クライヴ曰く、クヴェラの面々がスラムへやってきたのは一年前。
今は沙流をリーダーと崇める旧グループ派と、クヴェラ所属のギア適合者に従う一派とで分かれている。
沙流は沙流でギア適合者に取り入って、上手いこと欲しい情報を引き出しているようだ。
「欲しい情報って?」と首を傾げる達朗にクライヴは「あいつはギアに興味があるんだ。スラム脱出用の武器にってんで」と答え、ついでとばかりに「俺にもすり寄ってきたんで無視してやった」と吐き捨てた。
「沙流さんとは、つきあい長いのか?」との質問にも首を真横に振って、「つきあってねぇよ」と不機嫌に答える。
仲間にならなくても動きを見張っていれば判るとのことで、しかしクライヴが他人を見張っていたとは達朗にはどうしても考えづらく、実際には観月がクヴェラ内を見張っており、得た情報をクライヴへ伝えているのだろう。
観月との関係についても尋ねたら、「向こうから接触してきたんだ」と答えた。
「俺が先生と暮らしてたのも知っていた。スラムについて調べたいんだったら観月に聞くといいぜ、俺より詳しく知っているし」
「その、観月さんと会うには、どうすれば?」
何度でも言うが、クヴェラ内部にいても全身黒ずくめの人物など見かけた覚えがない。
だというのにクライヴときたら「あ?いるだろうがよ、クヴェラん中に」と言うだけで、具体的な居場所を教えてくれない。
あるいは、彼も知らないのかもしれない。いつも向こうが一方的な接触をしてくるのであれば。
古賀以上に謎の人物だが、どこか他組織から送り込まれたスパイというのも考えられる。
達朗は後腐れなく軍部を脱出する代償として、とある組織のメンバーから古賀の追跡を請け負った。
そのメンバーが言うには古賀も軍の脱走者で、ギア開発で揉めた挙げ句の脱走だったそうだ。
古賀は人間の脳とギアの動きをリンクさせる技術に執心していた。
彼の残した情報を誰かに悪用される前に回収するのが達朗の役目だ。
引き受けた時から、この任務は困難なものになると予想できたが、断る術もなく、達朗はスラムへ潜り込む。
ほとんどの住民が古賀など知らないと答え、思った通り調査は難航した。
ただ一人、古賀を覚えていた住民がいて、そいつが教えてくれたのだ。古賀と懇意にしていた者の外見と名前を。
それがクライヴだ。彼の足取りを辿るうちにクヴェラ支部へと辿り着き、ここでも潜り込むまでは成功した。
クヴェラメンバーはスラム住民よりも口が堅く、情報を引き出すのには苦労した。
それでも昔、ここで火災があって多くの被害者が出たところまでは引き出せたのだ。
まさか、その火災が五年前という比較的近年だったと知ったのは今、クライヴによる情報提供のおかげである。
五年前まで、古賀は生きていた。ここスラムで。
達朗に追跡を頼んだメンバーの言い方だと、もう存命していないかのように感じたのだが、それ自体が達朗の勘違いだったのだ。
火災は沙流一派が起こしたんだとクライヴは言う。
ならば、沙流をあたれば古賀の痕跡を探し出せる?
