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act13 スパイ

ユニオンのスラム襲撃、及びクヴェラの一般領襲撃事件を受けて、アスラナーダは各領土の防衛見直しを発表する。
「どの領もゲートを二重ブロックにするんだとよ。今後はパスポートだけじゃ通過できなくなるってか」
新聞を読みながら騒ぐ伊原をチラリと流し見して、深雪も鬼島へ話題を振った。
「私達は任務でしか移動しないから関係ないですけれど、他領に友人知人がいる人は厳しくなりそうですね」
言われて、鬼島の脳裏に浮かんだのは妹の恵であった。
突如、兄の就職で貴族領への引っ越しを余儀なくされた彼女は、毎日、母に自分だけ一般領へ戻りたいと愚痴っているそうだ。
無理もない。哲平も恵も一般領で生まれ育ったから、友人は皆、一般領の住民だ。
哲平だって大学を卒業する前に辞めてしまったのを後悔しないでもないのだ。
守秘義務とやらの前に、友人へ引っ越し先の住所を教えることすら封じられている。
大学までに知り合った友人の顔が浮かんでは消える。
話を振られたせいで無性に彼らと会いたくなったが、深雪の言う通り、鬼島にはゲートを抜ける権限がない。
「けど、任務で通る時は、どうするんだ」
そもそも二重ブロックというのが何なのか判らない。
伊原に尋ねると「住民登録の照合認識でチェックするんだとよ。住民登録してんのかどうかもワカンネェ余所者を全部弾くシステムってわけだな」と、新聞の受け売りが返ってきた。
なるほど、それなら住民登録されていないユニオンのメンバーは弾けるかもしれないが、ナロンといったか、ゲートを通過せずに一般領へ入り込んだとの噂を持つ、あの子供には無意味な処置じゃないかといった危惧が鬼島の脳裏に浮かぶ。
それに外からのお客様は危険人物だけではない。
他都市から来た観光客も移動しづらくなるんじゃないかと鬼島が問うと、「いいんじゃねーの?これまでだって観光は一般領にしか行かなかったんだし」と、伊原は至って楽観的だ。
これまでに一般領から貴族領へ入ってきた住民も数える程度しかいないというし、多くの者が気にしない変更なのかもしれない。
「そういえばユニオン後援会を尋問して判ったことなんですけど」と、深雪が違う話題を振ってくる。
あの事件の後、ユニオンを匿っていた罪で日下部家に集っていた後援会の面々は全員逮捕された。
本部で取り調べが行われたものの、逃げ出したユニオンメンバーの行方は後援会でも消息を把握できておらず、支援リーダー日下部の弁では本土へ帰還したのではないかとの予想だ。
これ以上の情報を引き出せないと判断した上層部の意向で後援会は解放されたが、民間で極秘裏にギア研究をおこなっていた川口親子は今も身柄を拘束されており、引き続き厳しい尋問を受けている。
「民間にギア情報を流しているのって、軍を脱走した人々らしいんです。それで、彼らの追跡も行うそうですよ」
「今頃になって?見つかるもんかねぇ」と伊原が難色を示し、それには鬼島も同感だ。
ユニオンが潜伏していたのだって大事になるまで気付けなかったのだ。
それに脱走者は、恐らくユニオンよりも慎重に身元を隠しているに違いない。
「まずはコミュニティー、ネット上での捜索と一般領を虱潰しに探すそうですよ。諜報員の腕の見せ所ですね」と、どこか他人事で雑談を締めて深雪が踵を返す。
「俺らは当分出番なし?」と伊原が尋ねるのへは頷いて、「暇なうちに少しでも訓練しておきましょうか。せめて連携を取れるぐらいには」と深雪に誘われて、鬼島も席を立った。


