――その襲撃は夜半、予期せぬ時刻に発生した。
アスラーダ軍本部ビルの四十二階が突如爆破に見舞われ、警備にあたっていた軍人が対応したものの、まんまと侵入者には逃げられたばかりか、監視対象にあった川口親子まで連れ去られた。
鬼島が事件の顛末を知らされたのは翌日、ことが全て終わった後でだ。
侵入者は歳の頃、十代半ばと思わしき容姿で、ほっそりした金髪の少年だという。
監視室の扉を鍵ごと破壊して要人を連れ出した後は、駆けつけた軍人へ手榴弾を投げつけ、窓から脱出した。
川口親子を奪還しにくるとなるとユニオンの手勢だろうか。
現場対応した軍人の話だと、リミテッドギアは確認できなかった。
不審者は、あくまでも一人で乗り込み、二人もの足手まといを抱えて逃げ去ったことになる。
「手榴弾って何ですか?」と首を傾げる鬼島に、伊原が肩を竦める。
「知らねぇのかよ、テッペイちゃん。小型の爆弾だよ」
「そんなもの、どうやって入手するんだ?」との質問にも、「さぁね、他の都市で買えるんじゃないの?」と返してきた。
「他都市で入手したとしても、入口の金属探知機に引っかからず内部侵入できたのは不思議です……」
考え込む深雪に、獅子塚が後追いで情報を追加する。
「そもそも外部の人間が、どうやって四十二階に入り込んだのか。これは侵入経路も絞れない、摩訶不思議な無断侵入なのだよ」
入口には金属探知機の他に警備も立っている。
軍人でも一旦足止めされて、身分証明を求められるのだ。となれば、彼らが入り込んだのは入口ではない。
さりとて非常階段は三十階より上に伸びておらず、窓から侵入するにはヘリなどの大掛かりな乗り物が必要となろう。
そこまでの騒音を立てられれば、ビル内にいる軍人が気づかないはずもない。
扉が爆破された直後まで、誰も侵入に気づかなかった。
「……内部犯行という可能性は?」
そろりと深雪に尋ねられて、獅子塚は「それも並行で調べているが……手引をするメリットが判らんな」と答えた。
「窓から出た後、どうなったんですか?」との鬼島の問いにも「窓の外に小型の飛行機が待機していたんだ。こいつも、いつ窓際に空中待機していたのかが誰にも判らんときた」と答え、獅子塚は悩ましげに溜息を吐く。
飛行機は西の空へ消えていき、ゲートの壁付近でパッと消えた。
「消えたぁ?」と声を荒げる伊原へ頷くと、獅子塚が繰り返す。
「そうなんだ。目の錯覚かと何度も目を擦ったが、飛行機は誰の眼にも見えなくなってしまったというんだな」
侵入者は突如四十二階に姿を現し、用意周到に外で待機させてあった飛行機へ飛び乗り、要人ごと霞のように消えてしまった。
到底信じられない報告だ。
しかし、一連の出来事を目撃した軍人は一人や二人ではない。
ふと、鬼島の脳裏に浮かんだのは市街で見た金髪の少年で、ぽつりと「もしかして、クヴェラが……?」と呟くのは獅子塚にも聴き取られて、ガッシと両手を握られる。
「そうだ、ナロンの超能力とやらなら、或いは可能かもしれない。実はクヴェラの犯行ではないかとの推測もあがっているのだ!」
「超能力だぁ〜?獅子塚さん、まさかユニオンの連中が言っていた戯言を本気で信じてるんですかい?」
呆れきった顔で伊原が突っ込む。
ユニオンの連中――正しくは後援会の日下部が言っていたのだが、クヴェラに所属するナロンという子どもは超能力者であるという。
能力はパイロキネシス、テレパシー、フォアサイト、サイコキネシスだとの噂が、ネットを中心に回っているそうだ。
鬼島は、ちらりとしか姿を見ていないが、ナロンは小学生ぐらいの少年だった。
とても、そんなオカルティックな能力を持っていそうには見えなかった。
ずっと他都市にいたのであろう少年の噂が、アジニアの民間ネットワークで広がっているというのも不思議だ。
誰かが興味本位で流したのか、それともクヴェラのお膝元であるニアイーストからの移住者が流した情報なのか。
その噂を広める意図は?考えれば考えるほど訳が判らなくなってくる。
だが、超能力――というオカルティックに胡散臭い能力が本当にあるとすれば、パッと消えてしまった飛行機の謎も解ける気がする。
「今、追いかけられそうな問題は連れ去られた川口親子の行方ですね」
深雪の声で鬼島は我に返る。
「ウム。そちらも諜報員が追尾中だ。何か分かり次第、諸君らにも教えよう」
「あ、俺らの次の出撃はいつですかい」
報告の終わりついでとばかりに伊原が尋ね、獅子塚は「今のところは何もない。しっかり特訓に励んでくれたまえ」と笑顔で答え、部屋を出ていった。
「また待機かよ。あ〜、こうも訓練ばっかじゃ飽きてくるよなぁ」
