顔は知らない。
気がついたらクヴェラに転がり込んできており、お布施を払ったのか否かは非常に怪しい。
だが、これだけ周囲に迷惑を振りまいている奴でも、けして追い出されたりしない。
何故なら、クライヴもギアの適合者だからだ。
リミテッド・ギアの適合者は、戦力を持つ組織で重宝される。それは、ここクヴェラでも変わらない。
支部に送り込まれた幹部も含めて、全員が適合者だ。
これだけの人数を一箇所に集めて、まさか本当にスラム領の生活向上だけが目的ではあるまい。
そうだ、ナロンも先ほど、ぽろりと漏らしていたじゃないか。
『アスラーダ軍は、こちらの狙い通りにギア所持者を送り込んできた』と。
達朗は鼻を摘みながらクライヴと榊、それから真琴を油断なく眺めつつ、ポケットの中に潜ませた通信機を握りしめた――
-つづく-