スラム領の一角に、手つかずの空き地がある。
正確には長く放置された廃屋で、いわくつきの土地だと噂される、所謂霊感スポットなんだそうだ。
達朗は、そういったものは当然信じていないから、崩れかかった入口を跨ぎ越し、廃屋へ入り込んでみる。
長く放置されていたにしては、家具が何一つ残っていない。
自分と同じように幽霊を信じていない人が、持っていってしまったのだろう。
そもそも家具があったかどうかも怪しい。
ここはスラム、一般や貴族の感覚で考えてはいけない。
残っているのは建物の外殻と、草ぼうぼうの庭――だったスペースのみだ。だから、空き地なのか。
こんな場所が好きだとは、古賀も変わっている。
否、ここに何の用事があったのかと考えれば、行き着く先は一つしかない。
ここに何かを隠した。その可能性にかけて、家探ししてみよう。
地面に目をこらし、盛り上がった場所や色の変わった場所はないかと探す達朗の背に声がかけられる。
「一人で出歩くのは危ないぜ、達朗」
「ひぃ!」
心臓が飛び出すんじゃないかってな悲鳴をあげて振り返ると、戸口に立っていたのはクライヴで「なぁんだ、脅かすなよ」と胸を撫で下ろす達朗のそばまで歩いてくると、クライヴが再度忠告してきた。
「沙流が、お前を付け狙っているって聞いたからよ。仲間だからって気を許すんじゃねーぞ」
「はへ?」
沙流とはナサーシャ配下の猿顔、いつも目をぎょろつかせている、あの小男で間違いなかろうが、そいつが何で自分を付け狙うのか。
いや、彼には以前から会わないかと誘われているが、こっちに利がないので、なんやかんやと理由をつけて断っていた。
そのせいで恨まれてしまったんだとしたら、誤解を解かねばなるまい。
仕方ない、今度誘われた時には会ってやるか。
それはそれとして、その噂をクライヴは誰から聞いたんだろう。
達朗以外に親しく話しかける人も、いなさそうなのに。
達朗の問いに「観月だよ」とクライヴが答える。
首を傾げる達朗に「クヴェラにいるだろ、覆面の黒ずくめがよ」ともクライヴには言われたが、とんと記憶にない。
覆面をつけていて全身黒ずくめなんてなったら、相当目立つ風貌なはずなのだが。
「誰の配下なんだ?」と尋ねたが、クライヴは視線をそらして「知るかよ」とのことで、あぁ、そうだ、彼にクヴェラの構成を尋ねるのは、尋ねるだけ無駄なのであった。
達朗より長くいるのに、クライヴが持つクヴェラの知識は驚くほど少ない。
彼の記憶にあるのは大半が先生――古賀 九浪との想い出に終始し、それでいて彼と話した内容は他愛ない雑談しか覚えていないというんだから、使えない。
古賀は何故、接触相手にクライヴを選んだんだろう。
ギア適合者だからか?
だとしても、当時クライヴは年端もいかない少年だったはずだ。
おまけに彼自身がギアに詳しくない。そんな子供と接触して何が得られるというのか。
「懐かしいな」と呟き、クライヴは廃屋の中央へ立つ。
ちょうど陽の光が差し込んでいて、スポットライトを浴びているかのように照らされる場所だ。
「ここへ足を運んでいたのは古賀博士だけじゃなかったんだ?」
ちらと達朗へ振り向き、「あぁ」と頷くと、どこか嬉しそうな顔でクライヴが続けた。
「俺も、よく来ていた。先生と一緒に」
「あ、じゃあさぁ、ここで博士が何か隠したりしたとか見てなかった!?」と勢い込んで尋ねれば、クライヴはポカンとして達朗を見つめた後、ややあってから首を真横にふる。
「いや、見てない」
「あ……そ、そうか」
「なんで、そんなもんが気になるんだ」とも尋ねられたが、達朗は曖昧に「いやー古賀博士を尊敬する人ならさ、なんでも知っておきたいんだよ」とごまかし、さらに追求する。
「それより博士と、ここで何をしていたんだ?やっぱ雑談?」
「まぁな」と頷き「達朗もこっち来いよ」と手招きされたので隣へ近づくと、クライヴは天井を見上げて古賀との想い出を語りだす。
「いろんなこと、話したな……先生が昔いたっていう研究所の話とか」
その研究所の話なら聞き出さずとも、よく知っている達朗である。
知りたいのは、その先、古賀が個人で進めていた具体的な研究内容だ。
「ここ、温かいだろ」と振られたので、改めて達朗も天井を見上げる。
天井ったって屋根は穴だらけのボロボロ、至る隙間から陽の光は差し込んでいるのだが、今立っている場所だけが上手い具合に足元まで光が差すような案配になっている。
ここって何の建物だったんだ?と聞こうとして、達朗はやめた。
聞くだけ無駄だし、今知りたいのは、それじゃない。
「先生は、さ。俺のギアに興味あったらしくて、よくここで服を脱げって言ってきたんだ。装着バンド、普通は腕につけるんだってな?俺は首だっつったら、先生は笑っていたよ。笑いながら、俺を抱いてくれたんだ。ここで先生とするのだけが、あの頃の楽しみだったな」
なんでもないことのように、さらっと語られたので、達朗の脳が言われたことを理解するまで数秒かかった。
ちょ、ちょっと待って?