ぶちぶち文句を垂れる伊原を横目に、深雪が鬼島へ先ほどの話題の続きを振ってくる。
「諜報員が追尾と言っていましたけど、何をどうやって追尾するつもりなんでしょう?だって飛行機は消えてしまったし、侵入経路も判っていないんですよね」
聞かれたって、彼女より手持ちの情報が少ない鬼島に判るわけもない。
「えーと……ノビスビルクやニアイーストへ入り込んでみる、とか?」
適当に言ってみら伊原には笑われた。
「かぁ〜、ちったぁ脳みそ使ってやれよ、テッペーちゃん。連中の本部に行ったって、何が判るんだっての」
「じゃあ、伊原さんには予想できるんですか?」と深雪に言い返され、伊原は「ユニオンは行方が知れない、となりゃあ入り込む先なんか一つっきゃねーでしょうが」と肩をすくめて結論づける。
「クヴェラ支部に潜り込んで、ナロンのアレコレを調べてるんでしょうさ。まぁ、あとは諜報員に期待しときましょ」
「……ふぅ、あと二十五万か。無駄遣いできんなぁ、こりゃあ」
壁を背に小柄な男が、手にした札束をパラパラめくる。
一枚たりとて無駄にできない軍資金だ。ここ、クヴェラで活動するにあたり。
暁 登。スラム生まれのスラム育ち。
ゲートを通る理由は、以前の襲撃で置いてけぼりをくらったので至急スラムへ戻りたい――
というのが、軍の手で作り出された彼の立ち位置だ。
勿論、本来の暁は生まれも育ちもスラムじゃない。
任務につき今回初めて入った、この区域は一言でいうと、人の住まう場所ではなかった。
なにしろ電気も水道もなければ、家すら確定しない。道路や空き地で寝起きしている人までいる有り様だ。
食事は用水路に生息する小動物や虫、そして廃棄物。
飲み水も用水路を流れる下水だってんだから、聞いているだけで腹の調子がおかしくなる。
それでも人が住んでいることに代わりなく、暁は感動してしまった。人類という種の逞しさに。
手持ちの軍資金は、ゲートを通る際に十万もふんだくられた。
二重ブロックになる前は数万で済んだという話なのに、無断で勝手に値上げするとは暴利にも程がある。
だが、仕方ない。スラム区域はアジニアにありながら治外法権、事を荒立てるわけにもいかない。
暁はスラム住民ではないから、当然住民登録もスラムではない。
それでも登録チェックを通過できたのは、彼がアスラーダの諜報員――如何様にでも偽装できる身であるおかげだ。
事前に先輩から聞いていた通り、ゲート員は全員軍人らしからぬ愛想と品性の持ち主になっていた。
各区域間のゲート工事を始めた前後で発覚したのだ。
スラムと一般領を繋ぐゲートだけ、以前勤めていたゲート員が一人残らずいなくなり、見知らぬ顔ぶれになっていたと。
彼らは工事員に何を尋ねられようと無視の一点張りで、とうとう軍内にスラム領の調査部門が立てられた。
暁の任務は、スラムの現状調査だ。川口親子の行方探しではない。
そちらは先輩諸氏が別口で動いているとのことで、関与できる権利を暁は持ち得ない。
もしクヴェラ内部で出会っても、他人として接せよと上からも重々命じられている。
そういった演技は苦手なのだが、任務についた以上、四の五の言っていられない。
自分の行動一つが全体の足引っ張りにならないよう、暁は改めて気を引き締める。
軍人になって日の浅い新米の暁がスラムの諜報員に選ばれたのには、理由があった。
十年前に突如消息を絶った諜報員、
伝説の諜報員とも呼ばれた彼は、ある日突然、任務の最中に姿をくらまして、それっきりとなった。
暁は吉良の、数少ない友人の一人だ。他の軍人よりは詳しく人となりを知っている。
正しくは父との近所間交流だが、父経由で暁も懇意にしてもらった。その縁での抜擢だ。
どれだけ整形で顔を変えていようと声帯を弄っていようと、彼の立ち振舞いやちょっとした仕草を覚えている。
会いさえすれば一目で看破できる自信があった。
吉良の行方探しは任務に含まれていない。
しかし、偶然の出会いを期待しているような節が上司には見受けられた。
スラムの現状をまとめた上で、クヴェラの全貌を暴き、吉良まで見つけられたら軍部での暁の立場も上昇しよう。
だが――何もかもをと欲張るのは危険だ。こと非武装の諜報員においては。
まずは物欲にまみれたチンピラを装いながら、クヴェラ幹部配下の下っ端兵になるのが第一目的だ。
軍資金を懐へねじ込むと、暁は己の脳内に浮かんだ一攫千金大スターの夢を封印する。
「よっし。まずはアイグランだったか、ナンバー1か2に会わなきゃな!」
窓ガラスを相手に「へっへっへ、よろしくおねがいしやすぜ旦那ぁ〜」と下卑た笑いの練習をしてから、クヴェラの支部へ向かった。
-つづく-