Limited

act3 スラム領

大地は突如水没したわけではない。
じわじわと、だが確実に大地は海に飲み込まれていったのだ。
地球上から大地が失われて国家が事実上消滅した、あの日――
人類は新たな年号Aqua Centuryを受け入れて、水上に浮かぶ、それぞれの都市へ移り住んだ。

アジニアより遠く離れた東、かつてアメリカ大陸があった場所に位置する水上都市の名はノビスビルクという。
住民の多くはアメリカ人をルーツに持つが、現在の統治者は日本人の血を引く者であった。
彼は初めからノビスビルクにいたのではない。
とある理由でアジニアを追放されて、流れ着いた先が此処だった。
ノビスビルクは傷ついた彼を暖かく迎え入れ、やがて彼の理想に共感するものが増えていった。
彼の理想――それは、自由と平和だ。
人類が永遠に求めてやまない理想を掲げる彼をリーダーとして、結成されたのが『ユニオン』という組織であった。
やがてノビスビルクを拠点に、ユニオンは各都市への潜入を測る。
彼らの理想、自由と平和を他都市へも伝えるために――


一般領からスラム領へ抜けた鬼島の第一感想は、汚い――その一言に尽きた。
初めて入ったスラム領はゲートからして錆びついており、無愛想な係員に封筒を引ったくられるようにして通過した。
舗装されていないデコボコな道など初めて見たし、住宅全てが一階建ての平屋だ。
しかも、壁は板張り。壁に穴の空いていない家を探すほうが難しい。
道には誰かの吐瀉物や煙草の吸い殻、排泄物まで落ちていて、それらを踏まないように歩くのでさえ困難を極める。
一般領しか知らない鬼島には何から何まで別世界に見えて、戸惑いを覚える。ここは本当に同じ都市内なのであろうか?
「あまりキョロキョロしませんよう。怪しまれてしまいますよ、隊長」
深雪に、そっと囁かれて、鬼島は「隊長?」と聞き返す。
すぐさま「何驚いてんだっつの」と伊原にチョップされ、「あいたっ!」と大声をあげる鬼島共々、深雪が軽く睨みつける。
「伊原さんも目立つ行動をしないでくださいっ。まったく、もう……」
仕方なし、もう一度小声で「俺が隊長なのか?」と伊原に尋ねれば、彼には眉をひそめられた。
「そうだよ。オメーが隊長だって、獅子塚のオッサンも言ってただろーが」
そういや出掛けに獅子塚が何か言っていたようにも思うが、あまりにも緊張していたため聞き逃してしまった。
それにしても、一番最後に入った自分が隊長とは解せない采配だ。
だが伊原や深雪は納得しているようであり、独りで異議を唱えても虚しいばかりだ。
ここアジニアのスラム領で鬼島達の為すべき任務は、ただ一つ。
クヴェラのアジニア支部、そのアジトを突き止めた上で壊滅させる。
口で言うのは簡単だが、鬼島の所属するクヴェラ対策部署ASURAは生粋の軍人ではない。
全員民間人であり、特別な訓練を施されたわけでもなく、戦闘慣れしているとも思えない三人組だ。
武器と呼べるのはリミテッドギアなる未知の道具のみ。
しかし内心怯える鬼島と比べたら、三森と伊原は堂々としている。
「ほら、また挙動不審になっている。隊長、そんなに怯えずとも大丈夫ですよ」と深雪が言うので、鬼島も言い返す。
「どうして三森さんは、そんなに落ち着いていられるんだ?」
「あら、だってギアに勝てる生身の人間なんていませんもの」
深雪は朗らかに笑い、その横を歩く伊原も頷く。
「テッペイちゃんが来るまでの間にテストで慣らし装着やってたんだよ、俺ら。ギアってのは攻防揃った鎧みたいなもんでな、まぁ〜鉄パイプで殴られた程度じゃビクともせんわなぁ」
軍属研究者の受け売りだとした上で伊原が言うには、リミテッドギアは強度と打撃力にウェイトを置いた装備品で、戦闘の素人だろうと問題なく扱えるように調整してあるのだという。
ギア一つで戦車何十台もの戦力に匹敵すると言われ、しかし鬼島には不安も残る。
もしクヴェラ側がギアを大量に持っていたら、どうなる?
「オメー、そりゃ素人考えってもんだ。リミテッドギアってのは、ホイホイ量産できるもんじゃねーからよ」
伊原は、いとも簡単に鬼島の不安を笑い飛ばした。
戦闘の素人にも扱えるよう調整してあるが、ギアには一つの問題点がある。
それが『適合』だ。ギアとの相性が悪いと装着すら発動しない。
このデメリットが改善されない限り量産は無理だし、量産できないからこそアスラーダ軍も三体しか所持していない。
ではクヴェラで量産が可能だとしたら?といった更なる疑問も、伊原は一笑に付す。
「設備を整えられる組織ならともかくも、だ。民間人の集まりなクヴェラに大量生産できる技術があると思うか?」
そうは言われても、全体の規模も総本山のリーダーが誰なのかも鬼島は知らない。
それは同じ民間人だった伊原や深雪も同じはずなのだが、二人は大量生産がありえない想定で話を進めている。
なおも訝しむ鬼島に、伊原が言う。
「だぁ〜いじょうぶだってぇの!んなもんがスラムにあったら、とっくに軍が気づいてんだろうが。見つかってねぇってのは、大量までは生産できねぇってこったろ。本部にゃあるかもしんねーが、支部まで回す数はないと見ていいんじゃねーの」
どこまでも楽観的な伊原、そして彼と同意見なのか口を挟んでこない深雪を交互に見比べて、鬼島は溜息をつく。
この二人と話していても埒が明かない。もっと上の人間、獅子塚に聞くべきだ。
今の任務は、きっと長期戦になる。居場所を突き止めても、ハイ突入とはいくまい。
実際の規模も判らない相手と戦うのは危険だ。
いくらギアが頑丈といえど、同じく頑丈なギアを大量にぶつけられたら苦戦も免れまい。