いや、しかし沙流は達朗をも疑っているんだったか。接触するなら慎重にやらないと危険だ。
それよりは、観月に会ってみたい。彼なら沙流よりも詳しく、古賀について知っていそうな予感がする。
問題はクライヴですら、居場所を知らない点だ。おそらく他のクヴェラメンバーも認識していないのではと思われる。
軍の脱走者なら身元を隠すのは当然だし、広範囲を見張っているのはクヴェラに関する情報を探すスパイなのかもしれない。
クライヴに自分の目的を話すべきか否かについても、達朗は悩んだ。
最後の目撃者で親しい間柄なんだから話してもいいように思うが、ここスラムにおけるクライヴの立ち位置がイマイチ不明瞭だ。
スラム二世なのは判明している。先に古賀との同居を教えてくれた住民による情報で。
本人はクヴェラの総本山とは無関係だと言っていたが、彼にも下級兵士が配属されている以上、鵜呑みには出来ない。
これ以上のクヴェラに関する深い追求を避けて、再度、古賀と話した内容を思い出してほしいと頼んだ。
「先生はよ、ギアで世界を平和にするんだって言ってたぜ。世界を平和にしたいんだったら武器なんか捨てればいいって言ったら、それが一番の理想だけど、現実はそう上手くいかないんだって笑ってたな」
この会話をしたのは幾つぐらいだと問うと、古賀と知り合って間もない頃だと言う。
いつ古賀と知り合ったのかについても尋ねたら、五、六歳ぐらいだったかといった答えが返ってきて、軽く目眩を覚えた。
年端もいかない少年と接触したのは、やはり例の趣味が目的なのか。おまけに火災で死ぬまで同居していた。
その間、ギアの開発をしていたかどうかを問いても、クライヴの返事は明確ではなく「覚えてねぇ」の一点張りだ。
ここまで洗いざらい話したのに話せない部分があるのは、本当に知らない可能性が高い。
そりゃクライヴだって四六時中寝ないで一緒にいたわけではなかろうし、古賀の知らない面があるのは当たり前なのだが……
軍を脱走した理由と照らし合わせると、スラムで何の研究も行っていなかったと考えるのは腑に落ちない。
同居人にも見せなかった一面を知る者がいるとすれば、やはりそれは観月しかいなさそうである。
黒ずくめなのはクライヴと会う時だけかもしれない。
顔も本名も判らない相手を探すのは、古賀の痕跡を探すよりも困難だ。
今の段階で探索範囲を広げるのは危うい。
沙流も自分を見張っていると知った今は、下手な動きをセずに大人しくするべきだ。
――と、頭では判っていても、焦りが達朗の中にある。
本音を言うと、こんな怪しい活動は、さっさと終わりにして一般領へ紛れ込みたい。
貴族領に産まれたせいで当然のように軍の下っ端兵士へ起用されたが、一般領で平穏な暮らしをするのが達朗の夢であった。
軍を脱走する羽目になったのは、同僚を不慮の事故――取っ組み合いの喧嘩の末に殺したからだ。
殺すつもりはなかったのに、相手はタンスの角に後頭部をぶつけて動かなくなり、二度と目を開けることはなかった。
ここに留まっていては、問答無用で死刑になる。だから、逃げざるを得なくなった。
達朗の脱走を助けた組織のメンバーも、アスラーダ内部を調査するスパイの身であった。
彼とはゲートで別れたっきりだが、その後の安否が心配だ。軍は内通者を許さない。
いや、今は他人を心配している場合ではない。自分の身も危うくなっているんだった。
「達朗は先生がスラムでギアの研究をしていたと考えてんのか」
ずばり言い当てられて、動揺する達朗へクライヴが微笑む。
「だったら、まずは俺のギアを調べてみろよ。これ、先生が作ったんだ」
「え」
しばし固まりポカーンと佇む達朗へ衝撃の事実が伝えられる。
「さっき言っただろ、ギアで世界を平和にするって話。あれ、続きがあってよ。俺が言ったんだ。もしホントに平和に出来るんだったら俺が使ってやる、そいつで世界を平和にしてみせるって。したら、本当に作ってくれてよ……ちっと欠陥があるんだが、他のギアとも対等に戦えるし、上手くできたんじゃねーか?」
「けっ……かん?」
「あぁ。装着した時、関節部に隙間が空くんだ。そこを殴られたら分解するんじゃねーかって観月も言ってて、だから戦闘中は、どうしても防衛に回れなくて……まぁ、防衛してたって勝てるわけじゃねぇし、いいんだけどよ」
古賀が一人でギアを完成させていたなんて青天の霹靂、達朗には思いつきもしなかった。