当分は一般領への接触を全面禁じるとのアイグランの決定を受けて、クヴェラの活動はスラム領内に収めさせられる。
不満を持つ下っ端もいないではなかったが、なんせ組織No2の決定では逆らおうにも逆らえず、あちこちで燻りの愚痴が囁かれた。
ここ食堂でも下っ端兵士同士の愚痴が、あちこちのテーブルで飛び交っている。
「ナロンの暴走を止めきれなかったのはアイグランさんの失態だろ?なんで俺達が行動制限くらわなきゃならないんだよ」
「けど今、一般領へ踏み込むのは自殺行為だぜ。見ろよ、ゲートを強化するんだって」と片方が持ち出してきたのは、紙面がパリパリに乾いた一般領の新聞で「お、おい、これ、どこで拾ってきたんだ?」との疑問には「知らん、沙流さんが配ってた」と軽く流して続けた。
「ナロンの能力なくして俺達は事実上どこにも行けなくなったってわけだ」
「や、それは元々そうだろ」と聞き側も口を尖らし、溜息を吐く。
「ナロンの能力にしたって何らかの対策を施されてそうだよな……」
彼らが心配するのは軍の動きそのものではない。一般領を襲って食料や文明機器の強奪ができなくなるのを恐れている。
所詮は、その日暮らしで燻っていた最下層の住民である。思想も未来の明確なビジョンも見えていない。
自分は違う。少なくとも、大陸から来た幹部三人と自分だけは――
ジャスパ経由で入手した一般領の新聞を下位兵へ配りながら、沙流は考える。
クヴェラの狙いは、あくまでもアスラナーダの所有するギア情報取得のみのようだが、沙流は本気で最下層からの脱出を望んでいた。
スラムの住民が最下層を脱するには、一般領を襲うだけでは駄目だ。
今はまだ三体しかないと思われる軍のギアをクヴェラのギアで引きつけておいて、その間に貴族領へ侵入する。
たとえ軍本部の守りが堅牢であろうと、ギアでなら突破できるのではないか。
ギアを持つ軍が、あれほど民間でのギア研究や他組織のギアを恐れているのだ。
幹部でも飼いならしきれていないクライヴを、自分の味方に出来るんじゃないかといった目論見があった。
あれは生粋のスラム出身だ。それでいてギアの適合者でもある。
下っ端同士の情報交換で判ったのは、クヴェラ内で一匹狼を気取っているように見えるクライヴでも親しげに話せる相手はいる。
アイグラン配下の勝田 達朗という男が、そうだ。一方的に懐いているといってもいい。
まずは彼を味方に引き入れよう――と思うも、これがなかなか捕まらない。
なんだかんだ言い訳をつけられて、いつも達朗には逃げられてしまう。今は、さして仕事もないというのに。
そのうちに、おかしな噂を聞いた。
誰もいない部屋で、達朗が通信機で誰かと話していたという。
内容は何を言っているのか判らなかったとのことだが、沙流が真っ先に思いついたのは達朗へのスパイ疑惑であった。
ユニオンだって一般領に潜んでいたのだ。クヴェラへ紛れ込む何者かがいないとは限らない。
ただ、いずれかのスパイだったとしてもユニオンではあるまい。
一般領の新聞経由で見る限り、後援会は丸ごと一網打尽に捕まったそうだから。
居場所が消滅したんじゃ、ユニオンメンバーも全員撤退しただろう。
そしてユニオン支部壊滅のニュースを知っても、達朗に焦りは見られない。
ユニオンよりはアスラナーダ、そちらのほうがしっくりくる。
ユニオンのギアが襲撃してきた時、達朗は川口親子が監禁された部屋を警護していた。
果敢にもギアへ飛びかかって爆風で吹き飛ばされた下っ端兵も多かったのに、達朗ときたら安全圏で見守っていただけだった。
絶対に危険は犯さない。それでいながらギアの適合者と仲良く接し、No2の懐にも潜り込んでいる。
おまけに何処かと内密に連絡を取り合っているとなったら、ますますスパイ疑惑が濃くなり、沙流は同じナサーシャ配下の兵にも協力を仰いで、それとなく達朗を見張るよう命じた。

そんな動きが水面下で進められているとは、当の達朗は全く気づいておらず。
今日も暇を持て余しているのをいいことに、面会を求める沙流の伝言をやり過ごして、支部のあちこちを調べ回っていた。
目的は、ただ一つ。ここに潜伏していたとされる軍の脱走者、古賀 九浪の痕跡である。
彼の残した研究資料、そいつを探し出して持ち帰るのが達朗の受けた指示だ。
古賀と接触していた唯一の軍関係者外友人のクライヴに在処を尋ねても梨の礫で、ろくな情報は得られなかった。
そもそもクライヴは自身のギア構造についても全く詳しくなく、ギアへの興味自体が一切ないのだと思われた。
古賀がクヴェラに潜伏していた期間は短い。しかもクヴェラ支部で火災が起きた際、巻き込まれて死亡している。
幹部に、それとなく古賀の話題を振っても皆が皆、首を傾げた。
確かに所属していた。しかし、クライヴ以外の適合者は誰も存在を覚えていない。
そんな影の薄い人物が残した文書を探そうってんだから、捜索は難航している。
がさごそとガラクタをひっくり返したり棚の引き出しを軒並み引き出しながら、こんな捜索に意味はあるのかと達朗の中でも疑問は大きく膨らみ、五つ目の部屋探しが空振りに終わった辺りで「あ〜〜!もうやめっ」と叫んで自室へ戻った。
思うに、火事が起きた時点で文書は全部燃えてしまったのではないか。
クヴェラだって火災後には建物を直していようし、その時に出たゴミは全部捨てたりしていそうだ。
やはり頼みの綱は最後に接触したクライヴしかいないのだが、古賀を先生と呼んで今でも慕っている割に会話の記憶が断片的すぎる。
人間の記憶を探る機械でもない限り、本能で生きているとしか思えない男の記憶をアテにするのは、するだけ無駄だ。
話題を変えて、古賀が生前好きだった場所を聞き出しておいた。
明日は、そこへ行ってみる予定である。もちろん、外出は誰にも知られないよう、ひっそりとやらねばなるまい。


-つづく-


25/05/18 update

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