クライヴのギアに興味がある、それはいい。古賀はギアの研究者だったのだから。
だからって、なんでマッパに剥いたり抱きしめたり、いや抱いたって、するって単なるハグじゃないよね、その言い方だと十八歳未満お断りのチョメチョメを、ここで?少年だったクライヴとシちゃったってこと!?
達朗は呆気にとられた顔で、足元を見つめる。
床板なんぞ敷かれてもいない、乾いた土が広がる地面を。
こんな所で寝転がってセックスするなんて、いくら好きな人が相手でも引く。ここで誘うの自体にドン引きだ。
しかも相手は少年。そういう趣味の人がいるのは達朗とて知っている。
知っているが、そうした趣味の人々は隠れるように住んでいて、同志としか愛し合わないとも聞いた。
目の前のクライヴは、そういう趣味の人だったのか。或いは、古賀に洗脳されたクチか。
仲良くする相手を間違えた感が、ひしひしと達朗の心に浸透してゆく。
もしや、もしかしてクライヴが俺へ好意的に接してくるのも、そうした目的のため?
沈黙が場を支配して、かなりの時間が経過した後。
「……なんて、こんな話を聞きたいんじゃないんだろ。達朗は」
「え」
我に返った達朗が見たのは、どこか寂しげな影を落としたクライヴの顔だった。
「お前、誰かと連絡とりあって何かを探しているんだろ?観月が言ってたぜ」
言われた瞬間、ぞっと戦慄が達朗の背を駆け抜ける。
どこで誰の目が光っているか判らない、千の目が光る場所での行動は、くれぐれも慎重に。
潜入前、同志に言われた忠告が達朗の脳裏に蘇った。
探すのは誰もいない部屋に限ったし、誰も見ていない隙に連絡を取り合っていたつもりなのに、観月とやらには一部始終を見られていたようだ。
それでいてアイグランには密告せず、クライヴ経由で知らせてきたのは何の意味がある?
いつでも息の根を止められるぞといった威嚇か、それとも古賀の痕跡探しをやめてほしいという遠回しなお願いか。
もし後者なのだとしたら、観月も古賀を知っているという結論になるが、観月なんて名前、軍部で見た覚えがない。
「その観月さんだけど、下の名前は何てーの?」
「下の名前?いや、観月は観月だ。観月としか名乗らなかったぜ、最初会った時」
フルネームを名乗らないというのは、名乗れないか、偽名のどちらかだ。
彼の正体が古賀同様、軍の脱走者だとしたら、偽名を使っているというのは大いに有り得る。
「なんでアイグランにチクらず、俺に忠告してくれるんだろうね?観月さんは」
なおもはぐらかそうとする達朗に詰め寄り、クライヴが肩を掴んでくる。
「危険だからに決まってんだろ。達朗、何を探してんだか知らねぇが、お前が外から来た人間だってんなら今すぐ探すのをやめて逃げろ。このまま続けていたら、あいつらに殺されるぞ」
「へ?殺される?あいつらって沙流さん……に?」
なんらかの尋問は覚悟していたけれど、リンチでの殺人までは達朗の考えになかった。
その前に逃げ出せると思っていたし、逃げ出す算段も前もって立ててある。
達朗の持つツテを使えば、スラムは逃げ出せない場所じゃない。一般領へ続くゲートの役人は全員知り合いだ。
「沙流だけじゃねぇ、全員にだ。五体無事で逃げ出せると思ってんだったら、お前はクヴェラをナメすぎだ」
いつ話題をふっても知らないの一点張りで流されたのに、クライヴは今、クヴェラについて熱く語っている。
聞き出すなら今しかない。全体の構成と、人員の総数を。
「ギアの適合者が四人いるから、か?けど、それだって振り切っちまえば楽勝だろ?それとも何か、ゲート付近にも伏兵が」
「違う。逃げる隙すら与えねぇんだ。連中は外の奴らに何かを嗅ぎ回されんのを嫌う。そして常に奇襲で片付ける。先生だって、それで殺されたんだ……!」
クライヴの言う"外"とは他都市ないし他領土を指しているのだろう。
クヴェラには、外部に知られたくない秘密があるようだ。
いや、しかし、それよりも今、なんと言った。
先生が、古賀がクヴェラに殺された?
古賀は出火元不明の火災で死んだと聞いている。
その火事では古賀以外のメンバーも複数巻き込まれたそうだ。
人為的な火事だとすれば、古賀は複数の身内を犠牲にしてでも仕留めたい相手だと幹部から認識されていたのか。
達朗が、それとなく聞き回った時には、ジャスパもナサーシャも、そんな人は知らない、いたとしても記憶にないと言っていたのに。
――今一度、情報を整頓してみよう。
問題の火事が起きたのは、クライヴが少年だった頃だ。
その頃、ここには誰がいた?