だって機材は?材料は?クリアしなきゃいけない点が山積みじゃないか。
だが、もし、観月が裏で手伝っていたとしたら?出来ないことはないかもしれない。
なんせ幹部に気取られもせず、今以てなお、潜伏し続けていられる人物だ。
達朗がギアを見たって、何も判らないだろう。
だからといって、古賀の情報源としてクライヴごと連行する――のは、危険だ。向こうが。
やはり、いっぺんはっきりさせておかなきゃいけない。クライヴの立ち位置を。
「お前、本当に沙流さんの仲間でもクヴェラ本部との繋がりもないんだよな?」
急にシャキシャキしだした達朗に詰め寄られて呆気にとられたのも一瞬で、すぐにクライヴは顔を曇らせる。
「達朗……俺を疑ってんのか」
「え、いや、その」
「自分が一番怪しいくせによ……」とも突っ込まれて、達朗の額を汗がつたう。
クライヴを敵に回したって何のメリットもないのに、焦るあまり聞き方を間違えてしまった。
「お前こそ、どうなんだ。誰に頼まれて先生を調べてんだ?」
逆に聞き返されて、さぁ何と答えるべきか。
きっと、このやり取りも観月には何処かで見張られていよう。
クライヴには伝えなかった情報を、奴が掴んでいたら厄介だ。矛盾を指摘されること請け合いである。
沈黙すること、しばし。
痺れを切らしたクライヴが「まさかと思うが、アスラーダ……なのか?」と尋ねてくるのへは首を振り、達朗は答えてやった。
「違う。俺に依頼したのはバルファって組織だよ。表舞台には登場していない極秘の組織でね、正真正銘、武器を使わずして世界を平和へ導こうと考えている人々なんだ」
二人のやり取りを物陰越しに眺めていた影が、音もなく立ち去る。
やがて自分以外の気配が感じられない場所で立ち止まると、小型の通信機を懐から取り出した。
「TがCに正体をバラした」
通信機の向こう側で静かな声が応える。
『そうか。Tは限界かもしれないね。きみの手引で逃がしてあげられないかな』
「一般領へ?」
『うん』
「了解」
『それで……Tの正体を知ったCの反応は?』
「軍関係者ではないと判って安堵した様子だった」
『なるほど。ならTを殺したりしないね、よかった』
「元々杞憂だ。CはTに好意を抱いていると言ったはず。もう切るぞ」
『あ、うん。Tをよろしく。Sの動きには重々気をつけて』
通信を切り、観月は思案する。
達朗を逃がすなら迅速にやらねばならないが、沙流の監視をくぐり抜けてのゲート突破は難しい。
どうやっても強行突破になろうし、そうなると戦えない達朗のハンデが足引っ張りになる。
ゲート監視員の半数は、今や沙流に買収された。スラムへ入る時に使った手が使えない。
クライヴの協力を仰ぐのは無理だ。
なんせクライヴは古賀の代わりとして達朗を交流相手に選んだのだし、その彼が一般領へ逃げた後、二度と会えなくなると判ったら、協力するわけがない。
古賀が死ぬまで、クライヴは古賀にべったりな生活だった。
古賀が沙流の仲間に殺されたのだと観月に教えたのも、クライヴであった。
ただの思い込みではない。放火の現場を、彼は偶然目撃していた。
火は、あっという間に建物全体を燃やしつくし、中にいた人間を助け出すのは容易ではなかったそうだ。
火事が起きた時期には観月もスラムに潜伏していたが、その時点では、火災現場に古賀がいたとは知り得なかった。
古賀とは死ぬ前に一度も再会できず、人見知りの彼が何故、粗暴なスラム住民の集団に紛れ込んでいたのかが判らない。
最後の目撃者であるクライヴも、古賀がスラムへ来た理由を知らないと言った。
彼の本心を知る者は誰もいない。
親友の自分にさえ何も言わずに逃亡して、この世を去ってしまった。
達朗がスパイとして送り込まれてきたのを知った時は、危険だと感じた。
あのまま素人同然の調査を続けていたんじゃ、いずれ古賀のように事故で処理されるのは目に見えている。
余所者に排他的なのはアジニア人特有の気質であり、貴族とも一般とも変わらない。
すでに沙流は何かを感づいているようだし、達朗と接触するのは己の身をも危うくするが、顔見知りでなくても同じ組織に与する者として見捨てられない。
クライヴを使ってでもいい、どうにかして彼を安全な場所まで逃がしてやろう。
観月は考えをまとめると、クヴェラ支部へと戻っていった。
-つづく-