鬼島がゲート付近で落胆していた頃――
スラム領の奥にあるクヴェラのアジニア支部では、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「なんだってぇ!?また馬鹿なことをしでかしておくれじゃないか、ナロンの奴っ」
声を張り上げて廊下を歩いていくのは、紫のヴェールで顔半分を隠し、露出の高い服に身を包んだ女性だ。
何を怒っているのかといえば本日の午前中、布教活動だとか抜かして一般領へ出向いた連中が、一般領から研究者の親子を誘拐してきたというのだ。
地元民と揉め事を起こすなと本部には厳重に言い渡されているってのに、これである。
怒るなというほうが無理ってものだ。
しかも、しかもだ。ナロンは支部を預かるリーダーではないか。
リーダー自ら規約を守らないってんじゃ、他の者への示しがつかない。
実際、下の方は動きに乱れが出ている。一般領で暴れる下っ端も複数名おり、幹部が全てを把握しきれていない。
それもこれも、一気にメンバーを増やしすぎたのが原因だ。
ナロンはお布施と引き換えに、住民に無法を与えた。今やスラム領全住民がクヴェラメンバーといっても過言ではない。
クヴェラの掲げる理想は、束縛からの解放である。
そいつが軍組織の指揮下に置かれたアニジア住民の心に、よほど響いたと見える。
元々スラム領はアニジアの掃き溜めといっても過言ではない区域で、ここだけ他二つと比べて退廃しているのは、軍にも見捨てられた人々が最後に流れ着く場所として設定されているせいだろう。
電気は通らず、水道設備もない。人として最低限の生活すら保障されていない。
だからこそ本部は、ここにクヴェラ支部を構えると決めたのだ。
住民を取り込むことで、いずれはアスラーダ軍を壊滅し、アジニアをクヴェラの領土に塗り替える。
ぐるり四方を鋼鉄の壁に阻まれたアジニアへ潜入するのは容易かった。
ナロン、あいつの『力』――サイオニックを使って、少しずつ人員を送り込んだのである。
ナロンは先天性な超能力者だ。
まだ十一歳と若輩なれど、瞬間移動と念動破壊を使いこなす。
支部設立は彼の能力を試す実験的な要素も兼ねていた。
いずれはクヴェラ本部のリーダーに据え置く計画があるのかもしれない。
彼を化物と蔑むメンバーもいないではなかったが、表に出して罵れるほどの勇気ある者はおらず、違反行為を窘められる者もおらず。
ナロンは最早やりたい放題だ。ここ支部に置いては。
彼のお目付け役として同行した幹部は四名。
その内の一人であるナサーシャは、ずんずん廊下を歩いていって、突き当りの扉を乱暴に開け放つ。
「ちょいと、アイグラン!またナロンのやつが勝手しているじゃないかッ。あんた、ナンバー2を気取っているんだったら、なんとかしておしよ」
読みかけの本を置いて、褐色の大男が席を立つ。
「ナンバー2を気取った覚えはないが……ナロンのことはクライヴに任せておけ。奴に一番懐いているのだからな」
「あんな奴に任せられるかってんだ!第一、あいつが何処に行ったか、あんた知ってんのかい?」
「部屋にいないのか?ふむ……また出かけたのか」
「また!?ってぇ事は、何かい?あいつぁ一日中どっかをほっつき歩いているってのか!」
ナサーシャのキンキン声は廊下の隅々まで響き渡り、何事かと下っ端が扉の向こうから覗き込む中、アイグランは癇癪持ちな同志にヤレヤレと首を振る。
本部にお目付け役だと煽てられたのが、それほど嬉しかったのか、この女ときたら四六時中ナロンを束縛したがるから困ったものだ。
ナロンは、ある程度自由に動かして良いと本部の総リーダーからも命じられている。
できるだけ混乱に混乱を重ねたほうが、本来の目的を達成しやすい。
鋼鉄の壁に守られたアスラーダ軍、彼らの主戦力と噂されるギアを引っ張り出すのが、スラムに支部を建てた本当の目的であった。
思想だの何だのは所詮建前であり、現地人の目をごまかす煙幕に過ぎない。
その煙幕で多少メンバーが増えすぎたのはアイグランにとっても誤算だったが、いざとなれば盾にもできる人員だ。
後ろをついてくるナサーシャを適当にあしらいながら、ナロンが拉致してきたという研究者を見物しに研究ルームへ向かった。


-つづく-


24/09/25 update

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