ナロンがスラム領に来た時期は、はっきりしている。今年だ。
それよりも前からクヴェラのアジニア支部は存在していたようだが、ギアの適合者は一人もいなかった。
アイグランら幹部のアジニアへ潜り込んだ時期が火災の起きた時期より後であれば、彼らが古賀を知らないのも当然だ。
彼らが来るよりも前からスラムにはクヴェラ支部があり、そして、そこを率先していた何者かは余所者の混入を嫌い、排除していた。
古賀は何故、スラムへ逃げ込んだのだろう?
逃げるなら他都市が一番安全だが、海を渡るツテがなければ一般領でもいい。
何故、わざわざ閉鎖的なスラムを選んだのか。
ずっとギア研究を続けるための逃亡だと思い込んでいたが、そうじゃないとしたら?
探しものがスラムにあったから、来た。そう考えることも出来る。
アイグランが指揮する前の、烏合の衆だったクヴェラへ紛れ込んだ点を踏まえても。
それが誰かの癇に障って、だから古賀は偽装火事で殺された?
改めて考える。古賀を殺したのは、当時のクヴェラを指揮していたのは誰なのか。
「古賀博士がいたのって、だいぶ昔だよな。その頃は誰がクヴェラのリーダーだったんだ?」
知らないと言われるのを覚悟で聞いてみれば、クライヴの返事は、あっさりしたもので。
「沙流だ。元々あの場所にいたのはクヴェラなんてのじゃなくて、あいつを慕って集まった軍団のたまり場でよ。そこで群れていたとこに来たのがジャスパだったんだ。その後、ぞろぞろギア持ちが来やがって、クヴェラに全員吸収されちまった」
これこそ、これまで何度尋ねても知らないで突っぱねられたクヴェラ支部の成り立ちじゃないか。
諜報部の報告を又聞きでかき集めた限りじゃ、支部が出来たから住民も集まってきたのだとばかり思っていたが、それ自体が間違っていた。
最初は土民の集まりで、それを吸収したのが支部だったのだ。
ナロンが支部に来て以降、一気に人員が増加したのは、彼のおかげで一般領へ入れるようになったのも大きかろう。
そして、これを知るクライヴも吸収前から沙流のグループにいたと推測される。
その割にナサーシャやアイグランは、クライヴの入隊時期を知らなかった。
故意に隠したのか、それとも本当に知らなかったのかは達朗にも判別つきかねる。
「今まで、どーして教えてくれなかったん?それ」
「そりゃ……知ったら、お前が殺されるって思ったからに決まってんだろ」
ふいっと視線を外してぼやいたものの、すぐに視線を達朗へ戻したクライヴは「それで、なにを探してんだ?達朗は」と追及の手を休めない。
素直に教えるべきか、否か。
古賀の情報を探しているといったら、クライヴにも達朗が接触してきた本当の理由が伝わるだろう。
だが、それが吉となるかといったら半々だ。落胆させてしまうかもしれない。
彼の背後にいる観月が危険だと判断するかもしれない。そうなったら、クライヴも襲いかかってくるのだろうか。
「その前に……火事があったのって、正確には何年前なんだ?」
ふぅ、と小さく溜息を漏らし、クライヴが答える。
「五年前だ」
「え」
――また、しばし間があく。
やがて「えええぇぇぇ!!!!?」と素っ頓狂な大声をあげる達朗を、クライヴも驚いた目で見つめた。
「ちょ、ちょい待ち!?お前、いくつなの?」
「いくつって?」と首を傾げる相手に唾を飛ばして達朗が再度問う。
「いくつって言われたらフツーは年齢に決まってんだろ!?」
「あぁ。二十ニだ」
「二十ニイィィィィィィィ!!!?」
「俺が二十ニ歳って、そこまで意外か?」
達朗は心底驚いた。
といってもクライヴが二十二歳な件にではない。
火災のあった時期が、たった五年前だったという事実にだ。
下級兵から聞き出した感じだと、かなり昔のような言い方だったから、少なくとも十年以上は経っているのかと考えていた。
五年前なら、クライヴは十七歳。男性同士という面を除けば、ギリギリセーフな年齢ではある。
どのみち未成年相手の不純行為であることに変わりはないのだが、ここはスラム、一般や貴族の常識が通用する場ではない。
クライヴにちょっかいをかけたのは、単なる性癖の範囲だろう。
やはり、この地自体に探しものがあった。そう考えるほうが自然だ。
それが何であるかと問われると、達朗にも判らない。
スラムは掃き溜め、アジニアの最下層という認識でしかないのだから。
「その、達朗が調べてんのって先生に関するものなのか?」
ずばり核心をついた質問がクライヴから飛んできて、達朗は一瞬言葉を失う。
そして言葉を失っているうちに両手を握られて、どことなく潤んだ瞳で熱く見つめられながら、こうも告げられた。
「そうなんだったら、俺も協力する。何を探してんのか具体的に教えてくれよ、できるだけ思い出してみるから……先生との想い出」
-つづく-